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本編

五章3 <お題:バランスボール、スプレー>

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 町から塔へ帰り着いた頃には、すっかり夕方になっていた。

「グゥ」

 門の上で、変わった鳴き声がした。ユーフェは剛樹を地面に下ろすと、伝書鳥のグーグに左手を差し伸べる。バサッと羽音がして、グーグがユーフェの左腕にとまった。筒から取り出した手紙に、さっと目を走らせる。

「……二週間後に着くよう、近衛を送る。異界の人族と荷とともに、王宮に参内さんだいせよ」

 ユーフェは眉をひそめて呟く。

「第一王子が結婚する。嫁と顔合わせをするように」

 ユーフェの声は強張っていた。

「ユーフェさん?」
「ああ、すまぬ。兄上が結婚するそうでな、顔合わせついでに、お前も連れてくるようにという伝書が来た」
「俺も……?」

 一気に不安になった。
 だって王宮だよ、王宮!
 華やかな人々のかげで、陰湿な闇がうごめいている。そんなイメージがある。
 ユーフェが剛樹の肩を優しく叩く。

「私も一緒だから、心配するな。後ろ盾として守ってやろう。家族は良い人ばかりだから、大丈夫だとは思うが……」
「が……?」
「貴族にはいろんな者がいるからな。だが、私が後ろ盾と分かれば、お前に危害を加える真似はせぬだろ」
「そうですか……?」

 剛樹の不安は晴れない。
 異世界から漂着した人族。実験体にもってこいではないか。研究用のモルモットにされたらどうしようと心配するのは、ごく当たり前のことだと思う。たぶん映画の見すぎだろうが、剛樹にはそう思えてしかたないのだ。

「ああ。いくら私が小柄でも、王族の端くれだ。人族一人くらい守れる権威はある」

 そう言ったものの、ユーフェの横顔には憂鬱さがにじんでいる。グーグを腕に乗せたまま、門の鍵を開けて中へ入る。

「ユーフェさん、どうしました?」
「私の元婚約者が選んだのは、第一王子なのだ」
「え、それって……」

 剛樹はどう返していいか分からなかった。修羅場だ、どう考えても。

「婚約者さんのこと、まだ好きなんですね……?」
「いや、吹っ切ったよ。だがな、婚約パーティーで噂のさかなくらいにはなるだろう。見世物にされるのはな……」

 想像するだけで、気持ちが暗くなるのは当然だ。

「それじゃあ、他のことで噂になりましょう! あの手押しポンプ以外にも、話題になりそうなものがあれば持っていくとか……。身に着けるとか!」
「どうせ噂されるなら、別のことで、か。お前は宮廷人のような考え方をするなあ」

 門の裏に木の板を渡して鍵を閉めると、ユーフェは意外そうに言った。

「俺の家族、有名人なんです。だから、嫌な噂を立てられた時に、違う噂を作って対処してるのを見たことがあって。周りの人って、よりインパクトがあるほうを取り上げるものですから」

 研究室を漁って、めぼしいものを探そう。

「ふっ、モリオンは頼もしいな。では、明日からそうしよう。今日は夕食を食べて、風呂に入るかな」

 夕立が降ることがあり、雨水タンクにはそれなりに水がたまっている。

「それじゃあ、俺、お風呂をいておきます!」

 沸かすのに時間がかかるから、食事の準備と並行したほうが早い。
 ユーフェは行李を研究室に置いて、後で整理するように言い、まずは着替えるからと塔の上へ向かった。

     *****

 どうやら銀狼族の王侯貴族とは、体を鍛えるのが好きらしい。
 ユーフェが自分の体をコンプレックスにするのも当然で、体が大きくて強い者に賛辞を贈る傾向が強いようだ。人族と違って、女性も戦士のほうがモテるらしい。体が弱い者もいるので、鍛えていない女性もいるようだが、とにかくタフなほうが人気なんだそうだ。
 それを聞いて、ますます王宮に行きたくなくなった。
 剛樹みたいなタイプは、きっと見下される。憂鬱でしかたがない剛樹を、ユーフェが笑う。

「人族に、銀狼族の価値観を押し付けたりはせぬよ。人族がか弱いのは、獣人ならば誰でも知っているのだからな」
「そうですか?」
「心配いらぬと言っているだろう。ところで、それはなんだ」

 研究室で、引き出しの隅に追いやられていたバランスボールを見つけ、ついでに空気入れも見つけ出し、空気を満タンにした。その上に座って、今から体幹たいかんだけでも鍛えようかとささやかな努力をしている剛樹に、ユーフェがとうとうツッコミを入れた。

「体幹を鍛える道具ですね。ユーフェさん、使えるかな。人族用だし……」

 大人の男向けのほうを出したのだが、ユーフェは身長もあれば体重もあるのだ、バランスボールが破裂しないか心配だ。
 試してみたいというユーフェにゆずると、ユーフェは恐る恐る腰かける。

「おお? おおおお?」

 不思議な感触らしく、ユーフェの耳と尻尾がピンと立ったが、やがて面白そうに揺れたり弾んだりする。

「これはなんとも面妖めんような!」
「ゴムっていう素材ですけど、ここにはあるのかな」
「ゴム? むう、分からぬなあ。だが、子どもの体幹を鍛える訓練にはいいだろうから、王宮に持っていってみよう。同じ物があちらの保管庫にもあるかもしれぬしな」
「ああ、子どもなら大丈夫かな」

