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第7話:隣国の姫君
#01
しおりを挟む「さて、こっから逃げるとしようぜ。手伝ってくれ」
『ナグァルラワン暗黒星団域』に点在するブラックホールの一つに、飲み込まれつつあるサイドゥ家御用船『ルエンシアン』号。
その中では、どこかとぼけたような調子で言い放ったノヴァルナの言葉に、サイドゥ家の長女ノア・ケイティ=サイドゥが苛立って言い返した。
「ここから脱出する!? 何を言ってるの!? 状況が分かってるの!?」
「分かってっから脱出するんだろが! いいから手伝え、時間が惜しい」
ノヴァルナは面倒臭そうに応じるが、御用船は重力子コンバーターが停止しており、たとえ今すぐ修復出来て機関を最大出力にしても、船自体が脱出不可能な位置までブラックホールの超重力圏内に“沈んで”しまっているのだ。
それを呑気そうに…ノアは目の前にいるノヴァルナ・ダン=ウォーダという若者を、本当に頭がおかしいのではないかと疑った。その当のノヴァルナはノアから顔をそらして、自分のNNL(ニューロネットライン)ホログラムを操作し、何かの計算に没頭していた。そして再びノアに振り向くと、急かして告げる。
「おい、早くしろ。この船はもってあと五分だぞ!」
「何をしろって言うのよ!!」
危機感も絶望感もないノヴァルナにノアは腹を立てながら尋ねた。自分の最期がこんな頭のおかしい人間と一緒だなんて…とさえ思う。ところがノヴァルナは思いのほか冷静に応じる。
「サイドゥ家の認証コードを持つあんたなら、メインコンピューターにアクセスしてこの船の対消滅反応炉を暴走…つまり自爆させられるだろ? 超重力圏内での対消滅爆発で時空断裂を発生させて、重力に潰される前に俺達のBSHOでその中に飛び込む。それしかないぜ」
しかしそれを聞いてノアは、ノヴァルナはやはり頭がおかしいに違いないと思った。この若者がやろうとしている事は、通常はワームホールで行う超空間転移―――DFドライヴをブラックホールで行うという話だ。
だがワームホールが行き先を確定した時空トンネルなのに対し、時空断裂させたブラックホールの先がどうなっているのかは不明であった。かつて出口として考えられていたホワイトホールはブラックホールの外周であり、独立して存在はしていない事が判明している。そしてそれ以前に、無事転移出来る可能性はほとんどないのだ。
ノアはその事実をノヴァルナに告げかけたが、途端にノヴァルナから「いい加減にしろ!」と強い口調で一喝された。
「い!…いい加減にしろですって! よくもそんな口を…」
抗議の声を上げようとするノア。ノヴァルナはそんなノアに詰め寄り、ヘルメットをぶつけそうな程に近付けて、ノアの抗議の言葉を自分の言葉で遮った。
「ああそうだ。たぶん助からねえ! いま計算したが成功する確率は10パーセントもねえ! 俺達はもう九割がた死んでるさ!―――それを聞いて気が済んだか!? だがな姫様、何もしなけりゃ助かる確率はゼロのままだ! たとえ1パーセントでも、ゼロとは大違いだろうが!?」
「!!………」
言葉に詰まったノアを見るノヴァルナは、彼女が肩を小さく震わせている事に気付いた。鏡面のヘルメットで中の表情は窺い知れないが、恐怖に怯えているのではなく、ここまでの流れから感じるノア姫の気の強さから、相手に正論を吐かれて悔し涙を浮かべているのかもしれない。
ノヴァルナは悉く突っ掛かって来るノアを煩わしく思った。ただ今この局面で必要なのは、怯懦に震えるか弱い姫様ではなく、悔し涙を浮かべても理性を保って生存を模索する、勇ましい姫様である。そしてその推測はどうやら正しかったようだ。
「わかったわよ!!」
少々捨て鉢気味に応じたノアは言葉を続けた。
「―――何をどうして欲しいか、さっさと言いなさい!」
言い合いをしている間にも周到にプログラム改変を行ったノヴァルナが、御用船の船腹に取り付いている『センクウNX』に戻ったのは、それから間もなくである。隣にはノア姫のBSHOがおり、互いのNNLを使って両方の機体のシステムを、一時的にリンクさせていた。またそれによってノア姫のBSHOがルモ・イル社製で、『サイウンCN』という名称だと判明する。
二機のBSHOと御用船の周囲は完全な暗黒であった。すでに事象の地平の内側付近にあり、BSHOは機体を取り囲む重力子フィールドを反転出力全開にして、いまだに状態を保っているものの、御用船は巨大な潮汐力によって外殻がひしゃげ、崩壊を始めている。船の方はあと1分ももたないだろう。
「用意はいいか?」
と尋ねるノヴァルナに、ノアは「準備完了」と応じ、さらに付け加えた。
「万が一…生き延びられたら、あなたを蹴飛ばすから」
