平行線

ライ子

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第三章

終の住処

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「マスター…。どういうことですか?」
吉行は、マスターの部屋に入るなり、泣きそうになりながら聞いた。
「吉行か…。わざわざ悪かったな。」
いつもと変わらない口調で言った.
「膵臓がんが見つかってな。去年の10月に。」
マスターは、個室でユニットバスもついているホテルのような部屋にいた。ベッドを起こして、座っていた。
「体のあちこちに転移して、手術はできないと言われた。余命は、半年ぐらいだとも言われたよ。」
「何で、そんな大事なこと…言ってくれないんですか。」
吉行は、悔しさと悲しさが入り混じって、おかしくなりそうだった。
「みんなに公表したところで、病気がよくなるわけじゃないし、気を遣わせるだけだろ?だったら、いつも通り過ごしたかった。俺の生きがいだった店でな。」
マスターは、一人娘を亡くしてから、自暴自棄になっていた時もあったが、バーの経営を始めて、仲間ができて、生活にハリが出て、人生を持ち直したのだった。
「何で、そんなに冷静でいられるんですか?」
吉行は、震える声で、訴えるように、マスターに聞いた。マスターは、しばらく黙って窓の外を眺めていた。そして、吉行の目を見て、ゆっくりと話し始めた。
「俺だってな、何かの間違いだと思って、別の病院でも診てもらったよ。自覚症状がないんだから。」
吉行は、マスターが最初から、冷静でいられたわけでは、なかったのではないかと思った。
「でもな、ぽっくり逝くより、逝くまでに、いろいろと準備ができるから、余命宣告されるのも、悪くないぞ。」
いつものカッコイイマスターが、そこにいた。この半年、誰にも見られないところで、たくさん葛藤して、苦しんで、悩んで、いろんなことを諦めて、辿り着いた結論なのかもしれない。
「僕に、何かできることありますか?」
吉行が、泣くのを堪えて聞いた。
「そうなだぁ…。」
マスターは、立ち上がり、吉行の前まで来ると、手に持っていた料理が入った袋を受け取って、
「まず、一緒に飯でも食うか?」
と、笑った。
「は…い。」
吉行は、もう我慢できなくなって、泣いた。何の涙か、もう分からなかった。悲しいのか、悔しいのか、辛いのか…。きっと、泣きたいのはマスターの方なのに。
マスターは、「うまい。」と言いながら、吉行が麗と一緒に作った料理を食べた。旅行先で買ったらしい日本酒をチビチビ飲みながら。ここは、タバコは吸えないが、酒は飲めると、嬉しそうに言っていた。
マスターの荷物は、スーツケース1つに収まっていた。あとは、すべて処分したそうだ。身寄りがないマスターが、迷惑をかけないように、考えた末のことだった。
「吉行。俺が、今、こんな状態だってこと、店のやつらに言わないでいてくれるか?」
吉行が持って来た料理を、食べ終わる頃、こんな話をした。
「もう、いつ死んでもいいんだ。」
「何言ってるんですか?」
「余命宣告されてから、命は、有限だって、本当に分かった気がする。人間いつかは、死ぬんだけど、そのいつかがハッキリしたわけで、今まで、先延ばしにしてた事を片付けられた。」
吉行は、マスターの話を黙って聞いた。
「昔はな、つまらん人生だから、いつ死んでもいいと思ってたんだ。だけど、今は違う。もう、十分やったから、いつ死んでも悔いはない。」
マスターは、少し外の空気が吸いたいと、吉行を部屋の外に連れ出した。敷地の端にある喫煙所だった。ポケットから、タバコの箱を出し、1本くわえた。
「マスター…タバコは…。」
「まぁ、最近はあんまり美味いと思わなくなったがな。俺は、最期まで吸うぞ。」
吉行も、1本付き合った。
「おい。お前は禁煙してたんじゃないのか?妊活してるとか言ってなかったか?」
「最近、ちょっとまた吸い始めちゃって…。でも、これで辞めます。」
「そうか…。麗ちゃん。どうだ?元気か?」
「はい。元気ですよ。」
「子ども…。できるといいな。」
「はい。」
マスターは、タバコを吸い終えると、吉行に言った。
「もう。ここには来なくていいからな。」
「どうしてですか?また、マスターと話したいです。」
「最近。だんだん、痛みが出て来てるんだ。これから、どんどん弱って、そのうち起き上がれなくなる。」
マスターは、少し顔をしかめていた。
「俺は、ずっと格好つけて生きてきたんだ。最期まで格好つけさせろ。」
そう言うと、黙って部屋に戻った。
吉行は、帰り際にマスターに言った。
「どんなマスターでも、カッコいいです。ずっと僕の憧れです。」
「ありがとよ。」
マスターは、優しく笑った。
「また来ますから。おやすみなさい。」
吉行は、車に戻ると、声を上げて泣いた。わんわんと、子どものように泣きじゃくった。父親が突然死した時も、ここまでは泣かなかった。まだまだ元気そうに見えるマスターが、いなくなってしまうことが、信じられなかった。
どれくらい泣いていたのだろうか。麗からの着信で、我に返った。
『吉行。今、どこ?』
『マスターの所。今から帰るよ。』
『車がないから、どこに行ったかと思って。』
『マスター、郊外に引っ越してたんだよ。』
『そうだったの。気をつけて帰って来てね。』

家に帰ると、麗が出迎えてくれた。心配そうな顔をしている。こんな顔をさせてはダメだと思い、無理して笑った。
「遅くなってごめん。つい、マスターと話し込んじゃって。」
「大丈夫よ。料理がマスターの口に合ったかなって、気になって。」
「うまいって、言ってた。」
「そう。良かった。また、何か作ろうかしら?」
「そうだな。酒のつまみになるような物がいいだろうな。今日も、旅行先で買った日本酒飲んでたよ。」
「マスターと、何かあった?」
帰ってきてから、ほとんど麗と目を合わせない吉行に、麗が静かに聞いた。
「う…ん。」
「私に何かできることはない?」
「大丈夫。ありがとう。」
麗に、マスターの病気のことを言おうか迷ったが、マスター自身が周りに知られたくなさそうだったので、言わなかった。麗に、隠し事をしているようで、気持ち悪かった。

翌日から、吉行は毎日、マスターの所へ通った。昼頃、家を出て、マスターと一緒に昼食を食べて、麗が仕事から帰って来る少し前に、家に帰るようにしていた。そして、いつも通り麗と早めの夕食を食べて、仕事へ出かけた。
最初、マスターは、「来なくていいのに。」と言っていたが、それでも毎日、吉行が訪ねて来るので、それを楽しみに待っているようになった。
3月末になり、桜が見頃をむかえた。
「なぁ。吉行。桜を見に行きたい。」
最近では、ほとんどベッドで横になって過ごすようになってきたマスターが、外に出たいと言ったのだ。
「行きましょう。明日、僕、仕事休みなので、ゆっくり花見にいきましょう。」
「あぁ。俺は、夜型だから、夜桜がいいな。」
「いいですよ。明日、夕方、迎えに来ますね。」
マスターは、頷くと、静かに目を閉じて、すぐに寝息をたてて眠った。
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