上 下
143 / 170
第二部

142.代わりの一番

しおりを挟む
「……気に入らないわね」

 瞳子の声は決して大きいものではなかった。けれどはっきりと聞こえるだけの声量であり、場を凍りつかせるには充分な威力があった。
 垣内先輩は笑顔のまま固まっていた。一見動じていないかのように眉一つ動かさない野沢くんも、あまりのことに思考が停止しているようだった。

「えっと……と、瞳子?」

 俺はといえば動揺を隠せないでいた。情けないことにうろたえてしまう。
 瞳子が先輩に対してこのようなことを言ったのを初めて聞いた。
 彼女は運動部に所属していたこともあってか、目上相手への態度で問題になるようなことはなかった。物事をはっきり言うタイプではあるが、怒らせるようなことを口にしたことはないと思う。

「すみません垣内先輩。でも、これから野沢先輩に言いたいことがあります。よろしいですね?」
「え、えーと……」

 有無を言わせない圧力が感じられた。そんな瞳子相手に反射で否定できるはずもなく、垣内先輩は助けを求めるかのように野沢くんへと目を向けた。

「……言ってみろ」

 野沢くんは表情を変えない。さすがは生徒会長だ。
 ……いや、よく見たらこめかみがピクピクと痙攣しているみたいに動いていた。まったく動じていないってことでもないらしい。
 瞳子に見据えられる野沢くん。俺から見ればどっちが先輩かわからないように感じられた。

「野沢先輩。良いように言ってましたけど、別に俊成とあたしの評価は言うほど高くはないですよね?」
「え、えぇ? そんなことはないよ」
「今、野沢先輩に聞いています」
「……すみません」

 フォローしようとした垣内先輩は瞳子にピシャリと黙らされた。しゅんとする垣内先輩……あなたは悪くないですよ。

「なぜそう思う?」
「野沢先輩はあたし達のことをちゃんと知っているわけではないからです」

 はっきりした口調に場が静まり返る。野沢くんもすぐには返答しなかった。
 ふぅ、と息をつくのを合図に、野沢くんが口を開いた。

「まったく知らない者を生徒会に推薦するわけがないだろう。試験での成績や球技大会での存在感など、様々な振る舞いを見た結果だ」
「それならあたしよりも上の人はいます」

 それに、と瞳子は続けた。

「そんなよくわかりもしない基準なんか関係なく、野沢先輩が本当に推薦したい人物は他にいますよね?」
「……」

 野沢くんはむすっとした表情で押し黙った。

「他って、誰のことなのかな?」

 垣内先輩がおずおずと質問する。瞳子に怯えている様子だけど、好奇心には勝てなかったようだ。
 しかし、このままでは瞳子がケンカを吹っかけているみたいだ。
 瞳子の手の甲をちょんちょんと突っついて「これ以上はやめた方がいいんじゃないか」と合図を送る。
 すると手を握られた。少しひんやりとした、華奢な指が絡められる。

「……」

 握られた手のひらから伝わってくる。瞳子は退かないつもりだ。
 だったら俺は最後まで傍にいよう。そのくらいのことしかできないのなら、それだけは絶対にやってやる。

「あの、彼女の前ですけどいいですか?」
「か、カノジョだなんてそんなぁ……まだ早いよぉ」

 瞳子は目線で垣内先輩を示した。綺麗な青の瞳に見つめられて変になったのか、先輩は体をくねらせる。先輩相手に悪いとは思うけど変な動きだ。

「……構わない」

 目をつむり頷く野沢くん。心なしか眼鏡の奥から諦めの感情を帯びている気がした。
 瞳子も小さく頷いてから口を開いた。

「野沢先輩は人をまとめること、人の上に立つのは葵が一番相応しいと思っていますよね」
「……」

 疑問ではなく断言。それに対しての返答はなかった。

「ずっと葵がすごいって知っていたのに声をかけなかった。葵には他にやるべきことがあるはずだ、なんて言い訳をして自分から関わろうともしてこなかった」

 まるで野沢くんの心を見透かしているようで、瞳子の真っ直ぐとした青の瞳を見れば、そうじゃないと否定もできなかった。

「本当は一番認めている人……、生徒会長に相応しいと思っているのは葵でしょう? それでもあたしを指名したのはただ見てほしかっただけですよね? ちゃんと評価している自分を、正しいことができる自分をアピールしたかっただけです」

