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2章 ゴブリン・マーケット編

2話 プロテアの街

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 都会。そう思わずにはいられなかった。
 門をくぐってすぐ、ショウト目に飛び込んだ景色は外国のそれを連想させた。
 賑わいをみせる街を行き交う人々は多種多様、いや、人種混交。その中でも特に多いのは獣人(ビースト)だ。おそらく商人の街、ということが大きく関係しているのだろう。
 立ち並ぶ大小様々な三角屋根の建物の群れは、自分たちの存在を示すように煌々と光を放っている。そのせいか、黄昏時とは思えないほど周囲は明るい。
 そして、きわめつけは――、彼らが進む幅三十メートルはゆうにある石畳の道のずいぶん先に見える豪華な建物だ。見事にライトアップされたその建物は、まさに宮殿と呼ぶに相応しく、一際異彩を放っている。
 言葉が出ないとはこういうことか、と彼は思った。やっと出た言葉ですら「すげぇ……」の一言。今まで自分が見てきた世界が、いかに小さかったのだろうかと思わざるえないほど圧倒された。
 そんな彼の耳に聞きなれた声が届く。
「ほら、ショウト! あんまりぼーっとしない。そんな口を開けて歩いてると変に目立つわよ」
「――お、おぉ、すまん」
 モミジの声。その声に引っ張られるようにショウトは背筋を伸ばす。
「普段と変わった様子はないけど……、まだ何があるか分からない、シャキッとしなさいよ」
 モミジたちは未だに周囲を警戒しているのか、神妙な面持ちで言った。
 そんな中、一人あっけらかんとした人物もいた。
「モッちゃん、そんなに警戒しても仕方ないよー。普段通り、楽しく行こうよ」
 お気楽に話すサクルソムは、気になる物を見つけると、スーパーで買い物をする主婦のように軽快な足取りであれやこれやと店先の商品を物色している。
「確かに、アイツの言うとおりかもしれないわね。でも……、サクルソム! アンタははしゃぎすぎ!」
 そんなサクルソムの様子に緊張を解いたのか、モミジの肩が少し下がる。それでも警戒は怠っていないようだ、その証拠に彼女の目はしっかりと見据えているように見える。
「ところでオレたちはどこに向かってんだ?」とショウトはモミジに尋ねた。
「あそこ」指をさしながらモミジは答えた。
 彼女の指差す場所、それはあの宮殿だった。
 プロテアという街には、五つの地区が存在する。
 居住用の施設が密集する東区、剣や盾、魔道具などの兵器が製造、販売されている西区、正門があり、食べ物や生活用品が揃う南区、中古品や歴史物、骨董品を取り扱う北区。そして、この街のすべてを取りまとめる宮殿、通称“商人ギルド会館”が君臨する中央区だ。
 宮殿に向かっているということは、すなわち商人ギルド会館に向かっているということになる。
「なんだよ、警戒してるとか言っといて結局直行かよ」
「まぁね。でも実際、なんでこうなったのかわからないし、それに行商から戻ったら報告に行く決まりだからね。だから、逆にどこかに立ち寄る方が不自然なのよ」
「ふーん。そういうもんかね」
「そういうものよ」
 モミジの態度にショウトは釈然としない。あからさまに不機嫌そうな顔をしてみせたが、モミジはそれを無視するように歩き続ける。
 そんな時、ショウトは無意識に一人の老婆に目がいった。
 白髪頭に抹茶色の服を着た、腰の曲がった老婆だ。老婆は杖を付きながらも懸命に立っている。
 彼は、その姿を目にすると何となく駆け寄った。
「ばあちゃん、大丈夫か?」
 彼の声に老婆はゆっくりと顔を上げる。
「あぁ、すまんねぇ。ここんとこ、足の調子が悪くてね、せっかく買い物をしに来てもこの様じゃ」
 老婆はショウトを見ながら笑みを浮かべている。だが、その笑みからは苦がにじみ出ていた。
「ついこの前まではこんな事はなかったんだけどねぇ、やっぱり歳なんかねぇ……」
「そんなこと言うなよ、なっ! ばあちゃん! それよか、何を買いに来たんだ? 良かったらオレが買ってきてやるよ」
 彼は良心からそう口にした。しかし、老婆はぎこちない手つきで左手を顔の前でふった。
