雨音は鳴りやまない

ナナシマイ

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第一章

カフィナ視点 神の現身

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 マカベの儀がついに明日という夜、緊張してきた心を落ち着かせるため、わたくしは夕食後のお茶をいつもより多めにもらいました。
 これではすぐに厠へ行きたくなってしまうでしょう。でも、それで良いのです。わたくしは、あのごうごうと大きな音を立てながら、身体から出た美しくないものを美しくさせる水脈が、なによりも美しいと思っています。
 それに厠でじっと耳をすましていると、なんだかほっとするのです。

「カフィナ」

 そろそろお茶を飲み終わるかというころ、お母様がわたくしに声をかけました。明日のことだろうと思って、湯のみを見ていた視線を上げます。

「明日はジオ・マカベの新しいお子様もいらっしゃるそうですから、演奏をよく聞いておくのですよ」

 楽しそうにそう言ったお母様に、首を傾げます。

「えっと……気立子、ですよね」

 ジオ・マカベが気立子の娘を迎えたという話は、わたくしのような子供でも知っているくらいに有名です。……彼女が顔を出したヒィリカ様の披露会では、ただの一度も演奏をしていない、という話と一緒に。
 気立子だから教育が間に合っていないのではないか、という噂も聞いたことがあります。

 わたくしがそう言うと、けれども、お母様はゆっくりと首を横に振りました。背中のほうに流していた金色の髪がひと房、するりと前に下りてきます。

「ジオ・マカベやヒィリカ様が、そのようにお育てになるはずがないでしょう」

 お母様は、マカベ夫妻のことをとても尊敬してます。……いえ、尊敬しすぎているところがあります。
 わたくしもお母様に連れられて一度だけ、彼らの演奏を見たことがありますから、その気持ちもわからなくはないのですけれど。それでも、いくら優秀なお二人とはいえ、ただでさえ教育が難しいといわれている気立子を、季節二つ分にもならないような短い間で、マカベの娘として教育できるとは思えません。

「……それほどの技量を、もとから持っていたのかもしれませんし」

 やっぱりお母様の考えは変わらないようですね。
 わたくしには、あのジオ・マカベやヒィリカ様を納得させるだけの技量というのが、今ひとつ想像できません。

「確か、レイン様とおっしゃいましたね。……良いですか、カフィナ。明日は彼女の演奏を、よく聞いておくのですよ」

 お母様は同じことをもう一度言って、居間を出ていきました。



「なんですか、あれは……?」

 思わず口にしてしまった言葉に、はっとして口を閉じます。
 けれども、周りの子は誰も気にしていないようで、みんながじっと、彼女だけを見つめていました。

 金色や濃い赤のツスギエ布を纏う女の子が多いなかで、彼女は、白と、ごくごく薄い黄色を重ねて纏っています。
 マカベの髪は薄い色が多いので、普通は同化してしまうような組み合わせを選ばないのです。わたくしが纏っているのも、桃色と赤茶色です。
 けれども、彼女の髪色は黒。髪も服も、互いに引き立て合っているように見えます。

 マカベの儀がはじまるまで緊張でそわそわしている子供たちとは違って、彼女は人が集まるのをのんびりと待っているようでした。その様子は、練習が間に合っていないようにはとても見えません。

 そしてはじまった、注目の演奏。
 ……驚くのも、当然のことです。

 はじめから魔力が神に届くなんて聞いたことがありませんし、誰だってあのような、良くない噂を流されていた気立子の女の子が、本当にマカベ夫妻が認めたのだと納得できるほどの演奏をするとは思っていなかったでしょう。

 それに、はじめて聞く調子の歌です。お母様は音楽師として楽譜を集めるのが好きで、なかでも、ジオ・マカベやヒィリカ様が演奏された曲はすべて集めています。
 なのでわたくしも、ジオの土地だけでなく、マクニオスで流行っている曲には詳しいと思っていたのです。でも、まだまだ知らない曲はたくさんあるようですね。

 レイン様の演奏が素晴らしいとわかれば、目を離すわけにはいきません。
 彼女の背はかなり低めで、真ん中より低いくらいのわたくしの席からは、ちょうど良い角度で見ることができます。

「湧き出でるは喜びの芽、美しき――」

 真っ黒な髪はつややかで、魔力の光を反射していました。
 その魔力は止まることなく溢れてきます。本人は気づいていないのか、それともいつものことなのか、軽く伏せられた目は、楽しげに緩められたままで。とにかく、とても美しいことだけは確かです。

「――万華の残像を写す……」

 ふわり、とイェレキに掛けられたツスギエ布が、たくさんの魔力を含んだことで宙に浮かびました。
 去年、いちばん上のお姉様も、成人の儀で同じことをしていました。それを見たお父様とお母様が嬉しそうにしていたので、わたくしはそれが、成人として認められた証なのだと思っていたのですけれど……。

 お姉様やほかの新成人たちよりもずっと大きく、強く光りながら広がる薄色の布。
 その真ん中で、穏やかに、それでいて楽しそうに微笑みながら歌をうたうレイン様の姿。

 光と闇の対比が素晴らしく、また、よく練習したことがわかるイェレキは、音に少しの揺らぎもなく伸びて、厳かです。

 女の人は、神が自身の現身としてこの世界に作ったもの、と言われています。
 彼女は本当に、それのようだと思えました。



 レイン様の次に演奏をした男の子は可哀想でしたが、わたくしは昨晩の緊張が嘘のように解けていて、大きな失敗もなく演奏を終えることができました。
 お母様はレイン様の演奏にうっとりしていましたが、お父様はわたくしをよく褒めてくれたのです。

 演奏は堂々としていたレイン様ですが、夕食会ではほとんど話していない様子でした。
 文官と思われる人たちに囲まれるなかで、話す内容や相手を決められているのかもしれません。芸術師の家系に生まれたわたくしが、この場で彼女と話すことはできないでしょう。

「――お聞きになりました? レイン様が演奏された曲、ご自身で作られたのですって」
「えぇ。ジオ・マカベは、よほどあの気立子を気に入っていらっしゃるのでしょうね。確かに、演奏は素晴らしいものでしたけれど……」
「本当はジオ・マカベかヒィリカ様が作られたのでしょうね。マカベの娘として、箔をつけさせるために」
「ふふ、彼も随分と丸くなられたのですね。成人してすぐのころは、自他ともに厳しいおかただと聞いていましたのに――」

 クスクスと笑いながら交わされる言葉に、わたくしはそっと息を吐きました。
 文官の奥様とは別の意味で、納得します。

 ……あの曲は、レイン様が作られたのですね。

 それなら、聞いたことがないというのも当然のことです。
 ジオ・マカベが気立子のためだけに、今までとまったく違う形式の曲を作ったとはとても思えませんし、なにより、あの曲はレイン様にとても馴染んでいました。
 どちらも信じがたい話なら、わたくしは、レイン様が作ったのだという話のほうを信じてみようと、そう思ったのです。

 地下のずっと深いところを流れる水脈のように、彼女なら、マクニオスをもっと美しく導いてくれるのではないかと。

 なににしても、木立の舍へ行けばわかることです。
 大人の目もぐんと減りますし、わたくしにもきっと、お話しする機会があるでしょう。
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