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第一部

19.習い事を意識するお年頃

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 葵ちゃんと瞳子ちゃんから険悪な雰囲気がなくなったためか、一年一組の教室は平穏を保っていた。

「あれ? ここってどうすればいいんだっけ?」
「ん? これはこうじゃなくて反対に折るのよ」
「ありがとう瞳子ちゃん」

 にぱーと笑いながら葵ちゃんは瞳子ちゃんにお礼を言った。瞳子ちゃんも「別に大したことないわよ」と言いつつも満更でもなさそうな顔をしている。
 一度仲良くなってしまえば二人はいつもいっしょにいるようになった。今なんて葵ちゃんと瞳子ちゃんは並んで座っている。俺はその対面に座っていた。前みたいに俺を挟んでケンカされるのは堪えたが、これはこれで別の意味で堪えるな。

「俊成、何ぼーっとしてるの。ちゃんと手を動かさないと先生に怒られちゃうんだからね」

 なんて考えながら正面の二人を眺めていたら、瞳子ちゃんからお叱りのお言葉が飛んできた。相変わらずしっかり者ですね。
 小学一年生の科目数は少ない。勉強らしい勉強なんて「こくご」とか「さんすう」程度である。しかも一学期の内容だと文字の読み書きや数字の数え方なんてところから始めている。たとえ勉強が不得意な奴だったとしても、社会人なら誰だって余裕だろう。
 今は「せいかつ」の授業中である。最初時間割表を見た時にこれ何する授業だっけ? と記憶を探ったがあまり覚えてはいなかった。生活というのだから人の暮らしに関わることだろうか、なんて漠然と考えたものである。
 この「せいかつ」という授業はかなり自由度があるようで、聞けばクラスごとでいろいろと違ったことをしているらしかった。担任の先生の特色が出ているのかもしれない。
 この前は花壇の花を見に行った。その前は飼育小屋にいるにわとりを見に行った。さらにその前は学校の図書室を案内された。
 学校という場所を案内するだけの授業かと思いきや、本日はみんなで折り紙をしている。やっぱりよくわからない授業だった。
 とくにお題があるわけでもないのでそれぞれ自由に折り紙を楽しんでいた。俺は図書室で折り紙の本を借りてそれを見ながら折り鶴に挑戦していた。
 綺麗に紙を折る、という動作は脳の活性化に繋がるらしい。というのは前世でのテレビの知識だったりする。集中力や想像力、器用さといった様々な能力を向上させるのだとか。俺にも子供ができたら男の子女の子関係なく折り紙で遊ばせてやろうと思ったものである。まさか自分の子供じゃなくて自分自身がやるとは思っていなかったが。
 できるだけ難しそうなものに挑戦しようと折り鶴を折っている。これが思ったよりも難しくて苦戦している。本当にきっちりと折らないと上手くいかないのだ。

「俊成くんは何を作ってるの?」
「鶴」

 集中していたせいで葵ちゃんへの返答がぶっきら棒になってしまった。葵ちゃんは気にした風でもなく「へー」と感心したようなそうでもないような返事をした。たぶん鶴がわかっていないのだろう。
 折り鶴なんて久しぶりだからなぁ。それこそ前世の小学生の時以来ではなかろうか。確かクラスメートの誰かが入院したので、お見舞いに千羽鶴を折ろうなんて言い出した奴がいたのだったか。あの時は言い出しっぺを恨んだものである。しかも結局クラス全員で千羽折るよりも退院する方が早かったし。苦しい思い出は心に残るものなんだよな。
 あの時あれだけ折ったというのに、手順を忘れてしまって折り方の本を読まないとちょっと完成する自信がない。ほんと嫌々やっていることって身につかないものだよな。

「やった、完成した」

 最後に空気を入れて折り鶴が完成した。思ったよりも時間をかけてしまったな。この小さな手だと折り紙一つでも大変らしい。

「わー、すごいすごい!」

 葵ちゃんが俺の折り鶴を見てはしゃいでいた。小さい子は折り鶴好きだよね。

「まあっ、すごいじゃない高木くん」

 先生も俺の渾身の折り鶴を褒めてくれた。不器用なりにもやりきったものを褒められるのは嬉しい。
 まあ周りの子達は紙ひこうきとかかぶととかそんなのばかりだからな。俺の折り鶴はレベルが高いのではないかな。フフン。
 小一相手に得意げになる元おっさんがいた。ていうか俺だった。ちょっと反省。

「あたしもできたわ」

 正面からそんな声が聞こえた。瞳子ちゃんだ。
 どれどれと目を向けてみれば、彼女が折ったのは色彩鮮やかなお花だった。

「こ、これは……」

 何枚かの折り紙を重ねて作ったのだろう。じゃないとこんなにもカラフルになったりなんかしない。

「わあっ、きれー」

 葵ちゃんの表情がぱあっと輝く。素直な感情が漏れ出ていた。
 俺が本と睨めっこして完成させた折り鶴とは違う。瞳子ちゃんは子供らしい柔軟な発想でこのお花を作り上げたのだ。

