上 下
15 / 35
本編

五章2

しおりを挟む


 日差し除けにフードをかぶせられた剛樹は、裸足のままユーフェの腕に座らせられた。
 ユーフェは袖なしの白い上衣に青い帯をして、裾がゆったりしたズボンを履いている。シンプルな装いなのはいつも通りだが、よく見ると銀糸で刺繍がほどこされていて、ひと目で上等な布地だと分かった。外出着なので、いつもと少し違うようだ。
 ユーフェは獣の足に布を巻いているが、ほとんど裸足と変わらない。行李こうりのようなものを背負い、紐に下げた財布を首から下げてふところに仕舞う。金と門の鍵を入れているそうだ。
 森の小道を通り抜け、村人にあいさつしながら村も通過し、あとはひたすら森や草原の間の道を行く。のんびり歩いているようでいて、気付くと村が小さくなっていた。

「さっきの棒みたいなのがお金なんですか?」
棒貨ぼうかのことか? 金貨、白銀貨、銀貨、銅貨、鉄貨があるが、庶民が使うとしたら、白銀貨までだな」
「ボウカ……」
「モリオンの国はどんな形なのだ?」
「紙とコインですよ」
「なんと、紙を? 小切手なら分かるが……偽造されないのか?」
「特殊なインクや模様を付けてるんですよ。俺の国の紙幣は信用が高いですね」
「ほう、それはすごいことだな」

 棒貨は、偽造防止に小さな焼印がほどこされているんだそうだ。偽造は大罪で、罪人だけでなく親類にまで処刑されるほど重いのだとユーフェは教えてくれた。

「お前の世界では、紙幣に名高い文化人や政治家の顔を描くとは面白いな」

 棒貨は上のほうが輪になっているから、種類別に紐で束ねておくらしい。
 そんな話をしながら、町にやって来た。それほど高くもない塀に囲まれた、小さな町だ。
 まさか王子が人族を抱えて、徒歩でやって来るとは思わないのだろう。ユーフェが門番に朗らかにあいさつしたが、門番はにこりともしないで一瞥しただけだった。面倒くさそうだ。
 怒らないのかなとユーフェの様子を伺っていると、ユーフェは気にせず返す。

「王家の紋章を見せても構わぬが、このほうが気楽だ」
「はあ……」

 気にしていないのなら、剛樹もどうでもいい。
 剛樹としては、一時間もせずに町に着いただけで驚いている。最初に靴屋に寄ってもらい、やわらかくなめした革のサンダルを買ってもらった。
 ついでに冬靴として、内側が毛皮になっているブーツも買う。十代半ばくらいの子ども向けの品で、剛樹は複雑な気持ちになったが、すれ違う人族は背が高い。西洋人のような彫の深い顔立ちなので、剛樹とは特徴から違うようだ。
 仕立屋では、「店で一番良い品を」なんてユーフェが言うので、店主に代金を払えるのかと疑われたが、王家の紋章を見せて黙らせていた。塔に住む王族のことは知っているのだろう、青ざめた顔で良い品を出してきた。

「うむ。モリオンは落ち着いた青が似合うな。これを。また後日取りにくる」
「畏まりました。一週間後には仕上がっていると思います」
「分かった」

 青灰色のコート、白や灰色のセーター、毛織の内着に、靴下を三足、革製のズボン、綿のズボンと、めまいがするくらいの量を次々に注文し、今回、引き取れる分だけ行李に詰めていた。
 仕立屋を出ると、剛樹はユーフェの傍らを歩きながら問う。

