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第一章 ペルセウスの夜
第10話 事故
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駄菓子屋のばあちゃんは店を開けた途端に血走った目をした女子高生が駆け込んできたのに相当驚いていた。それでも、
「笛付きとそうでないの、どっちにすんね?」
と親切に教えてくれ、
「あんたみたいなおっきい女の子が買いにくるのは珍しいねえ」
とか言ってなぜか嬉しそうにニコニコしていた。
夏休みの小学生達に混じって買い物するのはとっても恥ずかしかった。けれど仕方ない。今時ロケット花火なんてどこにでもあるだろうと軽く考えていたのに、どこのコンビニでも花火はなぜか売り切れで、最後の望みだった小学校校門そばの駄菓子屋でようやく発見したのだ。これで駄目ならターミナル駅前のトイザらスまでわざわざ出向く羽目になる所だった。
寝不足に加え朝から走り回ったせいで目は真っ赤、全身汗まみれでもうヘトヘトだ。
それでも、家に戻って冷水のシャワーを浴びたらいくらかましになった。
気持ちに余裕ができたところで、勉強机の上に買ってきたばかりのロケット花火をずらりと並べてみる。全部で三十本だ。
一本一本に付いている長さ三十センチほどの竹ひごは〝安定棒〟という飛行を安定させる部品だと本で学んだ。でも、私の知る限り、本物のロケットにこんなもの付いているのは見たことない。多分別の仕掛けで安定させるのだろう。無かったら一体どうなるのかに興味があり、試しに何本か竹ひごをちょん切った物を作る。
あとは、飛距離向上、大型化のための工夫だ。
とりあえず三本の花火を束ね、ミシン糸でぐるぐる巻きにしてボンドで固め、一体化させてみることにした。安定棒は色々考えた末これも全部取り外す。
それを三本作る。
そこまで細工したところで、はたと気付く。
恐らく、これは最も小型で原始的な固体燃料ロケットエンジンということになるのだ。
むくむくと興味が湧いて、この際、構造をもっとよく調べてみようと思い立つ。
カッターナイフで表面の派手な包装を剥き、現れた紙製の胴体部分を慎重に切り開いてみる。
筒状の胴体の一番下、炎が噴き出す部分には赤茶色っぽい硬い粘土で封がされており、導火線の入り込んでいる部分だけに数ミリの細い穴が開いている。多分、この穴から炎が吹き出すんだろう。まず導火線を抜き取り、穴を露出させる。
次に、この粘土を慎重に剥がし、中国語らしき印刷の、質の悪い新聞紙でぐるぐる巻きにされた胴体をほどいていく。
すると、まるで鉛筆の芯のように中心部に黒い棒状の塊が詰まっていた。それを耳かきの先っちょで慎重に掻きだし、父が以前使っていたガラスの灰皿に移す。
「あれ、ポロポロになる」
ほぐしていくと、それは瞬く間に崩れて粉になる。親指と人差し指でちょっとだけつまんですり合わせるが、ホコリのように細かく指先の黒ずみは拭ってもなかなか落ちなかった。
さらに本体をほどいていくと、ロケット花火の頭の部分には、色の違う粉末が詰まっていた。こっちはぬめるような銀色の光沢がある。
「混ぜちゃ駄目なんだよね、多分」
一端台所に降り、さしみ醤油を入れる一番小さい皿を持ってくる。黒と銀色の粉末を分けて全部掻きだしたところで中身は空っぽになった。
「え? これだけ?」
覗き込んで確かめてもそれしかない。黒い粉も銀色の粉も、ほんの耳かき数杯分しか取り出せなかった。
「ふーん、たったこれだけでもちゃんと空を飛ぶんだ」
あまりに簡単な構造なので逆に感心する。
多分、量の多い黒い粉が空を飛ぶための火薬、推進薬で、銀色の粉が最後にパンとはじけるための炸薬だろうと見当をつける。ということは、この黒い粉をたくさん集めたらもっと高く飛ぶんじゃないだろうか。
そう閃いた私は、残り二十本のロケット花火をすべて分解し、ありったけの黒い火薬を集める。さすがに二十本分集めるとそれなりの量になった。
次に、机の引き出しから小学生の頃に使っていたプラスチック製の鉛筆のキャップを見つけてその中に火薬をすべて注ぎ込む。なるべくぎっちり詰めた方がいいだろうと思い、鉛筆のお尻でトントンと叩き固め、逆さに振ってもこぼれだしてこない事を確認する。
最後に、ロケット花火から抜き取った導火線をつないで長い一本により合わせると、父の工具箱からフローリングの補修に使うウッドパテを探し出して隙間に詰めた。
「ふう」
それだけでもなんとなくロケットっぽくなった。
ついでなので、古いはがきを切って小さな尾翼をつくり、鉛筆キャップの根元に接着剤でくっつけた。
「おお、なんとなくそれっぽいじゃない」
こうして、高さ五センチ、直径八ミリにも満たない小さな小さなロケットが完成した。
午後、私は自転車でとなりの市との境にある鷹見川の河川敷に立っていた。
炎天下のグラウンドはもちろん、あまりに天気が良すぎるおかげで土手の上にある自転車道にもには人の姿は全くない。
風もほとんどなく、怪しげな実験をするにはベストな条件だ。
私は家から持ち出した父のハンディビデオカメラを三脚に据えてグラウンドの中央に向け、画角を調整すると録画ボタンを押す。赤いLEDが点滅し始めたところで、まずは安定棒のないロケット花火の根元を砂に埋める。
「え、八月十五日、天野奈津希、第一回のロケット発射実験を行います」
チャッカマンを構えると、慎重に導火線に火を付けた。
シュッ!
