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一章 ソフト勧誘編
プレイボール三塁側 氷山つらら
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春、決意の季節。
着なれない制服と入学前に準備してもらった新品のソフトボール部のバッグを肩にかけ、私はバスを待っていた。
私は『氷山 つらら』この春から高校生になる。
中学生になる前に母を亡くし、そこからは父に男手ひとつで育ててられた。
もともと造船業の盛んだった長崎、有名な船をあげるならダイヤモンドプリンセスなどがある。しかし、数年前にその事業を牽引する大企業が撤退した。その企業の下請け会社に勤めていた父もその弊害を直に受け、職を失い転々とする日々が続いた。そんな家庭の事情で、私は一度は高校進学を諦めた。
まだ母が生きていた頃、父は町内会のソフトボールチームに入っていた。高校まで野球をやっていた事もあって、周りのおじさんたちよりもその上手さは際立っていた。そんな父のポジションはピッチャー、マウンドで巧みにボールを操り、打者を翻弄する姿に私は憧れを覚えた。それから私がソフトボールを始めるのに時間はかからなかった。
母が亡くなってから、私は忘れるようにソフトボールに没頭した。それと同時に小学生の頃に母とした約束が私をそうさせた。
「ママ、私ね、大きくなったらソフトボールの選手にってママとパパの事オリンピックに連れて行くねっ!」
「あら、それは嬉しいわね! でもそんな事言っていいのぉ? ママ期待しちゃうわよ?」
「期待してていいよっ! 絶対に、ぜーたいに連れていくから!」
「それじゃあ、お願いしちゃおうかな? よろしくね! つらら」
子供の世迷いごとだと思う人もたくさんいるかもしれないけれど、私にはそれが、それだけが生きる糧だった。
父の会社が倒産してからは地獄のような日々だった。今まで笑顔の絶えない父だったが、その父から“本当の笑顔”が消えたのだ。私と話すときは悟られないのを隠すためか笑顔で話していたが、無理をしているのはすぐに分かった。
生計を立てるために父は昼間は何社も面接に行き、夜は夜勤のアルバイト。そんな姿の父を見ていると、費用のかかるソフトボールを続けていくなんて到底無理だと中学生の私にで分かった。
だから中学でソフトボールは終わりにしよう。そう決意した。
最後の中総体、私はエースとして出場した。これが最後という気持ちで全ての試合を一人で投げ抜き、私の中学は決勝まで勝ち進んだ。最後はサヨナラ負けという結果に終わってしまったけど後悔はなかった。当時の光景は今でも鮮明に覚えている。周りの子たちは互いに肩を抱き泣いていたりしたけど、私は涙がでなかった。本当にやりきった、そう思ったからだ。
こうして、私のソフトボール生活は終わった……かのように思われた。
転機は突然訪れる。
それから数ヶ月経った時、私は職員室に呼ばれた。
職員室に行くと担任の先生に応接室へと通される。応接室にはソフト部の顧問と見たことのない若い男の人がいた。
その人は私立高校のソフトボール部の監督で、B特待として私を迎え入れたいということだった。
B特待とはその部に所属することを条件に学費を半額免除するというものだ。
私にとっては願ってもいないチャンスだった。帰ってすぐに父にその話をした。すると父も自分の事のように喜んでくれた。
でも冷静に考えると、私立は公立よりも学費が高い。たとえ半額になったとしてもそれなりの負担があることには変わりない。それに部活でもかなりのお費用がかかる。ユニホームにスパイク、部費に遠征費。ざっと見積もっても年間、五十万くらいはかかるのではないだろうか。
私は迷った、迷ったあげく、最後は父に相談することもせず断ることにした。
だがその話はすぐに父の耳に入った。その時の父は今まで見たこともないくらい怒っていた。そして、言われた。
