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第9話:退くべからざるもの

#13

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 翌日、医療区画から“退院”して来たメイアとマイアは、早くもノアの護衛兼侍女役に復帰した。挨拶に来た姉妹の元気そうな姿に安堵すると共に、体が本調子になるまで休んでいていいと言うノアだったが、“姫様のお傍に仕えてこそ、本調子になります”との姉妹の言葉で、その日のうちに任務にもどったのである。

 そんな姉妹を驚かせたのは、わざわざ会いに来たノヴァルナが、二人に深く頭を下げて、ノアを守ってくれた事に対して感謝の言葉を述べた事だった。
 そして…ノヴァルナは“しばらく休んでいい”“今日一日ぐらいゆっくりしろ”と、何度も休養を促した。ノアも似たような事を言って来たが、なぜかノヴァルナの方が丁寧…いや、執拗だった。
 しかも奇妙に思いながら、ノアに告げられた時と同じように、姉妹が頑なに復帰の意志を告げると、ノヴァルナは明らかにガッカリした表情になって、小声で「なんでぇ…元気になったんなら、ノアもその気になるかも知んねぇのに」と、不満たらたらに呟くのが聞こえたのだ。

 吹き出しそうになるのを我慢して、一旦私室に戻ったメイアとマイアは、自分達が居なかった昨夜のノアとノヴァルナが、どんな状況で過ごしたかを見抜き、顔を見合わせて苦笑いした。やはりそうなったか…と。

 本当は『ルーベス解体基地』の戦いが終わり、『ムーンベース・アルバ』の医療区画へ担ぎ込まれた時から姉妹は、ノア姫から「これからはノヴァルナ様と朝までいます」と告げられても、認めるつもりだったのだ。ノア姫のノヴァルナを想い、どこまでも共に行こうという強い意志が、『サイウンCN』での単機出撃へ至らせたからである。

 ただ同時に姉妹は、根っこの部分で生真面目なノアとノヴァルナが、自分で自分にかせを嵌め、何もしないだろうとも思っていた。特にノヴァルナは、メイアとマイアがウォーダに来て、知れば知るほど生真面目この上ない若者だと感じるようになっていた。言ってみれば傍若無人、天衣無縫な人物を生真面目に演じているのだ。逆に言えば、そういう若者であるから、ノア姫も一も二もなく惹かれるようになったのだろう。

 だからノア姫様は私達の光なのだ―――と双子姉妹は思う。自分達が子供の時にすでに奪い去られたもの…絶望の日々の中で失ってしまった、心の光だ。

「それでメイア。どうするの?」

 一卵性双生児の二人に多くの言葉は必要なかった。妹の問い掛けにメイアは、サイドゥ家の軍装に着替えながら無機質な表情で告げる。

「任務は任務。当面は放っておきましょう」

 メイアのその言葉にマイアは僅かに口元を緩め、微笑みらしき表情を作ると無言で頷いた………


 
 しかし、事実上の勝利を収めたノヴァルナに与えられたのは、そんな穏やかな日常ばかりではなかった。


それから四日後―――


 この日のノヴァルナに予定されていたのが、キオ・スー城での謁見。相手は先日の謀叛の首謀者、自分の弟カルツェ・ジュ=ウォーダである。しかもノヴァルナから求めた事でも、カルツェ側が申し出た事でもなく、ノヴァルナとカルツェの母親であるトゥディラからの要請だ。カルツェに加え、側近のクラード=トゥズークとカッツ・ゴーンロッグ=シルバータを詫びに行かせるゆえ、会ってやってほしいという話だった。

 ノヴァルナとしても、彼等をいつまでも謹慎という形で、放置しておく訳にも行かなかったのだが、またここで母親に出てこられては、頭の一つも掻きたくなる気分である。



 そぼ降る雨が寒気を招き、季節をまた一歩進ませるように感じられる日の午後、まずノヴァルナは、執務室で母親のトゥディラと会っていた。
 応接用のソファーセットに向かい合って座る、ノヴァルナと母親のトゥディラ。ノヴァルナ側で同席するのは、ノアと次席家老のショウス=ナイドル。そして『ホロウシュ』のナルマルザ=ササーラとラン・マリュウ=フォレスタだけである。対するトゥディラは二人の娘―――ノヴァルナにとっての妹、マリーナとフェアンが一緒だった。



汚い手をお使いになられる―――



 それがノヴァルナ側の抱いた、この時のトゥディラの印象だ。ノヴァルナにとって婚約者のノア姫に匹敵する弱点があるとすれば、普段はスェルモル城に住んでいる、この二人の妹である。

