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断末魔の残り香(第一シリーズ)
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静かな夜、五月の始まりの日、メーデーと呼ばれるこの日にはどこかの国で労働ストライキの様な事が堂々と行われるのだという。
日本の社会人も見習うべきだと秋男はいうが春斗としてはそれはムリ不可能です。としか言えなかった。日本の体制が立派過ぎるのか外国の政策が自由過ぎるのであろうか。それを考えるのは恐らく春斗の仕事ではないであろう。故にそんな話は誰も知らないものとして耳を塞ぐ。
思い出されるやり取りはつい三時間だか四時間だか、その程度の昔話。今の春斗は秋男の背中を追いかけるようについて歩く。ゴールデンウィークという大切な休日の夜、五月の幕開けという気持ちの切り替えの日に何をしているのだろう。しかも前日、四月三十日はヴァルプルギスの夜と言い出した上に「男も魔女になりすませる……女装なら」とのたまって謎の服装で怪しげな儀式に巻き込まれた上に次の朝「メーデーは労働ストライキしてもいい日なんだ、そして航空関係でメーデーメーデー。だが悲しいかなメーデーなので空港のみんなスト中でした」と深夜の心情で語るような中身のない話をして今に至る。
冬子を敢えて呼ばなかった理由の大半は春斗の思い出の中にてしっかりと示されていた。
訪れたそこは大きな施設、同じものではなくとも春斗も教育を受けるべく通っていた経験のある場所、学校。秋男は閉められた校門を登り乗り越え手招きする。
「今日はなんと昔散々俺の事を叱り付けて来たクソ教師どもは誰一人いませんでした。ってわけだ」
秋男を叱り付けていた教師たちへ、見えざる敬礼を示し出して春斗も同じように校門を乗り越える。こうした行動が既に秋男が叱られていた理由を語っているように思えて仕方がない。
「カメラちゃんと回せよ」
きっと怪奇現象が欲しいのだろう。目的は分からない。この暗闇の中では疑問符を頭に浮かべて頭を傾ける姿を目にしているはずもないが、理由は語られる。
「上手く行ったら心霊番組に投稿してやる」
そういうものは本物の投稿ではなくやらせなのではないだろうか、仮に本物だったところで編集された映像なのではないだろうか、疑問は芽生えるものの言葉にするのも億劫で秋男の言葉に従うのみ。
「今年の目玉かっさらって視聴者どもの間で有名人になってやるからな」
そう言って秋男は広々としたグラウンドを堂々と歩く。春斗の心の内は後ろ向き。想いは陰で満杯であったが口には出さずにしぶしぶ着いて行くだけ。
窓を見て秋男はニヤニヤとイヤらしい笑顔を浮かべ見せつけた。自分の顔と睨めっこでもしているのだろうか。
「ガキの頃よくやってたよな」
やはり自分の顔と睨めっこしているのだろう。現実逃避の想いは春斗の心にそう囁きかけていたものの秋男の行動は明らかに異なった。
窓に手をかけ思い切り揺らし始める。口を断固として開けない窓。しっかりとかかっていた鍵は激しく揺れて次第に緩んで行く。
「待って俺はそれやった事ない」
揺らされ続けた窓は無理やり鍵を開けられた。脅しに屈してしまった窓は素直に開いて入り口となったのだ。
「俺がやってたからいいんだ。中学の頃よく忍び込んでたっけな」
何のためか、それは敢えて訊かないことにしておいた。考えるまでもなく分かり切っている。成長しない彼の姿に思わずため息が零れ落ちてしまった。
今にして思えば春斗にとって冬子のいない状況で自分から近寄る心霊スポットはここが初めて。巻き込まれることはあれども自ら心霊スポットに忍び込もうなど秋男の手招きが無ければ思いもしなかった。
