平行線

ライ子

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第二章

休日

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ある休日の昼下がり、吉行は買い物がてら、散歩に出かけた。日頃、昼夜逆転の生活をしているせいか、冬の日差しでも、眩しく感じていた。
街角の喫煙所で、一服していると、前方から、長身の女性が近づいて来た。麗だった。今日は、ロングスカートに、ローヒールのパンプス、茶色のジャケットを着ていた。長い髪は、無造作にまとめていた。そんな格好も似合うと思った。
「こんにちは。こんな所で何してるの?」
「一服です。」
吉行が冗談を言うと、つられて笑いながら、
「それは、見れば分かるわよ。今日は、お休みなの?」
と続けた。
「はい。」
「先日は、ご来店ありがとうございました。お連れの方にも、楽しんでいただけましたか?」
「あら?なんか不機嫌?」
「別に、そんなことないです。」
「そんな顔して。私が、男と一緒に店に行ったから?」
「こんな顔なんです。」
「彼も気に入ったみたいよ。また、近いうちに行くわ。」
麗は、余裕のある笑顔で、吉行を見つめた。
「今から、暇?」
「予定は、ないですけど…。」
麗は、にっこり笑うと、吉行の手を取って歩き出した。
「どこ行くんですか?」
「ドライブしよう。」
「車、そこに停めてあるの。」
すぐ近くのパーキングに向かった。
麗は、オシャレな輸入車に乗っていた。
「どうぞ。」
「お邪魔します。」
内装もオシャレだ。シートもちょうどいい固さで、座りやすい。
「素敵な車ですね。」
「そう?ありがとう。」
麗は、車を発進させた。BGMは、耳障りのいい洋楽だった。
「あの…どこに行くんですか?」
「どこがいい?」
「え?」
「じゃあ、海か山だったら、どっちがいい?」
吉行は、麗の綺麗な横顔を眺めながら、この人と一緒なら、どこでもいいなと思った。
「海で。」
なんとなく、海が見たかった。
「分かったわ。」
外は寒かったが、車の中はポカポカと暖かかった。
「あの。いいんですか?俺なんかと…。」
「今日は、吉行に会いたかった。」
艶っぽい声に、頭がクラクラした。あぁ、またからかわれている。そう分かっているつもりでも、心臓は激しく動き出した。
「この前の人のこと気にしてる?」
「はい。」
「あの人は、私のお客さん。」
「お客さん?」
「ホステスしてるの。」
「そうなんですか。」
客だと聞いて、ほっとしたような、複雑な気持ちだ。
「もう、いい歳だから、水商売からは、足洗いたいんだけどね。」
フロントガラスから差し込む日差しが、麗を優しく包み込んでいた。ふたりだけのこの空間が、心地よかった。
「吉行、着いたら起こすから、寝てていいわよ。」
それは、いくらなんでも失礼だと思いつつ、完全に夜行性の吉行の体は、車内の暖かさと、適度な揺れで、眠りについてしまった。
どのくらい眠っていたのか、懐かしい夢を見ていたような気がする。トントンと、肩をたたかれた。
「着いたよ。」
「あっ‼︎すみません。俺、寝ちゃって…。」
「いいのよ。私が寝ててって、言ったんだから。寝顔が可愛かったわ。」
赤面して、俯く吉行を見て、麗はおかしそうに笑うと、
「行こう。」
と、車から降りた。吉行も、後を追う。
着いた所は、断崖絶壁の岬だった。広い砂浜をイメージしていた吉行は、少し驚いた。
「迫力あるでしょ?」
「はい。」
「穴場なの。」
「そうでしょうね。」
しぶきを上げながら、岩にぶつかる波を見ていた。
麗は、吉行と手を繋いで、遊歩道を歩き出した。
「吉行は、付き合ってる子いるの?」
「いません。」
「本当?モテそうなのに。」
「そんなことないです。」
「好きな子は?」
「いません。」
麗は、吉行の顔を覗き込むと、
「可愛いね。」
と、言って笑った。
「からかわないで下さい。」
少しムッとした表情で言った。もう少しで、この人を好きで好きでたまらなくなってしまう。もう、振られる時のあんな思いはたくさんだ。その後も、ずっと引きずって、その気持ちを封印しておくのにも疲れた。誰ともうまくいかないなら、いっそ誰とも関わらなければいい。でも、そんなわけにはいかないから、それなら、せめて好きにならないよう努力したい。気持ちを、完璧にコントロール出来ればいいのに。
「ごめん。」
急にしおらしくなった麗は、黙って歩いた。少し開けたスペースに出た。展望台になっていた。
「私、素直じゃないの。意地っ張りで、いつも余裕のあるふりしてる。」
吉行は、黙って聞いていた。
「本当は、余裕なんてないのに。おかしいでしょ。好きなのに、その人が不安に思うことしてみたり、からかったり、バカみたい。こんな自分すごく嫌なのよ。ただでさえ、身長高くて可愛くないのに…。」
「麗さんは、可愛いです。」
今にも泣き出しそうな麗を見て、吉行は続けた。
「不器用なだけですよ。俺もそうです。別れ話されて、本当は、好きで好きでたまらないのに、彼女の幸せが一番だからとか、カッコイイこと言って、聞き分けのいいフリして…結果、何年もズルズル引きずって、女々しい限りです。」
麗は、吉行をギュッと抱きしめた。
「きっと一目惚れ。私は、吉行が好き。何回もあの辺りを探してたの。今日、やっと会えた。」
嬉しかった。嬉しくて嬉しくて、飛び上がりたいぐらいだった。でも、あぁ。ダメだ。きちんと話さないと、麗は、いろいろなことを期待してしまう。
「俺も、麗さんのことが好きです。でも、本当の俺のこと知ったら、無理って思いますよ。」
吉行は、麗には嫌われて二度と会えなくなるだろうと思ったが、覚悟を決めて話した。
「俺は、性同一性障害で女の体だったんです。19歳の時に手術を受けて、戸籍を変えて、それからはずっと男として生きてます。」
吉行は、麗の顔が見れず、海を見ていた。沈黙に耐えきれず続けた。
「だから、俺には生殖腺がありません。」
吉行は、もうこれで、麗に会うことはなくなるだろうから、その綺麗な顔を目に焼き付けておこうと、再び麗の方を見た。
「びっくりしました?」
「うん。ちょっとびっくりした。でも、それが何?吉行であることに変わりはないでしょ?」
予想外の発言に戸惑った。
「でも、きっと他に好きな人が出来ますよ。」
「そうやって、元カノに振られたの?」
痛いところを突いてくる。
「そうです。」
杏奈から、別れ話をされた時の光景が、頭の中をぐるぐる回る。
「その彼女にお礼を言わなきゃ。」
「え?」
「だって、今もその子と付き合ってたら、私と今日、ここにはいないでしょ?」
麗は、もう一度吉行を抱きしめた。
「ねぇ、吉行。ギュッてして。」
吉行は、麗の体を抱きしめた。ジャケットの上から、細い体のラインが分かった。いい香りがする。離したくないと思った。こうしているだけで、幸せだと思った。
「吉行。」
「何ですか?」
「私は、男だから吉行を好きになったんじゃなくて、吉行っていう人間が好きなの。だから、女だったとか…そういうの…私には関係ない。」
吉行は、ただ単純に嬉しかった。自分のことを受け入れてくれたのが、この上なく嬉しかった。
「麗さん。」
「ん?」
「好きです。」
吉行は、そっと麗の唇にキスをした。
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