わずかな噴射音と共に花火は飛び立つが、すぐに大きくカーブして地面に激突し、そこで爆ぜた。
「ああ~、やっぱ駄目かー」
やっぱり安定棒なしにまっすぐ飛ばすのは難しいらしい。
次に、三本束ねたロケット花火を同じように砂に立てる。結果は見えているような気もするけど、レッツトライ、実験することに意義がある。
勝手にそう結論づけ、より慎重に火を付ける。
シュシュッ!
白煙と共にひょろひょろ不安定に飛び上がった花火は、突如私の方に向きを変えて突っ込んで来た。
「うわー!」
慌てて全速で逃げ出す私の後を、ロケット花火はぐねぐねとねじくれながら追っかけてくる。と、背後一メートルほどの所でパパパンと激しく爆ぜた。煙と共に、温泉のようなゆで卵臭い刺激臭がぷんと漂ってくる。
「ひー!」
私はその場にひざをついてゼイゼイと荒く深呼吸する。
これはかなり怖かった。
どうやら三本の花火がそれぞれ微妙に違う燃え方をするらしい。まともに飛ぶどころか、完全にコントロール不可能だ。
「ふー、さて……」
どうにか落ち着いたところで、本日のメインイベント、記念すべきNー1号機の飛行実験だ。
前の二つはロケット花火にほんのわずかに手を加えただけだけど、こいつはケースの構造も火薬の量も全然違う。狙いとしては鋭く一直線に飛び立って欲しいんだけど、実際にどんなことが起こるのかはよくわからない。
「じゃあ、行きます」
カメラに向かってそう宣言する。
たたんだティッシュペーパーを敷いたお菓子の空箱から鉛筆キャップのロケットを宝石並みの慎重さで取り出し、ピッチャーマウンドのプレートの上にちょこんと立てる。ポップなオレンジ色に鈍く光る小さな機体がちょっとだけ頼もしく見える。
改めてカメラのアングルを微調整、丸めた導火線をちぎれないよう丁寧に延ばし、チャッカマンを拳銃のように両手で構えた。
「点火五秒前、四、三、二、一、ゼロ!」
ゼロの声と共に導火線を火花が走る。チリチリという音と共に一直線にN-1に吸い込まれる火花。だが、その先が続かない。
「あれ? 変だな」
様子を確認しようとわずかに身を乗り出したその瞬間、N-1は突然火の玉と化した。
バンッ!