いつも頼りにしていたあの女を思い出す。可愛げのない目付きと目の下で激しい主張を繰り返すくま、低く冷たい声とぶっきらぼうな言葉。どれもこれもが力強くて傍にいるだけでなんとかなりそうな気分を起こしてくれる。そんな希望の灯火のようなキミがいない。それだけで春斗は身を震わせた。冷たくて暗い空気、何も見えない闇。
一年前にたまたま心霊現象に触れてしまった事を、あの日の絶望を思い出してしまう。
「さあ、行こうぜ」
その一言と共に窓から夜中の校内へと忍び込む。やはり春斗のことなど見えていないのだろう。高校時代は同じように冬子を巻き込んでいたに違いない。想像はあまりにも容易だった。
小さな頃から毎日のように通っていた学校。母校ではないが、学校という建物そのものが春斗には母のようなものに見えた。教師という大人がいて社会に出るための勉強という名の子育てと社会のルールという躾を与える場。
そんな学校も夜の姿はまるで異なる。何一つ役に立つことを教えてくれない静寂とどこまでも均一に広がる闇に満たされた場所。入る人々を闇で飲み込む恐怖の建物のようで、春斗は初めて見るそんな姿に心の底から冷え切っていた。眠り切った空間はこれ程までに不安を掻き立てるものだろうか。人間ドラマが描かれ活き活きとしている時間の裏では空間そのものが死んでいた。
秋男が歩く姿を収めるべくカメラを回し、映像に残す。秋男は一度職員室前に向かい、見えない何かを手に取って二階へと上がっていく。あまりにも大人しいそこにて響く足音はその場で唯一立てられる音で、地面を叩く靴の音はよく響いてそれがより一層恐怖を引き立てる。とは言え自分の声を記録することは嫌で仕方なく口を塞いでいるが為に賑やかな時間を作ることも叶わない。
「何もいないな。幽霊にも祝日はあんのか」
それからもう一階上がって理科室へと向かって行く。どうしても怪奇現象を収めなければ気が済まないのだろうか、非日常の体験は非常識な探検だけで満足だった。
「三階から行けば怖がりなお前も平気だろう」
どのような理論だろうか。きっと逃げる時に下へと降りればいいのだという事だろう。慈悲の形を確実に間違えていた。たどり着いたそこ。きっと人体模型やはく製など恐怖の話題を作るに事欠かない教室。
「定番だよな、よく何かが出る所として」
鍵が掛かっていて入る事の出来ないはずの理科室。しかし秋男は鍵を取り出すことで身勝手な入室を可能なものへと変えた。一階で物色していたものの正体、それは鍵であった。
開かれた開かずの間。そんな気分になるような部屋へと入って行く。まるで学校の内に潜む狂気に呑み込まれて行くようで春斗は時間の経過を遅く感じてしまう。
理科室の中、特におかしなものは何も無いことを悟った秋男は辺りを見回し笑っていた。
「何もない。期待外れだな」
そう告げられてもまだ春斗は落ち着かずに震える手でカメラの向きを調整して秋男が映るように構え直す。
その時、どこからか苦しそうな声が腹の底を這うように響いて来た。
「待ってました、これだよこれ」
呻き声は次第に近付いて来る。春斗はそこかしこに気配を感じていた。というよりは気配しか感じていないようにも思えた。魑魅魍魎はいつでも突然現れる。無念の塊は他者に配慮する余裕など持っていない。
底から湧き出る恐怖は計り知れない。春斗は歯が震えて言葉すらも出せない。体に無駄に力が入っている。恐怖の金縛りは恐怖が原因なのかと人知れず原因を繋げて考えていた。
「おいおい大丈夫か」
そう言って秋男が春斗に近付き慰めようとした時、物音がした。全ての行動を止めて視線を集める物音。その音の方へと集まる視線。春斗は見てしまった。人体の骨格標本の右腕が存在していないという事に。
