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第85話 3年間

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「よーし、今日の練習はこれまで。しっかりダウンして身体を冷やさないように気を付ける事」
織部監督の声にグラウンドの空気が一気に弛緩する。
「ありがとうございました」
挨拶をすませ個々にロッカールームに引き上げる選手たち。愛翔はその流れから離れ見学スペース前に歩いていき手をふる。愛翔に気づいた桜と高野は嬉しそうに駆け寄った。
「桜、高野さん。シャワーで汗を流してくるから、ロビーで待っていてくれ。一緒にランチに行こう」
「うん、待ってるね」
桜と高野はどちらがというでもなく笑顔で返事をしていた。

愛翔がシャワーで汗を流し、街着に着替えロビーに向かうと、ジャージ姿の男の子2人が困惑した表情の桜と高野を囲んでいる姿があった。愛翔は溜息をひとつつくと。
「桜、高野さん。待たせたね」
愛翔の声にホッとした表情になる桜と高野。そして2人の男の子は
「今俺たちが話してるのに何を……。げっ住吉」
「”げっ”てなんだよ。たしかU15の山田と国見だったか。その2人は俺の連れだ。悪いが他を当たってくれ」
そんな話をしている間に桜は周り込んで愛翔の右腕に抱きつく。高野も愛翔の影に隠れた。
「うわ、本当に住吉の知り合いだったんだ。こんな可愛い子2人も……」
悔しさを口にする山田だったけれど。
「いや、桜は幼馴染だし、高野も中学からの友達だから」
愛翔の返しに
「な、なんか負けた気がする」
微妙に悔しがる山田と国見のふたり。さらに国見は
「なぁ、幼馴染は環境だろうけど、こんなかわいい子と友達になるってどうやればいいんだ。教えてくれよ」
苦笑する愛翔だったけれど、口からこぼれた言葉は
「どうやってって言われてもな。普通に接していたらいつの間にか、な」
「わたしの場合は愛翔君に勉強教えてもらいに行って仲良くなったのよね」
そう言いながら中学時代に愛翔に勉強を見てもらった事から仲良くなった思い出を高野が語ると
「はぁ、やっぱり下心ありじゃダメってことだよなぁ。それにしても住吉って勉強もできるのか」
「とりあえず光野に編入できる程度にはね」
「サッカーではU18のトップで、勉強も難関校に入れるくらいかぁ」
溜め息をつく山田と国見だったけれど、
「まあ、頑張れ。話はそれだけでいいかな?」
愛翔は話を切り上げ
「桜、高野さん行こうか」


愛翔が2人を案内したのは雑居ビルの2階にあるこじんまりとしたビストロ。
「ここ?」
桜も高野も少しばかり腰が引けている。
「ねぇ愛翔、ここって高校生がくるには高いんじゃない?」
愛翔の右腕に抱きついている桜が心配そうな声で愛翔に聞くと。
「大丈夫、このビストロはリーズナブルなランチが評判らしいんだ。1度来たかったんだけどひとりじゃ入りにくいし、ディナーはさすがに高校生が気軽に手を出せる価格じゃないんでね」
そして3人がアンティーク調のドアを押して入ると
「いらっしゃいませ。3名様でしょうか」
女性従業員が柔らかな声でテーブルに案内をした。
「ランチ3つお願いします」
愛翔が代表しオーダーする。


