夜を越す、傘をひらく

小林 小鳩

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 冷たい空気の中で目を開けると、まだ夜だった。カーテンが穏やかに揺れている。閉め忘れた窓の向こうは、もうすぐ始まる夜の終わりを音もなく待っていて、自動販売機が発する光が通りの向こうにぼんやり見える。眠気を大きく吐き出して、スマホを確認すると。既読になっていた。
 眠れていますか。送信すると、すぐに既読になった。松並は、今、何処に。スマホの画面の上においた指が、うまく滑らない。何度も打ち直して、ようやく書けたメッセージを消して。電話をかけた。どれくらい待ったのだろう。長いと思っているけれど、本当は短いのかもしれない。一旦切って、ベッドに横たわりまた目を閉じる。いつ松並から連絡が来てもいいように、耳元にスマホを置いて。
 眠れてないんだな、やっぱり。佐藤のあの感じ、苦手だ。向こうも得体のしれない男を警戒していたのだろうけれど。いや、でも。松並さんはあの人が良かったわけだし。外野にはわからない二人だけのことがあるのだろうし。
 同じ部屋で同じベッドで過ごしていたのに。眠ってばかりで、何も知らなかったな。悪いかなと思って何も訊かなかったけれど。何も訊かないでも、もっと色んな話をしておけば良かった。バームクーヘンが好きなのかくらい、おそらく聞いても構わなかっただろう。それくらい何もせずにいた。
 寝返りをうって、毛布を抱き寄せうずくまり、また向きを変える。まぶたに淡い光が透ける。それは暗闇に目が慣れたせいではなくて。観念して目を開けると、プールの底のような薄い水色に部屋が染まり出している。仕方なく起き上がり、台所で水を飲むついでに玄関を覗くと、まだドアロックがかかっていた。
 やらなくてはいけないことは山程あるはずなのに、何もすることがなくて手持ち無沙汰で。なんだか、とても。

 なんだか締められている気がして、ボタンを一個外した。きちんとした服を着るのは久しぶりだ。行ったからってどうしようもないのはわかっているのだが、取り敢えず最寄駅に向かう。何もしないでベッドの上にいても、どうせ眠れないし。下りの始発って、もう出てると思うけれど。そもそも松並が帰ってくるという確約は、何処にもないのに。道の向こうから松並がやってくるのを、ぼんやりと期待しながら、日が昇る明るい方へ向かって歩く。
 交差点を通過する路面電車には、ほとんど人の姿が見えない。信号が変わって歩き始めると、ポケットの中から呼び出された。急いで渡りきって、慌てて電話に出ようとするが、慣れた動作のはずなのにおぼつかない。
「……おはようございます。お休みのところすみません」
「あ、いや、今日は。起きてました」
 なんだか眠れなくて。澤野の言葉に、松並は言葉にならないような息が混ざった声を吐く。
「ごめんなさい。昨日はご迷惑おかけして」
「いいんですよ、別に。今、何処ですか。地下鉄の駅の近くにいるんですけど」
「僕ももうすぐ帰るんで、気にしないで下さい」
 気にしないで、と言う声が。初めて松並に会った日のようだった。
「……松並さん、ファミレスで朝ご飯食べませんか。この間のお礼におごります。僕もまだ眠れないんで」

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