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2.相談
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「トラヴィス様が怒ってばかりなの。私のせいで侯爵家の財産が減る一方だって……。私、お金に執着なんてしていないわ。みんなトラヴィス様と執事にお任せしているのに……」
ハンカチで目元を押さえながらリアは言う。
財産が減る――。もしかして、慰謝料のことだろうか。トラヴィスはスカーレット嬢との婚約を無下に破棄してしまったから、相手の家を随分怒らせたと聞いている。
ボクは思わず言ってしまった。
「それはトラヴィスがおかしいよ。その状況を選んだのは彼自身だ」
「有難う……やっぱり優しいのね、エドガーは」
ホッとしたようにリアはわずかに笑みを見せる。でもその目は濡れている。
「学生時代からエドガーは誰よりも紳士だったわ。人の痛みに寄り添ってくれて。……私、少し疲れてしまったの。トラヴィスは財務省というの? そこの秘書とかいう貴族の女性と仲が良いらしいの。いつも一緒にいるって。だからそのこと彼に尋ねたら、『うるさい!』ですって。あんまりだわ……」
「リアが尋ねるのは当然の権利だよ。だって妻なんだから」
「妻……そうね、妻ね。バーバラ義母様は何かというと、スカーレット様だったらこんなこと当たり前に出来ていたのにって溜息をつくのよ。私だって妻として精一杯やっているのに……」
「リアを熱烈に愛して選んだのはトラヴィスだよ。君はもっと自信を持っていい」
慰めるように言うと、リアは少し遠い目になった。
「愛して……愛されているのかしらね? 本当に私は……」
その呟きのあまりの弱々しさに、胸が締め付けられる。ボクの声は思いもかけず大きくなった。
「何を言っているんだい? 学生時代からずっと、リアは愛されている! もちろんボクらも大事に思い続けているよ!」
リアは驚いて目を瞬かせる。濡れた大きな青い瞳がボクを真正面から映し、ボクは自分が赤面するのを感じた。
「――あら……?」
「どうしたんだい、リア?」
「いえ、あちらの席の人がやけにこちらを見ているから……」
リアの視線の先には、職場の先輩がいた。コーヒー片手に、いやに熱心にこちらを見ている。
ボクと目が合うと、先輩はニヤリと笑った。嫌な笑いだ。頬の赤みが一気に冷めるのを感じた。
「どうしたの、エドガー?」
「あ、ああ、職場の先輩だよ。そうだ、もう休み時間も終わりだな。そろそろ行くよ。送っていけないけど、大丈夫かな?」
「大丈夫。どうせトラヴィス様は私のことなんて気にもしていないし……」
それからもリアから手紙が届いた。
忙しいからしばらく会えないと返すと、自宅に手紙が届くようになった。
「エドガー? このリアという人は誰なの? まさかどこぞの娘さんからしら?」
母がリアからの封筒を見つけて、ボクに尖った視線を向けてくる。
ボクはうんざりとした顔になった。
「浮気でも疑っているんですか? 冗談じゃない。彼女は侯爵夫人ですよ。伯爵の息子でしかないボクが無下に出来るわけないじゃないですか」
「そう? ならいいけれど……。そうそう、聞いてよエドガー。グレンダさんってば、今になってドレスはあちらで用意するって言いだしたのよ? あちらのご両親もそうさせて欲しいって……。わたくしがとびっきりのを用意して差し上げるのに、そんなこと……」
母の話は無駄に長い。そのことを良く知っているボクは、ハイハイと流しながら自室に逃げ込んだ。
テーブルの上には、リアからの封書。質のいい紙を使った立派なものだ。でも開けると、便せんが少し波打っている。
文面を見れば、所々インクが滲んでいる。ああ、これは涙の跡だ。
リアが泣いている。
そう思うと、ボクはいてもたってもいられなくなった。
会おうという返事を書く。けれど、前とは違うカフェだ。さすがにあそこは職場に近すぎ、知り合いに見つかりやすすぎだ。