「っちい!」
激しい炸裂音はこだまを伴って二度、三度と鳴り響き、熱風が顔を灼く。私はその勢いに押されるようにその場にへたり込んだ。
頬に走る鋭い痛みに気付いてひとさし指でなぞると、指先に血が付いてきた。
「わ、わっ!」
慌ててハンカチを取り出して頬に押し当て、恐る恐る開いてみる。と、三センチ近い長さの血の筋がハンカチを染めている。
「何これ!」
何か鋭い破片が頬をかすめたのに違いない。少しでも角度がずれて、たとえば目をかすめていたらどうなっていたかわからない。
改めて頬の傷をおさえ、発射台になっていたピッチャーマウンドを見る。
周囲の地面が極小のクレーターのようにえぐれ、プレートの中央には焦げ茶色の焼け焦げが残っていた。
予想外の事態に心臓は早鐘を打つようにバクバクと鼓動し、全身が冷や汗でじっとり濡れている。
にじみ出た冷や汗が爆炎に灼かれた顔の皮膚を刺激してヒリヒリと痛い。
「これ……駄目だ。怖い」
腰が抜けたように足に力が入らず、結局私はそのまま三十分近くその場にへたり込んだままだった。
「あんた、バカじゃないの!?」
由里子の言葉は辛辣だった。
「何の安全対策も取らずに思いつきで小学生男子並みの愚かな実験をするからそうなるのよ!」
私の左頬のほとんど全体を覆うガーゼを指さしながら鋭い目つきで私をねめ付ける。
「今回はその程度で済んだから良かったものの、下手すれば指の数本、目玉の一つくらい無くなっててもおかしくないのよ! このアンポンタン!!」
普段から表情のキツい由里子だが、本気で怒ると夜叉のようだ。本当に怖い。
「だからごめんって言ってるでしょ。もうしないから……」
ぼろくそに言われて涙目になる私。それでも、由里子は容赦しない。
「当たり前よ! あんたに何かあったら走は一体どうなるの? そのあたりちゃんと考えなさい!」
由里子はふーっと猫のようにうなり声を上げて私を威嚇すると、肩を怒らせたまま私に背を向ける。
「少しは反省しなさい! なまじ行動力のあるバカはマジで手に負えないわ!!」
そのままむっつり黙り込む。その背中には、明確な非難と拒絶がにじみ出ていた。
私は肩をすくめ、手近の椅子にしゅんと座り込む。
私は物事を知らない。
今回の件でそのことを心底思い知った。
頭の中では簡単にできそうに思えることが、とんでもない方向に転がって、あげくこんなに予想外の結果に繋がるなんて、想像さえしなかった。
実のところ、ペットボトルロケットにちまちまとした改良を加えては一喜一憂する走を、これまで私は心のどこかで馬鹿にしていたのかも知れない。
でも、今になって初めてわかった。
走こそ、エンジニアの心構えを本当に理解し、一歩一歩堅実に実行しているだけなんだ。
彼が控えめで臆病に見えていたのは、しょっちゅう暴走してとんでもない結果を引き起こそうとする私をフォローしてくれていた結果にすぎない。
「ああ」
私は嘆息した。
彼がいなくなった今頃になって、私はようやく彼のことを理解し始めたのかも知れない。
「笛付きとそうでないの、どっちにすんね?」
と親切に教えてくれ、
「あんたみたいなおっきい女の子が買いにくるのは珍しいねえ」
とか言ってなぜか嬉しそうにニコニコしていた。
夏休みの小学生達に混じって買い物するのはとっても恥ずかしかった。けれど仕方ない。今時ロケット花火なんてどこにでもあるだろうと軽く考えていたのに、どこのコンビニでも花火はなぜか売り切れで、最後の望みだった小学校校門そばの駄菓子屋でようやく発見したのだ。これで駄目ならターミナル駅前のトイザらスまでわざわざ出向く羽目になる所だった。
寝不足に加え朝から走り回ったせいで目は真っ赤、全身汗まみれでもうヘトヘトだ。
それでも、家に戻って冷水のシャワーを浴びたらいくらかましになった。
気持ちに余裕ができたところで、勉強机の上に買ってきたばかりのロケット花火をずらりと並べてみる。全部で三十本だ。
一本一本に付いている長さ三十センチほどの竹ひごは〝安定棒〟という飛行を安定させる部品だと本で学んだ。でも、私の知る限り、本物のロケットにこんなもの付いているのは見たことない。多分別の仕掛けで安定させるのだろう。無かったら一体どうなるのかに興味があり、試しに何本か竹ひごをちょん切った物を作る。