ノヴァルナは崩壊していく御用船の機関部を見詰めたまま、「ふふん」と軽く微笑んだ。万が一を信じるような夢想家ではないが、最期に聞くには今のノア姫の言葉は悪くない。
“…さて、これで死んだらどうなるか、分かるってもんさ”
竜巻に巻かれたようにパーツをバラバラと飛び散らせながら、崩壊する御用船の機関部の中から、暴走状態で白熱した対消滅反応炉の炉心が現れた。
本来なら暴走を食い止めるはずの三重になった安全装置は、すでに粉微塵になって超重力の底なし沼に吸い込まれて行きつつある。ノヴァルナが狙っていたのは、通常では起こらない、暴走状態の炉心がむき出しになるこの状態であった。可能性の高い死を目前にして、意外と醒めた気持ちでノヴァルナはノアに合図する。
「よし。開始!」
次の瞬間、ノヴァルナの『センクウNX』はノアの『サイウンCN』と手を繋ぎ、その『サイウンCN』はむき出しになった炉心を、超電磁ライフルで狙撃した。ノヴァルナは『センクウ』と『サイウン』の反転重力子フィールドを乗算させて、さらに出力を上げる。
暴走状態のところに、弾丸を撃ち込まれて対消滅のバランスが崩れ、自爆を起こした炉心の閃光が一瞬広がる。それはノヴァルナの視覚だけでなく意識までも覆い尽し、他の感覚までも押し流した。
さらに続いてすべてが闇に飲み込まれる。もとより光すら脱出不可能な事象の地平の内側である。対消滅爆発が発生させる膨大な光量も、カメラのストロボのようにほんの瞬間の出来事に過ぎなかった。
“こりゃあ…やっぱ死んだな”
二機のBSHOが乗算させた重力子フィールドも、あと数秒ももたないはずだ。ノヴァルナはあらゆる感覚と乖離した意識の中で、死を実感した。いやそれは、実感するという時間すら存在しない刹那であり、また一方で永遠という名の牢獄に閉じ込められた奇妙な感覚だ。
感覚………?
感覚などなかったのではないか?
自分に問い掛けたその時、意識の中の聴覚が声―――いや、謡(うた)を捉えた。
ニンゲン ゴジュウネン
ゲテンノウチヲ クバブレバ
ユメ マボロシノ ゴトクナリ
ヒトタビ―――
男の声……誰だ…誰が謡っている?
銀河皇国公用語じゃない…だが似ている…
神話語…“カミヨコトバ”か………
するとその直後、ノヴァルナに意識の中だけの感覚ではなく、実際の感覚が全部甦った。しかもパイロットスーツを着て、『センクウNX』のコクピットの中にいる。機器類も稼働状態だ。無論、現実であって死後の世界ではない。
“!!??”
状況が理解できず、ノヴァルナは周囲を見回した。全周囲モニターも“生きて”いる。隣にはノア姫の『サイウンCN』が手を繋いだままだ。だがセンサー類や通信回線は、発信はしているが反応はない。つまり自分達はまだブラックホールの中、事象の地平の中にいるという事になる。
“なんだ? 何が起きている?”
視界には自分の機体とノア機以外に、何も存在していない。真っ黒な“永遠”がそこにあるだけだった。その中で両機のボディが僅かに黄色く光を放っているのは、反転重力子フィールドを纏っているからだ。
しかし反転重力子フィールドは、ブラックホールの超重力に対して、すでに限界に達しているはずである。それが機体を維持しているという事は、理由を理解出来なくても状況が異常だと分かる…これまで探査機も、それが発する電波類も、ブラックホールに突入して戻って来たものはなく、実際に内部がどうなっているのかは不明ではあるが、さすがにこれはあり得ない。
ところが、ふと気配に気付いたノヴァルナがノアの『サイウンCN』の肩越しに、その先に視線を遣ると、彼方に異様なものがあった。
人工の建造物―――白銀色をした、神殿である。
それは正確には“神殿のように見えるもの”だった。古代文明の遺跡にあるような高い円柱が無数に立ち並び、三階建ての構造体を支えている。完全な暗黒の中でそれが見えるという事は、視覚で捉えられる何らかのエネルギーフィールドに包まれているに違いない。ただ比較対象になるものがないため、距離感が掴めず、実際の大きさは分からない。
そして何より異様なのは、その神殿らしき建造物が、斜め上から降りているワイヤーに繋げられているという状態であった。
ノヴァルナはそのワイヤーの元を見ようと顔を上げたが、先が細くなって見えなくなるまで続いており、どこの何と繋がっているのかは確かめられない。
“こいつはいったい、何の冗談だ?”
そう思いながら、なおもその神殿の様子を探ろうとするノヴァルナ。しかしその視覚は再び起きた全てを包み込む真っ白な閃光で、奪われてしまった………
▶#02につづく
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