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6.振り回されるのは

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 第一王子の姿が目に入った瞬間、私は淑女の礼をとる。許しの声がかかるまで顔も俯かせたままだ。

「もう、いいんだよアリシア嬢。ここへは私の我儘で、非公式で来たんだ。堅苦しいことは抜きにしよう」

 エルドレッド殿下は優しい声でおっしゃるけれど、私は臣下としての態度を守る。
 そんな私を見て、殿下は睫毛を震わせた。見ている者が狼狽えそうになるほど、悲しそうな表情だ。
 あの舞踏会での、婚約破棄を告げた時と大違い。

「本当にすまなかった。私の方から貴女を望んで婚約に持ち込んだのに、破棄なんて酷いことを言ってしまって」

 銀色に輝く髪が頬に落ち、殿下の表情に憔悴した雰囲気を添える。

「私は騙されていたんだ。フランシスは……いや、イーリィ男爵令嬢は嘘をついていた。貴女が彼女に嫉妬して命を狙ってきていると私に吹き込んだ。挙げ句に、その工作の為にならず者まで雇っていた。裏社会と繋がっていたのは彼女の方だった」

 私が頑なに黙っているからか、殿下は少し早口になる。

「彼女の話を鵜呑みにしてしまった私に非がある。しかし、彼女の演技は完璧で一つも本当のことがなかったなんて思いもしなかったんだ。だから、あんな馬鹿なことをしてしまった。だから、謝りたいと思って……貴女のご両親に無理を言った」

 なるほど、両親は殿下がくるのを知っていた。だから侯爵を居心地が悪くなるくらい歓待して追い払い、私の朝の散歩に動揺した。
 王子が来られるからと浮かれて、私が出かけると言ったことなど耳に入っていなかったのだろう。
 相変わらず、軽薄なところがある両親だ。私は密かに溜息をつく。
 私の溜息に気付いて、殿下は怯えたように瞳を揺らす。
 ……なんだか、罪のない殿下を悪辣な私が虐めているようだ。
 それは部屋の入口から覗き込んでいた両親も感じたようで、叱責が飛んでくる。

「無礼な真似は止めるんだ、アリシア!」

「そうよ、こんなに殿下が謝っているんだし、また婚約し直しなさいな。そうしたら、貴女の悪評も無くなるわ!」

 両親の援護を受け、殿下は顔を輝かせる。

「そうだね。私のせいで貴女に不名誉な噂がつきまとうことになってしまった。だけど、私ならそれを全て無いものに出来る。反省しているから、もう一度婚約しよう。そして今度こそ絆を深めよう。さあ、おいで。アリシア嬢」

 不名誉な噂、ですか。
 寛大さを示すように広げられて殿下の両腕。それを私は白けた気分で見つめる。

「お断りしたはずです」

「アルクスフォート侯爵から聞いたけど、私は本気にしていないよ。貴女が遠慮する必要はないのだから」

「遠慮ではありません。舞踏会でも言いましたが、私はもう殿下に振り回されません。私は私の意思で自分の進む道を決めます」

 それに……と私は続ける。

「わたくしは知っていました。殿下がずっとイーリィ様と懇意にされているところを。お二人が庭園で一緒にいらっしゃるところを見てしまっていましたから」

「え……」

 殿下の顔色が変わった。
 どうやら殿下は、私が全てを知っていることを、知らなかったようだ。

「『――本当にアリシアにはうんざりしている。たいした顔でもないのにいつも澄ましていて――』と、イーリィ様に言っているのも聞きました」

 あの頃から婚約を破棄したいと熱望していたのですよね? と微笑めば、殿下の顔が泣きそうに歪んだ。

「ふふ、泣きたい気持ちだったのはわたくしの方ですわ。雲の上の存在のお方に見初められて、世界が違うとは思いつつも必死に相応しい人間になろうとしていたら、見初めてくださったと思っていた方は別の女性に愛を囁いている……。正直、私の努力は何だったのだろうかと目の前が真っ暗になりましたわ」

「も、もう一度私と婚約すれば、努力も報われる――」

「侯爵閣下がおっしゃってくださいました。『君のことを誇りに思う』と。その言葉で私はこうして笑っていられるのです」

「アルクスフォート侯爵の……」

「はい。侯爵閣下と義兄のジョアン様だけがわたくしに対しての態度を変えずに支えてくださいました」

「私は……後悔しているよ。貴女のことをちゃんと見ていなかった。だから挽回したいと思ったんだ」

「畏れながら、殿下。かつて殿下は『ずっと大事にするから安心して』とおっしゃいました。これも忘れてしまっていますでしょうか? わたくしはもう、信じることが出来ないのです。またイーリィ様のような方が現れたら、殿下は再び去っていくのではないかとずっと疑って生きていくつもりはありません」

「私を捨てるのか、アリシア!?」

 殿下の声は悲鳴のようだった。でも、最初に捨てたのは殿下の方だ。

「前を向いてくださいませ、殿下。どうか、国を担う者としての責任を思い出してください。そして、共に歩むことになる方と真摯に向き合ってくだるように、僭越ながらお願い申し上げます」

 綺麗事だけれど、本音でもある。本来の殿下はこのようなところに座っている方ではないのだ。

 両親は怒っていたけれど、私は本気で睨みつけて黙らせる。侯爵の眼光を思い出して頑張ってみた。

「お父様もお母様も、殿下のためを思うのならば、招き入れるべきではありませんでした。きっと陛下からお叱りを受けるでしょうね」

 たちまち両親の姿が見えなくなった。困った人たちだ。

 殿下は両手に顔を埋め、そのまましばし動かなかった。
 やがて顔を上げ、私を見る。
 初めて私の顔を見たように、何度も目を瞬かせている。

「……これから、貴女はどうするつもりだ?」

 私は胸を張る。ようやく胸を張って言える。

「わたくしは、アルクスフォート侯爵家の籍から抜けます。クローリン男爵家の娘に戻りますわ」




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