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第二部
164.前世で転落した自分
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あれから、俺達は三人で集まることが多くなった。
週末は葵さんの店に飲みに行く。スポーツジム通い以外の新たなルーティーンが追加された。
「木之下さんは葵さんと昔からの知り合いだったんですか?」
「昔からじゃないわ。半年くらい前かしらね。偶然あの店で飲んで、それがきっかけで仲良くなったのよ」
「つまり、泥酔して葵さんに介抱されたんですね」
「うっ……。見てきたかのように言うじゃない」
いいえ、ただ容易に想像できただけですよ。怒られそうだから言わないけど。
木之下さんとはスポーツジムで今まで以上に接するようになった。
話題はトレーニングのことだけではなく、雑談を気軽にできるようになった。無理のない範囲で昔話をして、互いのことを知っていった。
言いたくない話もあるのだと察していた。それでも自分を知ってほしい。俺も同じだから、彼女の気持ちがよくわかる。
「今日は葵さんのところに行きますか?」
「週末だものね。あまり遅くならなければ……いいわよ」
「そう警戒しなくても。また酔っぱらったら責任を持って家まで送り届けますよ。それが嫌なら葵さんが泊めてくれるでしょうし」
「……また葵のベッドにお世話になるわけにはいかないわよ。自分の面倒くらい、自分で見るわ」
「別にお酒飲まなくても大丈夫ですよ。ウーロン茶もありますからね」
「べ、別にお酒が嫌いなわけじゃないのよっ」
「弱いですけどお酒好きですもんねー。安心してください。俺と葵さんが見守っていますから」
「……子供扱いしてないでしょうね?」
「してないですよー」
葵さんのおかげで、木之下さんとの距離が一気に縮まった気がする。
警戒心の強い女性だ。本当なら食事に誘えたとしても、家に送るどころか教えてももらえなかっただろう。
今では付き合いの長い男友達のような距離感……は、言いすぎにしても、かなり心を許してくれていると思う。
「もし幼馴染だったら、もっと親しかったのかな……」
「え、何か言ったかしら?」
「ううん。ただの独り言ですよ」
考えたって仕方のないことだ。
失った時間は取り戻せない。そんなのはわかり切ったことで、後悔するだけ無駄な行為だ。
「いらっしゃーい! 二人とも待ってたよ」
「ははっ。すっかり常連さんになっちゃったよ」
「葵は笑っているけれど、いつもガラガラじゃない。ここの経営は大丈夫なんでしょうね?」
「まあなんとかなるんじゃないかなぁ。たぶん」
「あ・お・い?」
「あははっ。心配してくれる瞳子ちゃんは本当に優しいよね」
三人でいっしょにいられる、この空間が心地良かった。
大人になってからこれほどまで笑えたのは初めてだったから。まるで子供の頃に戻ったみたいな無邪気さで、何の気兼ねなく自分をさらけ出せた。
だからこそ、この時間を大切にしようと思った。きっと、彼女達といっしょにいられる時間はかけがえのないものだろうから。そんな確信めいた思いがあったのだ。
※ ※ ※
幸せだと思っていた時間は、唐突に終わりを迎えた。
「……え?」
勤めていた会社から解雇通告を受けたのだ。
あまりに突然のことだった。まったく予期してなくて、頭が真っ白になった。
不況の波。物価上昇。人件費削減。コストカット。理由を説明してくれたのだけど、右から左へ流れていくばかりで、まったく頭に入らなかった。
確かなのは、俺は生活の基盤を失ってしまったという事実だけだった。
「どうして、こんなことに……」
何がいけなかったのだろうか? どこで間違えたのだろうか? どうしてこんなことになった?