「いや、いや、知らん人にそんな迷惑はかけられん。気持ちだけ有り難くもらっておくよ。それに、ほら、あそこで待っとるのはあんたの連れじゃろ? はよ行ってやんなさい」
 老婆の言うとおり、振り返るとモミジたちが不満を絵に書いたような表情でこちらを見ていた。
 その様子に焦りを感じたショウトは、老婆に「ごめんな、ばあちゃん!」と言ってモミジたちのところへ戻った。
 ショウトが戻ったとたん、モミジから一発のげんこつと罵声を浴びる。
「――痛っ!? 何すんだよ!」
「アンタねぇ……、慎重に動けってのがわからないわけ!?」
 血も涙もないモミジの発言に彼は苛立ちを覚えた。
「はぁ? むしろ困ってそうな人がいたら助けるだろ普通!」
「そりゃあ助けるわよ! 普通はね! でも、今はそうじゃないでしょ? アンタ自分が置かれてる立場わかってんの? 今のアンタはサクルソムのお陰でここにいれるの。それこそ普通なら今は門の外! そのことを忘れないで!」
「へい、へい」
 モミジの言っていることは正しい。そう思ってもショウトは素直に納得はできなかった。それでも、今は納得するしかない。そう自分に言い聞かせて先を急いだ。
 ◇
 商人ギルド会館の前は広場になっていた。
 その広場の中央には、噴水や花壇があり、それらもギルド会館同様にライトが照らされている。噴水の水に反射する光と闇に浮かび上がる花たちが幻想的な雰囲気を演出している。
「サクルソム、アンタとはここで一旦お別れね。ありがとう、助かったわ」
 広場に着くなり、モミジはサクルソムにそう言った。
「なぁに。モッちゃんの頼みなら、これくらいお安いご用さ。それよりも、あの約束忘れないでよね」
 サクルソムは会ったときと変わらない陽気な雰囲気で人差し指を立ててウインクした。その様子にモミジは一度顔をそむけ、斜め上を見ると、ばつの悪そうな顔をしながら再びサクルソムを見た。
「あはははは……、あれねぇ、うん、分かってるわよ、約束はちゃんと守るわ」
 彼女の様子からすると、あわよくばなかったことにでもしようとしていたのだろう。それでも、サクルソムはそんなモミジの態度を気にすることもなく「オッケー、ならいいんだ」と言って、そのままショウトに体を向けた。
「ショウトくん、キミも……だからね」
 サクルソムの気持ちの悪い笑みがショウトに向けられる。それにショウトも無愛想に答える。
「わかってるって」 
「いやぁ、キミには聞きたいことが山ほどありすぎて、もう今からワクワクしちゃうよ!」
「もういいって! 気持ち悪いから、早く帰れよ!」
「つれないなぁ、ショウトくんは」
 やはり、彼はショウトの事が気になって仕方ないらしい。語尾にハートマークでも付いているのではないかと思わせる口調と興奮を隠しきれていない不気味な笑みがそれを強調している。一方ショウトはそんなサクルソムに対して嫌いなヤツとしか思っていなかった。
 サクルソムを見送ると、モミジは気合いを入れ直すためか、自分の頬っぺたを軽く両手で叩いた。その仕草につられてショウトにも軽い緊張がはしる。
「よし! それじゃあ、行ってくるね!」
「おう! ……え?」
 ショウトは鳩が豆鉄砲を食ったような顔でモミジに視線を送る。なぜなら、彼の聞き間違いじゃなければ、彼女はいま「行ってくる」と言ったからだった。モミジもまた、彼の反応が予想外だったようで、
「えっ? ……まさかアンタ、自分も中に入れるとでも思ったの?」
 驚いたように、目を見開いた。
「いや、流れてきに、よし! みんな行くぞ! みたいな感じかと思ってたから……」
 困ったように話すショウトに、モミジは額に手を当てて、少し下を向き横に首を振る。
「……違うわよ。第一ね、アンタは中に入れない。なぜかっていうと、アンタはどこのギルドの人間でもないから。この商人ギルド会館もね、正門と同じくらい厳しく管理されてるの。ここは世界の商業の中心プロテアよ? もし、この建物が悪いやつらにでも占領されたら、それこそ全世界に影響がでるわ」
「じゃあオレはどうやってギルドに入るってんだよ? 会って話をするのが普通だろ?」
