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第四章 過去を抱いて、未来を掴む

さようなら、エファリュー

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「──それで? どうして貴女は起きているのかしら?」

 ぐっすり眠る男たちに挟まれた姫は、魔女の向かいで優雅に食事を続けている。
 小さな口をナプキンで拭ってから、エメラダは答えた。

「皆さんがお酒を嗜まれる場所で、給仕をしたことがございます。そこでは人参色をした物を勧められたら、たとえ相手がご婦人ご老人であろうと、絶対に口にしてはいけないと、口酸っぱく教えられたのです」

 美味しい美味しいと飲むふりをして、足下の屑籠に捨て入れ誤魔化していたとは、見かけ以上にエメラダとは強かで思い切った姫のようだ。

「わたくしがエファリュー様なら、この夜の間に姿を消そうと考えますわ」

 後顧の憂いを断つべく、身代わりなど初めから無かったかのように──。
 正解ですか、と神女はにっこり顔を傾ける。苦笑する魔女を映した紫水晶が、微笑む瞳の奥に煌めいた。

「容姿が似ていると、考え方まで似るのかしら」

 やれやれと、肩を竦めてエファリューはカウンターに腰掛ける。

「わたしも、祭壇に座りながら貴女の苦悩を見たわ。もちろん、それですべて解るだなんて言うつもりはないけれど」

 エメラダは頭を下げるように頷いた。

「第一王女は誰もを跪かせる神の化身、ゆえに孤独なものです。思いを分かち合えるエファリュー様が、アルとともに師になってくださるのなら、心強い……ですわ」

 組んだ手で胸元を隠して、エメラダは瞳を伏せた。

「そう? わたしはてっきり、貴女はもう神女でいたくないのだと思っていたの。クリスティアに戻り、神女として生きていくことに躊躇いはないのね?」
「……はい。愚かな真似をいたしましたが、わたくしはクリスティアを、その地に住まう民を愛しています。帰って、償いをしなければ」
「償い──」
「そうです。償わなければならないのです」

「わたしが訊きたいのは、貴女の欲望よ。お姫様の模範解答じゃないわ」

 もじもじと胸の前の指を絡ませながら、左右に視線を彷徨わすエメラダに、エファリューは甘い笑みを傾ける。

「誰も聞いちゃいないわ。ほら、見て。ここには鏡があるだけよ?」

 鏡の中の〈エメラダ〉の微笑みは、慈悲深い神女の笑みにも、不埒に誘いかける魔人の目配せにも見えるが、同じなのだ。どこまでも同じ顔で、エメラダの口から本心が語られるのを待っている。

「口にすれば、エファリュー様にご迷惑をお掛けしてしまいます」
「あら、それってどんなことかしら? 聞かせてほしいわ」
「……ですが」
「エファリューは何者にも縛られない、気が向いた時しか動かない、自由で気ままな魔女よ」

 何を言われようと、誰に忖度することもない。発言だって思いのまま。

「この街で仮にもエファリューを名乗るなら、エファリューらしく言ってみなさい」
「わたくし、は……わたしは──。冷たい水に触れて、泥に汚れて初めて、この世に生まれてきたと思えたの。わたしは……ここにいたい。生まれたままのヒトになりたい。愛する人を跪かせずに想いを告げられる、ただの娘になりたい……」

 素晴らしい神女と名を残すより、田畑に作物を実らせ、子を産み育てる──そんなありふれた一生を彼女は欲しがった。
 小さく息をつき、エファリューは立ち上がる。声を殺して泣くエメラダを、包み込むように抱きしめた。

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