 野沢くんが誰にアピールしたかったのか。さすがに俺にもわかった。

「俊成もそうです。本当に指名したかったのは佐藤くんですよね? でも彼には将棋という才能があったから。それを間近で見てきた野沢先輩は生徒会に入れたくはなかったんです」

 淀みのない言葉。まるで的確に野沢くんの心の声を言い当てているかのようだ。

「……」

 野沢くんは沈黙を保っている。心の隙を見せないと言っているようで、その無言が雄弁に語っているようにも感じられた。
 瞳子が言った通りなのだとしたら、野沢くんは女子なら葵、男子なら佐藤を一番に評価しているってことか。
 瞳子と俺は二番目……二人の代わりってことか……。

「俊成とあたしを評価してくれているのは嘘じゃないんでしょう。でも、わざわざこんなところに呼び出す程度の評価でもない。ただ周りを納得させるだけの、あなた自身の評価を上げたいだけの推薦なのだとしたら……」

 瞳子の目が険しくなったわけじゃない。しかし空気が張り詰めていくのを感じられ、今にも破裂してしまいそうなほど膨らんでいくように思えた。

「……迷惑です」

 これまでとは裏腹に、最後のこの言葉は一番弱々しかった。
 急速に萎んでいく緊張感。瞳子はうつむいてしまい、これ以上の言葉はないようだった。

「……」

 ……そりゃあ、気に入らないよなぁ。
 ちゃんと自分を知らないくせに、見てこようともしなかったくせに、いきなり評価してやっているからと推薦された。でもそれはきっと、後釜を埋めたかっただけのことだ。
 もっと評価している人がいて、その人を選ばなかったのは思いやりがあってのことってか? それは代わりに選ばれた人に対して思いやりが欠けていないだろうか。
 結局、野沢くんは自分の一番に対して何もしてはいない。その気持ちを聞いてもいない。勝手に自分で判断して、勝手にそれぞれの道があるからと候補から排除して、勝手に瞳子と俺なら面目が立つだろうと侮った。

 野沢くんは生徒会長として立派にやってきた人だ。がんばっている背中を、小学生の頃から見ていた。だから高校生になってみんなから尊敬されるのも納得できるし、俺自身彼のことをすごい人だとも思っている。

 でも、正直好きにはなれなかった。
 野沢くんからは常に敵視されていて、まともに話せたことがない。姉の野沢先輩から良いところを聞いてはいたけれど、俺の前ではその面を見せてはくれなかった。
 敵視されてはいないだろうが、瞳子も似たようなものだったのだろう。瞳子と葵で野沢くんへの印象がかなり違っていたから。

 これまでがあって、今回のこの扱いだ。先に葵に声をかけていたなら二番目だろうとも納得できたのだろう。でも野沢くんは周りの目を意識してだろうか嘘をついた。いや、嘘ではないにしろ全部を口にしなかった。自身を良く見せるためのダシに、俺達は使われたのだ。
 そんな彼の言葉を信じるのは、無理ってものだろう。

「……そうだな。その通りだ」

 野沢くんは目を伏せたまま頷いた。
 彼はそれ以上語らなかった。理由は瞳子の想像通りと肯定しているつもりなのだろう。
 そうやって他人の考えに任せているばかりだから、自分の考えが一向に伝わらないのにな。

「俺は生徒会長ってなら、葵よりも瞳子の方が向いてると思うよ」
「え?」

 重くなっていた空気を無視して、俺は瞳子へと言葉を放っていた。
 何を驚いているのか、瞳子の目が真ん丸になっている。美人さよりも可愛さが勝った表情になったな。

「瞳子は大勢の人がいたとしても一人一人の顔をちゃんと見てくれるだろ。誰か困っている人がいたら真っ先に飛び込んでいける人だ。バランスを取るのが上手いから前に出てもサポートに回っても心強い」

 口にするのはただの感想だ。これまで瞳子と付き合ってきたから、当然知っていることでしかない。

「これは瞳子のすごいところで、葵がマネできないところだよ。葵は人を乗せるのが上手いけれど、生徒会長として良くも悪くも見渡せるだけの視野はまだないと思うし。何より集中しすぎると周りが見えなくなるタイプだ」
「葵がダメならあたしだって……」
「そんなことないだろ」

