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帰り道

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 今にも降ってきそうな曇天。

尾根伝いの道は左右を高い木々に挟まれて、なお暗かった。

「やっぱり海沿いの道にしたほうがよかったね」

「別にこの道でいいでしょ」
帰り道は来たのとは別の道で帰ろうというマルヴィナの提案で、城下町から直接村まで続く山道を使って帰ることにしたのだ。

「僕、暗い道はあんまり得意じゃないんだよね。なんかおばけが出そうで……」

「こんな昼間っから出るわけないじゃない……、きゃあ!」

「なに!? どうしたの!?」

左上腕がチクッとして何か黒いものが張り付いている。マルヴィナはびっくりしてすぐ払い落したが、地面に落ちたそれをよく見たら、ただのコオロギだった。

「もうっ、わざとやってるでしょ、虫に悪意を感じるわ」

マルヴィナもおばけが得意なわけではないので、本当のところ内心かなりビクビクしていたのだ。

「でも、重いのを別で送っておいてよかったね」
カロッサ城を出るときに、槍やら盾やら皮鎧やらの重たい装備を午後の馬車便で送ってもらうことにしたのだ。ヨエルはバックパックすら持っておらず、少しの食料と水の入った袋を腰に下げているだけだ。

「私は行きの時とあんまり変わらないけどね」
マルヴィナは護身用の剣と効能がわからないペンダントにバックパック、中には屍道書が入っていた。

 山道の少し広くなっているところで休憩をとることにした。水分を補給して乾いたパンを少しだけかじる。

「そんなにこわいなら次は私が前を歩いてあげるよ」

「え、いいの?」

「たまにはね」

そういってまた歩き始める二人。早朝から出て一時間、日も高くなっているはずだが、むしろ雲が厚さを増しているのかさらに暗くなっている気もする。

「ねえヨエル」

「なに?」

「実は私ね、村を出て以来、なんか聞こえるようになっちゃったの」

「え、どういうこと?」

「私、元々霊感なんてまったくなかったでしょ? でもね、空耳なのか風のいたずらなのか、誰かが見てる、誰かが見てるよって耳元で囁くような声が時々聞こえたの」

「それ、村を出て海岸線を歩いているとき?」

「そう」

なんとなく周囲が静寂に包まれて、聞こえてくる音に敏感になるヨエル。

「それでね」
と続けるマルヴィナ。

「今日朝から山道に入って以来、うしろから誰かついてくる、うしろから誰かついてくるよ、って聞こえるの」

「ちょ、ちょっとやめてよマルヴィナ」
心なしか早足になるヨエル。

「ヨエル」

「なに?」

「一回だけ後ろ確認してくれない?」

「僕、いやだよ」

二人とも歩く速度が明らかにあがった。風もやんで異様に静かな山林の中で、二人の足音だけが聞こえる。

……、いや、そうでもないようだ。

「ねえ、ヨエル」

「なに?」

「やっぱりおかしいよ」

「なんのこと?」

「足音が、聞こえる」

「僕も……。さっきから考えないようにしてたんだけど……」
しかし、確かに誰かがついてくる足音が微かに聞こえるのだ。

「今歩いている道が直線で長いから、次の曲がり角のところで二人で振り返って見てみようよ」

「わかった」
山道はときに真っすぐで見通しがいいところもあり、ときにうねって先も来た道も遠くまで見通せなくなったりする。

「いくよ? せーの」
曲がり角近くまで来て、二人で振り返る。そして、

「角を曲がり切ったら走ろう!」
黒装束の明らかに友好的でなさそうな人物が迫ってきているのが見えたのだ。角を曲がったとたんにいっきに走り出す二人。

「どう? 引き離した?」
マルヴィナに言われて走りながらちらっと後ろ見るヨエル。

「だめだ! 近づいてる!」

「どうしよう」

「マルヴィナ、鞄を捨てよう!」

確かに、マルヴィナの鞄が全力で走るのにかなり邪魔になっている。ヨエルの言葉に、マルヴィナが背負っていたバックパックを肩から外して道のわきに放り投げた。あとで取りにくればいいのだ。

「きゃあ!」

しかしいつの間にか黒装束の男に回り込まれ、マルヴィナの足がもつれて転んだ。男は刃渡りの広いナイフを構えて、ヨエルを牽制しながらマルヴィナにじりじりと近づく。マルヴィナは尻餅をついた状態からなんとか後ろにさがりつつ、使えそうなものをさがす。

「僕に切られたくなかったら立ち去るんだ!」
気付くと、ヨエルがマルヴィナの護身用の剣を抜いて構えていた。剣が知らないうちに腰から外れてヨエルの傍に転がったようだ。

「あ! だめだよ!」
ヨエルに鞘から抜いてはいけないと声を掛ける暇もなかった。

男のほうは一瞬ひるんだようで、マルヴィナが武器をもっていないことを横目で確認しつつナイフをヨエルの方へ向ける。ヨエルはナイフを向けられ、最初の勢いもなくなって剣を構えつつかなり逃げ腰になった。

すると、
「あ……、あれ? なんか暗くなってきた……」
ヨエルがまるで貧血でも起こしたかのようにいったんしゃがみ込み、そしてそのまま前のめりに倒れてしまった。

「ヨエル!」

男は倒れたヨエルを少し気にしながらも、今度はマルヴィナにナイフを向ける。

「アーウームー、我慈悲深き冥界神ニュンケに帰依し、我が眼前に起こりし奇跡に感謝す……」

咄嗟にマルヴィナは早口で詠唱を開始する。

「屍体招魂! ゾンビ、お願い!」

しかし、やはり周囲に屍体が存在しなかったのか、何も起こらない。詠唱の言葉にひるんだ男も、何も起こらないのを確認して今度は構えを解いてまっすぐマルヴィナに近づいた。

