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第二章

望郷

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家畜の回収は、レオン、カイ、ラウラ、そして案内役を務めるアリエージュの四人で行われることになった。
「本当に、一緒に行かないのか?」
出発の支度を終え、カイは最後にもう一度訪ねた。
「ぼくはここにいる方がいい」
「でも――――」
「何度も言っただろう。もしぼくらが三人揃ってここを離れて、その間に官吏がやってきたら、ラプソはどうなる?せっかく家畜を回収しても、持ち主がいなくちゃ意味ない。誰かひとりは証人として残らないと」
カイはまだすこし躊躇っている様子だったが、うしろからレオンに襟首をつかまれてしまった。
「ぐずぐずしてんな。行くぞ」
「うっ……わ、わかったよ」
カイはレオンの手をふりほどき、シェルティにもう一度歩み寄った。
「じゃあ、行ってくる」
シェルティはレオンによって乱されたカイの襟元を整え、いってらっしゃい、とほほ笑んだ。

山林を歩き始めてからもしばらく、カイは後ろ髪を引かれて、落ち着きがなかった。
「気になるなら、戻ったらいいだろ」
最後尾を歩くレオンは、呆れた声で言った。
「お前がいなくても、こっちはなんとかなる」
「いや、それはだめだ。だって、おれ、自分でやるって言ったんだから……」
「じゃあめそめそすんじゃねえよ」
「め、めそめそはしてないだろ……」
カイの隣を歩くラウラは、レオンに申し訳なさそうな笑顔を見せる。
「カイさんはまた殿下をひとりで置いていくことになってしまって、不安なんです」
「女たちにとって食われるってか?」
そんなこと思ってない、とカイは食い気味に返した。
「ラプソの人たちを疑ってるわけじゃないんだけど……」
「あいつのことを信じてないのか」
「えっ」
カイは思わず立ち止まる。
「今のお前の態度はそういうことだろ。あいつは仕事の見返りをもうもらったんだ。キースたちはあいつが望んだ情報を全て渡した。今度はあいつがそれに見合うだけのものを返す番だ」
レオンはカイの背中を押し、歩け、と促す。
カイは無言のまま頷き、また歩き出す。
「正しい判断だろ。あいつが回収の役に立つとは思えない。逆に朝廷の相手をできんのはあいつだけだ。――――あいつを信じてるなら、お前はお前の仕事に集中しろ」
カイはもう一度深く頷き、歩調を緩めてレオンの隣に並んだ。
「あのさ、おれたち、飛んでいこうか?たぶんおれたちの歩くペースじゃ、レオンには遅いだろ?」
「このあたりは森が深い。上からじゃおれたちをすぐ見失う」
「そっか。じゃあこのまま行くしかないか」
「いや、お前の言う通り、このまま行ったら戻るのは夜更けになる。それにお前らに途中でばてられちゃ、本末転倒だ」
レオンは二頭の狼狗を従えて先頭を歩くアリエージュに、声をかけた。
「そいつら、乗れるのか?」
アリエージュは歩みを止め、振り返った。
一緒に立ち止まった狼狗の顔をそれぞれ見つめ、首を傾げた。
「一頭はお産が近いから、あまり無理をさせたくないわ。もう一頭は、仕込んではいるけど、まだ若いから……」
「じゃあおれとカイでその若いのに乗る」
「相当荒れるわよ」
「問題ねえ」
「貴方はよくても、彼は――――」
「いいだろ?」
レオンに問われたカイは、威勢よく返事をした。
「まかしてよ!」