店に居合わせた先輩には、すっかり誤解されている。
けれど先輩は既婚者だからか、「お前の気持ちも分かる。誰にも言わないよ」と約束してくれたから良かった。
「そうだ、学生時代によく使っていたあのカフェにしよう」
学園には近いが、職場からは遠い。それにリアも良く知っている場所だから、安心だろう。
そうしてボクはリアの相談に何度か乗るようになった。
「やっぱりエドガーだけだわ。頼りになるのは……」
リアの甘い声が耳から離れなくなるほどに。
* * * *
「たまには二人で出かけましょう?」
グレンダが言った。豊かな濃紺色の巻き毛が揺れる。
いつものレストランでの夕食会。グレンダの美しさも料理の美味しさも完璧だったが、ボクは少し落ち着かなかった。そわそわしているという自覚もある。
この後、リアに会うことになっているからだ。
『貴方だけなの。他の人には相談出来ないわ』
すがるようなリアの声に、了解するしかなかった。
仕方がないではないか……
「チャリティーコンサートがあるの。ちょうど貴方も私も時間がとれそうな明後日だから、どうかしら」
明後日。
頷きそうになって思い出した。明後日はリアを病院に連れていくことになっている日だ。
リアはなかなか口を開かなかったが、先日ようやく聞き出せたのだ。あの手首の痣は、予想通りトラヴィスによるものだった。
トラヴィスはリアを殴ったりすることはないらしいが、強く掴んだりするのは頻繁だという。
なんてことだ。トラヴィスのような男が女性に暴力を振るうなんて。
ボクは義憤に駆られていた。
――なにが『私は誰よりもリアを愛している』だ……
卒業間際のトラヴィスのことを思い出して、つい憮然としてしまう。
「エドガー? 聞いてます?」
「え? ああ、ごめん。最近仕事が忙しくてね……」
胸元に手をやると、カサリと音がする。リアからの手紙が内ポケットに入っているのだ。
「疲れてらっしゃるようね。やはり明後日はやめましょう。ゆっくり休んでくださいね」
グレンダが優しく言ってくれる。その優しさが気持ちよくて、ボクは笑顔になった。
「有難う。この埋め合わせはいずれ――」
ハンカチで目元を押さえながらリアは言う。
財産が減る――。もしかして、慰謝料のことだろうか。トラヴィスはスカーレット嬢との婚約を無下に破棄してしまったから、相手の家を随分怒らせたと聞いている。
ボクは思わず言ってしまった。
「それはトラヴィスがおかしいよ。その状況を選んだのは彼自身だ」
「有難う……やっぱり優しいのね、エドガーは」
ホッとしたようにリアはわずかに笑みを見せる。でもその目は濡れている。
「学生時代からエドガーは誰よりも紳士だったわ。人の痛みに寄り添ってくれて。……私、少し疲れてしまったの。トラヴィスは財務省というの? そこの秘書とかいう貴族の女性と仲が良いらしいの。いつも一緒にいるって。だからそのこと彼に尋ねたら、『うるさい!』ですって。あんまりだわ……」
「リアが尋ねるのは当然の権利だよ。だって妻なんだから」
「妻……そうね、妻ね。バーバラ義母様は何かというと、スカーレット様だったらこんなこと当たり前に出来ていたのにって溜息をつくのよ。私だって妻として精一杯やっているのに……」
「リアを熱烈に愛して選んだのはトラヴィスだよ。君はもっと自信を持っていい」
慰めるように言うと、リアは少し遠い目になった。
「愛して……愛されているのかしらね? 本当に私は……」
その呟きのあまりの弱々しさに、胸が締め付けられる。ボクの声は思いもかけず大きくなった。
「何を言っているんだい? 学生時代からずっと、リアは愛されている! もちろんボクらも大事に思い続けているよ!」
リアは驚いて目を瞬かせる。濡れた大きな青い瞳がボクを真正面から映し、ボクは自分が赤面するのを感じた。
「――あら……?」
「どうしたんだい、リア?」
「いえ、あちらの席の人がやけにこちらを見ているから……」
