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第三章 エヴァの置き土産

孤狼の爪痕4

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 盛り返した魔力に、呪力が圧される。取り囲む神官たちには、神女の気迫に獣が尻込みしたかのように見えた。しかし呪いの力は衰えず、なおもエファリューに牙を剥く。

「エメラダ様!」

 狼を牽制するように、オットーが錫杖を投げつけた。
 闇が怯んだのは一瞬で、錫杖が床に落ちる音を合図に、四肢で床を蹴り上げエファリューに再び飛びかかった。
 エファリューは錫杖を拾い上げ、狼の爪をいなす。剣の心得はほとんどなかったが、エヴァの誇る常勝軍の訓練なら何度も覗いたことがある。

(頭の先から、指先まで、一本の糸を通すの)

 アルクェスの教えを応用し、体に通すのは記憶の糸だ。脳裏に蘇らせた精鋭たちの剣捌き、足捌きを、魔力に乗せて全身に巡らせる。
 獣の突進は、身を翻してかわし、繰り出される爪は錫杖で受け、弾き返す。
 真っ白なドレスの裾を翻し、錫杖を鳴らすその姿はまるで舞い踊るかのようだ。
 オットーは信じられないものを見る目で、神女の舞を固唾を飲んで見守る。彼だけでない。誰もが、その姿に釘付けになった。

 錫杖で弾き返すそばから、闇が火花を散らすように霧散する。糸を解く慈悲などない。呪いに込められた念ごと、エファリューの魔力が焼き尽くす。怒りに任せた、強引な解呪だ。
 狐狼と錫杖がぶつかり合う度、黒い花弁が舞い、消えていく。そうして次第に、呪力は狼の形を取れないほど小さくなっていった。

〈もう、おやすみ〉

 子犬ほどにまで小さくなった闇に、エファリューは錫杖の石突を突き立てた。
 水風船を針で刺した時のように、闇は弾け飛び、たくさんの黒い花弁が舞い散る。アルクェスの傷口からも、闇が溶け出し、さらさらと霞み消えていった。

 四方八方に飛び散り消え行く影の一部は、最後の抵抗とばかりに一つに結びつき、祭壇へ突撃した。
 呪いを解いた後、エファリューが紙にそうするように、孤狼の呪詛は神女の座に、古代語を刻みつけた。

〈我が主に仇なす 浅ましき女 許しはしない〉

 荒々しく書き殴られ、文字と判別できるかも怪しいそれは、一見すると爪痕だ。
 エファリューにはその爪痕がまるで、偽りの神女を糾弾する告発文のように見えた。

「エメラダ様、ご無事ですか!」

 柔和な顔に戸惑いの色を浮かべ、駆け寄ってきたオットーに錫杖を返す。

「驚きました。いつの間にやら、剣も嗜んでおられたのですな」
「えっ。え、ええ……その……そう! ロニー卿から手解きを!」
「ああ、どうりで……どこかで見覚えのある身のこなしだと。そうですか。いやはや、何事も身につけておいて損はありませんな」
「そうですわね……ほほほ」

 爪痕を後ろめたく感じるのはエファリューだけで、皆は穢された神女の座に狼狽している。だいぶ無茶な解呪をしてしまったが、一先ずこの場は神女様の奇跡として通せたようだ。

 午後の礼拝は中止となり、神殿の扉は閉ざされた。
 オットーを筆頭に高位の神官たちが、女性とアルクェスそれぞれに光の加護で癒しを施す。
 女性の方は、少しずつ血色が良くなっている。しかしアルクェスの方は、自失しているにも関わらず、うなされているようだ。美しい眉のわたりを苦悶に歪め、時折り呼吸が乱れる。

「アルクェスの呪いは解けていないのですか?」
「いえ……」

 エファリューは、アルクェスの法衣の首元を緩めると、肩口を大きく開いて、彼の素肌を衆目に晒した。ぎょっと目を見開かれる気配に、神女らしからぬ振る舞いだったかと悟ったが、構わず身体を調べた。
 肌に傷は残っていない。呪力の名残りも、エファリューには感じられなかった。だが、それにしては状態が良くない。

「呪詛返しは、元の術より呪力が強まる傾向にあ──……ると聞いたことがあります。急激な強い闇の波動に当てられ、混濁しているのだと思います」
「しかし、こうして癒しの光を浴びせているのに、回復する兆しが見られませんが」
「呪力が侵食したが深かったのでしょう」

 オットーたちのように、人を癒す力のないエファリューが、アルクェスのために出来ることといったら、解呪くらいだ。だが呪われているわけでもない今、そんなもの何の役にも立たないと、エファリューは改めて己の無力を噛み締めた。

「このまま癒し、清めていれば目覚めるでしょうか?」
「そう信じるしかありませんが、癒すのであれば、もっと内側から……」

 話しながら、エファリューははっとした。もしかしたら、が助けになるかもしれないと、懐を撫でる。まさしく光明とも云うべき、希望の光が胸に射し込んだ。

「わたしにもまだ、出来ることがあるかもしれない。アルを部屋へ運んでちょうだ──……運んでくださいな?」




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