狼狗という生き物は、カイにとって体躯の大きなオオカミだった。
それに乗って森を駆けるのだと知ると、カイは高揚した。
カイは幼少時より夢見ていた。
魔法や超能力、ヒーローへの変身、ロボットの操縦に多くの男児が憧れを持つように、カイは空想上の生物に強い憧れがあった。
特にドラゴン。
その背に乗って空を駆けることを、カイはずっと夢見ていた。
オオカミはドラゴンの次点だった。
あるアニメ映画の中に出てきた、オオカミに跨り森の中を勇猛に駆ける戦士に強い憧れを抱いていた。
犬を飼ってからその背に跨る試みを行ったこともある。
当然、雑種の中型犬に跨れるはずもなく、むしろ犬に非難の目を向けられて恥じ入る始末だったが。
カイはそんな子どものころの夢を、この異世界で叶えることとなる。
しかし山を駆けまわり、馴鹿たちを連れ帰ったカイは、今にも死にそうな表情で呻いた。
「夢見すぎだろ……」

空がかすかに焼けはじめた、夕暮れはじめの帰着だった。
出発からほとんど休みなしで狼狗に跨っていたカイは、前に座るレオンの腰をつかんだまま動くことができない。
「腰と尻が……股間が……死んだ……」
「貧弱だな」
レオンは呆れて鼻をならすと、カイを引きずるようにして狼狗から降りた。
カイはまぬけなガニ股で数歩歩いて、そのまま牧草の上に倒れ込んだ。
「情けねえなあ」
レオンはカイの横に腰を下ろし、尻を叩いた。
「ぎゃっ!」
カイは悲鳴をあげる。
「なにすんだよお……」
「大げさだ」
レオンは懐から酒瓶を取り出し、一口煽った。
「明日もまた別の群れを引き上げにいくんだぞ。今そんなんでどうすんだよ」
「う……」
カイは尻をさすりながら起き上がり、レオンの横にぎこちなく座りこむ。
「全部集め終える頃には、おれ、尻も玉もなくなってるかもしんないな……」
「そんな小さくねえだろ」
レオンはそう言って、尻と同様にカイの股間を叩こうとする。
カイは咄嗟に股間を手で覆い、それを防いだ。
「おまっ……!それはまじで死ぬやつだから!」
レオンは鼻を鳴らして笑うと、カイに酒瓶を差し出した。
カイは警戒した表情のままそれを受け取り、自棄になって一息で半分ほど飲み干した。
「ははっ、やるじゃあねえか」
レオンは感心して、これまでにない上機嫌な顔でカイの肩を抱いた。
「南方の酒はどれも強ええけど、これは中でも一等だ。味もいい。それをお前――――おい、どうした?」
レオンはカイの様子がおかしいことに気づき、肩を抱いていた手をぱっと離した。
カイは前のめりに倒れこんだ。
「カイさん!?」
二人の会話に耳を傾けながら、後方の草むらで乱れた髪や身なりを整えていたラウラは、慌てて駆け寄った。
「なんだ、勢いだけかよ」
レオンはカイを仰向けに転がした。
カイは顔を真っ赤にして目を回している。
「カ、カイさん……」
「安心しろ、酒でのびただけだ」
レオンは上機嫌のままラウラに言った。
「お前はなんともないのか。狼狗、乗るのはじめてだったんだろ?」
「はい。緊張しました」
ラウラは肩に下げた荷袋から皮水筒を取り出し、カイの口元を湿らせてやる。
「でも、ケタリングに乗ったことが、いい予習になっていました。同じ要領で身体を固定させればよかったので。それに私が乗った狼狗は、お二人が乗ったものとは違って、静かに走ってくれましたから」
ラウラは下半身の痛みを訴えていたカイの姿を思い出し、同情する。
カイとレオンの乗った狼狗は、遊牧地へ向かうときも、馴鹿を下へ追っているときも、やたらと跳ねまわり、急加速と急停止を繰り返していた。
カイはそのたびに蛙の断末魔のような悲鳴をあげていたが、無理もないだろう。
「問題ないわ。みんな無事だった。今日はこれで戻りましょう」
連れ戻した馴鹿の数を数え回っていたアリエージュは、倒れたカイを見て、表情をくもらせた。
「……みんな無事ではなかったわね」
「アハハ……」
ラウラは苦笑し、先に戻ってください、と言った。
「そのうち起きると思うので、そしたら私たちも戻ります」
「迎えをよこすわ」
「そんな……みなさんそれぞれ忙しいでしょうし」
「もう戻ってるはずよ」
「疲れてるだろ。休ませてやれ」
「それは……そうね……」
レオンに言われ、アリエージュは声を小さくした。
キースを含む四人の少年たちは、目下、仲間の埋葬で手いっぱいだった。
焼けた森から遺体を運び出し、ひとりひとり丁寧に埋葬を行っているのだ。
焼け跡は数日間雨に晒されたため、ぬかるみ、遺体と木片の見分けさえつかない有様で、作業は困難を極めていた。
「でも、彼はいいの?」
「日が落ちるまでに起きなきゃ、おれが抱えて帰る」
「そう。――――じゃあ、お言葉に甘えて、私は先に帰らせてもらうわ」
アリエージュは二頭の狼狗を引き連れて、冬営地の方に去って行った。