「王子ってばれないほうが気楽だったんじゃ?」
「身元を説明するのが面倒だった」
「なるほど……」

 紋章だけで手間が省けるならいいのだろう。
 小腹がすいたからと、町の食堂で一休みし、雑貨屋で絵の具と紙を買ってから、帰路につくことになった。
 町の雰囲気を見ていると、中世ヨーロッパみたいな雰囲気だ。石造りの建物はどっしりしていて、窓が小さい。そこに木製の鎧戸がついている。銀狼族向けの住居なので、剛樹には一軒家でも大きく見える。
 しかし着ている服は前合わせで、帯を締めている。和服のような中華服のような、不思議な雰囲気だ。
 雑踏をゆったりと進みながら、ユーフェは面白そうに店や民家、行きかう人々を見ている。そして、ぽつりと独り言みたいに言った。

「外に出たのは久しぶりだ。民の暮らしを間近で見られるのはいいものだ」
「もしかして、二年、ずっと塔に……?」
催事さいじがあれば王宮に戻っていたが、それ以外はほとんどな。モリオンがいなければ、外に出るつもりはなかった。引きこもるうちに、少し怖くなってな。周りの者が、私の体の小ささをあざ笑って、噂でもしているのではないかと」

 周りに壁を作ることが良いことだとは思っていない。だが、どうしても一歩を踏み出せなかった。ユーフェはそうこぼす。

「お前への詫びは、口実みたいなものだな。外に出られて良かった。自意識過剰だったと恥ずかしくなったよ。皆、毎日を生きるのに忙しくて、私のことなど興味もない。良い意味でな」

 王宮と違って注目されないのがうれしいと、ユーフェは目を細める。

「ユーフェさん……。俺、分かる気がする。俺の家族はスポーツで名を上げているんだ。そのせいで俺は小さい頃から、嫌でも注目されて……。俺は運動音痴だから、周りががっかりするのが嫌だったんだ。兄ちゃん達にはかなわないのに、兄ちゃん達は良い人だから、弟の俺を放っておかずに構うんだ。それで余計に目立って」

 あの憂鬱な日々を思い出すと、勝手にため息が出る。両親も兄も良い人だ。だから余計に、その好意を嫌がる自分が小さく思えて苦しかった。

「視線が苦手で。前髪で目を隠してるんだよ。そのうち誰かが笑ってるんじゃないかって、それを確認するのが怖くて、目を見られなくなったんだ」
「銀狼族なら目を見ないほうが正解だが……。隠すのがもったいないくらい、綺麗な黒い目だな」
「……う」

 剛樹は息をのんだ。
 ユーフェが指先で剛樹の目元を払い、横から目を覗き込んでそんなことを言うので、反応に困る。照れてしまって、頬に熱が浮かんだ。
 パッと横を向いて、やんわりとユーフェの手を押しのける。

「ユーフェさん、そういうことは女の子に言わないと駄目だよ」
「何故だ」
「り、理由はともかく……。っていうか、俺のよりユーフェさんの青い目のほうがよっぽど綺麗……」

 そこまで言って、剛樹は眉をしかめた。男同士で、何を言い合っているのだ。気恥ずかしすぎる。

(いやいや、ここはびしっと褒めて、ユーフェさんに自信をつけてもらったほうがいい!)

 こんな良い人を放っておくなんて、銀狼族の女性は見る目がなさすぎる。剛樹は息を吸い込んで、必死に言い放つ。

「だから、ユーフェさんは、とてもかっこいいってことです!」
「あ、ああ、ありがたいが。……そう叫ばれると、さすがに恥ずかしいものだな」
「へ?」

 ユーフェの返事を聞いて、剛樹はここが往来だったことを思い出した。周りの人達がこちらを見ていて、すれ違った女性二人が「見て、可愛い」とささやきあっている声がした。
 カーッと真っ赤になり、剛樹は羞恥のあまり、その場から逃げ出した。後ろからユーフェの弾けるような笑い声が聞こえる。結局、追いついたユーフェに迷子になると困ると言って腕に乗せられてしまい、剛樹はいたたまれなくてうつむいた。
 ユーフェは相変わらず喉の奥で笑っている。

