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授業

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 食事が終われば学業へ。これは学生たる身分なら古今変わりようのない習慣である。顕著な変化と言えば鞄。大幅に電子化されたために小物入れくらいに簡素化している。
 持って行かなくても規則上は問題ないが、余はレジスタンス時代にアナログ筆記具を多用していたため、手になじんだ鉛筆やノートを詰めて運んでいた。
 
 一欠はそのような無駄を行わない。外からは完全な手ぶらに見える。颯爽と白衣をなびかせる姿は、どの角度からも現実離れした光芒を帯びていた。
 登校でももちろん二人は一緒である。余ももはやこういうものだと諦めた。後ろに先ほど捕まえた女学生たちを連れているのはにぎやかしのためである。普通の生徒をつけることで、近づかないでいる生徒らの警戒心を緩められると期待してのことだ。三弥子の顔がどんどん死んでいくばかりで効果は挙げられていないが。

 睦美の方は元気なものだった。たしかに危険性さえ考えなければ、余は画面の向こうの存在であるレジスタンスの残党。一欠は若年にして制職者クレリックA級の超人である。好奇心を刺激することは間違いない。

「一欠さんは入学する前から制職者だったんですよね?どんなことしてたんですか?」

 敬語を使ってはいるが、それは一欠の権威を意識してというより、彼女の持つ空気が砕けた言葉に合わないからだろう。質問は初手で一足一刀の間合いに踏み込んでいる。余はちょっと引いていた。

「任務の詳細を明かすことはできませんが、貴方が想像しているような業務ならば一通りこなしているはずです」

「わー!やっぱり凄いなあ。ビルの間を飛び回って、悪者をやっつけて……。あ!えと」

 夢想する中で、エースの隣にいた悪者の存在に気づく。お気楽ではあっても、気遣いを忘れている訳ではない。
余は心外という風に眉を上げる。

「気を使わなくてもいいさ。むしろこれで不機嫌になると思われる方が心外だな。間違っちゃいないよ。レジスタンスは悪者だ。勝てなかったしな」

「一言多い」

「でも``っ」

 余の案外太い首が生理学に反した図形を作る。骨と骨がこすれるごりり、という音。

「今の勢い骨組織充填してなかったら神経がへたれたイヤホンみたいになるとこだよ!?ほんとに処刑とか禁じられてるんですよねー!?」

「無用な心配です。あなたの身体強度はほぼ測定が完了しています。矯正はあくまで学業に支障を及ぼさない範疇。そんなことより負けたから反逆者は悪いなどという倒錯jした論法で同級生を惑わさないように。定められた律法を軽んじて暴力に訴えたがために悪なのです」

「はい」

 本当ににべもない。一日で評価が変動するわけもないのだが、それにしても徹底した距離の取りかただ。憎悪によって過激になるわけでも、慈悲によって柔弱になるわけでもない。数値で動くアルゴリズムそのものではないのかと見まごうようである。

「そんな状態ではこれまで積み重ねた負債を支払うのに十万年はかかりますよ」

「いや、さっきから言われ続けてるけど、俺の評価点そんなに悪いんですか?」

 一欠が言うなら誇張ではない。自覚は無い訳でもないがそれほどか、とつい尋ねてしまう。

「内戦以降戦闘に参加する生徒が増えた関係上、学園生徒の平均評価点は増加傾向にあります。久世余が入学したことでその分が消し飛んで遥かにマイナスです」

「そんなに!?一学年300人はいるよねこの学校!?」

「久世余の評価点は学年下位者のマイナス3000倍です。新入生のランクは講和以前の計算式で算出すればBの中間からCの上位になりますが、平均するとE。これは予防拘禁が可能になる不安定分子のランクです。久世余のランクを上げることは本人だけでなく新入生全体の評価を底上げすることにもつながるのです」

 余だけでなく隣の女子たち、どころか遠巻きにしていた新入生までもが唖然としている。聞いていない、というのが本音だろう。
 統制学園での評価は、もちろん個人のものが最大だが、学年全体でも査定される。互いに影響される以上、全員で向上を目指すのが最善であるのだから、ある程度の連帯責任は必要と認識されている。

 だが元レジスタンスだ。足を引っ張るどころか切断するレベルの劣等生なのは分かり切っているではないか。特例中の特例で入学したからには評価も分けられている、と考えるのが普通だ。
 
「え、評価に含まれてるの?俺」

「当然でしょう。むしろなぜ分ける必要が?あなたはこの学園の一生徒なのです。例外など無用です」

 先ほどまで首筋を撫でる程度だった殺気が、剃刀のようなざらざらとした質感を帯びる。形の無い感情に明確な理由が与えられたのだ。
どう考えても余と助け合って学年全体の成績を上げるより、叩き殺して山に埋めた方が早いし効率的だ。
そしてこの場にいるからには、差はあっても誰もが効率主義の権化である。可能なら行動する。その覚悟が肌で感じられた。