「なんで落ちた」
妙に冷静な秋男は腕が床に落ちた事にはすぐさま気が付いたようだが、その理由は一切分からぬまま。
「これはヤバいかも知れねえ、逃げるぞ」
心霊渦巻く現場に身を置いた経験の違いだろうか。春斗の手を取り勢い良く駆け出す。教室のドアを閉める行儀の良さなど残っているはずもなく、階段を飛ぶように降りていく。春斗は秋男の持っている鍵の存在に気が付き、自由を満喫している左手を伸ばして指をさす。
その動きに気が付いたのだろう。秋男はニヤつきながら当然のように答えてみせた。
「一階に降りたら投げる」
階段を降りていく。落ちるような速度で降りていく春斗にとって床すら見えない階段は恐ろしいものであった。踏み外したら、滑ったら。考えている内に恐怖は増していく。あの恐怖現象たちと同じ存在になるつもりなど毛頭無かった。
恐怖は瞬く間に春斗の心を支配していた。手を振り払おうにも後ろからも迫っている。恐怖という感情の挟み撃ちの中で秋男の存在が頼りだった。
どうかこけませんように。
そう願いながら慌てて降りていく階段。
願いは通じたのだろうか、次から次へと足が下へと伸びる感触は、上から下へと落ちる感覚と添えられた風は勢いを失う。特に何事もなく一階へとたどり着き、秋男は手に持っている鍵を纏めて握りしめ、勢いよく職員室の方へと放り投げる。
鍵の舞う様を見届ける暇もなく二人は窓へと駆け寄りよじ登り、疲れと空気を求める肺の痛みに襲われながら外の空気に身を放り込んだ。無事に学校を脱出したのだ。
外に出て走る中、止まることなく後ろを振り返る春斗をお迎えしたのは右腕のない子ども。身体の一部の欠けた姿は見ていられるような姿ではなく、すぐさま振り返り見て見ぬふりを決め込んだ。
☆
コンビニに駆け込み荒い息を落ち着かせようと深呼吸する春斗。しかし上手く息を吸い込めず、未だに苦しさは焼き付いている。
持っているカメラを止めて秋男に差し出す。秋男はこの娯楽に満足したのだろう。満面の笑みでそれを受け取った。
「さて、撮れてるかな。これは楽しみだ」
その言葉と同時に再生された映像を覗き込む。
窓から忍び込むその時点で怪現象は始まりを告げていた。春斗と秋男の会話の間に無邪気な笑い声と苦しみの声、そして怒りと憎しみの声。様々な感情が混ざり合い、まるで小学生がいるような騒がしさ。
そんな場所を平気な顔をして歩いていたのだと知って春斗の全身を駆け巡る悪寒。鳥肌が立って止まらない。
やがて理科室の映像に切り替わる。相変わらず騒がしい校舎の中、一つの呻き声が流れて来た。それを発していると思しきそれは右腕のない子ども。春斗と秋男を恨めしそうに睨み付けながら近付いて来たものの、途中で右へと曲がり、骨格標本の右腕を引きちぎり地に叩きつけた。
自分の不満を告げていた、己の無念を叫んでいた。それを恐怖という感情で受け止めながら逃げる秋男と春斗。その姿を追いかけて、どこまでも追い駆けて来る子ども。窓から出ても尚、苦しみ唸りながら追いかけて来る姿は恐怖以外の何者でもなかった。
やがて映像はコンビニを映して途切れ、心霊スポット探索は終わったのだ。
最後の最後まで続いた呻き声、それは未だに耳に残っていた。
「気持ち悪い、こりゃ流石に採用されないだろうな」
秋男の言葉で締めくくろうにも春斗は先程の映像に違和感を抱いて終わりを告げることが出来なかった。映像というより、音声か。
「帰ろうぜ」
そう言って振り返り、途端に秋男は猛烈な叫び声を上げた。
耳に残っているだけだと思っていたのだろうか。呻き声は学校を出ても続いていたのだ。それは今もすぐそこで鳴り響いていることだろう。
