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第三章

我恋歌、君へ。第三部:12 追放

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 それから俺と神音との仲がひどくぎこちなくなってしまった。
 顔を合わせれば挨拶もするし、仕事の話もする。いままでと変わらないように見えても、時々じっと俺を見ている神音がいて、俺はできるだけ神音と目を合わさないようにしている。
 それなのにふたりとも距離を置こうとはしないで、むしろ常に見張っているような状態だったから、仲間たちにも気づかれた。
「……なんや、いつもと微妙に雰囲気が違うけど、どないしたん、響ちゃんと神音」
「どうしてでしょうか。僕にも見当がつきません」
 八代さんと文月さんがこそこそっと話をする横で、俺は神音と新曲について意見を合わせていた。
 ふたりは背後のアレンさんを無言で振り向いたけど、アレンさんもただじっと俺を見るだけで何も言わなかった。
 変わったのは俺と神音の間だけじゃなく、すべてが少しずつズレはじめた。
「何してんの、響! 次は七階に集合だって言ったでしょ」
「……っ、ごめん。すぐ行く!」
 集合場所や時間、持ち物や質問リストの紛失など、小さな食い違いが俺にだけ続発するようになった。
 どれだけ神音と予定を確認しても、どこかがズレていて、遅刻してしまう。
「おまえら、仕事を舐めてるのか!」
「すみません!」
 今日も撮影スタジオの場所が指示されていた場所と違い、神音に案内してもらってどうにか辿りついたのだ。
 多くの人が関わっている仕事において、遅刻することがどれだけ迷惑をかけるのか、よくわかっているから気をつけているつもりなのに。
 そして相変わらず歌が上滑りしたままだ。
(……今日も、駄目だった……)
 最初に違和感を覚えた日から、どんどん出来が悪くなっていく。
それは仲間たちにも伝わって、体調不良を心配していた仲間たちが、少しずつ不信感へ変わっていく気配に焦りが増す。
 当然ファンにも不調が伝わり、やっぱり神音に戻せとの声が上がりはじめていると松木マネージャーが教えてくれた。
「明日こそ、気をつけてください。時間と場所を間違えないように」
「はい」
 少しでも空いた時間にジュノさんのトレーニングを予約しているのだが、最近はやる気がないのが伝わってくる。
 適当にピアノを弾いて、簡素な指示をしてくるだけ。口が悪くても熱の入った指導はまるでなくなり、口数もめっきり減った。
 気まずいばかりの毎日。
 眠ろうとするとあの日の出来事を思い出してしまい、明りを全部つけたままでないと眠れなくなっていた。
 逸美さんの店にも行けていない。
(きっといま顔を見せたら、何があったか追及されて、全部言うまで逃がさないとか言いそうだ……)
 もしかしたら仲間たちのように、気まずくて距離を置かれてしまうかもしれない。
 問いつめられるのも、距離を置かれるのも怖くて、俺は店に行く勇気がなかった。
 さらにあるイベントの打ち合わせに出掛けた先で帰り道、スタッフのひとりに声をかけられた。
見せたいものがあるからと言うスタッフについて行くと、写真を見せられた。
複数の男たちに囲まれ、頭部を袋で隠された人が座っている。その乱れた服装からあの日の写真だとすぐに理解できた。
「っ……」
 全身の血の気が一瞬で引いた。
「あは。顔色を変えたってことは、やっぱりここに映ってるの、あんたなんだ。へぇ……ネットに書かれてるウワサも結構的を射てるんだなぁ……ところでさ、俺と一回寝てみない? こんな大勢を相手にするなんて、体が寂しくて仕方がないんだろう?」
 伸びてきた腕を思いっきり叩き落として、俺はその場から逃げ出した。
 こんなことをしたら何かが起きてしまうかもしれないとは危ぶんだものの、気持ち悪くてとても我慢できなかったのだ。
 けれどそのまま何事も起きず、数日が過ぎる。
 あの日のことや母親のこと、身辺に起きる不思議な食い違いについて、俺はだれにも相談できず解決策も思いつけないでいた。
 ぎくしゃくとした空気のまま、新曲のレコーディングを終えて、ジャケット撮影に臨む。
 今度も衣装をデザインしたのは逸美さんだと言うが、以前とはガラリと雰囲気を変えてスーツスタイルの洗練された大人な衣装だった。
 そして地方のイベントに出場するため、一日だけ休みをもらい、準備をしていた時だった。
 至急事務所に集まれと富岡さんから指令が入った。
 慌てて掛け込んだ事務所内で、すでに集まっていたメンバーたちは深刻な顔でスマフォを見ている。
