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4:ベネディクトは強欲に乗っ取られている!

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「転移の先が、こんなふざけた場所だとは……。本当に呆れますね」

 宰相の息子ベネディクトは、高価な革靴に泥の一粒もつけずに廊下のアスレチックをクリアしていく。
 重力を感じさせないような身軽さは、魔石の力によるものだ。
 ベネディクトは上級貴族の子息にしては珍しく魔力量が少ないが、魔石があればそんなものはハンデにならない。魔石は価格が高いのが難点だが、使い勝手はとてもいいのだ。

「汚泥に満ちていて、実に薄汚い女ユーフェミアの罠らしい」

 秀麗な顔を歪め、ベネディクトは吐き捨てる。
 アレクシス王子の側近候補筆頭のため、ベネディクトはユーフェミアとも顔を会わせることが多い。大した能力もないくせに、自分や王子に意見してくる高慢な女だと常に苦々しく思っていた。あのツンとした顔は、自分の婚約者イザベルを思い出して気分が悪い。

「もっと早く排除すべきでしたかね……」

 ここまでユーフェミアを野放しにしたのは、ひとえにフローラがそう願ったからだ。
 あの心美しき聖女は、彼女にも事情があるだろうから許してあげてと常日頃言っていた。自分が虐められているのにも関わらず。
 光の浄化魔術に目覚めたために聖女に認定されたというが、ベネディクトからしてみれば、彼女は魔術云々以前に、心底聖女だった。
 明るく純粋で、思いやりがあって温かい。そして慣れない魔術の勉強をする姿も健気で――愛しい。

 彼女はいつも、キラキラとした賞賛の眼差しをベネディクトに向けてくる。魔力量は多くないが文武両道で品行方正、既に領地の運営も任されているベネディクトを尊敬していることを隠しもしない。
 フローラは謙虚で、聖女なのにそのことを鼻にかけるような真似もしない。常にベネディクトを讃美し、彼を立ててくれる。贈り物をすれば、どんなものでも頬を紅潮させて喜んでくれた。
 ――ずっとそうしていて欲しい。
 そう思い始めたのはいつ頃からだっただろう。彼女の隣にふさわしいのは、王子ではなくて――

「…………ここは……」

 廊下を抜けると、そこは生徒会役員室だった。たぶん。

 たぶんと付け加えたくなるのは、その部屋が滅茶苦茶だったからだ。
 空間が歪んでいると表現した方があっているだろうか。
 椅子や机がバラバラに転がっているのだが、それらはあちらこちらの壁や天井にくっついた状態だ。窓も天井にはりつき、照明は床から生えている。椅子の座面からは机の引き出しが生えていて、机は扉になっている。文具や茶器が自在に宙を舞い、絨毯が横断幕のようになっている。

 振り返れば、ベネディクトが入ってきたはずの扉もなくなっていて、逆立ちした本棚になっていた。

「で、出入り口はどこですか!?」

 本棚をずらしてみても、その裏は冷たい壁のみ。

「閉じ込められたんでしょうか……?」

 机になっている扉は、当然のごとく本来の使い方は出来ない。窓も、ガラスの向こうに石の壁が見えるので、開けても意味がない。

「っ、私をこんなところに閉じ込めて、何かの時間稼ぎでしょうか?」

 ベネディクトが一人歯噛みしていると、どこかでキュッという水道の蛇口をひねる音がした。
 そちらに目を向けてみれば、シャンデリア型の照明に蛇口が付いているのに気づく。
 蛇口の取っ手がひとりでに回って、そこから何かが滴り落ちている。

「――ま、またスライム!?」

 ベネディクトが叫んだとたん、蛇口からスライムが大量に噴き出してきた。
 ひっ! と後退り、慌てて壁のあちこちを触って出口を捜す。そして、横倒しになった絵画が壁に飾られていることに気が付いた。
 もともとそれは本棚の上に飾られていた、横長のものだ。けれど九十度回転しているので、ちょうど扉と同じ形になっている。
 ベネディクトはその絵画を壁から引き剥がす。すると扉が現れた。

「ふん、愚かですね。絵で隠すなんて、部屋の金庫じゃあるまいし――」

 冷笑しながらドアノブに手を伸ばして、固まった。ドアノブの横に金庫のダイヤルがついていたからだ。この数字を合わせないと鍵が解除されないということか。

「ちょ、なんて悪趣味な!」

 やみくもにダイヤルを回しても、ドアノブをガチャガチャいわせても、扉はびくともしない。
 そうこうしているうちに、スライムが床全体に広がってきた。靴の裏が溶け始めるのがわかる。

「くっ、こんなっ、……そうか、ここは生徒会役員室です!」

 ここにある物は全て生徒会役員室の備品。ということは、この金庫のダイヤルだってそういうことだ。

「よし、ビンゴですね! ふふふ、やっぱりあの女は愚か――」

「愚かなのはどっちかな?」

 飛び出した先は、普通の廊下。しかし、そこに立っていたのは、卒業してもうここにはいないはずの先輩ジャスティンだった。ジャスティンは元生徒会役員。それも会計担当で、ユーフェミアを指導する立場だった。
 ジャスティンの氷河を思わせる水色の瞳が、冷ややかにベネディクトを映し出す。

「ねえ、ベネディクト。君は知っているよね? 役員室の金庫のダイヤルの数字は、代々会計担当にしか受け継がれないってことを。君は一度も会計を担当したことはないよね? ずっと副会長だったよね?」

 絶句したまま立ち尽くすベネディクトに、ジャスティンは顔を寄せる。

「そういえば、開会式で生徒会費の横領の話が出ていたんだってね? まあ、それよりも、君がフローラ嬢に高価な物をかなり貢いでいたことの方が気になるけどね」

「――それと、高価な魔石を何個も買っていたことも気になります。これからそちらのお宅の帳簿を精査させていただきますわ」

 ベネディクトの後ろから現れた少女は、イザベル子爵令嬢。爵位はさほど高くないが、大きな商会を所有していて金回りがとてもいい。そしてイザベルの婚約者でもあるベネディクトは、そんな恩恵を多分に受けている身だ。
 イザベルは金色の見事な縦ロールの髪を重たそうにかき上げ、ベネディクトに鋭い眼差しを向ける。

「わたくしへの贈り物なんて、やっすい茶菓子くらいかしらね。誕生日プレゼントだったから、さすがにこれはないんじゃないかと目を疑いましたわ。ご自分と愛人には惜しみなく資金をつぎ込むくせに、なんてせこいこと」

 そんなせこい人間の家には、もう資金援助はいたしませんね? と微笑む婚約者の足元に、ベネディクトは崩れ落ちた。





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