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三章 冒険者編

第88話 それぞれ胸に秘めたまま

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 ただ事じゃないことが起こっていた。
 町の外から聞こえる嫌な音。前にも聞いたことのある、耳を塞ぎたくなるほど嫌いな音だ。

 閉じ込められていた場所から脱出した。すでに日が暮れていたが、町中だったのが不幸中の幸いってやつか。おかげで迷ってうろちょろするだなんて情けない状況にはならなかった。
 でも、外に出たら町の人達がどこかへと逃げようとしていたのには面食らった。
 避難している人達から事情を聞いた。どうやら魔物の大群が町へと迫っているらしく、冒険者達が迎え撃っているのだそうだ。

「エルも戦ってるのかよ……」

 戦っているに決まってる。なんだかんだ言いつつも他人のピンチを放っておけるほど、エルは人間ができちゃいないんだ。
 避難する人の波に逆らって走る。誰かとぶつかったりしても構うもんか。
 エルに鍛えてもらっていながら、俺はまだ魔法の一つもまともに使えやしない。だとしても、傍にいたいと思った。
 もう俺の知らない間に大切な人を失うのは嫌だ。その一心で走った。走らずにはいられなかった。
 エルは考えもしていないのかもしれないけど、俺はあんたに恩を感じているんだ。
 こんな小汚いガキを拾って、人並みの生活をさせてくれた。変な女だけど、だからこそ手を差し出してくれたのかもだけど、こんな俺でも感謝しているんだ。

「うおわっ!?」

 急に地面が揺れた。足が浮いて、着地に失敗して転んでしまう。

「い、いきなりなんだよ……」

 悪態は萎んでいく。だってよ、顔を上げた先に見えるものへの衝撃が強過ぎて、言葉なんてまともに出てくるわけがない。
 それは巨人だった。町にあるどんな建物よりも大きい。見上げなければならないほど大きい人の形をした何かだった。
 見た目はエルが作るゴーレムに似ていた。ただ大きさが違い過ぎる。大男を前にしたってびびらない自信があったのに、あの巨人は存在感からして違っていた。
 もしかしてエルのゴーレムか? それとも、あれとエルが戦っているのか?
 魔物の大群ってだけでも大事なのに、あんな巨人も相手にしていたらと考えたら不安で胸が苦しくなった。

「急がねえと!」

 戦力にならないくせに不安に突き動かされて再び走り出す。地鳴りや怒号、連続する戦いの音に足がすくみそうになるのを必死で耐えた。
 でも耐えられなかった。なぜなら今までに聞いたことがないほど大きな爆発音がしたから。
 気づけば体を丸くして地面に伏していた。爆発の音に反応して体が勝手に動いていた。

「な、なんだ今の……?」

 自分の身に何もないことを確かめて顔を上げる。キョロキョロと辺りを見渡しても何も変わったところなんてない。町は無事だ。
 いや、変化はあった。
 町を踏み潰せそうなほど大きかった巨人がいなくなっていた。いくら夜とはいっても、戦火で空は赤く染まっている。あんなでかいゴーレムが隠れるなんてできっこない。
 いつの間にか戦いの音も止んでいた。巨人を倒したってことなのか? 戦いが終わって、だから静かになったのか。
 ここまで早く早くと急かしていた足がガクガクと震える。今になって疲れが体中に広がってきた。
 息を大きく吐く。危機が去ったと思うと力が抜けてきた。
 この辺の人達はもう避難したのか静かだ。戦いが終わったのなら急ぐ必要もない。疲れたし横になってしまおう。
 いつもだったらこんな大通りの真ん中で寝られるなんてできやしない。なかなかできない経験だ。
 息を整えながら夜空を眺める。夜空、にしては明る過ぎか。
 そうやって何も考えず道で寝転がっていた。きっとエルは無事だったんだって、心から信じて疑わなかった。それは疲労と安堵によって出てきた無意識の願望だったのかもしれない。

「……人?」

 視界の端に光るものがあった。その光は人の形をしているみたいで、というか空を飛んでる?
 がばりと起き上がる。光を確かめようと目を凝らした。
 あった。遠いけどやっぱり人に見える。人の形をした光がふよふよと浮いていた。
 ……ただふよふよ浮いているわけじゃない。こっちに近づいてきている。こっちに何かあるのか?
 みんな避難しているから近くに誰もいやしない。これといった物もなさそうだ。

「……」
「うおっ!? だ、誰だ!?」

 周囲の確認をするために目を切っているうちに光っている人が目の前にいた。いつの間に地上に降りたのかもわからなかった。さっきまで空にいたはずなのに……。
 薄ら寒くてしょうがねえ。目的も知らない相手だ。とりあえず睨みつけておく。

「って、エル!?」

 光ってる人はエルを抱えていた。ゆっくりと地面に下ろすのを見て、慌てて駆け寄った。
 エルは目をつむっていて、意識がないようだった。とくに傷ついている様子もなくて、ただ寝ているように見える。
 息はしている。生きている。それを確認して、やっと安心できた。

「……」

 呑気に安心している場合じゃなかった。エルを運んできたこの光る人は一体誰なんだ? そもそも体が光っている人を人として見ていいのか?

