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112.思春期の暴走

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 幼い頃の音無夏樹を助けた。ヒーローごっこの延長の末、俺はその結果だけを見て満足してしまっていた。
 それが親の迷惑になるだろうと考えもせず……。いや、迷惑なんて生温いものではなかった。

「郷田くん……私を、好きに扱ってくれ……っ」

 音無先輩は俺の胸に顔を埋める。身体を密着させて、男を欲情させようとしていた。……胸を押し付けられて気づいたが、こいつノーブラかよ。
 以前の俺なら慌てふためいているか、下半身の熱に任せてスッキリするかの二択だったろう。
 だがしかし、今の俺には何の欲望もなかった。心は動揺しないし、下半身もピクリともしない。

「……」

 さざ波すら立てない心で音無先輩を見下ろした。

「……あ、あれ? もしかして……私の容姿はあまりタイプではなかったかな?」

 そんな俺に気づいたのだろう。音無先輩の表情が困惑したものへと変わる。

「俺が不幸になったのは音無先輩のせい? 何言ってんすか。そんなことはないですよ」
「いいや。すべては私から始まったことだ。私の責任であり、君は私を罰する権利がある」

 なんだそれ? こいつは一体何を言ってやがるんだ?
 まるで自分が元凶とでも言いたげだ。いや、事実そう言っているのだろう。だから自分の身を差し出して俺をスッキリさせようとしている。
 ……こいつはバカか?

「……んなもんいらねえよ」
「え?」

 困っている人を助ける。その行為自体は正しいものだ。
 間違っていたのは俺の思慮の浅さ。不幸にしたのは他の誰でもない。俺自身の行動の結果だ。

「勝手に加害者ぶってんじゃねえ! 償いたいだと? 責任を取るってか? そんなもん求めてねえんだよ!!」

 音無先輩を突き飛ばす。彼女は壁に激突して倒れた。その際にワンピースの裾がまくれ上がって引き締まった白い太ももが露わになる。
 いつもなら劣情を抱きそうな場面でも、俺は何も感じなかった。

「す、すまない……私はただ、君のために……」
「なんで俺の婚約者になったんだ? まさか俺のためだと言うつもりじゃないだろうな? 余計なお世話だ。お前の介護を受ける人生なんざまっぴらだ。勝手に俺を憐れんでんじゃねえ!」
「ち、違うっ。私の話を聞いてくれ」
「帰れ! お前の顔なんか見たくねえんだよ!」

 彼女の腕を引っ張って無理やり立たせる。傍から見れば可憐な姿の女子に乱暴しようとしているようにしか思えないだろうな。
 でも、そんなことはどうでもよかった。音無先輩が悪いわけじゃないってわかっている。だけど彼女を見ているとどうしたってあの時のことを思い出してしまうのだ。
 それが、とても苦しい……。

「ひっく……郷田くん……。私の話を聞いて……」

 泣いている先輩を引きずって部屋の外へと出る。真夏の夜の生温い空気ですら俺を苛立たせる。

「俺は気にしてねえよ。それに、お前はいじめられていただけの女の子だったんだ。だから忘れろ。それがお互いのためだ」

 ドアを閉めて音無先輩との関係を遮断する。

「ちっ」

 部屋に戻ると音無先輩が被っていた麦わら帽子が落ちていた。太陽も出てねえのになんでこんなもんを被ってきたんだか。
 乱暴に麦わら帽子を拾い上げると、下の階の住人に気にすることなくどすどすと足音を立てながら玄関へと向かう。

「ぐすっ……ひぐっ……。あっ、郷田くん……」

 ドアを開けると、泣いている音無先輩が立ち尽くしていた。どうやらその場から一歩も動いていないらしい。
 舌打ちしそうになるのを我慢して麦わら帽子を差し出す。

「ほらよ、忘れもんだ。そこで泣いてたって俺は話をする気はねえぞ。さっさと帰れ」
「郷田──」

 何か言おうとする音無先輩を無視してドアを閉めた。しばらく玄関の外で立ち尽くしている気配がしていたが、諦めたのか足音が遠ざかっていった。

「クソがっ」

 悪態をついて玄関に座り込む。
 別に音無先輩のことが嫌いになったわけじゃない。ただ、俺と一緒にいる理由もないと思った。
 憎むべきは母を襲ったクソ野郎。それから何もできなかった弱っちい俺自身。そして……。

「……親父は何やってたんだよっ」

 母さんを助けるのは俺以上に親父の役割だったはずだ。ずっと顔を合わせなかったってのに、今日はまるで息子の気持ちを尊重してますよという態度だった。
 振り返ってみれば腹立たしくて仕方がねえ。

「ムカつくぜ」

 部屋に戻ると怒りに任せてゴミ箱を蹴り上げる。中身をぶちまけて部屋を散らかしてしまう。ゴミ箱が転がる音がただただ空しかった。

「……」

 大して広くもないアパートの一室だ。だが、そのアパートの契約や生活費を振り込んでくれているのは、ほかならぬ親父なのだ。
 今まで大して考えていなかったことが、とてつもなく悔しい……。

「やってられるか!」

 心の奥底から湧き出る衝動に任せて外へと飛び出した。
 とにかく走った。少しでもアパートから離れたかった。
 夜道は誰ともすれ違うこともなくて、まるで世界に一人だけ取り残されたような気分になる。

「はっ……はっ……はっ……」

 肺が痛くなるほど走った。足を止める頃には自分の現在地がわからなくなっていた。

「はぁ……ははっ」

 今の自分に笑ってしまった。そのまま大笑いでもできれば少しは気が晴れたかもしれなかったけど、それ以上は何も出てこなかった。

「何やってんだかな……」

 振り返っても帰り道さえわからない。見上げれば夜空が広がっているだけで、綺麗な月や星なんかで心が洗われたりもしない。
 車が通る。車道と歩道がはっきりと分かれている道路でもなかったので端へ寄った。
 その車が俺の真横で急停止した。

「晃生くんよね? こんな夜遅くに何をしているの?」

 運転席からひょっこり顔を出したのは梨乃の母親、さなえさんだった。
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