「ま、負けた……」

 敗北宣言せずにはいられない。俺は折り紙に対して自由を捨ててしまった時点で柔軟な発想力を消してしまっていたのだ。俺の脳みその出来が知れてしまった気分になる。
 などと瞳子ちゃんとの差に落ち込んでいると、ぽんっと頭に手が置かれた。

「へぇー、すごいの作ってるのね」

 頭の上から小川さんの声がした。というかこの頭に乗っかっている手はあなたのですか小川さん? 勝手に人の頭を触らないでほしい。

「ねえねえ高木くん。私のしゅりけんとそれ、交換しましょうよ」

 そう言いながら小川さんは折り紙で作った手裏剣を見せつけてくる。これも懐かしいな。

「だが断る」
「はあ? なんでよ?」
「俺が作った折り鶴はそんなに安くない」

 いくら瞳子ちゃんに敗北宣言したとはいえ、けっこう力作なのだ。簡単にはあげられない。
 俺がきっぱり断ると、小川さんは俺の首に腕を回してきた。

「なまいきな人にはこうしてやる!」
「うぇっ!? ちょっ、やめっ」

 小川さんに首を絞められた。チョークスリーパーである。どこでそんな技を覚えてきやがった!? 小一の中では体格の良い彼女相手だと簡単には抜けられなかった。

「ギブギブ!」
「まいったって言わないと離してあげないよっ」

 だからギブって言ってんだろ! いや、わかんないのか。ていうか降参させたいんだったらもうちょっと緩めてくれよ!
 タップするが聞き入れてはもらえなかった。タップする意味がわかっていないらしい。
 くそー! これは「まいった」と口にするまで離してもらえなさそうだ。言うしかないのか。すごく嫌だけどな。

「まいっ―――」

 た、と続けるよりも早く首の拘束が解かれた。
 小川さんの腕から抜け出して振り向いてみる。小川さんは冷や汗を流しながら固まっていた。彼女の両肩に手が乗せられているのが見えた。

「いやー……そのー……」

 小川さんがしどろもどろになっている。その時点で俺は察した。

「真奈美ちゃん? 俊成くんを困らせたらダメだよ?」
「小川さんだっけ? ちょっとこっちに来なさいよ」

 ニコニコと笑う葵ちゃんと目が恐くなっている瞳子ちゃんだった。二人から両肩を掴まれて小川さんは身動きが取れなくなっている。

「あ、あおっち、これは違うの……。っていうか木之下さんまでなの!?」

 小川さんは葵ちゃんと瞳子ちゃんに引きずられてどこかへと行ってしまった。先生は「みんなは折り紙に集中するのよー」と声かけしていた。見なかったことにしたらしい。それでいいのか教師っ。


  ※ ※ ※


「へぇ、幼稚園の時に折り紙習ってたんだ」
「幼稚園の時だけだけどね」

 下校中、瞳子ちゃんの習い事に関する話題となった。彼女はいろいろと習い事をやっているようで、他にも水泳やピアノ、お絵描きなんかもやっているのだとか。こんなに小さいのにとびっくりしてしまった。

「瞳子ちゃんすごいね!」

 葵ちゃんが感心している。俺も同じ気持ちだ。
 習い事なんてもっと上の学年になってからだと思っていた。前世では小学四年生くらいから書道や少年野球を始めた俺である。だから習い事なんて高学年になってからやるものだと思い込んでいた。
 でもそうか。スポーツ選手なんかでも小さい頃から練習していたなんてよくある話だもんな。何事も始めるのに遅いなんてことはないと言うけれど、やるなら早い方がいいに決まっている。
 ここは瞳子ちゃんを見習って俺も何か始めてみようか。もちろん母親と相談はしないといけないが、前世でも習い事自体はやっていたしやりたいという意志を見せれば通わせてくれるだろう。
 問題は何をやるかだな……。書道は役に立った実感がなかったし、少年野球ではそこそこの実力でしかなかった。そう考えると同じものをしようとは思わない。
 将来役に立つこと。それを基準に考えてやりたい習い事を決めた方がいいだろうな。

「葵も瞳子ちゃんといっしょにピアノやってみたい!」

 俺が考え事をしている間にも話は進んでいたらしい。ていうか葵ちゃん、今何て言った?
 葵ちゃんは瞳子ちゃんと手を繋いだままぶんぶんと腕を振っている。テンションが上がっているらしい。

「もうっ、わかったから落ち着きなさい。帰ったら葵のママとお話してみれば?」
「うん! そうする!」

 葵ちゃんは瞳子ちゃんの習い事の話を聞いてピアノ教室に通いたくなったようだ。意外と決断力があるな。俺なんかどうしようか迷っているっていうのに。

「俊成くんもいっしょにピアノしようよ!」

 目を輝かせた葵ちゃんが俺にピアノを誘ってくる。俺がピアノかぁ……、想像できん。
 ピアノじゃないにしても今から何か始めてみようか。将来に繋がる習い事。親が子供に何を習わせるのか悩む心が今ならわかる。自分の子供じゃなくて俺自身のことではあるけどな。
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