「……あんた、エルをここまで運んできてくれたんだな。……ありがとう」

 気になることはたくさんある。でも、まずは礼を言わなきゃって思った。
 礼を口にすると少し落ち着いた。冷静になったら光る人の顔がちゃんと見えてきた。
 どうやら女みたいだ。髪をおさげにしているし。なんか眠そうな目をしているけど、綺麗な姉ちゃんだった。
 光る姉ちゃんは俺をじーっと見つめる。しばらくそうして満足したのか、今度はエルに目を向けた。
 姉ちゃんの顔は表情があんまり変わらなくて何を考えているのかはわからない。でも、エルを見つめるその顔には、まるで母親みたいな優しさを感じた。
 そんなところに声なんかかけられず、俺は黙っていた。聞きたいことはたくさんあったけど、そうした方がいいと思った。
 やがて光る姉ちゃんは俺へと顔を戻した。何を考えてんのか、しゃべんないからわかりようがない。わかるのはエルを大事に思っているだろうなってことだけだ。
 じっと見つめられて喉が引きつる。緊張で体が強張る。な、なんなんだよ?
 何か言われるのかと思っていたのに、光る姉ちゃんは徐々に薄くなっていった。まさに言葉通りに姉ちゃんの光が薄くなって存在がなくなりそうになっていた。

「ま、待ってくれよ! あんたは一体……」

 俺が言い終わるよりも早く、光る姉ちゃんは消えてしまった。光の残債がキラキラと漂っていたが、それもやがて消え去ってしまった。
 エルを助けてくれた姉ちゃんなんて初めからいなかったかのように存在感そのものがなくなってしまったかのようだ。
 だけど、ここには無傷のエルがいて、俺は姉ちゃんのことを覚えている。

「今度会ったらちゃんと礼しなきゃだな」

 まずはエルが無事だったことを喜ぼう。戦いも終わったみたいだし、二人でヨランダさんのところに戻ろう。
 すべて終わって元通り。この時の俺はまた日常が戻るって、信じて疑わなかった。
 しかし、そうではないと思い知るのに、さほどの時間はかからなかったんだ。


  ※ ※ ※


 青空の下、金属を打ち合うような甲高い音が響いていた。
 ここはマグニカ王国の王都、その王都の中でも大きな闘技場だ。
 魔道学校の優秀な生徒が集まって行われる対抗戦。国を挙げてのイベントで使われた闘技場は、今は騎士の訓練に使われていた。
 騎士団のための訓練場なら他にもあった。それなのにこの場所を使っているのには二人の存在が大きい。
 闘技場の中心では二人の男女が向かい合っていた。どちらも刃を潰した剣を構えており、模擬戦でもしているのだろうと予想させた。
 それは正しく、それを観戦する騎士の誰もが予想しえなかったレベルで行われていた。
 尋常ではない剣速の応酬。研鑽を積んできたはずの騎士でさえ、目で追いきれない速度だ。ハイスピードでの攻防は互角だった。

 輝く金髪をなびかせる美貌の女。国民であれば、いや、そうでなくとも誰もが知る有名人。かつて魔王を倒したとされる勇者の子孫。現在、勇者の力を引き継いでいるとされる女の名はクエミー・ツァイベンだ。
 美しい容姿に目を奪われがちだが、その実力は本物だ。事実、彼女の動きを追い切れていない騎士達では束になっても敵わない存在であろう。
 しかし、その当代の勇者と互角に打ち合っている男も、同等のことができるといえた。
 男は鍛え抜かれた騎士よりも一回り、二回りも華奢であった。中性的な顔立ちを目にする誰もが、男でありながら彼に武術は似合わないだろうと判断するだろう。
 だが、男の剣筋は凄まじく、速さと重さが両立していた。
 そして男の目つきは鋭かった。視線の先の者を射抜き、屈服させる。相手を打倒しようという意思が強く感じられる目だ。
 意思だけではない。彼にはそう抱けるほどの実力が備わっていた。

「くっ……、はああっ!!」

 クエミーが腹から声を張り上げ薙ぎ払う。男は剣先を傾けるだけで受け流した。
 一見互角に見えていた攻防。それはあくまで、そう見えていただけである。
 男の剣技が徐々に、だが確実にクエミーを追い詰めていく。力ではなく、技で当代の勇者の上をいく。
 突然音が止んだ。上空には剣が舞っていた。それがカランと音を立てて地面に落ちたところで、ようやく決着がついたのだと騎士達の意識を取り戻させた。

「クエミー。僕の勝ちだよ」
「……本当に強くなりましたね。ウィル」

 勝敗は男、ウィリアムに軍配が上がった。

 ウィリアムは二年前から、剣神と名高いロイド・マーキスの弟子として鍛えられていた。
 ウィリアムの剣の才能は師匠となった剣神も認めるほどであり、剣の実力だけなら当代の勇者を超えるほどまでに成長していた。