「個人商なら、街の登録所で申請すればいい。いままでの経歴を調べて何ごともなければ簡単に審査は通るわ。でもギルドつまり商会は違う。入会するにはスカウトか、紹介所からの紹介を得て、ギルド側が欲しいって思った人材でないと入れない。しかも、複数回の面談や試験を行って初めて入ることができるの。でも……」
「でも?」
「その門はすごく狭い。ギルドに入っている商人は全体の二割もいないってのが現状よ」
「ふーん、そうなんだ。てか、そもそもオレがギルドに入る意味あんのか? オレは別にそこにこだわってないし、個人商でもいいんじゃ?」
「やっぱアンタはバカだわ……」
 ショウトの理解の低さに呆れたのか、モミジは笑った。だが、すぐに真剣な表情に戻る。
「何回も同じこと言わせないで。アンタの素性は? 証明できる物は?」
「あ……」
「アンタの知能は鳥なみだわ。少し時間がたつと忘れるってどういうことよ。もっと状況をしっかりと把握しなさい」
 ショウトはモミジに何も言い返せなかった。今日みた景色も、この世界に来てから起こった出来事も、彼にとってはどれも新しいものだった。そう考えると、とうに彼のキャパシティを超えているのかもしれない。
 黙り混むショウトにモミジは問いかけた。
「いい? できる?」
「……ああ。すっかり忘れてたよ、少し浮かれてたのかもしれない」
「そ、わかったならいいわ。それじゃあ、少し行ってくるから、アンタはここで待ってなさい」
 ショウトの反応に満足したのか、モミジはそう言って、仲間たちを引き連れ商人ギルド会館の中へ入って行った。
 モミジたちを見送り、一人残されたショウトは花壇に腰をおろし待つことにした。
 さっきまでは気付かなかったが、夜の街は少し肌寒かった。
「上着くらい置いていけよな……」
 彼の声に返事をする者はいない。この街に入るまでそばにいたサイクルさえも、気付いたらいなくなっていた。
「ったく、アイツまでどこに行きやがった。どっか行くなら一声かけろっての」
 刻々と時間だけが流れる。時間の経過とともに、寒さも厳しさを増す。ショウトはTシャツの中に腕を入れて寒さを和らげた。
 自分の体温を腕に感じるせいか、その温もりが彼に睡魔を誘う。
 「やばい、やばい、こんなとこで寝たらマジで死……」
 まぶたが閉じ、首が何度か上下する。そして一番深く落ちたところで、ハッとして頭を上げ、首を横に振る。そうやって、何度も睡魔に抵抗しても、またすぐに襲われる。
 その繰り返しののち、彼はとうとう睡魔に敗れた――。
 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
 
 遠くの空が朝焼けに染まる頃、プロテアの街にかかるもやも次第に澄んでいく。
 早朝とだというのに街の住人たちは、せっせと仕事の準備に取りかかっている。昼間ほどではないが、それなりに騒がしくもあった。
 そんな人々を横目にフリージアはランニングに汗を流していた。
「お嬢ちゃん、おはよう!」
「おはようございます!」
「今日もはやいね」
「はい! 日課ですから!」
 時折あいさつをしてくる商人たちに、彼女も元気良く笑顔で答える。
 フリージアがこの街に来てから三日。毎朝欠かさずにランニングをしている。
 これには理由があった――。
 幼い頃から何度も訪れたことのある街ということもあって、彼女はこの街のマナの流れを知っている。しかし、久しぶりに踏み入れた街は以前とはかけ離れたものだった。
 一見すると住人たちの活気や雰囲気は同じでも、マナの様子は明らかに違ったのだ。
 これは、魔力感知に優れた彼女だからこそわかることだった。
 何度もその能力で探ろうと試みたが、深く探れば探るほど、もやがかかったように邪魔が入る。そう、それはあの青年のときと同じように……。
 実は、フリージアはこの事に関しても父に報告を上げていない。
 多忙な父のことを思い、無駄な心配事を増やしたくないという彼女なりの優しさだった。
「とりあえず、ここも異常はなさそうですね。でも……」
 宿のある東区から出発して、北区、西区、そして、いま彼女がいる南区へとぐるりと一周走ってきたが、街自体に変わった様子はなかった。
「朝が一番分かりやすいのよね……」
