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第三章

冬営地にて(五)

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それからアリエージュは、キースとの思い出話を二人に語って聞かせた。
アリエージュの方が半年だけ早く生まれたこと。
双子の姉弟のように育ち、毎日野山を駆け回っていたこと。
成人するまでは喧嘩ばかりしていて、なにかにつけて競いあっていたこと。
やがて好敵手から無二の友となり、父親に同衾を命じられる前から、伴侶は互いの他にいないと想いあっていたこと。
「もし父が別の伴侶を選んできたら、そのときは相手を殺してここを出て行こうと約束していたの、私たち」
涼しい顔で言ってのけたアリエージュに、ラウラは笑顔を引きつらせ、アフィーは前のめりになった。
「すごい。私も、見習う」
「だ、だめですよ!?」
「よく覚えておきなさい、アフィ―。欲しいものがあるなら、躊躇っちゃいけないわ」
「うん」
「だめですって!」
「ふふ、冗談よ。怒らないで」
「……冗談?」
「ええ。本当は、もし別の誰かが伴侶に選ばれてしまったら、その人より先に同衾しちゃうつもりだったわ」
「……!」
「えっ!?」
ラウラとアフィ―は顔を真っ赤にして硬直する。
「折檻は受けるかもしれないけど、ラプソは貞操を重んじるわ。だから一度寝てしまえば、私とキースを伴侶と認めざるを得ないのよ」
アリエージュは固まる二人に念を押す。
「いい?今度は本気よ。伴侶はね、親ではなく自分で決めるべきだわ。もちろん親が決めた相手が自分に合う人ならいいけど。そうじゃないなら、ほかに好いた相手がいるなら、どんな手をつかってでも認めさせるのよ。一番手っ取り早いのは、私たちがそうしようとしたみたいに、既成事実を作ってしまうこと。わかった?」
アフィ―は力強く頷いた。
「わかった……!」
「だ、だ、だめですよ!」
ラウラは首まで真っ赤になりながら叫んだ。
「絶対、だめです、そんなの!」
「だめなの?」
「ダメに決まってるじゃないですか!」
「あら、これが一番平和的な解決方法なのに。じゃあ仕方ないわね、アフィ―、やはり相手を殺してしまうほかないみたい」
「わかった」
「もう!」
ラウラの一声で狼狗の仔が目を覚まし、か細い声で鳴いた。
仔を抱く母親は、尾で床を叩き、ラウラを非難する。
「あ、ご、ごめんなさい……」
ラウラは縮こまり、声をひそめる。
「とにかくだめですよ、そんなの。カイさんもダメって言いますよ、絶対」
「絶対……?」
「はい。すごく困らせちゃうと思いますよ」
「困らせたくない」
「じゃあやめましょう」
アフィ―はアリエージュに視線を送る。
アリエージュはそうねえ、と笑って、アフィ―の頭をなでた。
「相手の同意がないんじゃ、この手は使えないわ」
「じゃあ、もし、カイに伴侶ができたら、私は、どうすればいい?」
アフィーは弱弱しく呟いた。
「シェルティは、カイと同じ。二人はお互いのこと、よくわかりあってる。レオンは……カイはレオンに憧れてるから、レオンのいうことを、きく。わたし、二人に、カイを、とられたくない」
「そんなこと――――」