 三弥子の顔は融けかけた蝋人形のごとき有様である。無理もない。人生で初めての死線だろう。睦美も粘ついた憎悪の気配を察してか、口が重い。

「本当に大丈夫なのか?夜討ちされそうなんだけど」

「その程度対処すればいいでしょう。慣れているはずです」

「俺は睡眠不足が一番やなの!ようやく快適安眠が保障されたと思ったのに」

「ならば結果で手に入れなさい。そのための授業。学習内容は所詮高等学校の範囲です。詰め込めば学習は容易。牙年上位は取らせます。あとは特別授業と任務次第。あなたの能力なら三年かけてCまで上げることも不可能ではありません」

「俺中学2年で勉強止まってるんですが」

「上位を取らせます。なんとしても。まずは本日の基礎戦闘実習に集中すべきです」

 あくまでフラットな意見。余にもその他にも一切斟酌しない無感情なルールそのもの。その型に嵌められる側としては、答えはもとより一つだった。

「はい」

 模範的な返事に頷くと、一欠は授業の場へ五分前に着くため足を速めた。




 いわゆる座学の大部分が電子上でのデータのやり取りになって、教科書とノートの世代は既にほぼ引退している。有機系ディスプレイは視覚に負荷を与えない自然な光で、淘汰を経て洗練されたテキストを表示している。
 机を並べているのは、あくまで集中力を持続させるための環境の設定であり、極論十分な知識量があると認められれば出席せずともよい。生徒会長の八重子が戦争しながら進級できているのも、ネットで学習が完結する以上、場所は関係ないからであった。

 しかし自学研鑽が重視されるというのは、純粋な努力と工夫がモノを言うことでもある。平均的な学生にはむしろ辛いはずだが、もちろん全国学生の最上位層である統制学園生徒には無縁の感情だ。

「うん、分からん」

 そしてその例外の中の例外である元レジスタンスの義務教育未了者にとっては、辛い以前の問題でもある。ネット周りの実践的な知識は、無ければ生き残れないので身に着けていたが、基礎の数学などXとYで止まっている。なお統制学園では電子カリキュラムが効率的なこともあって、かなり進んだ内容にまで入っている。

ひとえ、お兄ちゃんはもうダメかもしんない……」

 今は檻の中にいるはずの妹の笑顔が脳裏に現像されてくる。もちろん幻覚だ。組織の中でもかなりの高位にあり、おまけに超の付くタカ派だった妹は懲役480年を喰らっている。政府は基本的に、反逆者を社会に復帰させて更生させることで正統性を知らしめようとしている。それでもなお外に出すのは危険と判断されるまでに頑固な思想の持ち主だった。
  
「なるほど話になりませんね」

 一切手が加えられていないモニターを横目で見て、白髪の監視者は評定する。反論の余地はない。わずかでも可能性があるなら断言は避けるのが科学の思考というもの。その上で駄目としか評しようがない。つまり駄目なものは駄目。

「んー、妹と一緒に刑務所で飯食って寝て死ぬかな」

「不可能です。反逆組織の服務委員長、久世単が拘禁されているのは、本人の危険性と逸脱した思想のためですが、それ以前に封印が可能だから檻に入れているのです。貴方を収容できる施設はこの世にありません」

 この世に無い。まったく不確かなところの無い物言いだった。地獄以外に彼を閉じ込める場所は存在しない、というのが列島の全知能が導いた答えである。

「俺を捕まえる方法も分からない頭なら、少し分けて欲しいねほんと」

「あなたに必要なのは脳の容量ではなくそこに記録する有益な情報です。たった今申請が通りました。久世余のカリキュラムを限定的に変更。中学生の内容から学習の密度と時間を増やすことで対応します」

 言葉の通り、画面が切り替わって理解できる単語になっている。内戦のおかげで、行政の運用は柔軟になっていた。失う事ばかりの戦争の、数少ない恩恵である。

「おっ、ありがたい。どのくらい増えるんだ?」

「一日305分。およそ5時間です。それでも前期は厳しいでしょう。」

「ん?一日って何分だったかな?」

「一日は24時間1440分86400秒です。13時間ほど学習にあてることになりますが、それでも前期で高得点を取るのは難しいでしょう。やはり実技で挽回する計画になりますね」

 余は空を見る。かつて文明の汚濁を受け止めてきた大気圏も、今や機関動力の効率化によって産業革命以前のあおさを取り戻していた。
 昼にもかかわらず、薄っすらと三日月が滲んでいる。青空の青を受けて青白い姿は、どことなく隣の少女の佇まいに似ている気がした。

「宇宙行こうかな。宇宙。木星辺りなら景色もいいだろうし」

「既にその案は却下されています。あなたの破壊力に距離はほとんど関係しません。管理が困難になるだけです。問題を解き、実習に備えて下さい」
 
 無慈悲な監督官は逃避を許さない。第一、余の待遇を変える権限も持ってはいないだろう。彼女はあくまで現場の一公務員なのだから。

 そして実習。要は戦闘訓練であるが、これは更に気が重い。
 授業の内容云々ではない。むしろ平均以上の結果を出せる科目はこれだけと言っていい。問題は、危険かつ仮想では情報量が少ないために、教師が必要になるということ。
 余と因縁があるのは生徒たちだけではない。教師役を任されるほどの経験豊富な制職者は、レジスタンスとの戦いも数えきれないほど経験しているのだ。

 割と本気で生命の心配をしなければならあかった。 
 
 
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