君がため、滝を昇らん

娑婆聖堂

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第3話 使者

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 糊で固めたような、息苦しい空気が淀んでいた。板張りの広々とした部屋は、開け放たれた庭からの風が流れ込み、本来ならば過ごしやすいはずである。
だが、その部屋に集まった面々にのんびり涼む気は毛頭無いようであった。

 上座に位置しているのは面妖な集団である。立夏も過ぎてそろそろ夏至が近づく季節に、細雪のように輝く絹の衣装を重ね着し、顔を大きな布で隠している。そこに書かれた文字にも意味があるはずだが、遥か海の果て、天の頂きの先にある国の文字を読み解けるものはイナバにはいない。
行列を作り、牛車を伴ってやってきた一行のうちの5人が部屋に入った。それを迎えたのはイナバの村長、オツチである。
 長年の農作業と戦いに鍛えられた、大柄な身体を猫のように丸めて使者たちに謝意を示していた。

「イナバの村長、オツチよ。先の昇龍の試練、挑んだ者は成れなかったようだな」

 村長に声がかけられた。奇妙なことに、5人のうち誰から発せられたのか分からない。真ん中であったかもしれないし、両端のどちらか、あるいはそれ以外の誰かだったか。
布に隠された顔は表情も塗りつぶし、非人間的な印象を与える。

「は、この非常の時において3年にも渡り一国の龍の座を空けさせ、聖上の御心をお騒がせいたしたる責、全てはこのオツチの不徳故のこと」

「よい。龍に成るかを決めるのは天の意思。みやこも龍が成るようにと祈祷はさせているが、こればかりは難しい」

 神人の祈祷はときたま神々の関心を引くこともあるが、神というものはだいたいが気まぐれ、かつ面倒くさがりなので、運命の流れまでに影響を及ぼす龍の関係事に力を貸すことはまずない。そのくせ面白そうと思ったなら天変地異から大戦まで起こすのだから厄介な事ことこの上ない。
 それに、村長にとってみればいまさら祈祷も何もない。いくら神といえど龍に成るための条件までも変えることは出来ぬのだから。
 そしてその避けがたき苦難を告げるのが使者の役目であった。

「オツチよ。次に昇龍を挑む者の名を述べよ」

 村長の息が詰まる。なんの意味もないと分かっていても、沈黙を長引かせたくなる。だが使者は待つだろう。彼らとて目星はつけているのだ。
 ただ問い、そして答える。その一連の流れもまた、厳粛な儀式の一部であった。

「挑む者の名は、ホオリ。我が子、ホオリにございます」

「確かに聞き届けた。イナバの村の村長、オツチの一子、ホオリが龍に成らんとする者である。」

 全く同時に使者たちが立ち上がる。装束を整え、わずかにはためいた顔布を押さえると、全く同時に、振り返ることなく去って行った。
 村長、オツチは跪いて顔を伏せた姿勢のまま、微動だにしない。
 やがて銅鐸が打たれる音が鳴り始め、徐々に遠ざかっていく中でも、まだ頭を床に着けたままであった。
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