 全員の視線を集めているのは富岡さんが手に持ったままのスマフォで、そこから音楽が流れている。
 俺は首を傾げながら近づいて、その曲が何なのかに思い当たる。
「それ……新曲の……」
「そうだ。おまえたちがレコーディングしたばかりの新曲だ。正しくは、新曲になるはずだった曲だが」
 富岡さんが無表情の中に険しさを忍ばせ、硬い声で俺に告げる。
 隣で神音が俯き、両手を握りしめているのが見えた。
「神音が言うには、新曲の原曲を聞かせたのは響、おまえだけだそうだ」
「……どう言うこと……ですか……」
 すると目を伏せていた文月さんが、何かを堪える顔で俺を見た。
「僕たちがレコーディングした新曲とよく似ていますが、その曲は他のアーティストが発表した新曲です」
「……え……?」
「響ちゃん……おれらより先に、おれらの曲を、別のやつらが発表したんや……その理由、響ちゃんならわかるか?」
 俺は八代さんの声を何回も反芻して、ようやく理解した。
 富岡さんが俺を呼びだしたのは、これを聞かせて反応を見るためだったんだ。
 そしてたぶん、仲間たちは俺を疑っている。
「……響くん、。スケジュール的に神音が作曲し終えた直後、またはその前にレコーディングしていないと、こうして発表するためには間に合わない。神音がオレたちに曲を披露する前、この曲を聞かせたのは響くんだけだと言った」
 アレンさんでさえ、厳しい顔つきで俺を見ている。
 ぐらり、と足元が揺れた気がした。
(どうして……こんなことに?)
 信じたいのに信じられない。そんな仲間たちの気持ちが冷やかな空気となって肌に突き刺さるようだった。
「響くんなら聞くだけで覚え、再現させられる……でもオレたちは信じたいと思っているんだよ。だから……」
 納得できる理由を教えてくれないかな、とアレンさんが複雑そうに笑いながら一歩近づいた。
 逸美さんの店から出た時は、いますぐ会いたいと強く願った人が目の前にいるのに、この時は何も感じることができなかった。
 まるであの日が夢のような心地だった。
「……理由……」
 そんなもの俺自身が知りたい、と思った時、神音が顔を上げて叫んだ。
「響に聞かせた曲、そのまんまなんだよ! あれからいくつか書き直して、それからみんなに聞かせたから、最初の曲を聞いたのは響しかいない! だからさ、素直に認めてよ。そしてこんなことした理由を教えて。ぼくに仕返しがしたかったの、苦しめたかったの? それとも奴らに何か見返りを約束されたわけ?」
「……神音、落ち着け」
 富岡さんが神音の肩を押さえたものの、神音の感情が治まることはなかった。
「言ってよ、全部話せよっ! どうしていつも口を閉じちゃうんだよ……昔から、いつだってひとりで耐えてるって顔して、何でも飲みこんで……そんなの頼んでないよっ!」
「…………」
 俺は口を開いて、何かを言おうとして、でも何も言えずに口を閉ざした。
 本当はすべて言ってしまいたい。
 たぶんこれは母がどこかで仕掛けたことだ。
 どうやったのかはわからないけど、悪い予感が当たってしまった。母は俺が神音と活動することを許さなかった。それだけなんだ。
「俺……バンドから、抜ける」
「な、に言ってるの?」
 アレンさんが目を丸くして俺の肩に触れたけど、その手を思いっきり跳ねのけた。
 傷ついた表情をするアレンさんを見ていられなくて視線を反らすと富岡さんと目が合った。
「……響。おまえを最初に見た時、私が何を感じたか、知っているか?」
「え……?」
 いきなり話題が変わって、一瞬理解不能に陥る。
 富岡さんがわずかに目を細めて俺を見る。
「おまえは神音に連れられて行ったファミレスで会った時が初対面だと思っているだろう」
「……違うんですか?」
 高校三年の冬、神音に誘われてバンドメンバーたちと会ったその場に富岡さんがいた。
(間違いなくあの時がはじめてだったと思うけど)
「私が勧誘する人間は、音楽活動以外の言動も把握した上で決める。だから神音を調べていた時におまえも知り、神音からおまえを勧誘していると知った後、再度おまえを調べさせてもらった」
 真面目な顔して言っているけど、ちょっとストーカーっぽいな、と頭の片すみでおかしく思う。
「……母親とふたりだけになったとたん、おまえに辛く当たる母親の姿を目撃した。だがおまえは言い返すことなく、俯いてやり過ごしていた……正直に言う。私はおまえが嫌いだった。歯痒く、苛立ちを誘う」
「…………」
「富岡さん……」
 そっと庇うように進み出たアレンさんへ、富岡さんはちらっと視線を投げただけで、すぐ俺へ視線を戻す。