 だって、瞳子と葵で決定的に違う部分があるんだから。

「瞳子は文武両道で、なんでもできるって思われがちだけど、たくさん失敗を経験してきたからね。多くの失敗を知っている人は強いって、俺は思う」

 木之下瞳子は完璧超人ではない。なぜか周りでそう思っている人がいるが、そんなことはないって幼馴染の俺は知っている。

「野沢くん」

 瞳子に向けていた顔を野沢くんへと向ける。

「ああ」
「生徒会役員の件、また日を改めて返事させてもらってもいいですか?」
「……構わない」

 瞳子の手を引いて席を立つ。目をパチクリさせている彼女が新鮮で、抱きしめたくなるほど可愛かった。

「木之下」

 退室する前に野沢くんから声がかけられる。手をつないだまま俺達は振り返った。

「すまなかった。はっきり言われて目が覚めた。……迷惑、かけたな」
「いいえ。春姉は先輩のことをいつも褒めてました。気に入らないと口にしたことは撤回しませんが、先輩のことが嫌いってわけじゃありませんから」
「高木も……気分を害させたな。すまなかった」
「別にいつものことなのでいいですよ」
「うっ……」

 なぜか胸を押さえる野沢くん。さっきまでポーカーフェイスだったのにどうしたんだろう?

「えっと……ま、またね?」
「はい。お騒がせして申し訳ありませんでした」
「垣内先輩ごめんなさい。あたし失礼なことを口にしてしまいました……」
「い、いいのいいのっ。むしろ先輩相手でも意見を言える子じゃないとね! うんうん!」

 垣内先輩はすごくフォローしてくれるなぁ。役員にこういう人がいたからこそ野沢くんは会長として上手く仕事をできたのかもしれないね。
 一時は緊張感に包まれたけど、最後はお互いぺこぺこ頭を下げていた。生徒会室を出た瞬間にどっと疲労に襲われてしまったのは瞳子にも内緒だ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【R18】らぶえっち短編集

おうぎまちこ(あきたこまち)
恋愛
調べたら残り2作品ありました、本日投稿しますので、お待ちくださいませ(3/31)  R18執筆1年目の時に書いた短編完結作品23本のうち商業作品をのぞく約20作品を短編集としてまとめることにしました。 ※R18に※ ※毎日投稿21時~24時頃、1作品ずつ。 ※R18短編3作品目「追放されし奴隷の聖女は、王位簒奪者に溺愛される」からの投稿になります。 ※処女作「清廉なる巫女は、竜の欲望の贄となる」2作品目「堕ちていく竜の聖女は、年下皇太子に奪われる」は商業化したため、読みたい場合はムーンライトノベルズにどうぞよろしくお願いいたします。 ※これまでに投稿してきた短編は非公開になりますので、どうぞご了承くださいませ。

ある公爵令嬢の生涯

ユウ
恋愛
伯爵令嬢のエステルには妹がいた。 妖精姫と呼ばれ両親からも愛され周りからも無条件に愛される。 婚約者までも妹に奪われ婚約者を譲るように言われてしまう。 そして最後には妹を陥れようとした罪で断罪されてしまうが… 気づくとエステルに転生していた。 再び前世繰り返すことになると思いきや。 エステルは家族を見限り自立を決意するのだが… *** タイトルを変更しました!

王太子に婚約破棄されてから一年、今更何の用ですか?

克全
恋愛
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しいます。 ゴードン公爵家の長女ノヴァは、辺境の冒険者街で薬屋を開業していた。ちょうど一年前、婚約者だった王太子が平民娘相手に恋の熱病にかかり、婚約を破棄されてしまっていた。王太子の恋愛問題が王位継承問題に発展するくらいの大問題となり、平民娘に負けて社交界に残れないほどの大恥をかかされ、理不尽にも公爵家を追放されてしまったのだ。ようやく傷心が癒えたノヴァのところに、やつれた王太子が現れた。

