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第1章 少女が統べる国と嘱託補導員

073 甘い誘惑の噂について

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「学園都市トコハでの噂? と言うと――」
「あれだナ」

 さすがに膝元での話だからか、ヒメ様よりもトリリス様の方が先に思い至ったようだ。
 そのトリリス様がディームさんに視線を向けると、彼女は頷いて口を開く。

「最近、ホウゲツ学園の生徒のみならず、自身の力に強い不満を持つ者に対し、狂化隷属状態にある少女化魔物ロリータを譲ると持ちかける事案が報告されているのです……」
「それは……人身売買的なことですか?」

 ディームさんの説明から俺はそう推測し、確認の意味で問いかけた。

「いや、売買にはなっていないゾ。金銭的な交渉は全くなかったようだからナ」

 対して、即座に俺の想像を否定するトリリス様。

「もっとも、そもそも少女化魔物を隷属させた段階でこの国では違法なのです……」
「売買がなかった事実は、実際に隷属状態の少女化魔物を譲り受けてしまった挙句、何らかの罪を犯して捕まった者達の尋問で分かったみたいね」

 続けて、念のためという感じにディームさんとヒメ様が補足を入れてくれた。
 その内容に成程と思いつつも、引っかかりも覚えて「あれ?」と首を傾げる。

「すんでのところで思いとどまった人とかいないんですか?」
「それが不思議といないのよ。妙な話だけど」
「全くなのです。一人二人はいて然るべきなのです……」

 聞けば聞く程、妙な話だな。
 まるで決め打ちされていたかのように、その話を持ちかけられた人間が皆受け入れてしまっていることもそうだが……。
 どうにも動機が見えてこない。
 犯罪者の心理を一から十まで理解できてしまうのは、一般人的にそれはそれでまずい気もするが、少なくとも金儲けのために犯罪に手を染めるということなら有り触れた話だ。
 だが、三人の言葉を聞く限り、このケースではそうではない可能性が高い。
 本当に、一体何が目的なんだろうか。

「犯人については何か情報がないんですか?」
「少なくとも捕らえた者達からはないナ。だからワタシはヒメに調査を依頼したのだゾ」
「で、それを受けて、わたし直属の諜報部に調べさせた訳だけど……それでも犯人の正体に繋がる手がかりは何一つとしてなかったの。なさ過ぎるって程にね」
「とは言え、それが逆に一つの情報になるのです……」
「ん? えっと、どういうことですか?」

 意味深なディームさんの発言を今一理解できず、首を傾げる。

「まあ、イサクは、ヒメ直属の諜報部の高い情報収集力を知らないからピンと来ないかもしれないがナ。あれは世界有数の優秀な少女征服者ロリコンで構成されているのだゾ」
「その彼らが情報を得られないということは、その活動をも妨害可能な程の力、即ち第六位階相当の複合発露エクスコンプレックスを持っていなければおかしいのです……」
アーク暴走パラかは、分からないけどね」

 ディームさんの言葉に、そうつけ加えるヒメ様。
 相手は、少女化魔物に対して易々と命の危険もある狂化隷属の矢を使用する存在。
 自身の少女化魔物にそれを使うことにも躊躇がないかもしれない。
 そういう可能性も考えておくべきだろう。

「話を持ちかけられつつも断った人を見つけ出せないことも考えると、認識操作系かもね」
「……そういう特性の祈望之器ディザイアードを持ってる可能性は?」
「第六位階だろうから、さすがにないと思うよ」

 この印刀ホウゲツ同様。第六位階ともなれば、国宝レベルだったか。
 もしそれが利用されているとすれば、国家が関与した犯罪になってしまう。

「現存する第六位階の祈望之器は、おおよそ所在を把握してるからね」

 その辺りは、それこそ優秀な諜報部の面目躍如というところか。
 さすがに国が関わる程の規模なら、実行犯の正体が掴めなくとも他の部分で異変が見えてくるはずだし。祈望之器の使用と国家の関与については、可能性を捨ててよさそうだ。
 やはり複合発露による事件と考えて間違いないだろう。

