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本編
七章3
しおりを挟む「モリオン様、まさかお一人でのお戻りですか?」
離宮に戻ってきた剛樹を出迎えた執事は、周りを探す仕草をして、驚きに目を丸くした。
「殿下はどうなさったんですか」
「大事なお話があるみたいなので、先に戻ってきました」
「そうなのですか。もしお腹が空いているなら、軽食をお出ししましょうか」
剛樹とともに部屋に向かいながら、執事は問いかける。剛樹がパーティーに気後れして何も食べられないと予想したのかもしれない。
「いえ、ラズリアプラムのデザートを食べたので、お腹がいっぱいです。でも、お気遣いはうれしいので……ありがとう」
だんだんと声が小さくなっていったが、執事には聞き取れたようで微笑みを浮かべる。
「滅相もございません。楽しめたようで何よりです。使用人を呼びますので、着替えてお風呂に入ってください。ずいぶんお疲れのようですよ」
「ああいった場は苦手なので……。早く塔に帰りたいです」
「まあまあ、そんな寂しいことはおっしゃらないでください。モリオン様がいらして、私はうれしいのですよ」
剛樹はきょとんと執事を見上げる。
「俺が来て、うれしいんですか? その……世話する人が増えたら、普通は面倒じゃないですか?」
「ユーフェ様のお客様ですよ。うれしいに決まっているでしょう! あの方は前の婚約者との件以来、塔に引きこもって、誰も寄せつけませんでしたから。外に出るようになり、人付き合いを再開した。こんなに喜ばしいことがあるでしょうか」
執事は剛樹がユーフェに良い変化をもたらしたと信じているようだ。
「私はユーフェ様が幼い頃からお仕えしておりますので、僭越ながら家族のように思っているのです。あの方が少しでも元気になってくれて、本当に良かった」
「それは……俺も良かったと思いますけど」
それと剛樹はあまり関係ない気がする。
「きっと時間が解決していましたよ」
「そんなことはありません! あなたと一緒にいらっしゃる殿下は、心穏やかですから」
執事はそう言いながら、剛樹を風呂場へと案内する。
「それにしても、ユーフェ様には困ったものですね。どうせ兄君がたに捕まってるんでしょう?」
「いえ、前の婚約者の人です」
「……は?」
執事は本音をあらわにし、それを恥じ入るように咳払いをする。
「ゴホンッ。はは、すみません。なんだか思わぬ言葉が聞こえて……」
「聞き間違いじゃないですよ。前の婚約者の人が、ユーフェさんと話をしたいと言っていて……。俺は先に帰らせてもらいました」
「なぜですっ?」
執事がすっとんきょうな声を上げたので、剛樹は後ろに飛びのいた。執事はあたふたと謝る。
「あ、申し訳ありません、驚かせてしまいまして。どうしてモリオン様は止めなかったんですか? というか、あの女……、いえ、あのご令嬢はどんな用件で? ああ、嫌な予感がします」
「ユーフェ様にもう一度婚約してほしいと話していましたよ」
「ええっ、なんて恥知らずな!」
執事の毛が派手に逆立った。分かりやすい怒り方だ。執事は落ち着きなく、部屋の中をぐるぐると歩き始める。剛樹は邪魔にならないように、さらに一歩下がった。
「ええと、恥知らずなことになるんですか? ユーフェさんがあの女性を好きなら、それでいいんじゃ?」
好きと言ってみると、なんだか胸がひどくざわつく。剛樹はけげんに思いながら執事に問う。
「シエナ嬢は、婚約破棄しても後悔しないとはっきり宣言していたんです。ただの恋愛ではないんですよ。これは王家と貴族家の間の約束事でもありますから。だというのに、それを反故にして再接近したのなら、ルール違反です。もしご家族に見つかったら、即刻、王宮の外につまみ出されていたはずですよ」
それほどのこととは思いもしなかった剛樹はうろたえた。
「俺、先に帰ったのはまずかったですか?」
「いえ、あなたは悪くありませんよ。殿下が気にするべきです。はあ、あんなに分かりやすいのに、まさか気づいてないんでしょうか」
執事はぶつぶつとつぶやいて、ぱたりと歩みを止める。こちらの様子をうかがってきた。
「モリオン様、殿下と元婚約者をご覧になって、どう思われました?」
「え? ええと……お似合いだと思います」
思わず足元を見つめ、声が小さくなった。
「私は不釣り合いと思いますがね。実際のところは?」
どうしてこの執事は、剛樹に詰め寄るのだろうか。嘘をとがめられていると思った剛樹は、冷や汗を浮かべて返す。
「じ、実は、二人が元の鞘に落ち着くのを見るのが、なんだか嫌で……」
「嫌なんですか!」
執事の声はうれしそうで、明るいものだった。剛樹は目を白黒させる。
(悪口の同意を得てうれしい、みたいな……?)
よく分からないが、執事はシエナの登場を喜んでいないことだけは理解した。
「そうですか、そうですよね。きっと殿下も不機嫌になってお戻りになるでしょうから、後で夜食でもお持ちして、お疲れを癒してさしあげてください」
「はあ」
今度はにこにこし始めた執事を、剛樹は戸惑いとともに見つめる。彼の尻尾ときたら、ブンブンと大きく揺れていて、喜びを隠しもしていない。
(そんなにうれしいのかな?)
やっぱりよく分からない反応だ。
「おっと、いけない。お風呂でしたね。殿下のほうには、使用人を迎えに出しましょう。安心してください」
「え? は、はい」
執事は剛樹を風呂場に案内すると、使用人を呼ぶために、すぐに出て行った。
剛樹は自分で衣装をぬぐと、さっそく風呂に入る。
(ユーフェさん、あの人と結婚するのかな……)
顎まで湯につかりながら思い浮かべると、なんだか胸の辺りがもやもやする。
(デザートを食べすぎたかな?)
胃の辺りをさすって、剛樹は首を傾げた。
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