重大なミスをした覚えはない。それどころか余暇を活発に過ごすようになってから、生産性は上がっていたはずだ。
『君が悪いわけではないんだ。本当にすまない』
俺を解雇した社長の言葉がリフレインする。
俺が悪いわけじゃない? ならどうしてクビにするんだ? 会社にとって不要な存在だからだろう? 会社のために身を粉にして働いてきた結果がこれなのか……。
形だけの謝罪をしたって俺は誤魔化されないぞ! 行きどころを失った怒りが心の中をグチャグチャにする。
「これから、どうしろってんだよ……っ」
せめて会社が悪だったなら、俺も容赦なく暴言を吐けたってのに……。
本当に仕方がなくて、苦肉の策だとわかってしまうからこそ、何も言えなかった。
俺の歳で再就職するのは難しい。そんなことは頭の悪い俺でもわかる。
結婚していなかったのが不幸中の幸いか。ただの負け惜しみにしか聞こえないかもしれないけど、もし子供がいたら本当に路頭に迷っていたかもしれない。
「俺一人なら、なんとかなるか……?」
仕事が見つかったとしても、確実に稼ぎが少なくなるだろう。
俺一人ならなんとかなる……。裏を返せば俺だけしかなんともできないのだ。
もっと賢ければ。もっと体力があれば。もっとスキルがあれば。もっとコネを持っていれば……。後悔ばかりが俺をさいなむ。
何か一つでも誇れるものがあれば、ここまで選択肢がないなんてことはなかったかもしれないのに……。無駄だとわかっていても、後悔するのを止められなかった。
「もう、これまでみたいに、木之下さんと葵さんには会えないな……」
顔を合わせたとして、以前のようには笑えないだろう。
それどころか苦しくなるだけだ。だって……期待するだけ無駄なんだから。
「スポーツジムも解約しなきゃな……。ゆっくりしている時間なんかない、か」
これから、やらなければならないことが多い。節約しなければ生活できなくなるだろう。生きるために、止まっている場合ではないのだ。
少しは自信を持てるようになっていたのに。踏ん張る地面がなければ、簡単に揺らぐような自信でしかなかったことを思い知る。
「やっぱり、高望みだったのかな……」
少しだけの期待じゃなかった。
たくさんの過程をすっ飛ばして、彼女と結婚できるかもしれないだなんて本気で思っていた。今からでも未来を掴めるんじゃないかって、本気で思っていたんだ。
でも、それはただの妄想で、思いを確かめ合ってすらない一方的な気持ちだった。
こんなことならもっと早く気持ちを伝えていれば……。いや、そんなこと俺にできるはずもないか。だからこそ、今こんな状況になっているのだろう。
「せめて、最後にもう一度会いたいな……」
自分の気持ちにけりをつけるため、俺は力なく一歩を踏み出したのであった。
週末は葵さんの店に飲みに行く。スポーツジム通い以外の新たなルーティーンが追加された。
「木之下さんは葵さんと昔からの知り合いだったんですか?」
「昔からじゃないわ。半年くらい前かしらね。偶然あの店で飲んで、それがきっかけで仲良くなったのよ」
「つまり、泥酔して葵さんに介抱されたんですね」
「うっ……。見てきたかのように言うじゃない」
いいえ、ただ容易に想像できただけですよ。怒られそうだから言わないけど。
木之下さんとはスポーツジムで今まで以上に接するようになった。
話題はトレーニングのことだけではなく、雑談を気軽にできるようになった。無理のない範囲で昔話をして、互いのことを知っていった。
言いたくない話もあるのだと察していた。それでも自分を知ってほしい。俺も同じだから、彼女の気持ちがよくわかる。
「今日は葵さんのところに行きますか?」
「週末だものね。あまり遅くならなければ……いいわよ」
「そう警戒しなくても。また酔っぱらったら責任を持って家まで送り届けますよ。それが嫌なら葵さんが泊めてくれるでしょうし」
「……また葵のベッドにお世話になるわけにはいかないわよ。自分の面倒くらい、自分で見るわ」
「別にお酒飲まなくても大丈夫ですよ。ウーロン茶もありますからね」
「べ、別にお酒が嫌いなわけじゃないのよっ」
「弱いですけどお酒好きですもんねー。安心してください。俺と葵さんが見守っていますから」
「……子供扱いしてないでしょうね?」
「してないですよー」
葵さんのおかげで、木之下さんとの距離が一気に縮まった気がする。
警戒心の強い女性だ。本当なら食事に誘えたとしても、家に送るどころか教えてももらえなかっただろう。