あとは、飛距離向上、大型化のための工夫だ。
とりあえず三本の花火を束ね、ミシン糸でぐるぐる巻きにしてボンドで固め、一体化させてみることにした。安定棒は色々考えた末これも全部取り外す。
それを三本作る。
そこまで細工したところで、はたと気付く。
恐らく、これは最も小型で原始的な固体燃料ロケットエンジンということになるのだ。
むくむくと興味が湧いて、この際、構造をもっとよく調べてみようと思い立つ。
カッターナイフで表面の派手な包装を剥き、現れた紙製の胴体部分を慎重に切り開いてみる。
筒状の胴体の一番下、炎が噴き出す部分には赤茶色っぽい硬い粘土で封がされており、導火線の入り込んでいる部分だけに数ミリの細い穴が開いている。多分、この穴から炎が吹き出すんだろう。まず導火線を抜き取り、穴を露出させる。
次に、この粘土を慎重に剥がし、中国語らしき印刷の、質の悪い新聞紙でぐるぐる巻きにされた胴体をほどいていく。
すると、まるで鉛筆の芯のように中心部に黒い棒状の塊が詰まっていた。それを耳かきの先っちょで慎重に掻きだし、父が以前使っていたガラスの灰皿に移す。
「あれ、ポロポロになる」
ほぐしていくと、それは瞬く間に崩れて粉になる。親指と人差し指でちょっとだけつまんですり合わせるが、ホコリのように細かく指先の黒ずみは拭ってもなかなか落ちなかった。
さらに本体をほどいていくと、ロケット花火の頭の部分には、色の違う粉末が詰まっていた。こっちはぬめるような銀色の光沢がある。
「混ぜちゃ駄目なんだよね、多分」
一端台所に降り、さしみ醤油を入れる一番小さい皿を持ってくる。黒と銀色の粉末を分けて全部掻きだしたところで中身は空っぽになった。
「え? これだけ?」
覗き込んで確かめてもそれしかない。黒い粉も銀色の粉も、ほんの耳かき数杯分しか取り出せなかった。
「ふーん、たったこれだけでもちゃんと空を飛ぶんだ」
あまりに簡単な構造なので逆に感心する。
多分、量の多い黒い粉が空を飛ぶための火薬、推進薬で、銀色の粉が最後にパンとはじけるための炸薬だろうと見当をつける。ということは、この黒い粉をたくさん集めたらもっと高く飛ぶんじゃないだろうか。
そう閃いた私は、残り二十本のロケット花火をすべて分解し、ありったけの黒い火薬を集める。さすがに二十本分集めるとそれなりの量になった。
次に、机の引き出しから小学生の頃に使っていたプラスチック製の鉛筆のキャップを見つけてその中に火薬をすべて注ぎ込む。なるべくぎっちり詰めた方がいいだろうと思い、鉛筆のお尻でトントンと叩き固め、逆さに振ってもこぼれだしてこない事を確認する。
最後に、ロケット花火から抜き取った導火線をつないで長い一本により合わせると、父の工具箱からフローリングの補修に使うウッドパテを探し出して隙間に詰めた。
「ふう」
それだけでもなんとなくロケットっぽくなった。
ついでなので、古いはがきを切って小さな尾翼をつくり、鉛筆キャップの根元に接着剤でくっつけた。
「おお、なんとなくそれっぽいじゃない」
こうして、高さ五センチ、直径八ミリにも満たない小さな小さなロケットが完成した。
午後、私は自転車でとなりの市との境にある鷹見川の河川敷に立っていた。
炎天下のグラウンドはもちろん、あまりに天気が良すぎるおかげで土手の上にある自転車道にもには人の姿は全くない。
風もほとんどなく、怪しげな実験をするにはベストな条件だ。
私は家から持ち出した父のハンディビデオカメラを三脚に据えてグラウンドの中央に向け、画角を調整すると録画ボタンを押す。赤いLEDが点滅し始めたところで、まずは安定棒のないロケット花火の根元を砂に埋める。
「え、八月十五日、天野奈津希、第一回のロケット発射実験を行います」
チャッカマンを構えると、慎重に導火線に火を付けた。
シュッ!
わずかな噴射音と共に花火は飛び立つが、すぐに大きくカーブして地面に激突し、そこで爆ぜた。
「ああ~、やっぱ駄目かー」
やっぱり安定棒なしにまっすぐ飛ばすのは難しいらしい。
次に、三本束ねたロケット花火を同じように砂に立てる。結果は見えているような気もするけど、レッツトライ、実験することに意義がある。
勝手にそう結論づけ、より慎重に火を付ける。
シュシュッ!