「へえ、じゃあ俺がアメリカに行ってる間に高野さんは桜や楓と仲良くなったんだ」
中学時代の桜、楓、高野の3人の様子を聞いたり、愛翔のアメリカでの生活についての話をしながらランチを楽しむ3人。メニューはオニオンスープ、前菜盛り合わせ、地域の特産豚のロースト、特製フォンダンショコラとコーヒーで、1600円。高校生のランチにはやや高めではあったけれど、たまになら楽しめるワンプレートランチ。
「そういえば愛翔がストリートバスケを一緒に楽しんでいたっていうカイル・レイ・モリーナ君ね。あたしどっかで名前聞いたような気がしてたんだけど、何ていったかな?アメリカの5州リージョンくらいの規模でやってた大会でMVPになってた人じゃない?」
桜が記憶をさぐりながら話す。
「ああ、そう言えばなんかそんなのに出たって言ってたかも。全国規模の大会ならともかく5州リージョンくらいの規模の大会のこと桜よく知ってたな」
愛翔が驚いた。高野は頭の上にまるで「?」を浮かべたような顔をして
「愛翔君、アメリカでそんな人とバスケしてたの?サッカーだけじゃなくて」
カイルに度々チームに誘われたこと、クリスやケイトに言い寄られいたことなどまで白状させられる愛翔だった。
「それ全部断ったんだ」
高野は愛翔の話を聞きながらクスクスと笑う。
「いいだろ、別に。俺は日本で大学まで出るつもりだからさ」
愛翔は、あえて桜への返事に触れずに答えた。

「おいしかったけど、愛翔君良いの?ごちそうになっちゃったけど」
纏めて支払った愛翔に高野が申し訳なさそうに聞くけれど
「ああ、俺が誘ったんだしな。父さんから生活費を多めにもらってるし気にしなくていいぞ」
「そっか、ありがとう。あ、連絡先交換しようよ。愛翔君も桜ちゃんも、さすがにもうスマホ持ってるよね」
唐突な高野の提案に愛翔も桜も少しばかり驚いたものの、ゴソゴソとそれぞれのバッグからスマホを取り出し、慣れない手つきで操作を始める。
「えと、このトークアプリで良いんだよな」
自信なさげな愛翔に高野が噴き出す。
「愛翔君でもそんな顔するのね。愛翔君の自信なさそうなところってほとんど初めて見たわ」
「仕方ないだろ、日本に帰ってくるまで”まだ早い”の一言で持たせてもらえなかったんだから」
愛翔の情けない声に、高野はさらにクスクスと笑い
「桜ちゃんも慣れてない感じねぇ」
桜もピクリと肩を揺らし
「だ、だってあたしもこないだ買ったばかりだし。それも愛翔が言ってくれたからようやくだったのよ」
そんなやりとりをしながら帰る3人。
「あ、わたしこっちだから」
愛翔と桜に
「今日はありがと。楽しかったし、嬉しかった。また一緒しようね」
そう言い手を振り分かれていく高野。
愛翔と桜は2人でゆっくりと家路をたどる。そして分かれ道で
「ね、愛翔。聞いて欲しい事があるの」
少し緊張した表情で桜が切り出した。
「あたしね愛翔に謝りたいことがあるの。あのときの答えを聞くまではって、愛翔のこと待ってるつもりだった。でも、あのイジメで昔の事がフラッシュバックしちゃって。それで、剣崎君と付き合ったらイジメもなくなるって言われてお試しって形だったけど付き合っちゃったの。でも聞いて。手も繋いでないしキスもしてない、もちろんそれ以上も。それでもね、剣崎君と付き合っていた間ずっと辛かった、大切なものを汚してしまった。心が死んでいく、そんな感じだった。それでもあたしが剣崎君と付き合ってしまった愛翔を待てずに裏切ってしまったその事実には変わりがない」
桜はそこで一息いれ、真正面から愛翔の目を見て
「どんな理由があっても愛翔を裏切ってしまってごめんなさい。そして、そんなあたしを助けてくれてありがとう。今のあたしには愛翔と付き合ってもらう資格なんかない。でもここからもう一度やりなおさせて欲しい。あたしは愛翔が好き。誰よりも好き。だから……」
涙を流しながら桜がそこまで言うと愛翔が桜を抱き寄せた。
「桜、苦しかったね。辛かったね。あんな状態で強制されたようなものだから気にしなくていい。でも、その間に俺は楓からも告白されたんだ。桜も楓も俺にとって大切な女の子だ。だから、返事は少し待ってくれ2人の想いを受け止めて向き合うから。少しだけ時間が欲しい」
「うんうん、ありがとう。愛翔、大好き」
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