今では付き合いの長い男友達のような距離感……は、言いすぎにしても、かなり心を許してくれていると思う。
「もし幼馴染だったら、もっと親しかったのかな……」
「え、何か言ったかしら?」
「ううん。ただの独り言ですよ」
考えたって仕方のないことだ。
失った時間は取り戻せない。そんなのはわかり切ったことで、後悔するだけ無駄な行為だ。
「いらっしゃーい! 二人とも待ってたよ」
「ははっ。すっかり常連さんになっちゃったよ」
「葵は笑っているけれど、いつもガラガラじゃない。ここの経営は大丈夫なんでしょうね?」
「まあなんとかなるんじゃないかなぁ。たぶん」
「あ・お・い?」
「あははっ。心配してくれる瞳子ちゃんは本当に優しいよね」
三人でいっしょにいられる、この空間が心地良かった。
大人になってからこれほどまで笑えたのは初めてだったから。まるで子供の頃に戻ったみたいな無邪気さで、何の気兼ねなく自分をさらけ出せた。
だからこそ、この時間を大切にしようと思った。きっと、彼女達といっしょにいられる時間はかけがえのないものだろうから。そんな確信めいた思いがあったのだ。
※ ※ ※
幸せだと思っていた時間は、唐突に終わりを迎えた。
「……え?」
勤めていた会社から解雇通告を受けたのだ。
あまりに突然のことだった。まったく予期してなくて、頭が真っ白になった。
不況の波。物価上昇。人件費削減。コストカット。理由を説明してくれたのだけど、右から左へ流れていくばかりで、まったく頭に入らなかった。
確かなのは、俺は生活の基盤を失ってしまったという事実だけだった。
「どうして、こんなことに……」
何がいけなかったのだろうか? どこで間違えたのだろうか? どうしてこんなことになった?
重大なミスをした覚えはない。それどころか余暇を活発に過ごすようになってから、生産性は上がっていたはずだ。
『君が悪いわけではないんだ。本当にすまない』
俺を解雇した社長の言葉がリフレインする。
俺が悪いわけじゃない? ならどうしてクビにするんだ? 会社にとって不要な存在だからだろう? 会社のために身を粉にして働いてきた結果がこれなのか……。
形だけの謝罪をしたって俺は誤魔化されないぞ! 行きどころを失った怒りが心の中をグチャグチャにする。
「これから、どうしろってんだよ……っ」
せめて会社が悪だったなら、俺も容赦なく暴言を吐けたってのに……。
本当に仕方がなくて、苦肉の策だとわかってしまうからこそ、何も言えなかった。
俺の歳で再就職するのは難しい。そんなことは頭の悪い俺でもわかる。
結婚していなかったのが不幸中の幸いか。ただの負け惜しみにしか聞こえないかもしれないけど、もし子供がいたら本当に路頭に迷っていたかもしれない。
「俺一人なら、なんとかなるか……?」
仕事が見つかったとしても、確実に稼ぎが少なくなるだろう。
俺一人ならなんとかなる……。裏を返せば俺だけしかなんともできないのだ。
もっと賢ければ。もっと体力があれば。もっとスキルがあれば。もっとコネを持っていれば……。後悔ばかりが俺をさいなむ。
何か一つでも誇れるものがあれば、ここまで選択肢がないなんてことはなかったかもしれないのに……。無駄だとわかっていても、後悔するのを止められなかった。
「もう、これまでみたいに、木之下さんと葵さんには会えないな……」
顔を合わせたとして、以前のようには笑えないだろう。
それどころか苦しくなるだけだ。だって……期待するだけ無駄なんだから。
「スポーツジムも解約しなきゃな……。ゆっくりしている時間なんかない、か」
これから、やらなければならないことが多い。節約しなければ生活できなくなるだろう。生きるために、止まっている場合ではないのだ。
少しは自信を持てるようになっていたのに。踏ん張る地面がなければ、簡単に揺らぐような自信でしかなかったことを思い知る。
「やっぱり、高望みだったのかな……」
少しだけの期待じゃなかった。
たくさんの過程をすっ飛ばして、彼女と結婚できるかもしれないだなんて本気で思っていた。今からでも未来を掴めるんじゃないかって、本気で思っていたんだ。
でも、それはただの妄想で、思いを確かめ合ってすらない一方的な気持ちだった。
こんなことならもっと早く気持ちを伝えていれば……。いや、そんなこと俺にできるはずもないか。だからこそ、今こんな状況になっているのだろう。
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