「そういうお前だから、世話を焼きたくなるのだろうなあ。いやあ、可愛いものだな」
「なんとでも言ってください……」
「だが、迷惑なら言うのだぞ。私は、お前の保護者をすることで、心の隙間を埋めている気がするのだ」

 雑踏のざわめきの中で、その声が届いたのは剛樹だけだろう。横顔は寂しげで、剛樹は胸が痛む。

「俺、居場所がなくなったんです、ユーフェさん」
「……ああ」
「俺はユーフェさんの痛みに、つけこんでますか」

 ユーフェがハッと目線を上げ、剛樹のほうを見た。その目には、所在ない剛樹が映っている。

「お互い様だと思ってよいのか」
「そうですよ。少なくとも俺は、保護してくれたのがユーフェさんで良かったと思ってますから。あんまり自分で自分を追い込まないで欲しい。その理由に、俺を使わないで。でないと俺、ここにもいられなくなる」

 剛樹の存在が、ユーフェを傷つける理由になるなら、剛樹は塔を離れなくてはならない。今はまだ外で生きていける自信がなかった。

「自分勝手なお願いだって分かってるけど……ごめん」
「いや、いいのだ。そうだな。体はどうしようもないが、心は大きくなりたいものだな」
「充分、大きいと思うけど」
「お前は優しいな」

 思ったことを言ったのに、ユーフェはそうは思っていないようだ。
 なんだかそのことに苛立ちを覚えた剛樹だが、どう言葉にすればいいか分からない。結局黙り込んだまま、ユーフェの肩に少しだけ近づいた。




・行李……竹、柳、藤で編んだ籠のこと。
 ここでは柳か藤で編んだもので、蓋付きで背負えるタイプ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

あなたたちのことなんて知らない

gacchi
恋愛
母親と旅をしていたニナは精霊の愛し子だということが知られ、精霊教会に捕まってしまった。母親を人質にされ、この国にとどまることを国王に強要される。仕方なく侯爵家の養女ニネットとなったが、精霊の愛し子だとは知らない義母と義妹、そして婚約者の第三王子カミーユには愛人の子だと思われて嫌われていた。だが、ニネットに虐げられたと嘘をついた義妹のおかげで婚約は解消される。それでも精霊の愛し子を利用したい国王はニネットに新しい婚約者候補を用意した。そこで出会ったのは、ニネットの本当の姿が見える公爵令息ルシアンだった。

天寿を全うした俺は呪われた英雄のため悪役に転生します

バナナ男さん
BL
享年59歳、ハッピーエンドで人生の幕を閉じた大樹は、生前の善行から神様の幹部候補に選ばれたがそれを断りあの世に行く事を望んだ。 しかし自分の人生を変えてくれた「アルバード英雄記」がこれから起こる未来を綴った予言書であった事を知り、その本の主人公である呪われた英雄<レオンハルト>を助けたいと望むも、運命を変えることはできないときっぱり告げられてしまう。 しかしそれでも自分なりのハッピーエンドを目指すと誓い転生ーーーしかし平凡の代名詞である大樹が転生したのは平凡な平民ではなく・・? 少年マンガとBLの半々の作品が読みたくてコツコツ書いていたら物凄い量になってしまったため投稿してみることにしました。 (後に)美形の英雄 ✕ (中身おじいちゃん)平凡、攻ヤンデレ注意です。 文章を書くことに関して素人ですので、変な言い回しや文章はソッと目を滑らして頂けると幸いです。 また歴史的な知識や出てくる施設などの設定も作者の無知ゆえの全てファンタジーのものだと思って下さい。

気弱な公爵夫人様、ある日発狂する〜使用人達から虐待された結果邸内を破壊しまくると、何故か公爵に甘やかされる〜

下菊みこと
恋愛
狂犬卿の妻もまた狂犬のようです。 シャルロットは狂犬卿と呼ばれるレオと結婚するが、そんな夫には相手にされていない。使用人たちからはそれが理由で舐められて虐待され、しかし自分一人では何もできないため逃げ出すことすら出来ないシャルロット。シャルロットはついに壊れて発狂する。 小説家になろう様でも投稿しています。

