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本編
五章2
しおりを挟む日差し除けにフードをかぶせられた剛樹は、裸足のままユーフェの腕に座らせられた。
ユーフェは袖なしの白い上衣に青い帯をして、裾がゆったりしたズボンを履いている。シンプルな装いなのはいつも通りだが、よく見ると銀糸で刺繍がほどこされていて、ひと目で上等な布地だと分かった。外出着なので、いつもと少し違うようだ。
ユーフェは獣の足に布を巻いているが、ほとんど裸足と変わらない。行李のようなものを背負い、紐に下げた財布を首から下げて懐に仕舞う。金と門の鍵を入れているそうだ。
森の小道を通り抜け、村人にあいさつしながら村も通過し、あとはひたすら森や草原の間の道を行く。のんびり歩いているようでいて、気付くと村が小さくなっていた。
「さっきの棒みたいなのがお金なんですか?」
「棒貨のことか? 金貨、白銀貨、銀貨、銅貨、鉄貨があるが、庶民が使うとしたら、白銀貨までだな」
「ボウカ……」
「モリオンの国はどんな形なのだ?」
「紙とコインですよ」
「なんと、紙を? 小切手なら分かるが……偽造されないのか?」
「特殊なインクや模様を付けてるんですよ。俺の国の紙幣は信用が高いですね」
「ほう、それはすごいことだな」
棒貨は、偽造防止に小さな焼印がほどこされているんだそうだ。偽造は大罪で、罪人だけでなく親類にまで処刑されるほど重いのだとユーフェは教えてくれた。
「お前の世界では、紙幣に名高い文化人や政治家の顔を描くとは面白いな」
棒貨は上のほうが輪になっているから、種類別に紐で束ねておくらしい。
そんな話をしながら、町にやって来た。それほど高くもない塀に囲まれた、小さな町だ。
まさか王子が人族を抱えて、徒歩でやって来るとは思わないのだろう。ユーフェが門番に朗らかにあいさつしたが、門番はにこりともしないで一瞥しただけだった。面倒くさそうだ。
怒らないのかなとユーフェの様子を伺っていると、ユーフェは気にせず返す。
「王家の紋章を見せても構わぬが、このほうが気楽だ」
「はあ……」
気にしていないのなら、剛樹もどうでもいい。
剛樹としては、一時間もせずに町に着いただけで驚いている。最初に靴屋に寄ってもらい、やわらかくなめした革のサンダルを買ってもらった。
ついでに冬靴として、内側が毛皮になっているブーツも買う。十代半ばくらいの子ども向けの品で、剛樹は複雑な気持ちになったが、すれ違う人族は背が高い。西洋人のような彫の深い顔立ちなので、剛樹とは特徴から違うようだ。
仕立屋では、「店で一番良い品を」なんてユーフェが言うので、店主に代金を払えるのかと疑われたが、王家の紋章を見せて黙らせていた。塔に住む王族のことは知っているのだろう、青ざめた顔で良い品を出してきた。
「うむ。モリオンは落ち着いた青が似合うな。これを。また後日取りにくる」
「畏まりました。一週間後には仕上がっていると思います」
「分かった」
青灰色のコート、白や灰色のセーター、毛織の内着に、靴下を三足、革製のズボン、綿のズボンと、めまいがするくらいの量を次々に注文し、今回、引き取れる分だけ行李に詰めていた。
仕立屋を出ると、剛樹はユーフェの傍らを歩きながら問う。
「王子ってばれないほうが気楽だったんじゃ?」
「身元を説明するのが面倒だった」
「なるほど……」
紋章だけで手間が省けるならいいのだろう。
小腹がすいたからと、町の食堂で一休みし、雑貨屋で絵の具と紙を買ってから、帰路につくことになった。
町の雰囲気を見ていると、中世ヨーロッパみたいな雰囲気だ。石造りの建物はどっしりしていて、窓が小さい。そこに木製の鎧戸がついている。銀狼族向けの住居なので、剛樹には一軒家でも大きく見える。
しかし着ている服は前合わせで、帯を締めている。和服のような中華服のような、不思議な雰囲気だ。
雑踏をゆったりと進みながら、ユーフェは面白そうに店や民家、行きかう人々を見ている。そして、ぽつりと独り言みたいに言った。
「外に出たのは久しぶりだ。民の暮らしを間近で見られるのはいいものだ」
「もしかして、二年、ずっと塔に……?」
「催事があれば王宮に戻っていたが、それ以外はほとんどな。モリオンがいなければ、外に出るつもりはなかった。引きこもるうちに、少し怖くなってな。周りの者が、私の体の小ささをあざ笑って、噂でもしているのではないかと」