ないと、ラウラは言い切ることができなかった。
アフィ―の見立て通り、カイとシェルティは育った境遇が似ているためか、互いをよく理解している。
またカイはレオンの生き方に憧れ、そのあとを追いかけようとしている。
両者の絆は比べ難く固い。
カイがどちらかを伴侶に、と選んでも、ラウラはすこしもおかしいと思わなかった。
「私、カイの気持ち、よくわからない。カイの好きなごはん、つくれない。カイに、なにかを教えてあげること、できない。カイを守ることも、どこかへ、連れていくことも……」
「あなた本当に彼のことが大好きなのね」
アリエージュの一言に、アフィ―は耳を赤くして俯いた。
「だいじょうぶよ。それだけの気持ちがあれば、きっと彼にも伝わるわ。彼は誠意のある人だから。――――それにね、互いを完全に理解しては、同じ志を持っては、うまくいかないこともあるのよ」
アリエージュはまた遠くに視線を向けた。
「私とキースは、同じだったの」
「似てたの?」
「いいえ。好物も、得意なことも、違ったわ。見た目だって全然似てない。でもね、根っこはうりふたつだった。なにか重要な決断をするとき、私たちが答えを違えたことはなかった。いつも同じ方向を見ていたの。まずいことに」
「まずいいことなの?」
「ええ。加えて私もキースも、一度決めたことを曲げられなかった。視野が狭まって、融通をきかせられなくなった。互いがそうだから、よけいにね」
アリエージュは視線を手元に落として、小さく息をついた。
「それがいいように働いたこともあれば、悪かったこともあったのよ」
「……?」
アフィーは眉間にしわをよせる。
アリエージュはアフィ―に手を伸ばし、指先でそっと、そのしわをほぐしてやる。
「難しいわね。つまり、まったく異なる意見をもつ人間が傍にいた方が、うまくいくこともあるんじゃないかしら、という話よ」
アリエージュはアフィーの鼻先に指を突き立てた。
「同じ考えの人が傍にいると、心強くて安心できるわ。でも違う考えの人が傍にいれば、見える世界はうんと広くなる。あなたはカイに新しい景色と、彼自身では見つけられなかったたくさんの選択肢を与えることができる。勝ち目は十分あるわよ、アフィー」
アフィーは花が咲いたような笑みを浮かべて、大きく、何度も、頷いた。
ラウラもまたアリエージュに深い感銘を受け、一緒になって頷いた。
「新しい世界に新しい景色……いいですね。とても素敵ですね」
アリエージュは二人から向けられる尊敬の眼差しをかわすように首を振った。
「いやだわ、説教臭い大人にはなりたくなかったのに。齢をとるってこれだからいやね」
「そんな、まだ二十歳じゃないですか。それにむしろ、二十歳でそれが言えるのは、かっこいいですよ。私は自分が二十歳になったときに、アリエージュさんみたいな大人になれる自信がありません」
「そう?あなた今でも十分大人びているから、五年後にはとても達観した大人の女性になっていると思うわよ」
「わたしは?」
「アフィ―は……五年たっても今のラウラに追いつけているかどうか怪しいわね」
アフィーはむっと頬をふくらませた。
それを見たラウラとアリエージュは、思わず噴き出した。
「そういうところよ!」
アリエージュは幕屋から漏れ出るほどの、大きく明るい笑い声をあげた。

