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第一部

10.宮坂葵は幼少期を振り返る

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※葵ちゃん視点です。

 私の保育園時代はつまらないものではなかった。ただ寂しいとは思っていた。
 ずっと仲良くしていた男の子、高木俊成くんがいなかったからだ。
 この頃の私は彼しか男友達がいなかった。通っていた保育園で女友達ができたものの、思いやりの欠片もなく騒いでばかりの男の子が恐くて仕方がなかったのだ。
 高木俊成くん……、トシくんは他の男の子と違って優しくて頼りがいがあった。年上の男の子達にいじめられていた私を助けてくれた姿は、生涯忘れられないのだろうと思う。
 だからこそトシくんがいなくて不安だったし、心細くて仕方がなかった。恥ずかしながら随分と泣いてしまった。
 その分彼と遊ぶ時は思う存分甘えていたっけ。


  ※ ※ ※


「……本当に、いいんだね?」
「……うん」

 セピア色の記憶の中で、私とトシくんは見つめ合っていた。
 彼は逡巡を見せるように目を伏せる。今思えば仕草の一つ一つに大人っぽさがあった。
 目をつむってじっとしている私の服の裾をトシくんが掴んだ。ゆっくり、ゆっくりとめくり上げられていくと、私のお腹が無防備に露出する。
 お腹へと冷たいものが押しつけられる。私は身震いをした。

「服……持っててくれる?」
「……うん」

 私は彼の言う通りにする。両手で上着の裾を握る。トシくんの両手は自由になった。
 トシくんは真剣な面持ちだった。冷たいものをお腹のいろんなところに押しつけてくる。時折指でトントンと叩かれたりもした。
 彼に触れられることは嫌ではなかった。そう思っていたのは確かだった。
 ふぅ、とトシくんは息をついた。

「はーい。異常はないですよ。お腹は冷やさないようにすること。お大事にね」
「はい! 先生ありがとうございました!」

 聴診器を下ろして、彼は明るい調子で言った。無邪気だった私は元気良く頭を下げる。
 これは私が保育園に通っていた頃の話。数少ないトシくんと遊んでいた時の一ページだ。
 確かこれは、親戚の人から聴診器をもらって大はしゃぎした私がトシくんにせがんでお医者さんごっこをした時の記憶だ。
 トシくんはいつも私に付き合ってくれた。男の子が嫌がりそうなおままごとにだって、毎回真剣に取り組んでくれていたのだ。だから私はずっと彼に甘えられた。
 おままごとではトシくんがパパで私がママ。遊びとはいえ夫婦になることになんの抵抗もなかった。むしろそれが当然のように思っていた。この頃からすでに私の中でそういう認識が出来上がっていたのかもしれない。
 ……話を戻そう。そう、お医者さんごっこをしていた日のことを振り返っていたんだった。

「今度は葵がお医者さんするね」
「じゃあ俺は患者ね。先生お願いします」
「えへへ、まっかせて」

 私ノリノリだ。そんな私を見てトシくんは優しく微笑んでいた。過去で、まだ小さい彼なのに、胸がキュンとしてしまった。

「先生……。お腹が、お腹が痛いんです~……」

 トシくんはお腹を押さえて苦しそうな演技をする。小さい子の演技力じゃない。きっと才能があったのね。

「わかりました。じゃあお腹を見ますよー」

 幼い声の私がそう言うと、彼は上着の裾をめくってお腹を出した。かわいいお腹だなぁ……。
 そんな彼の動作に、幼い私が首をかしげる。

「葵が俊成くんを脱がしてあげるんじゃないの?」
「脱がす? ああ、病院でお医者さんに診てもらう時は自分でお腹を見せるんだ」

 微妙に言葉のチョイスが不安定な私の疑問に答えてくれる。病院に行ったことはあったんだろうけれど、どんなことをされていたのかとかどうしていたかまでは、私はまだちゃんと憶えていなかった。
 さっきトシくんがお医者さん役をした時は、彼から私の服に手をかけてくれた。それが引っ掛かってしまっていたのだろう。
 私はぺたぺたと彼のお腹を無遠慮に触れる。聴診器の使い方なんて知るはずもないのだから自由気ままだった。
 一頻り触って私は満足した笑顔を浮かべる。あまり人の体を触るなんてことがないので楽しかったのだろう。もう一度この日に戻ってもっとしっかり堪能したいな……。
 そしてそう、私はこう提案したのだ。