周りに壁を作ることが良いことだとは思っていない。だが、どうしても一歩を踏み出せなかった。ユーフェはそうこぼす。
「お前への詫びは、口実みたいなものだな。外に出られて良かった。自意識過剰だったと恥ずかしくなったよ。皆、毎日を生きるのに忙しくて、私のことなど興味もない。良い意味でな」
王宮と違って注目されないのがうれしいと、ユーフェは目を細める。
「ユーフェさん……。俺、分かる気がする。俺の家族はスポーツで名を上げているんだ。そのせいで俺は小さい頃から、嫌でも注目されて……。俺は運動音痴だから、周りががっかりするのが嫌だったんだ。兄ちゃん達にはかなわないのに、兄ちゃん達は良い人だから、弟の俺を放っておかずに構うんだ。それで余計に目立って」
あの憂鬱な日々を思い出すと、勝手にため息が出る。両親も兄も良い人だ。だから余計に、その好意を嫌がる自分が小さく思えて苦しかった。
「視線が苦手で。前髪で目を隠してるんだよ。そのうち誰かが笑ってるんじゃないかって、それを確認するのが怖くて、目を見られなくなったんだ」
「銀狼族なら目を見ないほうが正解だが……。隠すのがもったいないくらい、綺麗な黒い目だな」
「……う」
剛樹は息をのんだ。
ユーフェが指先で剛樹の目元を払い、横から目を覗き込んでそんなことを言うので、反応に困る。照れてしまって、頬に熱が浮かんだ。
パッと横を向いて、やんわりとユーフェの手を押しのける。
「ユーフェさん、そういうことは女の子に言わないと駄目だよ」
「何故だ」
「り、理由はともかく……。っていうか、俺のよりユーフェさんの青い目のほうがよっぽど綺麗……」
そこまで言って、剛樹は眉をしかめた。男同士で、何を言い合っているのだ。気恥ずかしすぎる。
(いやいや、ここはびしっと褒めて、ユーフェさんに自信をつけてもらったほうがいい!)
こんな良い人を放っておくなんて、銀狼族の女性は見る目がなさすぎる。剛樹は息を吸い込んで、必死に言い放つ。
「だから、ユーフェさんは、とてもかっこいいってことです!」
「あ、ああ、ありがたいが。……そう叫ばれると、さすがに恥ずかしいものだな」
「へ?」
ユーフェの返事を聞いて、剛樹はここが往来だったことを思い出した。周りの人達がこちらを見ていて、すれ違った女性二人が「見て、可愛い」とささやきあっている声がした。
カーッと真っ赤になり、剛樹は羞恥のあまり、その場から逃げ出した。後ろからユーフェの弾けるような笑い声が聞こえる。結局、追いついたユーフェに迷子になると困ると言って腕に乗せられてしまい、剛樹はいたたまれなくてうつむいた。
ユーフェは相変わらず喉の奥で笑っている。
「そういうお前だから、世話を焼きたくなるのだろうなあ。いやあ、可愛いものだな」
「なんとでも言ってください……」
「だが、迷惑なら言うのだぞ。私は、お前の保護者をすることで、心の隙間を埋めている気がするのだ」
雑踏のざわめきの中で、その声が届いたのは剛樹だけだろう。横顔は寂しげで、剛樹は胸が痛む。
「俺、居場所がなくなったんです、ユーフェさん」
「……ああ」
「俺はユーフェさんの痛みに、つけこんでますか」
ユーフェがハッと目線を上げ、剛樹のほうを見た。その目には、所在ない剛樹が映っている。
「お互い様だと思ってよいのか」
「そうですよ。少なくとも俺は、保護してくれたのがユーフェさんで良かったと思ってますから。あんまり自分で自分を追い込まないで欲しい。その理由に、俺を使わないで。でないと俺、ここにもいられなくなる」
剛樹の存在が、ユーフェを傷つける理由になるなら、剛樹は塔を離れなくてはならない。今はまだ外で生きていける自信がなかった。
「自分勝手なお願いだって分かってるけど……ごめん」
「いや、いいのだ。そうだな。体はどうしようもないが、心は大きくなりたいものだな」
「充分、大きいと思うけど」
「お前は優しいな」
思ったことを言ったのに、ユーフェはそうは思っていないようだ。
なんだかそのことに苛立ちを覚えた剛樹だが、どう言葉にすればいいか分からない。結局黙り込んだまま、ユーフェの肩に少しだけ近づいた。
・行李……竹、柳、藤で編んだ籠のこと。
ここでは柳か藤で編んだもので、蓋付きで背負えるタイプ。
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