「――――ラリュエ様がお呼びよ」
幕屋の外から声をかけられたアリエージュは、顔から笑みを消し、まるで人が変わったよな低い声で返事をした。
「すぐに行くわ」
三人が幕屋を出ると、女たちの寝所である幕屋の入り口から、こちらを睨みつけるアリエージュの義祖母、ラリュエの姿があった。
「……ごめんなさいね」
アリエージュは掠れた声で二人に詫びると、義祖母のもとへ駆けて行った。
ラリュエはアリエージュと、アリエージュを呼びに出た女を押し込むように幕屋に入れ、ラウラたちをきつく睨みつけてから、幕屋の帳を乱暴に下ろした。
「……戻ろう」
呆然と立ちすくむラウラの手を引いて、アフィ―は寝床に使う幕屋へ向かった。

「あいつは、私たちのこと、嫌い」
アフィ―は淡々と言った。
「いつもそう。アリ―は、私たちに、親切。でも、あいつは、私たちが関わるの、嫌い。アリ―も、ほかの人も、近づかないように、見張ってる。仲良くすると、怒る」
「……私たちのせいで、家族を失ってしまったんですから」
老婆の怒りは当然だと、ラウラは続けようとしたが、ふいにアフィ―が足を止めた。
「話は済んだかな」
二人が寝床として使う幕屋の前で、大きな荷袋を抱えたブリアードが待っていた。
「……師匠」
「アフィ―、夕食は?」
「食べた」
「ならよかった。――――まったく、久々に会ったと思ったら、ろくな挨拶もなく乱暴に跨ぐなんて、とんでもないことだ。もしかしてうちを出て、あの青年へ弟子入りするつもりなのか?」
「しない」
アフィ―は即答した。
ブリアードはほっと胸をなでおろしたが、すぐに表情を引き締め、厳しい声色で、アフィ―に礼儀を説いた。
「ダルマチアの子弟なら、私を師匠だと呼ぶなら、はらうべき敬意があるでしょう」
「うん。――――師匠、ごめんなさい」
アフィ―は素直に頭を下げた。
ブリアードは頷いて、アフィ―に荷袋を手渡した。
「これはマリーからだよ」
「……!」
アフィ―は目を輝かせて荷を解いた。
荷袋の中身は新しい着替え一式と履物、香油といった身づくろいの品々と、たくさんの飴玉、そして分厚い手紙だった。
「ブリアードさんの大荷物の正体はこれだったんですね」
驚くラウラに、ブリアードは苦笑して、そうなんです、と言った。
「お恥ずかしながら、私の伴侶は面倒見がいいんです。とっても。子弟ひとりにこれですからね、ヤクートへの品はこれの倍近くありました。重いと、仕事の邪魔になると、何度も断ったんですが、しかし子を思いやる母の気持ちには答えてやりたいと――――」
ぼやくブリアードを無視して、アフィ―はラウラに耳打ちする。
「マリー様は、すごく怖い。たぶん、師匠は、断れなかった」
それを聞いたラウラはブリアードを労わり、大変でしたね、と相槌を打った。
「やはり道中、お手伝いすればよかったです」
「いやいや、これはいわば私用ですから、ラウラさんのお手を煩わせるわけにはいきませんよ。アフィ―も、ラウラさんに甘えてばかりいないで、泣き言ならヤクートに吐けばいいでしょう。今日はもうラウラさんを休ませないといけないよ。夜が明けたら私たちはすぐここを去るし、朝廷に戻ってからも仕事が山積みなんだから」
「うん。師匠、ありがとうございます」
アフィ―はもう一度頭を深く下げた。
「君は本当に素直な子だ。自慢の弟子だよ」
ブリアードは大きくため息をついた。
「それに比べてヤクートときたら――――」
早寝を促しておきながら、ブリアードは息子への不満を長々ともらしはじめた。
「私だって家を継ぎたかったわけじゃありませんから、気持ちはわかるんですよ。気心知れた仲間と、一から商売をはじめる……夢があっていいと思いますよ?若いうちしかできませんしね。ヤクートが本気なら、私は応援しますよ。でも、もうすこし伝え方ってものがあってもいいですよね?久しぶりに会ったと思ったら、いきなりあれですよ。私への気遣いってものがまるでない。父親をあんなぞんざいに扱う息子がありますか?」
「師匠」
「アフィーはどう思う?ひどいだろう?」
「おやすみなさい」
「えっ」
アフィ―は話を断ち切り、ラウラの手の引いて幕屋の中に入って行った。
「師匠の話が終わらないときは、挨拶して、立ち去れって、マリー様に、教わった」
「す、すごい教えですね……」
ラウラは苦笑し、幕屋の外で呆然と立ち尽くすブリアードに、声をかけた。
「お先に失礼します。ブリアードさんも、早くお休みになってください」
「……そうします」
ブリアードはしょんぼりとした返事をして、自分の寝床へ去って行った。

アフィーとラウラはひとつの寝台を共有した。
物置として使われている幕屋の中に、アフィ―の寝床は作られていた。
レオンら男性陣が使う客用の幕屋に比べて、粗末な上に狭かった。
寝台に乗るためには分解された幕屋の骨組みを乗り越えなければならず、またあたりはほこりにまみれているため、身支度もすべて寝台の上で行わなければならなかった。
ラウラはこんな場所でひと月も寝起きしているアフィ―に同情した。
「せめてもう少し、物をどかすことはできないんでしょうか」
「どうして?」
「狭くないんですか?」
「うん。家の方が、狭かった」
アフィーは寝台に横たわり、目を閉じた。
「ここは、家より、ずっといい」
「おうちは――――」
そんなに居心地が悪かったんですか、と、ラウラは最後まで続けなかった。
それは聞くまでもないことだった。
ラウラはすでに知っていた。
アフィーが私生児で、父親の家族に疎ましく思われていたことを。
技官になったのも、家を追い出されたからであることを。
アフィ―自身も、そんな家を嫌っているということを。
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