「子供が金の心配なんかするな! 高校に行け、行ってこい。オリンピックに出るんだろ? そんな小さな事で夢を諦めるな! 優しいお前のことだ。どうせ俺の心配でもしてんだろ? なぁに、心配すんな! 俺は大丈夫だ! それにな、お前の夢は俺の夢でもあるんだ。だから! 俺に構わず夢を追いかけろ!」
父はそう言いながら笑っていた。昔みたいな、優しい笑顔で。その言葉と笑顔で私は泣かずにはいられなかった。さらに父の言葉は続いた。
「そうだ……、よし! 決めた! 俺は三年間お前に会わないことにする! 俺といると部活に集中できないだろ? 寮とかないか学校に掛け合ってみるから、お前は悔いの残らないように全力で戦ってこい!」
「うん……、ありがとうパパ……」
私は父に感謝しかなかった。少しでも私がソフトボールに集中できるようにしようとしてくれたのだ。
そこで初めて気付いた。戦っていたのは私一人じゃなかったということに。
父も同じように悩み、私よりも我慢して私の事をずっと考えていてくれたのだ。それと同時に中学最後の試合で泣けなかった意味が分かった気がした。あの時は自分の気持ちに嘘をついて、本当の意味で全力じゃなかったのかもしれない。
その後、父と一緒に高校側に謝罪に行った。一度は断った特待生の話だ、取り消されていてもおかしくはない。でも高校側は事情を知るとB特待ではなくA特待で迎え入れると言ってくれた。
A特待というのは学費全額免除の本当のエリートだけが得られる特別な特待制度。
なんでもソフトボール部の監督が校長や理事長に頭を下げて何度も何度もお願いしてくれたらしい。
さらに監督の計らいで三年間、知り合いの営む下宿所で面倒をみてくれるとまで言ってくれた。その話に父は涙を流しながら監督にお礼をしていた。
こうして、私の高校進学は実現し、再び夢を追うことが出来るようになった。
ただ昔と違うのは、私のソフトボールはママとの約束だけではなく、父や監督のためでもあるということ。だから私はこれから先、どんな険しい道でも決して折れてはいけない。
今日この制服に袖を通したその瞬間から、私は光ヶ浦高校ソフトボール部員。
私の第二のソフトボール人生が幕を開ける――。
着なれない制服と入学前に準備してもらった新品のソフトボール部のバッグを肩にかけ、私はバスを待っていた。
私は『氷山 つらら』この春から高校生になる。
中学生になる前に母を亡くし、そこからは父に男手ひとつで育ててられた。
もともと造船業の盛んだった長崎、有名な船をあげるならダイヤモンドプリンセスなどがある。しかし、数年前にその事業を牽引する大企業が撤退した。その企業の下請け会社に勤めていた父もその弊害を直に受け、職を失い転々とする日々が続いた。そんな家庭の事情で、私は一度は高校進学を諦めた。
まだ母が生きていた頃、父は町内会のソフトボールチームに入っていた。高校まで野球をやっていた事もあって、周りのおじさんたちよりもその上手さは際立っていた。そんな父のポジションはピッチャー、マウンドで巧みにボールを操り、打者を翻弄する姿に私は憧れを覚えた。それから私がソフトボールを始めるのに時間はかからなかった。
母が亡くなってから、私は忘れるようにソフトボールに没頭した。それと同時に小学生の頃に母とした約束が私をそうさせた。
「ママ、私ね、大きくなったらソフトボールの選手にってママとパパの事オリンピックに連れて行くねっ!」
「あら、それは嬉しいわね! でもそんな事言っていいのぉ? ママ期待しちゃうわよ?」
「期待してていいよっ! 絶対に、ぜーたいに連れていくから!」
「それじゃあ、お願いしちゃおうかな? よろしくね! つらら」
子供の世迷いごとだと思う人もたくさんいるかもしれないけれど、私にはそれが、それだけが生きる糧だった。
父の会社が倒産してからは地獄のような日々だった。今まで笑顔の絶えない父だったが、その父から“本当の笑顔”が消えたのだ。私と話すときは悟られないのを隠すためか笑顔で話していたが、無理をしているのはすぐに分かった。