愛されなかった公爵令嬢のやり直し

ましゅぺちーの
恋愛
オルレリアン王国の公爵令嬢セシリアは、誰からも愛されていなかった。 母は幼い頃に亡くなり、父である公爵には無視され、王宮の使用人達には憐れみの眼差しを向けられる。 婚約者であった王太子と結婚するが夫となった王太子には冷遇されていた。 そんなある日、セシリアは王太子が寵愛する愛妾を害したと疑われてしまう。 どうせ処刑されるならと、セシリアは王宮のバルコニーから身を投げる。 死ぬ寸前のセシリアは思う。 「一度でいいから誰かに愛されたかった。」と。 目が覚めた時、セシリアは12歳の頃に時間が巻き戻っていた。 セシリアは決意する。 「自分の幸せは自分でつかみ取る!」 幸せになるために奔走するセシリア。 だがそれと同時に父である公爵の、婚約者である王太子の、王太子の愛妾であった男爵令嬢の、驚くべき真実が次々と明らかになっていく。 小説家になろう様にも投稿しています。 タイトル変更しました!大幅改稿のため、一部非公開にしております。

【R18】溺愛される公爵令嬢は鈍すぎて王子の腹黒に気づかない

かぐや
恋愛
公爵令嬢シャルロットは、まだデビューしていないにも関わらず社交界で噂になる程美しいと評判の娘であった。それは子供の頃からで、本人にはその自覚は全く無いうえ、純真過ぎて幾度も簡単に拐われかけていた。幼少期からの婚約者である幼なじみのマリウス王子を始め、周りの者が シャルロットを護る為いろいろと奮闘する。そんなお話になる予定です。溺愛系えろラブコメです。 女性が少なく子を増やす為、性に寛容で一妻多夫など婚姻の形は多様。女性大事の世界で、体も中身もかなり早熟の為13歳でも16.7歳くらいの感じで、主人公以外の女子がイケイケです。全くもってえっちでけしからん世界です。 設定ゆるいです。 出来るだけ深く考えず気軽〜に読んで頂けたら助かります。コメディなんです。 ちょいR18には※を付けます。 本番R18には☆つけます。 ※直接的な表現や、ちょこっとお下品な時もあります。あとガッツリ近親相姦や、複数プレイがあります。この世界では家族でも親以外は結婚も何でもありなのです。ツッコミ禁止でお願いします。 苦手な方はお戻りください。 基本、溺愛えろコメディなので主人公が辛い事はしません。

今さら、私に構わないでください

ましゅぺちーの
恋愛
愛する夫が恋をした。 彼を愛していたから、彼女を側妃に迎えるように進言した。 愛し合う二人の前では私は悪役。 幸せそうに微笑み合う二人を見て、私は彼への愛を捨てた。 しかし、夫からの愛を完全に諦めるようになると、彼の態度が少しずつ変化していって……? タイトル変更しました。

私と離婚して、貴方が王太子のままでいれるとでも?

光子
恋愛
「お前なんかと結婚したことが俺様の人生の最大の汚点だ!」 ――それはこちらの台詞ですけど? グレゴリー国の第一王子であり、現王太子であるアシュレイ殿下。そんなお方が、私の夫。そして私は彼の妻で王太子妃。 アシュレイ殿下の母君……第一王妃様に頼み込まれ、この男と結婚して丁度一年目の結婚記念日。まさかこんな仕打ちを受けるとは思っていませんでした。 「クイナが俺様の子を妊娠したんだ。しかも、男の子だ!グレゴリー王家の跡継ぎを宿したんだ!これでお前は用なしだ!さっさとこの王城から出て行け!」 夫の隣には、見知らぬ若い女の姿。 舐めてんの?誰のおかげで王太子になれたか分かっていないのね。 追い出せるものなら追い出してみれば? 国の頭脳、国を支えている支柱である私を追い出せるものなら――どうぞお好きになさって下さい。 どんな手を使っても……貴方なんかを王太子のままにはいさせませんよ。 不定期更新。 この作品は私の考えた世界の話です。設定ゆるゆるです。よろしくお願いします。

【R18】翡翠の鎖

環名
ファンタジー
ここは異階。六皇家の一角――翠一族、その本流であるウィリデコルヌ家のリーファは、【翠の疫病神】という異名を持つようになった。嫁した相手が不幸に見舞われ続け、ついには命を落としたからだ。だが、その葬儀の夜、喧嘩別れしたと思っていた翠一族当主・ヴェルドライトがリーファを迎えに来た。「貴女は【幸運の運び手】だよ」と言って――…。 ※R18描写あり→*

処理中です...