「俊成くん、もう一回お医者さんやって」

 彼と同じように患者さんをやりたくなったのか、それともまた自分の体を触ってほしいとでも思っていたのか。今となっては曖昧だ。
 でも、うん……エッチな理由じゃなかった……と思う。まだそこまで考えてなかったと思うし。そう、違うの! 私は決してやましい気持ちなんて……。

(葵の頭から何かが噴出する音がしました。しばらくお待ちください)

 ……こほんっ。続きね。そう、続き続き。
 もう一度トシくんがお医者さん役をしてくれて、私は患者さんになりきっていた。

「せんせー……。お腹が、お腹が痛いの」

 さっきは自分の中で患者さんの設定が甘かった。それを真剣に考えたわけではなかったけれど、とりあえずトシくんのマネをしていた。
 彼は「それは大変だ!」と大袈裟なリアクションをしてくれる。私が喜ぶ反応をしてくれるのだ。

「それでは、お腹を見せてもらってもいいですか?」
「はい!」

 私は勢いよく上着の裾をめくり上げる。それを見たトシくんが慌てた声を漏らす。記憶を振り返っていた私も慌ててしまう。
 幼い私は、お腹どころか胸が見えるところまで服をめくり上げていた。羞恥心もなく、彼の手が伸びてくるのを今か今かとニコニコしながら待っていた。

「……あ、葵ちゃん。そこまで服上げなくてもいいから。お腹だけ見せてくれたらいいから」

 彼が気まずそうに言う。ついでに顔が赤くなってる? トシくんだってまだ小さいのだから別に女子の裸に意識したわけじゃないのよね? むしろこれは羞恥心の欠けた私を心配してくれた反応なのだろう。
 そういえば、私とトシくんはいっしょにお風呂に入ったことがあったのだ。だから彼にだけは肌を見せることに抵抗がなかった。幼少の頃とはいえ、決して誰にでも肌をさらすような女の子じゃなかったはず。か、勘違いされてないわよね?

「お胸もお願いします!」

 困った彼を無視して私は大きな声で言った。まだまだ異性に対しての羞恥がなかった時のこととはいっても、やっぱり恥ずかしいものは恥ずかしい……。なんでそんなに堂々としているのよ私……。
 優しいトシくんは私のお願いを聞いてくれる。そうそう断られることなんてなかった。それはこの時も変わらなかった。
 トシくんの手が伸びる。彼の手は優しく、思いやりがあって、何より幸福感を与えてくれた。
 丁寧な彼の指使いに、私は――


  ※ ※ ※


「わああああああああああーーっ!! 無理! もう無理ーーっ!!」

 私は自室のベッドの上で悶絶した。宙に放り投げた日記帳が床へと落ちる。
 小さい頃つけていた日記が出てきたので読んでみれば、ご覧の内容である。拙い文章なのに、思った以上に詳細に書いていた。おかげでその時の記憶が鮮明に蘇って私を悶絶させるのに至ったわけだ。
 私は保育園でトシくんは幼稚園に通っていた。そのため遊べるのは休日に限られていたのだ。
 その数少ない彼と遊ぶ日が楽しみ過ぎて、こんな日記を書いてしまったのだった。なんで思い出しちゃうかな。
 懐かしくて読み返してみれば我ながら恥ずかしいことをしていた。うう……顔から火が出そう……。

「でも」

 零れた呟きを塞ぐように、私はベッドに顔を埋める。彼の残り香を吸い込む。
 ちょっと前までトシくんが眠っていたベッド。勝手に寝てしまって彼は謝っていたけれど、私は全然構わなかった。最近の彼はとくにがんばっていてくれたしご褒美なのだ。誰が一番得したご褒美をもらったかは内緒だけどね。
 小さい頃の恥ずかしいこと。それをまたやっても……私は……。
 はっと正気に戻って息を吐いた。吐いた息は熱かった。
 もう一度日記帳を手に取る。
 あの頃から私はトシくんにたくさん守られてきた。でも、守られるばかりじゃダメなんだ。私はトシくんを支えられる女になりたい。
 日記帳を持つ手に力が入る。自分の気持ちを固めるようにぎゅっと握る。私の心がそのまま口から滑り落ちた。

「だって、瞳子ちゃんに負けたくないんだもん」
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