 二人の妹はノヴァルナをとても慕っており、ノヴァルナもこの二人には何かと甘い。そんな妹達を連れて来たのは明らかに、ノヴァルナがカルツェ達に対し、その命を奪うような処分を考えていた場合への牽制だった。妹達の見ている前で自分の弟に、死を命じる事が貴方には出来るのですか?…という、トゥディラの無言の問い掛けだ。

 そしてマリーナもファエアンも、自分が連れてこられたその理由が分かっているらしく、いつものノヴァルナといる時の態度と打って変わって、まるで人形のように硬い表情だった。特に感情豊かで朗らかさが持ち味のフェアンは、じっとうつむき加減のままで、出されたケーキに手も付けていない。

「―――と、申した通りじゃ。ノヴァルナ殿…今回はこの母に免じて、穏便に済ませてはもらえまいか?」

 自分とは年に何回かしか顔を合わさず、会ってもどこか事務的な口調でしか話さない母が、おもねるような姿で告げて来るのを、ノヴァルナは無言で見据えたまま、どこか他人事のように聞いていた。代わりに背後に立つ次席家老のナイドルが、恐縮しながら告げる。

「とは仰せになられましても、事が事だけに…」

「ですから、私がこうして参っているのです」

 横から口を挟まないでとばかりに、柔らかい口調ながらぴしゃりと言い返され、ナイドルは困り顔になって押し黙った。トゥディラは僅かに身を乗り出して、再び正面に座るノヴァルナに声を掛ける。

「のう、ノヴァルナ殿。そなた達は血を分けた、兄弟ではないか」

 その言葉を聞き、ノヴァルナは自分の心が乾いていくのを感じた。子供の頃のあの日、自業自得でケガを招いた弟なのに、母からおまえが悪いと、一方的に決めつけられたあの日と同じだ。

 滑稽だった。これまで自分を蔑ろにして来た母親が、血の繋がりを理由に、自分を殺そうとした弟を許してやれと言う。親兄弟でさえ殺し合うのが、戦国の世の星大名…時として外部の敵より、身内の方が危険でさえもする。ノヴァルナはいつもの不敵な笑みではなく、乾いた微笑みで口元を歪める。

 無言のままのノヴァルナに、トゥディラは焦れたように告げた。

「そなたの気持ちも分かっておりまする。だがここは、此度だけは、カルツェを許してやっては貰えまいか。そなたに刃向かったは軽挙妄動であったと、すでに充分に反省しているであろうし」

 俺の気持ちも分かる…か、という言葉の無意味さだけが、ノヴァルナの胸中に浸み込んで来る。母の隣を見れば、マリーナもフェアンも微動だにせず、うつむき加減で一点を凝視したままだった。居心地が悪いどころではなく、心を消し去ってしまっているようにすら見える。

 するとトゥディラは、妹達を見るノヴァルナの視線を取り違えたらしく、「さ、貴女達もノヴァルナ殿に、カルツェの助命を願うのです」と促した。
 マリーナとフェアンにだけは、カルツェの命乞いをさせたくはなかったノヴァルナは右手を軽く挙げ、ようやく口を開いて「母上―――」と制止する。

「私はこれまで、私からカルツェに危害を加えた事は、一度もありません」

「それはよう分かって、よう分かってお―――」

 いや、あんた分かってないだろ…そう言いたくなるのを抑えて、ノヴァルナは再び右手を軽く挙げ、母の言葉を遮った。

「それをカルツェの奴は、一方的に攻めかかり、私を殺害しようとしました。こんな暴挙を、許せと言われるのですか?」

 ノヴァルナの物静かな口調に、刀剣のような冷ややかさを感じたのか、トゥディラは狼狽気味に告げる。

「ノヴァルナ殿の殺害は、ミーマザッカが仕組んだものです。カルツェはそなたを降伏させ、当主の座を譲らせるだけのつもりで、殺害の意図はなかった。あの子はミーマザッカに、たばかられていたのです!」

 確かにトゥディラの言う通りではあった。停戦後にカルツェの参謀達などから聞き取った幾つかの情報では、今回の計画がノヴァルナの殺害を目的としていた事は、首謀者のミーグ・ミーマザッカ=リンとクラード=トゥズークが、内々で決めていた話であったらしく、それを最後まで聞かされていなかったカルツェ自身には、ノヴァルナの命まで奪う気はなかったようである。

 しかしだからと言って、カルツェに何の責任もないという訳ではない。側近達が提示した作戦案を了承し、戦闘を仕掛ける命令を下し、配下の将兵を死地に赴かせたのは、他ならぬカルツェだからだ。

「果たして母上。“知りませんでした”で、済むような問題でしょうか?」

 普段の砕けた物言いではなく、丁寧な言葉遣いをするノヴァルナに、空気が張り詰める。ノヴァルナ自身、自分の母親に対して意地悪いとは思うが、これは質しておくべき事、言っておかなければならない事だった。なぜなら今回の弟の謀叛は、母親も黙認した上での事だと、見抜いていたからである。