「ナクラーダル卿になぜ近づいた? 答えなければ殺す」
男が初めて口を開いた。マルヴィナは何とか膝立ちの姿勢から立ち上がろうとするのだが、うまく足に力が入らない。

「ふん、聞き出してからその女を殺すつもりだろう」

「誰だ!?」
男が驚いてふり返る。

「え……、ヨエル?」
マルヴィナも驚いてそちらを見る。剣を持った男、間違いなくヨエルなのだが、しかし雰囲気や表情がまるで違う。

「我の名は、獄炎の剣士、ディートヘルム。長久の時を経てフェノメナル界に蘇りし……」
と空いた手のひらを眺める。男が持っていたナイフを構えようとした瞬間、

「しゅっ!」
独特の息吹とともにヨエル、いやディートヘルムと名乗る男の姿が消えた。否、低い姿勢で男の懐に飛び込んでいた。すでに手に持っている剣がみぞおちあたりに突き刺さり、すぐにぽたりぽたりと血がしたたる。ディートヘルムの頭上で、黒装束の男の、ナイフのカウンターの一閃が空を切っていた。

「我、奇法を使うまでもなし」
剣を抜いて立ち上がるディートヘルムと、

「ぐふぅっ!」
大量の血を吐いて倒れる男。

「これは妖剣ニグブル、持つ者の命さえ奪う呪われた剣、斬られた者はなおさら辛かろう。さあ、最後の言葉を言え、聞き取ってやる」
言いながら、剣を二度三度素早く振ったあと、服の裾で残った血を拭きとり鞘に納めた。そして男のそばに膝をついて男の仮面をとった。いつの間にか、いや、以前からそうだったのか、男の顔が異様に老けて見える。

「お前はなぜそのような剣を持って平気でいられる……」

「ははは、死に際にそのような愚問。なぜなら、この剣はおれの古くからの友人、そして俺はフェノメナル界において常に死んでいる」

「馬鹿な……、死者ごときがなぜそのような力を……」

そして、男の最後の時が来たようだ。
「イ、イゴル様……、万歳!」
男は大きく口を開け、両目を見開き、動かなくなった。

「ようし、手向けのスートラを唱えてやろう」
ディートヘルムが立ち上がって手を合わせて目を閉じた。

「ガーティガーティパラサムガーティーボーディスワーハ……」
唱え終えて数秒ののちに合掌を解くと、

「ハハハッ! どうだ、死者に成仏させてもらう気分は!」
そう言って黒装束の男が握っていたナイフを取り上げ、マルヴィナのほうへ鋭く腕を振った。

「ひっ」
ナイフがマルヴィナの顔の横を風を切って通り過ぎ、そのすぐ後ろでドスッという鈍い音。同時にうめき声が聞こえた。

すぐに藪を走り去る音が闇に消えていった。

「元から二人で狙っていたようだな。だが、今逃げた奴はおそらく深手を負っている。近くに仲間でもいない限り死ぬだろう」

「あなた……、誰なの?」

「二度は言わぬ」
ヨエルの姿をした男は鞘に収まった剣を持ったまま、木の根元に座り込んだ。

「俺は眠い、このまま寝るぞ。あいつらの仲間がいるかもしれん、すぐにここを立ち去れ」
そう言い残すと、剣を抱いて目をつぶってしまった。

「ちょ、ちょっと! こんなところで寝ないでよ!」
まだ何がいるかわからない山道の途中で、立ち去ろうにも一人では動きたくないマルヴィナ。しばらく揺さぶっていたが、目をつぶってすでに寝息。起きる気配がない。

「どうしよう……」
途中でバックパックを放り投げたのを思い出して、見に行こうかと思ったのだが、歩き出そうとして足がすくむ。昼間の山道だが周囲が恐すぎる。

諦めて、同じように木の根元に座った。

どれぐらい経っただろうか、ちょっとずつ緊張感が解けてマルヴィナもウトウトしかけた時、

「う、うーん……」
その男性が目をごしごししている。

「あ、あれ? マルヴィナ? こんなとこで何してるの?」

「あなたヨエル?」

「え? そうだけど?」
何を言っているんだい、という顔でマルヴィナを見るヨエル。

「あ、そうだ、僕たち追いかけられていたよね? もう大丈夫なの?」
立ち上がって慌ててあたりを見渡すヨエル。

「あなた何も覚えてないの? ほら、これ、あなたが倒したのよ」

「え? 僕が?」
何のことか全くわからず呆然とするヨエル。

「まわいいわ、助かったんだし……、そうだ!」
マルヴィナも勢いよく立ちあがった。

「どうしたの急に」

「あなた、さっきのもう一回やればいいのよ、そうしたら魔法使いに勝てる!」
小躍りする勢いで嬉しそうに話すマルヴィナなのだが、ヨエルは何をどうすればいいのか全くわからず、立ちすくんでいる。

「何かトリガーがあるはずよ。何でもいいからヒントになること思い出せない?」

「うーん、ヒントと言われても……」

「……ま、あとで考えましょう」

ということで、マルヴィナのバックパックを二人で探すことにしたのだが、
「あれえ、やっぱり無いや。どこいったんだろう」

「あいつらの仲間が持っていったとか……」

「そう言えばヨエル、あなた、寝る前に仲間がいるかもしれんから早く行けって言ってたよね?」

「まったく覚えていないけど……、その意見には賛同する」
ヨエルが言い終える前に、二人は村の方向へ小走りになっていた。

「でもわたし、屍道の本なくしちゃった、どうしよう」
走りながら泣き顔になるマルヴィナだが、

「命には代えられないね」
ヨエルの言う通り、本は諦めるしかなかった。

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