認識を得ると共に春斗の耳にも響き始める。恐怖の中、振り返り言葉を失った。
右腕のない子どもはまさに今、目の前に立っていたのだから。
日本の社会人も見習うべきだと秋男はいうが春斗としてはそれはムリ不可能です。としか言えなかった。日本の体制が立派過ぎるのか外国の政策が自由過ぎるのであろうか。それを考えるのは恐らく春斗の仕事ではないであろう。故にそんな話は誰も知らないものとして耳を塞ぐ。
思い出されるやり取りはつい三時間だか四時間だか、その程度の昔話。今の春斗は秋男の背中を追いかけるようについて歩く。ゴールデンウィークという大切な休日の夜、五月の幕開けという気持ちの切り替えの日に何をしているのだろう。しかも前日、四月三十日はヴァルプルギスの夜と言い出した上に「男も魔女になりすませる……女装なら」とのたまって謎の服装で怪しげな儀式に巻き込まれた上に次の朝「メーデーは労働ストライキしてもいい日なんだ、そして航空関係でメーデーメーデー。だが悲しいかなメーデーなので空港のみんなスト中でした」と深夜の心情で語るような中身のない話をして今に至る。
冬子を敢えて呼ばなかった理由の大半は春斗の思い出の中にてしっかりと示されていた。
訪れたそこは大きな施設、同じものではなくとも春斗も教育を受けるべく通っていた経験のある場所、学校。秋男は閉められた校門を登り乗り越え手招きする。
「今日はなんと昔散々俺の事を叱り付けて来たクソ教師どもは誰一人いませんでした。ってわけだ」
秋男を叱り付けていた教師たちへ、見えざる敬礼を示し出して春斗も同じように校門を乗り越える。こうした行動が既に秋男が叱られていた理由を語っているように思えて仕方がない。
「カメラちゃんと回せよ」
きっと怪奇現象が欲しいのだろう。目的は分からない。この暗闇の中では疑問符を頭に浮かべて頭を傾ける姿を目にしているはずもないが、理由は語られる。
「上手く行ったら心霊番組に投稿してやる」
そういうものは本物の投稿ではなくやらせなのではないだろうか、仮に本物だったところで編集された映像なのではないだろうか、疑問は芽生えるものの言葉にするのも億劫で秋男の言葉に従うのみ。
「今年の目玉かっさらって視聴者どもの間で有名人になってやるからな」
そう言って秋男は広々としたグラウンドを堂々と歩く。春斗の心の内は後ろ向き。想いは陰で満杯であったが口には出さずにしぶしぶ着いて行くだけ。
窓を見て秋男はニヤニヤとイヤらしい笑顔を浮かべ見せつけた。自分の顔と睨めっこでもしているのだろうか。
「ガキの頃よくやってたよな」
やはり自分の顔と睨めっこしているのだろう。現実逃避の想いは春斗の心にそう囁きかけていたものの秋男の行動は明らかに異なった。
窓に手をかけ思い切り揺らし始める。口を断固として開けない窓。しっかりとかかっていた鍵は激しく揺れて次第に緩んで行く。
「待って俺はそれやった事ない」
揺らされ続けた窓は無理やり鍵を開けられた。脅しに屈してしまった窓は素直に開いて入り口となったのだ。
「俺がやってたからいいんだ。中学の頃よく忍び込んでたっけな」
何のためか、それは敢えて訊かないことにしておいた。考えるまでもなく分かり切っている。成長しない彼の姿に思わずため息が零れ落ちてしまった。
今にして思えば春斗にとって冬子のいない状況で自分から近寄る心霊スポットはここが初めて。巻き込まれることはあれども自ら心霊スポットに忍び込もうなど秋男の手招きが無ければ思いもしなかった。
いつも頼りにしていたあの女を思い出す。可愛げのない目付きと目の下で激しい主張を繰り返すくま、低く冷たい声とぶっきらぼうな言葉。どれもこれもが力強くて傍にいるだけでなんとかなりそうな気分を起こしてくれる。そんな希望の灯火のようなキミがいない。それだけで春斗は身を震わせた。冷たくて暗い空気、何も見えない闇。