生計を立てるために父は昼間は何社も面接に行き、夜は夜勤のアルバイト。そんな姿の父を見ていると、費用のかかるソフトボールを続けていくなんて到底無理だと中学生の私にで分かった。
だから中学でソフトボールは終わりにしよう。そう決意した。
最後の中総体、私はエースとして出場した。これが最後という気持ちで全ての試合を一人で投げ抜き、私の中学は決勝まで勝ち進んだ。最後はサヨナラ負けという結果に終わってしまったけど後悔はなかった。当時の光景は今でも鮮明に覚えている。周りの子たちは互いに肩を抱き泣いていたりしたけど、私は涙がでなかった。本当にやりきった、そう思ったからだ。
こうして、私のソフトボール生活は終わった……かのように思われた。
転機は突然訪れる。
それから数ヶ月経った時、私は職員室に呼ばれた。
職員室に行くと担任の先生に応接室へと通される。応接室にはソフト部の顧問と見たことのない若い男の人がいた。
その人は私立高校のソフトボール部の監督で、B特待として私を迎え入れたいということだった。
B特待とはその部に所属することを条件に学費を半額免除するというものだ。
私にとっては願ってもいないチャンスだった。帰ってすぐに父にその話をした。すると父も自分の事のように喜んでくれた。
でも冷静に考えると、私立は公立よりも学費が高い。たとえ半額になったとしてもそれなりの負担があることには変わりない。それに部活でもかなりのお費用がかかる。ユニホームにスパイク、部費に遠征費。ざっと見積もっても年間、五十万くらいはかかるのではないだろうか。
私は迷った、迷ったあげく、最後は父に相談することもせず断ることにした。
だがその話はすぐに父の耳に入った。その時の父は今まで見たこともないくらい怒っていた。そして、言われた。
「子供が金の心配なんかするな! 高校に行け、行ってこい。オリンピックに出るんだろ? そんな小さな事で夢を諦めるな! 優しいお前のことだ。どうせ俺の心配でもしてんだろ? なぁに、心配すんな! 俺は大丈夫だ! それにな、お前の夢は俺の夢でもあるんだ。だから! 俺に構わず夢を追いかけろ!」
父はそう言いながら笑っていた。昔みたいな、優しい笑顔で。その言葉と笑顔で私は泣かずにはいられなかった。さらに父の言葉は続いた。
「そうだ……、よし! 決めた! 俺は三年間お前に会わないことにする! 俺といると部活に集中できないだろ? 寮とかないか学校に掛け合ってみるから、お前は悔いの残らないように全力で戦ってこい!」
「うん……、ありがとうパパ……」
私は父に感謝しかなかった。少しでも私がソフトボールに集中できるようにしようとしてくれたのだ。
そこで初めて気付いた。戦っていたのは私一人じゃなかったということに。
父も同じように悩み、私よりも我慢して私の事をずっと考えていてくれたのだ。それと同時に中学最後の試合で泣けなかった意味が分かった気がした。あの時は自分の気持ちに嘘をついて、本当の意味で全力じゃなかったのかもしれない。
その後、父と一緒に高校側に謝罪に行った。一度は断った特待生の話だ、取り消されていてもおかしくはない。でも高校側は事情を知るとB特待ではなくA特待で迎え入れると言ってくれた。
A特待というのは学費全額免除の本当のエリートだけが得られる特別な特待制度。
なんでもソフトボール部の監督が校長や理事長に頭を下げて何度も何度もお願いしてくれたらしい。
さらに監督の計らいで三年間、知り合いの営む下宿所で面倒をみてくれるとまで言ってくれた。その話に父は涙を流しながら監督にお礼をしていた。
こうして、私の高校進学は実現し、再び夢を追うことが出来るようになった。
ただ昔と違うのは、私のソフトボールはママとの約束だけではなく、父や監督のためでもあるということ。だから私はこれから先、どんな険しい道でも決して折れてはいけない。
今日この制服に袖を通したその瞬間から、私は光ヶ浦高校ソフトボール部員。
私の第二のソフトボール人生が幕を開ける――。
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