「あくまで剣術だけです。本当に本気を出せば私がウィルに負けることなんてありません」
「クエミーもけっこう負けず嫌いだよね」

 唇を尖らせるクエミーに、ウィリアムは苦笑いで返す。二人の間に流れる空気は穏やかなものであった。
 二年間、クエミーとウィリアムは互いに剣の腕を高めるために研鑽を積んできた。二人とも剣神に教えを乞う者同士であり、互いに認め合う関係へと落ち着いていた。

「さて……、今日の訓練はここまでにして、食事に行きませんか?」

 ほんのりと頬を紅潮させたクエミーがそう提案する。彼女の真面目な性格は騎士団にとって周知の事実。彼女が少女らしい反応を見せたことに、それぞれの騎士からは娘を見守るような暖かな視線が送られた。

「そうだね。訓練の後はしっかり栄養を摂らなきゃだ。師匠もそう言ってた」

 ウィリアムの相手の感情なんて露知らずといった態度に、騎士団から統制の取れた厳しい視線を送られた。それでもクエミーが控えめに喜んでいるのを感じ取ると、それ以上の親心は無用なのだと揃って無関心を装う。
 クエミーとウィリアムが闘技場を出ようとした時だった。

「クエミー様、ご報告があります」

 陰から現れたかのように、一人の男がクエミーの傍で膝を折る。驚いた様子もなくクエミーは男の言葉を促した。
 彼女にしか聞こえない声量で報告を受ける。一つ二つと頷くと、クエミーは「下がってください」と告げる。
 クエミーは男がいなくなってからウィリアムへと向き直った。

「残念ですが食事よりも優先しなければならないことができました」

 緩んでいた空気が引き締まる。それを悟ってか、ウィリアムの表情も険しくなる。
 それも、次のクエミーの言葉でさらに険しさを増すこととなる。

「エル・シエルの所在が判明しました。ウィルも準備してください。彼女の捕縛に向かいます」

 言い終えてから歩き出すクエミーだったが、すぐに立ち止まる。ついてくるだろうと思っていたウィリアムが立ち尽くしていたからだ。

「……ははっ」

 渇いた笑いが漏れる。彼がそんな笑い方をするのが意外で、クエミーは怪訝そうに眉を寄せる。

「そっか……。生きていたんだ……。エルは生きていたんだ……」

 嬉しいのか悲しいのか、そのどちらとも取れる表情をしていた。彼らしからぬ表情に、クエミーの胸に不安が押し寄せる。
 エル・シエルはまがりなりにも貴族であった。ウィリアムはシエル家が納める領地で過ごしていたのだ。出会った頃の抵抗を考えれば、少なくとも嫌っている相手ではないのは想像できた。
 だからといって、クエミーがウィリアムと過ごしてきた二年間は濃密なものだったのだ。互いを認め合い、高め合うと誓ったのだ。それは正しく最高の関係といえた。
 ならば彼が自分を裏切り、敵対するわけがない。国に仕える者ならなおさらだ。そう信じているはずなのに、胸にくすぶる不安は拭えない。

「ウィル。もしエル・シエルと会えたなら、あなたはどうしますか?」

 だから直接尋ねた。彼女の瞳は嘘を許さないと雄弁に語っていた。

「え? 何を今さら?」
「いいから答えてください。答えないのなら同行を許すわけにはいきません」

 当代の勇者の迫力に、ウィリアムは困ったような笑みを見せる。

「クエミーに同行できないなんて考えられないな。僕はキミと並べるために腕を磨いてきたというのに。背中を守れるくらいには強くなったつもりだよ」

 クエミーは答えない。彼女が聞きたい答えはそれではなかった。
 頑固な態度に、ウィリアムは降参したかのようにため息をついた。息が吐き終わった瞬間、彼の表情が一変する。

「……エルと会ったら、僕がこの手で決着をつける。二年前から、それが僕の一番の目的だ」

 クエミーですら背筋が凍るような感覚に襲われた。
 それは殺気だった。明確な殺気だ。殺気だけで心臓を掴めるのかと思うほどだ。
 そもそもウィリアムが王都へと来た原因になったのがエルだった。彼女の行動の結末が国の害になったのだとウィリアムは知っているのだ。
 本物の殺気を目の当たりにして、クエミーの胸から不安の塊が消えた。彼は大丈夫。なぜなら、彼も立派な騎士となったのだから。
 クエミーは踵を返して歩み始める。今度はちゃんと背後から足音がついてきていた。

「では行きましょうウィル。エル・シエルには確かめなければならないことがあります」
「わかっているさ。ずっと探してきたんだ。もう逃がすわけにはいかない」

 たくさんの誰かの思いが交差する。目的のため、思想のため、誓いのため。様々な思いを胸に秘め、少年少女は動き始めた。

 ――再会の日は近い。
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