一年前にたまたま心霊現象に触れてしまった事を、あの日の絶望を思い出してしまう。
「さあ、行こうぜ」
その一言と共に窓から夜中の校内へと忍び込む。やはり春斗のことなど見えていないのだろう。高校時代は同じように冬子を巻き込んでいたに違いない。想像はあまりにも容易だった。
小さな頃から毎日のように通っていた学校。母校ではないが、学校という建物そのものが春斗には母のようなものに見えた。教師という大人がいて社会に出るための勉強という名の子育てと社会のルールという躾を与える場。
そんな学校も夜の姿はまるで異なる。何一つ役に立つことを教えてくれない静寂とどこまでも均一に広がる闇に満たされた場所。入る人々を闇で飲み込む恐怖の建物のようで、春斗は初めて見るそんな姿に心の底から冷え切っていた。眠り切った空間はこれ程までに不安を掻き立てるものだろうか。人間ドラマが描かれ活き活きとしている時間の裏では空間そのものが死んでいた。
秋男が歩く姿を収めるべくカメラを回し、映像に残す。秋男は一度職員室前に向かい、見えない何かを手に取って二階へと上がっていく。あまりにも大人しいそこにて響く足音はその場で唯一立てられる音で、地面を叩く靴の音はよく響いてそれがより一層恐怖を引き立てる。とは言え自分の声を記録することは嫌で仕方なく口を塞いでいるが為に賑やかな時間を作ることも叶わない。
「何もいないな。幽霊にも祝日はあんのか」
それからもう一階上がって理科室へと向かって行く。どうしても怪奇現象を収めなければ気が済まないのだろうか、非日常の体験は非常識な探検だけで満足だった。
「三階から行けば怖がりなお前も平気だろう」
どのような理論だろうか。きっと逃げる時に下へと降りればいいのだという事だろう。慈悲の形を確実に間違えていた。たどり着いたそこ。きっと人体模型やはく製など恐怖の話題を作るに事欠かない教室。
「定番だよな、よく何かが出る所として」
鍵が掛かっていて入る事の出来ないはずの理科室。しかし秋男は鍵を取り出すことで身勝手な入室を可能なものへと変えた。一階で物色していたものの正体、それは鍵であった。
開かれた開かずの間。そんな気分になるような部屋へと入って行く。まるで学校の内に潜む狂気に呑み込まれて行くようで春斗は時間の経過を遅く感じてしまう。
理科室の中、特におかしなものは何も無いことを悟った秋男は辺りを見回し笑っていた。
「何もない。期待外れだな」
そう告げられてもまだ春斗は落ち着かずに震える手でカメラの向きを調整して秋男が映るように構え直す。
その時、どこからか苦しそうな声が腹の底を這うように響いて来た。
「待ってました、これだよこれ」
呻き声は次第に近付いて来る。春斗はそこかしこに気配を感じていた。というよりは気配しか感じていないようにも思えた。魑魅魍魎はいつでも突然現れる。無念の塊は他者に配慮する余裕など持っていない。
底から湧き出る恐怖は計り知れない。春斗は歯が震えて言葉すらも出せない。体に無駄に力が入っている。恐怖の金縛りは恐怖が原因なのかと人知れず原因を繋げて考えていた。
「おいおい大丈夫か」
そう言って秋男が春斗に近付き慰めようとした時、物音がした。全ての行動を止めて視線を集める物音。その音の方へと集まる視線。春斗は見てしまった。人体の骨格標本の右腕が存在していないという事に。
「なんで落ちた」
妙に冷静な秋男は腕が床に落ちた事にはすぐさま気が付いたようだが、その理由は一切分からぬまま。
「これはヤバいかも知れねえ、逃げるぞ」