 さらに、早朝を選ぶ理由もある。それは、この時間帯が一番マナが落ち着いるからだ。
 魔力探知は魔法が使える者なら、やろうと思えば誰にでもできる。だが、ほとんどの者は曖昧にしか感じることができない。いうなれば「この住所の場所わかる?」「たぶんあの辺じゃない?」というような感じだ。
 それが彼女の場合は、落とし物があったすると、それに残る魔力から持ち主を追跡し、特定することも容易だ。
 しかし、それには場所、時間、状況も影響する。
 たとえば、このプロテアという街のように、沢山の人が行き交い、密集する場所では捜索も困難となる。
 こういった場所では、人々から発せられる様々な感情や動作にマナが反応する、また、人が多いということは、それだけ魔法を使う者もいるということだ。そんな環境が整ってしまうと、街全体のマナが乱気流のように暴れまわってしまう。
 だから、活動している人が少ない深夜帯から早朝にかけてが一番魔力感知がしやすくなるのだ。
 そんなフリージアのもとに昨日、吉報が届いていた。
 昨日の夜、彼女と共に行動している騎士が、門兵に変わった人物はいなかったかと尋ねたところ、素性の知れない青年が一人いたという。
 門兵によると、青年の名前は『カジガヤ・ショウト』。黒髪の細身の青年で服装はシャツに見たことのないズボンを履いていたようだ。どうやら、クレマチス商会と関係があるようで、昨夕も、クレマチス商会の『モミジ・モールト』他二名、それに途中から合流した『ストレプト・カーパス・サクルソム』の紹介を得て共に門を通ったということだった。
 名門サクルソム家と彼にどういう関係が? と疑問に思うフリージアだったが、それよりも今は『カジガヤ・ショウト』という青年を探すのが先決だと考えていた。
 さすがに朝から走り続けて疲れたのか、フリージアは足を止めた。
「それにしても本当にこの方法は効率が悪いですね。足を使って見回りしてなんていつの時代でしょう……。まぁ、でも仕方ないですね……、街にしても、彼にしても、何も分からないんですもの」
 フリージアはそう不満を漏らすと、ポケットからハンカチを取り出し汗を拭った。そして、気持ちを入れ替える。
「よし、あとは中央区でおしまいね。あと少しだから頑張らないと」
 フリージアは長い石畳の道を北に走って向かった。 
 中央区、ギルド会館前広場。
 フリージアは到着するやいなや、周囲を見渡す。
「うーん。ここも特に変わった様子はありませんね……。あら?」
 ある場所で首が止まる。そこは、噴水横にあるレンガ作りの花壇だった。その花壇の端から黒い毛のような物が顔を覗かせていることに気付いたのだ。
「いけませんね、誰があんなところにゴミを捨てたのかしら?」
 残念そうに軽く息を吐くと、フリージアは花壇に向かって歩いた。
 そして、花壇にまわり込んだとき、彼女の目には信じられない光景が映った。
「え? なんで? なんでこんなにところで眠っているの?」
 フリージアの目に映ったのは、彼女が探していた『カジガヤ・ショウト』だった。
 彼はシャツに腕を入れて、ヨダレを垂らしながら気持ち良さそうに眠っている。
 予期せぬ再開にフリージアの胸は高鳴り、焦りにも似た感情が膨れ上がる。
「どうしましょう……。お仲間もいないようだし、起こした方がよいのかしら……」
 ショウトをのぞきこむように見つめるフリージア。
「でも、もし彼が私のことを覚えていなかったら変な奴って思われるわよね……」
 探していた相手が目の前にいるというのに、フリージアは戸惑いを隠せない。
 すると、突然、ショウトがモゾモゾと動く。彼は夢でも見ているのだろうか、眠ったまま鼻の下を伸ばしながら笑い、言った。
「――へへっ、パンツ……」と。
 その瞬間、フリージアに恥ずかしさが込み上げる。彼女の顔はみるみるうちに赤くなり、目が鋭くなった。そして、
「――っ、この……」
 右手を顔の横まで振り上げ、かまえると、
「変態っ!!」
 と発すると同時に思い切り振りおろした。
 ――バッシーーンッ!!!
 彼女の放った強烈なビンタの音が静まり返った広場に鳴り響いた――。
 
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