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しおりを挟む「いててでででっ!!」
間抜けな男の声が響き渡った。
ようやく手首を解放され、私は悶え苦しむ婚約者を見下ろす。
一瞬何が起こったか分かっていないお仲間さんたちは、ただヨハン様と私のやり取りを眺める。
「まず」
「はぇ、?」
「私は基本誰とも金銭の貸し借りを致しません。家族、友人、やむを得ず必要になった際は一筆書いて頂くようにしています」
一生懸命腕を戻そうとしているが、関節をきめられてる以上力でどうこうなる問題じゃない。
結局、その場にぺたんと座り込み半べそをかいている。
「それと酒場やカジノへの出入りですが、いついかなる時も周りからどう見られているか意識するべきです。仮にも貴族、下らない噂話で身を滅ぼすこともあり得ますから」
「は、離せよっ!はなせぇっ!」
「そして最後に」
ゴキッと骨がなる。
「ぎゃああぁあ!」
「婚約者の前で堂々と浮気の告白、目に余りますわね」
パッと手を離すとヨハン様は転がり回った。
ちょっと力を込めただけで大袈裟な……骨が折れたわけでもあるまいし。
「て、てめぇっ!ヨハンになんてことをっ!」
「調子に乗りやがってぇっ!」
そこまでしてようやくお仲間さんたちが騒ぎ出す。
ずいぶんと気性の荒いワンコ……じゃなくて、頼もしいお仲間さんたちだこと。
その中の一人が殴りかかって来ようとしたが、それを軽くいなせば呆気なく後ろにすっ転んでいった。
「んなっ?!」
「貴族令嬢たるもの、暴漢に襲われた時の対処法として一通りの護身術は心得ております。暴力でどうにかしようとしても無駄ですわ」
さすがにゴリゴリのマッチョだったら厳しいけど、この程度であれば問題はない。
「さて」
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「あなた、お名前は?」
「な……ぇ、ぇ、?」
「わたくしはアイシャ=スコールマン。で、あなたは?」
「り、リサ……」
「そう。リサさんね」
うん、やっぱり彼女も貴族ではなかった。
「後日きっちり精算していただきますね」
「せ、いさんって……?」
「もちろん慰謝料です」
平民の女性に婚約者を寝取られただなんてスコールマン家のメンツ丸つぶれだ。それ相応の賠償はして貰わないと。
再び立ち去ろうとした時、デジャブのようにまた手首を掴まれた。
「アイシャ」
パシンと乾いた音と同時に頬に鈍い痛みが走った。
しばらくして痛みがおさまってきた頃、ようやく自分が平手打ちされた事に気付く。
私を叩いた人物、ヨハン様はどこか誇らしげだ。
「あーあ、本当ならお前みたいに男を立てられない女となんか付き合いたくもねぇけどよ。これも子爵家に生まれちまった宿命だと思って我慢するかぁ」
「………は?」
「しょうがねぇから結婚してやる。だが俺のすることに文句言うなよ?ついでに躾し直してやるぜ」
……………いけないいけない。
あまりにもナチュラルに人を見下すから、思わず幻覚かと思ったじゃない。
婚約話は何年も昔、互いの両親が勝手に交わした。でも顔を合わせたのは子供のときの一度だけ、それ以来デートにお誘いしてもやんわりとマドレイ家から断られていた。
今なら合点がいく。こんなぼんくら息子……私が親でも結婚寸前まで隠し通したいわ。
暴力的で、浮気者で、本当に……
「”悪い男”」
「あぁん?」
「……とりあえず、今日のところは失礼致します」
どうやらやることは山ほどありそうだ。
「おい、まだ話は……」
「私にはありません。未来永劫」
私を掴む手のひらをぎゅうっとつねれば、また呆気なく手が離される。
そして去り際に睨み付ければ、ヨハン様は言葉を詰まらせそれ以上追ってくることはなかった。
「あ、あのっ!大丈夫ですか?」
「良かったらこれ使って下さい…!」
カフェを出る時、隣でお喋りしていたあのご令嬢たちが心配そうに寄ってきてくれる。ひんやりと濡らしたハンカチを差し出し、少し腫れた私の頬を指差した。
「……ありがとう」
「あ、あのっ!私、誰か人を呼んできましょうか?」
「大丈夫、自分で片付けられるわ」
にっこり微笑むと、彼女たちは顔を赤くしながらぱくぱくと口を開けてみせる。
ハンカチで頬をおさえながら離れた場所に停めてあった馬車へと乗り込む。先に乗り込んでいた人物は、私の顔を見て目をまん丸くさせた。
「アイシャ、その顔は……」
「ふふっ」
思わず笑いが込み上げてくる。
こわなにも無礼な態度を取られたのは久し振りだわ。
「これから忙しくなりますわ、お父様」
目の前に座る初老の男、父であるスコールマン侯爵は傷物になった娘の姿に静かな怒りを溜め込んでいた。
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