「だが、おまえは変わった。馴染みのない環境に立ち向かい、自分自身と戦った。そうだろう? だから私はおまえを認め、海外へも行かせた……あの頃の気持ちを、おまえはもう忘れたのか? いつまでそうしているつもりだ? また私を失望させたいのか?」
「…………っ」
 滅多に感情を表さない富岡さんが、常になく声を張り上げ、強く言い放った。
 周囲にいて様子を見守っていたメンバーたちが、富岡さんから俺へと向き直る。
 八代さん、文月さん、神音、そしてアレンさん。
 声にならなくても彼らの表情から気持ちが伝わってくる。
 不意に高校生活を送った教室が思い浮かんだ。そこで聞いた樫部の過去と、強いまなざしで俺に問いかけてきた樫部の声も。
(……そうだ、手放しちゃいけない。もう昔とは違う。俺には、助けを求められる人たちがいるじゃないか)
 震える胸の中で鼓動が高鳴る。
 手を差し出せる人がいる喜びと、それを間違っていることだと阻む自分自身の声が交互に入り乱れ、思考が定まらなくなる。
「響くん……」
 アレンさんの小さな声が耳に届いて、弱い心が傾いた。
「……神音、俺は盗作なんてしてない……神音が作る曲が大好きなのに、別の人に歌わせるはずないよ……」
 ずっと俺は打ち明けることが怖かった。
 いきなり連れ去られ、強いられた行為を知られたら、蔑まれるのではないかと怯えていた。
 だから話そうと覚悟を決めたのに、その先を続ける勇気が萎んでいく。
 そんな時、そっと肩に腕を回して、寄り添ってくれたのはアレンさんで、さっきその手を振り払ったばかりなのに、今は寄り添ってくれる温もりを拒むことができなかった。
(都合のいい俺でごめんなさい)
 心の中で謝ってから、目を閉じて一度深呼吸をする。
 ツアーが終わり、母親と思わぬ対面をした日からを途切れながらも最後まで話した。
 短い時間ではなかったと思う。俺が何度も詰まったし、要領よくまとめられなかったから。
 それなのにだれも動こうとしなかったし、ずっと耳を傾けてくれた。
 言い終わると、怪我した手をそっと包み込まれて驚く。
「震えてたから……打ち明けてくれてありがとうね」
「…………っ」
 優しくアレンさんが労ってくれた。とたんに涙が溢れて、止める間もなく流れ落ちる。
 空いている手を噛んで嗚咽を堪えていたら、アレンさんが俺の頭を抱き寄せて、泣き顔を隠してくれた。
「……どうするんや、プロデューサー」
 八代さんが低い声で富岡さんに問いかけている。
 しばらく間が空いて、富岡さんが俺の名前を呼んだ。
「そのままでいい聞け。おまえをバンドから脱退させる」
「! 富岡さんっ」
 アレンさんの方が先に反応して、富岡さんに反論しようとした。
「勘違いするな、アレン。敵を欺くためだ、真実ではない。響は私たちに事情を話していない振りを続けてもらう」
「……それって、響を囮にするってこと?」
 低い声で神音が確認する。そんな声も出せるんだと感心するほど、敵意が色濃く滲んでいる。
「例え敵を捕えるためでも、響を傷つけたら容赦しないからね」
「わかっている。最大限の注意を払う。おまえは私たちを信じているだけでいい」
 最後は俺に向かって言い、富岡さんが俺を抱き寄せていたアレンさんの腕を解かせる。
「……ここからはひとりで行け。連絡も取ろうとするな」
「……はい」
 しばらくの間だけだとわかっていても、富岡さんに促されて部屋を出る時、身も心も凍るような心地になった。
(ここに戻れるよな……これで終わりじゃないよな? 信じていいんだよな?)
 足が震えてまっすぐ歩けない。
 すべてが終わってしまうような錯覚を感じて、不安が襲いかかる。
 思わず部屋の中を振り返る。
 だれも何も言わず、笑ってもいない。ただ視線だけはまっすぐに俺を向いていて、一心に何かを伝えようとしているようだった。
(俺があきらめたら、俺がいたい場所は遠ざかってしまう……そうだよな、樫部)
 約束を交わして別れた友に心の中で語りかけて、気持ちを奮い立たせ部屋を出た。
 ドアを閉めてひとりになったとたん、床が抜けて落ちる気がして、その場に座りこんでしまった。
(これでいい。きっとこれで間違っていないんだ。みんなを信じて、さぁ立ち上がれ!)
 もうこれ以上、母親が俺へ何かを仕掛けてくることはないと思いたかった。
 振り払えない親への思慕が期待させるけれど、同時に冷えた予感が胸を占めている。
 だから本音を言うとひとりになりたくない。
 仲間たちのそばにいたかったけど。
 情けなく震える足取りで、ゆっくりと前に進みはじめた。
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