アリエージュが見えなくなるとすぐ、レオンはカイの残した酒を一口飲み、ラウラに差し出した。
「い、いただきます」
ラウラはそれを受け取ると、舐めるように一口飲んだ。
「これは……たしかにキツイですね……」
ラウラは顔を歪めて呟きつつも、一口、また一口、とゆっくり飲んだ。
「でも意外と癖になりますね、これ」
ははっ!とレオンは声に出して笑った。
「お前の方がよっぽどいい酒飲みだな」
レオンはおもむろに帯に下げていた装具を取り外し、口をつけた。
低い笛の音が草原に広く響き渡る。
「わあ……」
葦を連ねて作られた管楽器、サンポーニャの音に、ラウラは感嘆する。
「つまみがねえからな。その代りだ」
レオンはそう言って演奏を始めた。
ラウラも耳にしたことのある、遊牧民族の祭事の定番曲だった。
明るいが、どこかもの寂しい、夕暮れにはよく似合う曲だった。
曲を終えたレオンに、ラウラは拍手して酒瓶を手渡した。
「素晴らしかったです。聞き入ってしまって、吞む暇もありませんでした」
レオンは受け取った酒を飲み、次はお前だ、と言った。
「なにか歌えよ。節はつけてやる」
「得意ではありませんが……」
ラウラはそう断ってから、カイがよく歌うフォークソングを口ずさんだ。
「おかしな曲だな」
「カイさんに教わりました。もといた世界の歌だそうです」
「そうか。――――まあ、悪くはねえ」
レオンはラウラに合わせて、これまた夕暮れが似合う旋律をかき鳴らした。



しばらくして意識を取り戻したカイは、懐かしい曲を耳にして飛び起きた。
「この曲っ!」
ラウラとレオンは驚いて演奏を止めた。
合奏を始めてからすでに三十分ほどが経過していたが、二人は同じ音楽を繰り返し奏で続けていた。
レオンは節をすっかり覚えてしまい、まるでもとの曲を知っているかのような演奏ぶりだった。
「な、なんで知ってるんだ?」
呆然とするカイに、ラウラは慌てて答えた。
「カイさん、よく歌ってたじゃないですか。それで私、覚えてしまったんです」
「詞はよくわからねえが、いい曲じゃねえか」
二人の声を聞いて、カイは我に返って、苦笑した。
「そっか。――――びっくりした。もとの世界に戻ってきたのかと思ったよ」
そう呟くカイの目には、かすかに涙が浮かんでいた。