「む、無論の事! これが理不尽な申し出であるのはようよう!…ようよう分かっておりまする! だからこそ!…だからこそ、私に免じて…母に免じて、慈悲を与えてやって欲しいのじゃ。これ、この通り」

 そう言って深々と頭を下げて来るトゥディラの厚顔無恥さに、ノヴァルナは憤りを感じ始めていた。
 いや、カルツェを許せ、という事に対しての憤りではない。自分とカルツェの関係がこじれきった今になって、母親という立場を振りかざして、間に割って入ろうとしている事に対する憤りだ。
 しかもそれは、母が溺愛するカルツェが敗北したからである。そして傍若無人は演技だとしても、ノヴァルナは聖人君主でも何でもない。本質はやはり、人並みに感情を持つ青年だった。

“もし俺とカルツェの立場が逆だったなら…あんたはそうまでして、俺の命乞いをしてくれるのかよ!!”

 奥歯を強く噛み締めたノヴァルナは、怒りに任せ、トゥディラに喰って掛かりそうになる。だがその時、隣でノヴァルナに憤慨の度合いを気配で察したノアが、静かに片手をノヴァルナの腕に置いた。自分を気遣うノアの手の感触に、ノヴァルナは怒りを飲み下して深呼吸をする。妹のフェアンに目を遣れば、こちらもノヴァルナの怒りを感じ取っていたようで、今にも泣き出しそうだった。

 ノヴァルナは腕に置かれたノアの手に、自分のもう一方の手を重ね、“ありがとよ”と意思表示すると、口調を落ち着けて母親に意見する。

「カルツェのした事を軽挙妄動と申されるのでしたら、なぜこれまで、諫めて下さらなかったのです?…なぜあのような、馬鹿な真似をお許しになったのです?…私は、カルツェと争う事など、望んでいなかったのに」

「ノヴァルナ殿、そ、それは…」

 言葉に詰まるトゥディラ。そのはずだった。お前の方が当主に相応しいと、幼少の頃からカルツェを焚きつけて来たのは、他ならぬトゥディラだからだ。そしてそれを利用して自分の権勢を高めようと、野心を抱いた者達が群がり、今のカルツェを作り上げてしまったのである。そういう意味では、カルツェも犠牲者であるとも言えた。挽回の機会は、与えられるべきであろう。

 すると軽やかな呼び出し音がノヴァルナの眼前で鳴り、インターコムのホログラムアイコンが浮かび上がる。ノヴァルナが指先でそのアイコンに触れると、『ホロウシュ』のヨヴェ=カージェスが報告して来た。

「ノヴァルナ様。カルツェ様のシャトルが到着しました」

 その言葉通り外では、雨脚が強まる中、キオ・スー城のシャトルポートに、惑星ラゴンの反対側から飛来した、銀色のシャトルが着陸しようとしている。

「わかった」

 ノヴァルナはそれだけ応えると、一旦私室に戻るため、ソファーから立ち上がった。謁見の用意をするにはまだ少し早いが、これ以上母親と話しても不毛なだけに思えたからだ。

「ノヴァルナ殿!…くれぐれも…」

 まだカルツェについて何か言いたそうにするトゥディラ。振り向くノヴァルナ。この若者には珍しく、ぎこちない作り笑いをその端正な顔に貼り付けて告げる。

「ご心配なく、母上。ではまた謁見のあとで。マリーナもフェアンもな」



 どことなく逃げ出すような雰囲気でノヴァルナが執務室を出ると、そのあとに執務室を出て通路を並んで歩き始めたノアが、ポン…と片手で軽く背中を叩き、今の婚約者の心情を察して話しかけて来た。

「ね。終わったら、バイクでツーリング行こうか?」

「今、外は雨降りだろうよ」

「じゃあ、いっそのこと宇宙へ上がって、BSIで模擬戦でもする?」

「は?…おまえの『サイウン』、修理中じゃん」

「ふふん。あなたごとき、『サイウン』じゃなくても充分よ。普通の『シデン』でやっつけてあげるから、どう?」

 そう言ってノアがシャドーボクシングのように、二、三回パンチを繰り出す仕草をしてみせると、ノヴァルナは僅かに肩を揺らせ、苦笑いを浮かべる。

「言ってろ、バーカ」

「おやぁー、自信がないのかなぁ?」

「またBSIで頭突き喰らわされたら、かなわねぇからな」

 ノアの気遣いを受け入れ、幾分機嫌が直った声でノヴァルナがそうからかうと、ノアは「あ、こら。それは言うな!」と返して、肘でノヴァルナの脇を小突いたのであった………
 




▶#14につづく
 
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