「けど、それを聞くってことは、イサクも調査に乗り出してくれるってこと?」

 と、ヒメ様が期待を込めるように問いかけてくる。
 それに対し、俺は肯定の意を込めて頷いた。

「ええ。弟達が被害を受けないとも限らないですし。……まあ、弟達がそんな誘惑に負けるとは思えませんが、誘惑に負けた人間が起こす犯罪には巻き込まれるかもしれない」

 容易くいいようにされる程、やわな鍛え方はしていないつもりではある。
 しかし、彼らが余計な問題に気を取られるのはよろしくない。
 弟や弟分達がホウゲツ学園でしっかり学業に専念できるようにするのも、今現在保護者的な役割も負っている俺のすべきことだ。

「何より、幼い学園の生徒達もまたターゲットにされかねないのなら、それは先達としては必ず防がなければならないことですから」
「…………そう。ありがとう」
「礼を言われる程のことじゃありません。当たり前のことです」
「………………うん。それでも、ありがとう」

 首を横に振りながら言う俺に、尚も感謝を口にするヒメ様。
 まただ。何だか、引け目のような感情が滲んだ声色と表情。
 これも演技なのだろうか。
 いや、他の演技と違い、余り別の意図のようなものが感じられない。
 こんなことで演技をする必要性も極めて低い気がする。
 だからか、何とも調子が狂う。
 俺の中でヒメ様の人物像が固まってきているだけに、逆に。

「ともかく……可能なら、俺にもその噂に関する情報をお伝え下さい。進展があれば」
「それは問題ないよ。……とは言っても、わたし達の方でちゃんと調査した上でこの状態だから、余り期待はできないと思うけど」
「そこは理解しています」

 犯人が特殊な複合発露の少女化魔物を連れているということなら、確かにそれ以上の情報は得られないかもしれない。だが、念のためだ。
 変化があった時に情報が貰えるという状態になることが、心の平静には重要なのだ。

「分かった。じゃあ、ムニに伝達させるから」
「ムニさん……ああ――」

 確か、複合発露で作り出された分身体を各地に配置し、それを介して伝達した情報を書き起こすことでFAX的な役割をしている少女化魔物だったか。
 俺が知っている分身体は、補導員事務局にいたものだけだが……。

「トリリス様達用の分身体もあるんですよね?」
「当然なのです……」
「ヒメとやり取りする情報の中には機密情報もあるからナ。分身体にもセキュリティレベルでランク分けがあるのだゾ。事務局の分身体は最低ランクのはずだゾ」

 まあ、それはそうだろう。
 むしろ、そうでなかったら驚きだ。

「進展があった場合は、今日のように事務局経由で呼び出すのです……」
「分かりました。よろしくお願いします」

 ディームさんの言葉に頷き、丁寧に頭を下げる。
 それから俺は顔を上げてヒメ様の方へと向き直り、言葉を続けた。

「俺は俺で調べてみますので」
「うん。そうしてくれると助かるよ。もしかしたら、この妙な事件の解決にはプロの諜報員とは違った視点が必要になるかもだから」

 実際にプロが調べて行き詰まっている状況。
 素人の行動が解決の糸口になる可能性はないとは言えない。……高いとも言えないが。
 まあ、弟達や他の子供達のためにも尽力しよう。

「他に何かある?」
「いえ、今日のところは」
「そう? なら――」

 ヒメ様は俺の返答を受け、しばらく埋まり続けていた自作の柔らかソファからパッと立ち上がると、またもや緩々な雰囲気を一変させた。
 素早いスイッチのオンオフ。本当に器用なものだと感心する。

「またお会い致しましょう。イサク様」

 そして貴人の雰囲気を醸し出しつつも、恭しく言って丁寧に礼をするヒメ様。

「は、はい。本日はお時間を頂き、ありがとうございました」

 何度も言動の移り変わりを見せられて演技だと重々承知していても、無意識の部分に直接働きかけられたかのように襟を正させられる。
 自然とお辞儀の角度が深くなる。
 それは恐らく、これから先何度拝謁することとなっても変わることはないだろう。

「よし。では、帰るとするゾ」

 そんな感覚を強く抱きながら、俺はトリリス様達と共に秘密の部屋を後にした。
 こうして我が今生の祖国。少女祭祀国家ホウゲツの象徴であるヒメ様との印象深い初顔合わせは終わったのだった。
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