異世界風聞録

焼魚圭

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第八幕 日ノ出ズル東ノ国

きんとん

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 リリが目を開いたそこは畳の上で、布団だけが密着しているような気がしていた。起き上がり、綿が詰められた着物という最大の違和感を思い出す。孤独の真ん中で体を起こす。寝心地の悪い環境はリリの身体を密かに静かに打ちのめしていたようで、体の節々の痛みとともに吐き気を引き起こす。姿の見えない夜の暗殺者とはこういった現象のことを指すのだろうか。
――絶対違うね
 断言しながら大きな伸びをする。幹人はどこへ行ったのだろうか。あまりにも独特という言葉が似合い過ぎる痛み方を抱えつつ辺りを見回す。しかし、そこにいるのはリリただひとりのみ。畳の上には何ひとつとして物が置かれていなくて、生きた時間すら感じさせない。

「幹人……どこに行ったのかしら」

 身体を覆って奇抜な違和感を提供する綿を引き抜いて、畳の上に丁寧に畳んで置かれた着物を羽織って帯を締める。
 そこで気が付いた。先ほどまで着物などあっただろうか。足元を見つめ、思い返す。確か先ほど見回した時には。

「帯も解かずに綿を抜いたでしょう? あれはいけませんよ」

 突然聞こえて来た声に驚き顔を上げる。そこに立っていたのは甘味処 きんとんにて働く看板娘のような美女。店主の妻だった。

「綿を抜くこと、それは腸を抜くと掛かって縁起が悪い行ないでしてよ。簪を挿して夜道でというだけでも危ういというのに」

 謎のうわさ話。物騒な世の中であるが故に広がったものなのだろうか。もしかすると例の死者が関係しているのだろうか。リリの想像は所詮は予想に過ぎない。
 リリは立派な着物を身に着けて、女と目を合わせて訊ねる。

「幹人はどこに?」
「あちらでございます」

 女が差した方に目を向けるとそこに立つのは大きな男と必死の表情を浮かべ、小さな体に懸命に力を込めて団子をこねる幹人の姿だった。力を込め、手の先にまで伝わらせて仕事をする姿はどこか輝かしかった。

「キミがキミのまま大人になるのが嬉しいね」

 ふとこぼれた言葉は誰にも届かない微かなもので、そのまま地面へと転げ落ちて消え行ってしまう。
 それでいい。誰も知らないままで。
 リリは小さな笑顔を咲かせて戸をくぐって幹人が作業を行なう竈付近へと足を運ぶ。

「おはよ、幹人」
「おはよう、今日も寒いね」

 幹人の表情はあまりにも爽やかで煌めいていた。リリの瞳がその表情を捉えると共に心の荒波が引き起こされて、好きの気持ちの大荒れが起きていた。想いによって形作られた波を想わせる乱れは花のようでもあり、華と呼ぶに相応しかった。

「ねえねえ、リリもあれ言われなかった? 綿がどうとか」
「もちろん」

 綿と腸、同じ読みをする別の字を当てはめて縁起や教えに組み込むという考え方は幹人も知ってはいたものの、この国に入って以来耳にするそれは手に取れるほど身近に感じられるものから目に見えない程に遠いものまで、なにもかもが初耳だった。幹人がただ知らないだけだとは考え難い話だった。
――この世界のこの国だけのうわさ話かあ
 あまりにも物騒なうわさ話はどこまで広められているのだろう。この国に来たばかりのふたりには想像も付かなかった、そもそもこの町の甘味処に携わる者と武士と陰陽師、一般市民の感覚や考え方が足りなかった。
 今日の仕事の中でも人々のうわさを、知らなかったことを聞くことは出来るのだろうか。今の仕事と旅の目的に触れることが、この国に眠るうわさ話たちを叩き起こすことが出来る気がしなかった。元の世界への帰還は可能なのだろうか。心配の霧が息をも詰まらせる。
 幹人の心配など知らないのだろうか。
 既に訪れ始めている客の相手をリリは勤めていた。武士武士武士武士、並ぶお客入るお客座るお客頼むお客。悉く武士、見るも探るも武士に塗れていて、新しい情報などそうそう入ってくるものではないと思っていた。
 武士による団子の注文が入ってきてから数分間、幹人の方へと目を向けながら言葉を放った。

「カワイイが……足りない」

 キュート成分は、心を明るく照らして頬に微かな赤みを乗せて表情を緩めて笑顔を引き出すといった精神安定の効能が期待できるのだと魔女は語った。曰く、この世の如何なる薬よりも断然安全で強力の極みに達した頂点の成分なのだという。幹人はデタラメだと想いを差し出すべく口を開こうとしたものの、リリに目を向けて抱いた想いに止められた。必要もなしに自身の心を偽って否定することなど出来るはずもなかった。
 代わりに、リリに飛び切りの笑顔を捧げて団子と茶を手渡した。

「リリのおかげで俺はキュート成分ちゃんと摂れてるよ」

 リリは目を見開いて動揺し、いつになく純粋な気持ちを表に出していた。

「でも私は足りないんだからっ! 幹人だけをお客にしたい」

 我慢我慢、頑張って。そう言ってリリを送り出した。
 それからリリは懸命だった。入る人来る人みなにうわさを訊いて、獲得する情報を吟味する。
 どうにも貴族の娘が最近行方知れずなのだという。更に、町の中でこの店の女を見て興奮していたのだとも。それは夜のことだったのだそうだ。
 リリは看板店員な美女に目を向ける。辺りも見えない夜の闇の中、危険を承知で出かける目的とは、そもそも人が寝静まる遅い時間に出かける理由とは。それらを気にしつつも見抜かれないように悟らせないように。労働の中に突然現れた緊張感に疲れは溜まるばかりだった。
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