 ユーフェが遊んでいる間に、剛樹は子ども用や女性用などのバランスボールを全て引っ張り出した。空気が入っている物は一つもなく、なぜか綺麗にパッケージされている物ばかりだ。店から消えて、盗難騒ぎになっているのではと、他人事ながら心配になる。

「あと、これ、殺虫剤のスプレーです」

 奥の危険物入れから持ってきた、比較的安全な物を見せると、ユーフェはしげしげとスプレー缶に描かれている絵を眺める。

「ああ、だから虫の絵が描かれているのだな」
「スプレー缶は暑い場所に置いていると爆発することがあるので、使わないなら中身を出してしまったほうが安全ですよ。それと、人に向けてかけたら駄目です」
「それはそうだろうなあ」

 研究室の外に出て、試しに地面のありに向けてシューッと殺虫剤を吹き付ける。

「ぐっ」

 ユーフェが鼻を押さえてうめいた。

「なんだ、そのにおいは! 最悪だ!」
「あ、ごめんなさいっ」

 剛樹でも嫌なにおいがするのだから、ユーフェには大ダメージだろう。慌てて使用をやめた。

「むうう。しかし、確かに蟻が死んでいるな。白アリ駆除に使えるかもしれぬが、これは世に出すには危険かもしれぬな。成分も分からぬし」
「そうですね。中にはガスが詰まってるので、穴をあけて出してしまうほうがいいでしょうけど……ユーフェさんにはきついかも」
「とりあえず倉庫に戻そう」
「はい」

 よほどきつかったみたいで、ユーフェは鼻をぐずぐず鳴らし、目から涙までこぼしている。剛樹は台所のかめから水を汲んできた。

「洗い流したほうがいいですよ」
「うう、すまぬ。しゃがむから、顔にかけてくれ」
「はい」

 何回か顔に水をかけると、ようやくユーフェは息をついた。剛樹は自分の部屋からタオルを取ってきて、顔をぬぐってあげる。

「どうですか?」
「もう大丈夫だ。しかし、ひどいにおいだった」
「殺虫剤は動物には毒ですよね。俺ってば、すみません!」
「動物扱いするな」
「すみません!」

 ユーフェに注意され、剛樹は再び謝る。

「毛をすいてくれ。それで手打ちとしよう」
「はい、分かりました」

 倉庫にあった犬や猫用のブラシを試しに使ったら、ユーフェが気に入ったのだ。お風呂上がりに毛をすきながら乾かすうちに、ふわふわの毛に変わり始めている。

「もうすぐ換毛期かんもうきだからな。あのブラシは素晴らしいぞ。木のくし馬毛うまげのブラシより良い。毛が引っかかると痛くてなあ。それがあのブラシは痛くない上に、生え変わる毛だけ取ってしまう」
「それじゃあ、このブラシやコームを広めるのは?」
「おお、それはいいアイデアだな! この素材なら似た物を作らせるだけでいい」

 毛玉取り用のコームなんかもあるが、剛樹が楽だと思うのは、手袋の手のひら部分にプラスチックのイボがついていて、櫛になるタイプだ。手の平の大きな銀狼族には使いにくいだろうが、人族にはもってこいである。
 この一週間、あれこれと引っ張り出して、どれを王宮に広めるか話していたが、結局、銀狼族の毛の手入れ道具に決まった。

「お前のほうはどうだ、誕生日プレゼントは?」
「もう出来てますよ。ほら」

 剛樹が衝立ついたてに囲まれた部屋から紙人形のセットを持ってくると、ユーフェは感嘆の声を上げた。

「おお、これは新しい! なるほど、下着姿の女の子の絵に、服や飾りを付け替える遊び道具なのだな。男の子に、母親と父親、銀狼族の男女もいるのか?」
「人形にも家族がいるほうが楽しいかと思って。ジュエルにも見せたら、こういうのは持ってないから喜ぶって言ってくれました。それで、急だけど、ジュエルとダイアで、人形を入れる家型のケースを木工で作ってくれるって」
「考えたな。人形と、人形の家か!」
「で、その壁紙にこれを貼って……」

 壁紙用に描いた紙を見せると、ユーフェは手を叩く。

「面白いな。これも王宮に持っていけば、話題の的になるぞ。銀狼族の女も戦士がモテるが、彼女達は可愛い物も好きだからな」
「そうですか? それじゃあ、俺、お土産分も作ります。そうしたら、いじめられないかな……」

 剛樹が役に立つと分かれば、銀狼族達も一目いちもく置いてくれるかもしれない。

「だから、私がいるからいじめられないと言っているだろうに」
「いじめる時は、ユーフェさんがいない所で何かするんですよ。俺と四六時中一緒にいるわけじゃないでしょ?」
「しかたがないな。お前は臆病だから、その分、警戒心も強いのだろう。無警戒よりマシか」

 そう言ったユーフェだが、剛樹がユーフェに頼りきらないことに、少しすねているようだ。口元を引き結んで、面白くないとあらわにしている。

「ユーフェさんってば……」

 お互いに弱い面を分かち合い、気の置けない友人にまでなれたようだ。素を見せてくれるのがうれしい反面、年上の男にすねられて、剛樹はどうしていいか困ってしまう。たまに兄もこんなふうにして気を引こうとしてきたが、その時も剛樹は困っていた。

「よし、ここを片付けてしまおう。毛をすいてもらわねば」
「はい」

 剛樹が困っているのに気付いたのか、ユーフェが話題を変えたので、剛樹はほっとした。それから、王宮に運ぶ物以外を片付けると、剛樹はユーフェの後について塔のほうに移動した。






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