白煙と共にひょろひょろ不安定に飛び上がった花火は、突如私の方に向きを変えて突っ込んで来た。
「うわー!」
慌てて全速で逃げ出す私の後を、ロケット花火はぐねぐねとねじくれながら追っかけてくる。と、背後一メートルほどの所でパパパンと激しく爆ぜた。煙と共に、温泉のようなゆで卵臭い刺激臭がぷんと漂ってくる。
「ひー!」
私はその場にひざをついてゼイゼイと荒く深呼吸する。
これはかなり怖かった。
どうやら三本の花火がそれぞれ微妙に違う燃え方をするらしい。まともに飛ぶどころか、完全にコントロール不可能だ。
「ふー、さて……」
どうにか落ち着いたところで、本日のメインイベント、記念すべきNー1号機の飛行実験だ。
前の二つはロケット花火にほんのわずかに手を加えただけだけど、こいつはケースの構造も火薬の量も全然違う。狙いとしては鋭く一直線に飛び立って欲しいんだけど、実際にどんなことが起こるのかはよくわからない。
「じゃあ、行きます」
カメラに向かってそう宣言する。
たたんだティッシュペーパーを敷いたお菓子の空箱から鉛筆キャップのロケットを宝石並みの慎重さで取り出し、ピッチャーマウンドのプレートの上にちょこんと立てる。ポップなオレンジ色に鈍く光る小さな機体がちょっとだけ頼もしく見える。
改めてカメラのアングルを微調整、丸めた導火線をちぎれないよう丁寧に延ばし、チャッカマンを拳銃のように両手で構えた。
「点火五秒前、四、三、二、一、ゼロ!」
ゼロの声と共に導火線を火花が走る。チリチリという音と共に一直線にN-1に吸い込まれる火花。だが、その先が続かない。
「あれ? 変だな」
様子を確認しようとわずかに身を乗り出したその瞬間、N-1は突然火の玉と化した。
バンッ!
「っちい!」
激しい炸裂音はこだまを伴って二度、三度と鳴り響き、熱風が顔を灼く。私はその勢いに押されるようにその場にへたり込んだ。
頬に走る鋭い痛みに気付いてひとさし指でなぞると、指先に血が付いてきた。
「わ、わっ!」
慌ててハンカチを取り出して頬に押し当て、恐る恐る開いてみる。と、三センチ近い長さの血の筋がハンカチを染めている。
「何これ!」
何か鋭い破片が頬をかすめたのに違いない。少しでも角度がずれて、たとえば目をかすめていたらどうなっていたかわからない。
改めて頬の傷をおさえ、発射台になっていたピッチャーマウンドを見る。
周囲の地面が極小のクレーターのようにえぐれ、プレートの中央には焦げ茶色の焼け焦げが残っていた。
予想外の事態に心臓は早鐘を打つようにバクバクと鼓動し、全身が冷や汗でじっとり濡れている。
にじみ出た冷や汗が爆炎に灼かれた顔の皮膚を刺激してヒリヒリと痛い。
「これ……駄目だ。怖い」
腰が抜けたように足に力が入らず、結局私はそのまま三十分近くその場にへたり込んだままだった。
「あんた、バカじゃないの!?」
由里子の言葉は辛辣だった。
「何の安全対策も取らずに思いつきで小学生男子並みの愚かな実験をするからそうなるのよ!」
私の左頬のほとんど全体を覆うガーゼを指さしながら鋭い目つきで私をねめ付ける。
「今回はその程度で済んだから良かったものの、下手すれば指の数本、目玉の一つくらい無くなっててもおかしくないのよ! このアンポンタン!!」
普段から表情のキツい由里子だが、本気で怒ると夜叉のようだ。本当に怖い。
「だからごめんって言ってるでしょ。もうしないから……」
ぼろくそに言われて涙目になる私。それでも、由里子は容赦しない。
「当たり前よ! あんたに何かあったら走は一体どうなるの? そのあたりちゃんと考えなさい!」
由里子はふーっと猫のようにうなり声を上げて私を威嚇すると、肩を怒らせたまま私に背を向ける。
「少しは反省しなさい! なまじ行動力のあるバカはマジで手に負えないわ!!」
そのままむっつり黙り込む。その背中には、明確な非難と拒絶がにじみ出ていた。
私は肩をすくめ、手近の椅子にしゅんと座り込む。
私は物事を知らない。
今回の件でそのことを心底思い知った。
頭の中では簡単にできそうに思えることが、とんでもない方向に転がって、あげくこんなに予想外の結果に繋がるなんて、想像さえしなかった。
実のところ、ペットボトルロケットにちまちまとした改良を加えては一喜一憂する走を、これまで私は心のどこかで馬鹿にしていたのかも知れない。
でも、今になって初めてわかった。
走こそ、エンジニアの心構えを本当に理解し、一歩一歩堅実に実行しているだけなんだ。
彼が控えめで臆病に見えていたのは、しょっちゅう暴走してとんでもない結果を引き起こそうとする私をフォローしてくれていた結果にすぎない。
「ああ」
私は嘆息した。
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