裏方令嬢と王子様 ~彼女と彼がおとぎ話になるまで~

響 蒼華
恋愛
「どうか、私の妃になって下さい。シャノン・カードヴェイル嬢」 継母に虐げられながら、異母妹キャロラインの『影』としてその栄光の裏方をさせられていたシャノン。 王太子妃に選ばれたキャロラインが王宮入りの日、身元を伏せて侍女として付き従っていた彼女の前に『理想の貴公子』と名高い王子・エセルバートが跪き、何とシャノンに求婚する。 妹を思う優しさに感動してと告げる優雅な王子の笑顔に、思い切りうさん臭さを感じたシャノン。 連れていかれた彼の住まいである蒼玉宮で、シャノンは『求婚』の真相を相手の本性と共に知らされる――。 些か平穏ではない彼女と彼のおとぎ話。 思わぬ理由でのお妃様ライフの、始まり始まり。 イラスト:とん とんぶ 様

俺のこと、冷遇してるんだから離婚してくれますよね?〜王妃は国王の隠れた溺愛に気付いてない〜

明太子
BL
伯爵令息のエスメラルダは幼い頃から恋心を抱いていたレオンスタリア王国の国王であるキースと結婚し、王妃となった。 しかし、当のキースからは冷遇され、1人寂しく別居生活を送っている。 それでもキースへの想いを捨てきれないエスメラルダ。 だが、その思いも虚しく、エスメラルダはキースが別の令嬢を新しい妃を迎えようとしている場面に遭遇してしまう。 流石に心が折れてしまったエスメラルダは離婚を決意するが…? エスメラルダの一途な初恋はキースに届くのか? そして、キースの本当の気持ちは? 分かりづらい伏線とそこそこのどんでん返しありな喜怒哀楽激しめ王妃のシリアス?コメディ?こじらせ初恋BLです! ※R指定は保険です。

お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。

下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。 またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。 あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。 ご都合主義の多分ハッピーエンド? 小説家になろう様でも投稿しています。

どうぞ二人の愛を貫いてください。悪役令嬢の私は一抜けしますね。

kana
恋愛
私の目の前でブルブルと震えている、愛らく庇護欲をそそる令嬢の名前を呼んだ瞬間、頭の中でパチパチと火花が散ったかと思えば、突然前世の記憶が流れ込んできた。 前世で読んだ小説の登場人物に転生しちゃっていることに気付いたメイジェーン。 やばい!やばい!やばい! 確かに私の婚約者である王太子と親しすぎる男爵令嬢に物申したところで問題にはならないだろう。 だが!小説の中で悪役令嬢である私はここのままで行くと断罪されてしまう。 前世の記憶を思い出したことで冷静になると、私の努力も認めない、見向きもしない、笑顔も見せない、そして不貞を犯す⋯⋯そんな婚約者なら要らないよね! うんうん! 要らない!要らない! さっさと婚約解消して2人を応援するよ! だから私に遠慮なく愛を貫いてくださいね。 ※気を付けているのですが誤字脱字が多いです。長い目で見守ってください。

私の作った料理を食べているのに、浮気するなんてずいぶん度胸がおありなのね。さあ、何が入っているでしょう?

kieiku
恋愛
「毎日の苦しい訓練の中に、癒やしを求めてしまうのは騎士のさがなのだ。君も騎士の妻なら、わかってくれ」わかりませんわ? 「浮気なんて、とても度胸がおありなのね、旦那様。私が食事に何か入れてもおかしくないって、思いませんでしたの?」 まあ、もうかなり食べてらっしゃいますけど。 旦那様ったら、苦しそうねえ? 命乞いなんて。ふふっ。

処理中です...