三人は歩いて帰途についた。
空は夕焼けで鮮やかに染まっていたが、山林の中までその光は届かない。
レオンが操る光球を頼りに、三人は薄暗い獣道を進んでいく。
「お前、ほんとにここじゃねえとこからきたんだな」
「いまさら?」
「半身半疑だった」
「まじかよ」
驚くカイに、ラウラは言った。
「レオンさんの反応が、たぶんふつうですよ。広く布告はしていますが、縮地も、異界からの大使も、携わっていない人間からすればおとぎ話に聞こえてしまうようで……」
「じゃあふつうの町の人とか、災嵐をどう乗り越えるつもりでいんの?」
「それが最大の懸念事項なんです。まだほとんどの人が、従来通りの、各都市ごとの防壁によって災嵐を乗り越えると思っているようで……どうにか縮地を信じてもらいたいのですが……」
「簡単にはいかねえだろ」
レオンはにべもなく言った。
「おれが言えたことじゃねえが、縮地を仮に民衆が信じたとして、それで自分たちが守ってもらえるとは思わねえよ。現に、もうすでに、暴動が起きてる都市もあんだろ」
ラウラは無言で頷いた。
「全然知らなかった……」
落ち込むカイに、ラウラは寄り添った。
「無理もありません。私たちはそれを、あえてカイさんから隠していましたから」
「あえて?」
「縮地に集中していただくためです。外のことを仕切るのは、我々の仕事だと」
「ノヴァか」
「はい」
「あいつらしいな」
カイはいくらか気を持ち直し、小さく笑った。
「でも、どうにかなんないのかな、それ。自分でいうのもアレだけど、縮地はもうかなりいい線いってると思うんだ。実際に見てもらえれば、わかってもらえると思うんだけどな……」
「そこらじゅう歩き回って術を披露する気か?旅芸人じゃあるまいし、それ、災嵐まで終わらねだろ」
「だよなあ」
カイは腕を組んで、考え込む。
「なんかないかな、こう、短期間で派手に縮地を知ってもらう方法――――あっ」
カイは手を打って、レオンを見た。
「ケタリングはどうだ?」
「はあ?」
「縮地そのものを見せれなくても、おれが異界人っていう特別な存在ってことだけでも知らしめれば、けっこう変わるんじゃないかと思うんだよ」
「それでなんでケタリングなんだよ」
「だってケタリングを操れる人ってこの世界でもレオンだけだろ。人が乗ったケタリングを見たら、みんなびっくりするだろ」
「お前な……」
レオンは呆れた表情になるが、カイは気づかずに続ける。
「ケタリングの足に垂れ幕とかつけてさ、チラシとか巻きながらさ、世界一周すんだよ。どう?おれが飛んで回ってもいいけど、小さくてあんまり見つけてもらえないと思うんだよな。でもケタリングはでかくて目立つし……どうこれ、けっこういいアイデアじゃない?」
「お前じゃ乗れねえよ」
「えっ、なんで?」
カイは衝撃を受ける。
「ラウラは乗ってたよな」
「こいつは霊操が抜群にうまいからな」
カイはさらに衝撃を受けたような顔で、ラウラを見た。
「ちょっとコツがいるかもしれません」
「今まで何人か乗せたことはあるが、それなりのやつでも振り落されないようになるまでに三日はかかった。世界中回るほど長時間乗るとなれば、ラウラでも相当の訓練がいるだろうな」
「じゃあおれは絶対むりなやつじゃん」
カイは肩を落とした。
「……さてはお前、ケタリングに乗りたいだけだろ」
「そんなことはないけど……あるかもしれないけど……」
「どっちだよ」
カイは観念したように両手をあげた。
「めちゃくちゃ乗りたいです」
「ケタリングに乗らずとも、カイさんは空を飛べるじゃないですか」
「いやそれはそうなんだけど、ドラゴンだよ?夢あるじゃん。乗りたいじゃん!」
「はあ?」
ラウラはよくわからない、といった顔で首を傾げた。
レオンは光球の光を強くする。
「お前の世界では、ドラゴンというのか」
「まあ、うん。だいたいそれで通じるじゃないかなあ」
「歯切れが悪いな」
「実在しないからな」
「あ?」
レオンは足を止めてカイの顔をまじまじと見つめる。
「いねえのか、お前の世界には」
「空想上の生き物としては、いるよ」
「じゃあお前のいたとこには、外地から渡ってくる生き物はなにもいないってことか?」
「そもそも外地って概念がないかな。おれのいたとこはここと違って人の住める場所がたくさんあったし、人口も千倍はあったから」
「おもしれえな」
レオンは目を光らせて、口角をあげた。
「教えろよ、お前のいた世界のこと」
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