心霊渦巻く現場に身を置いた経験の違いだろうか。春斗の手を取り勢い良く駆け出す。教室のドアを閉める行儀の良さなど残っているはずもなく、階段を飛ぶように降りていく。春斗は秋男の持っている鍵の存在に気が付き、自由を満喫している左手を伸ばして指をさす。
その動きに気が付いたのだろう。秋男はニヤつきながら当然のように答えてみせた。
「一階に降りたら投げる」
階段を降りていく。落ちるような速度で降りていく春斗にとって床すら見えない階段は恐ろしいものであった。踏み外したら、滑ったら。考えている内に恐怖は増していく。あの恐怖現象たちと同じ存在になるつもりなど毛頭無かった。
恐怖は瞬く間に春斗の心を支配していた。手を振り払おうにも後ろからも迫っている。恐怖という感情の挟み撃ちの中で秋男の存在が頼りだった。
どうかこけませんように。
そう願いながら慌てて降りていく階段。
願いは通じたのだろうか、次から次へと足が下へと伸びる感触は、上から下へと落ちる感覚と添えられた風は勢いを失う。特に何事もなく一階へとたどり着き、秋男は手に持っている鍵を纏めて握りしめ、勢いよく職員室の方へと放り投げる。
鍵の舞う様を見届ける暇もなく二人は窓へと駆け寄りよじ登り、疲れと空気を求める肺の痛みに襲われながら外の空気に身を放り込んだ。無事に学校を脱出したのだ。
外に出て走る中、止まることなく後ろを振り返る春斗をお迎えしたのは右腕のない子ども。身体の一部の欠けた姿は見ていられるような姿ではなく、すぐさま振り返り見て見ぬふりを決め込んだ。
☆
コンビニに駆け込み荒い息を落ち着かせようと深呼吸する春斗。しかし上手く息を吸い込めず、未だに苦しさは焼き付いている。
持っているカメラを止めて秋男に差し出す。秋男はこの娯楽に満足したのだろう。満面の笑みでそれを受け取った。
「さて、撮れてるかな。これは楽しみだ」
その言葉と同時に再生された映像を覗き込む。
窓から忍び込むその時点で怪現象は始まりを告げていた。春斗と秋男の会話の間に無邪気な笑い声と苦しみの声、そして怒りと憎しみの声。様々な感情が混ざり合い、まるで小学生がいるような騒がしさ。
そんな場所を平気な顔をして歩いていたのだと知って春斗の全身を駆け巡る悪寒。鳥肌が立って止まらない。
やがて理科室の映像に切り替わる。相変わらず騒がしい校舎の中、一つの呻き声が流れて来た。それを発していると思しきそれは右腕のない子ども。春斗と秋男を恨めしそうに睨み付けながら近付いて来たものの、途中で右へと曲がり、骨格標本の右腕を引きちぎり地に叩きつけた。
自分の不満を告げていた、己の無念を叫んでいた。それを恐怖という感情で受け止めながら逃げる秋男と春斗。その姿を追いかけて、どこまでも追い駆けて来る子ども。窓から出ても尚、苦しみ唸りながら追いかけて来る姿は恐怖以外の何者でもなかった。
やがて映像はコンビニを映して途切れ、心霊スポット探索は終わったのだ。
最後の最後まで続いた呻き声、それは未だに耳に残っていた。
「気持ち悪い、こりゃ流石に採用されないだろうな」
秋男の言葉で締めくくろうにも春斗は先程の映像に違和感を抱いて終わりを告げることが出来なかった。映像というより、音声か。
「帰ろうぜ」
そう言って振り返り、途端に秋男は猛烈な叫び声を上げた。
耳に残っているだけだと思っていたのだろうか。呻き声は学校を出ても続いていたのだ。それは今もすぐそこで鳴り響いていることだろう。
認識を得ると共に春斗の耳にも響き始める。恐怖の中、振り返り言葉を失った。
右腕のない子どもはまさに今、目の前に立っていたのだから。
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