リアの視線の先には、職場の先輩がいた。コーヒー片手に、いやに熱心にこちらを見ている。
ボクと目が合うと、先輩はニヤリと笑った。嫌な笑いだ。頬の赤みが一気に冷めるのを感じた。
「どうしたの、エドガー?」
「あ、ああ、職場の先輩だよ。そうだ、もう休み時間も終わりだな。そろそろ行くよ。送っていけないけど、大丈夫かな?」
「大丈夫。どうせトラヴィス様は私のことなんて気にもしていないし……」
それからもリアから手紙が届いた。
忙しいからしばらく会えないと返すと、自宅に手紙が届くようになった。
「エドガー? このリアという人は誰なの? まさかどこぞの娘さんからしら?」
母がリアからの封筒を見つけて、ボクに尖った視線を向けてくる。
ボクはうんざりとした顔になった。
「浮気でも疑っているんですか? 冗談じゃない。彼女は侯爵夫人ですよ。伯爵の息子でしかないボクが無下に出来るわけないじゃないですか」
「そう? ならいいけれど……。そうそう、聞いてよエドガー。グレンダさんってば、今になってドレスはあちらで用意するって言いだしたのよ? あちらのご両親もそうさせて欲しいって……。わたくしがとびっきりのを用意して差し上げるのに、そんなこと……」
母の話は無駄に長い。そのことを良く知っているボクは、ハイハイと流しながら自室に逃げ込んだ。
テーブルの上には、リアからの封書。質のいい紙を使った立派なものだ。でも開けると、便せんが少し波打っている。
文面を見れば、所々インクが滲んでいる。ああ、これは涙の跡だ。
リアが泣いている。
そう思うと、ボクはいてもたってもいられなくなった。
会おうという返事を書く。けれど、前とは違うカフェだ。さすがにあそこは職場に近すぎ、知り合いに見つかりやすすぎだ。
店に居合わせた先輩には、すっかり誤解されている。
けれど先輩は既婚者だからか、「お前の気持ちも分かる。誰にも言わないよ」と約束してくれたから良かった。
「そうだ、学生時代によく使っていたあのカフェにしよう」
学園には近いが、職場からは遠い。それにリアも良く知っている場所だから、安心だろう。
そうしてボクはリアの相談に何度か乗るようになった。
「やっぱりエドガーだけだわ。頼りになるのは……」
リアの甘い声が耳から離れなくなるほどに。
* * * *
「たまには二人で出かけましょう?」
グレンダが言った。豊かな濃紺色の巻き毛が揺れる。
いつものレストランでの夕食会。グレンダの美しさも料理の美味しさも完璧だったが、ボクは少し落ち着かなかった。そわそわしているという自覚もある。
この後、リアに会うことになっているからだ。
『貴方だけなの。他の人には相談出来ないわ』
すがるようなリアの声に、了解するしかなかった。
仕方がないではないか……
「チャリティーコンサートがあるの。ちょうど貴方も私も時間がとれそうな明後日だから、どうかしら」
明後日。
頷きそうになって思い出した。明後日はリアを病院に連れていくことになっている日だ。
リアはなかなか口を開かなかったが、先日ようやく聞き出せたのだ。あの手首の痣は、予想通りトラヴィスによるものだった。
トラヴィスはリアを殴ったりすることはないらしいが、強く掴んだりするのは頻繁だという。
なんてことだ。トラヴィスのような男が女性に暴力を振るうなんて。
ボクは義憤に駆られていた。
――なにが『私は誰よりもリアを愛している』だ……
卒業間際のトラヴィスのことを思い出して、つい憮然としてしまう。
「エドガー? 聞いてます?」
「え? ああ、ごめん。最近仕事が忙しくてね……」
胸元に手をやると、カサリと音がする。リアからの手紙が内ポケットに入っているのだ。
「疲れてらっしゃるようね。やはり明後日はやめましょう。ゆっくり休んでくださいね」
グレンダが優しく言ってくれる。その優しさが気持ちよくて、ボクは笑顔になった。
「有難う。この埋め合わせはいずれ――」
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