上 下
19 / 73

壁と目が合う

しおりを挟む

 つい聞いてしまう。なにしろこの状況の因果がさっぱりわかっていないというのもあまり気持ちの良いものではないのだから。
 すると。

「……ごく限られた人にしかおきません。ですからとても珍しいのです。しかもあなたは何も知らない様子。私が知っている限りでは、そのような人は今までいませんでしたね」

 と穏やかに言うということは、李夏さまは他にも同じような人を知っているのだろう。
 ふむ、高官というのは、いろんな秘密を知っているのだね。

 私はと言うと……多少興味がないわけではないけれど、将来の商売に有利になるならまだしも、今のところはそれほど惹かれるわけでもないというのが正直なところ。

 さすがに後宮の奥の奥でしか語られない「神獣」というものを商売には出来ないからな……危険すぎる。

 それにバクちゃんだって、明日にはいなくなっている可能性もゼロではない。

 だから知らなくてもいい。
 近寄らない方がいい。

 そんな結論。
 へたに首をつっこんで、引き返せなくなったり知らなければよかったと思う事態にだけはなりたくない。
 君子危うきに近寄らず。

 李夏さまはもっと何か言いたげだったけれど、私は「へえそうなんですねー」と笑顔で流すことにしたのだった。

 すると李夏さまは、ちょっと驚いた顔をしつつも、「そうなんですよ」とだけ言って終わらせてくれた。
 そして、

「ところで春麗、次の呉徳妃への献本はいつの予定ですか?」

 と何食わぬ顔をしてお仕事を再開したのだった。



 お仕事……。
 そう、それはお仕事だと思っていた。私は。

 なのに興味もないだろう恋愛小説だの薔薇小説だの百合小説だの、そんなものたちをいちいち検閲なんてさぞかし辛い作業だろうと、私は今までずっと思っていたのだ。

 しかし、これは……なんだろう……?


 私はある日、李夏さまの執務室で李夏さまから言われた書類の整理にせっせと精を出していた。
 これはあっちに、これはそっちに。
 だいたいの場所はわかりやすく分類されているので、それを順番に並べていけばいい。

 そんな風にちょこまか書類を抱えて歩いていたら、うっかりバクちゃんを蹴飛ばしそうになって転んでしまった。
 いやきっと蹴飛ばせないんだけれど。
 きっとまたスカって通り抜けるだけなのだろうけれど。

 それでも気持ち的に蹴飛ばしたくはなかったから、とっさに避けたらバランスを崩してしまった。

 そしてバサバサと持っていた書類を派手にまき散らしながら尻餅をついたとき、ふと目が合ったのだ。壁と。

 ……壁と?

 はて。
 李夏さまの執務室はドア以外は全面扉のない書架仕様になっていて、その大半には書類がびっしり詰まっていた。
 でも、ここだけは、腰壁のように装飾された普通の板張りだと思っていたのだ。
 ただのちょっとお洒落な壁。

 でもその壁が、目をぱちくりさせながら私を見ていた。

 ぱちくり?

 その様子が可愛らしく、全く悪意のない様子だったから、うっかり状況の不自然さに怖がることも忘れて私たちは見つめ合った。

 そして。

 たらーり。
 そんな冷や汗をかいていそうな空気を醸し出した次の瞬間。

「ぴえ……!」

 そんな泣いているのか泣きそうなのかわからない声を上げた直後にぽん、と小さな煙を発してその扉は瞬く間に狐の姿に変わり、そして逃げるように李夏さまの執務室から走り出ていったのだった。

 狐だった……。

 ……狐?

 私は唖然としてしまって、そのまましばらく尻餅をついたままその狐が走り出ていった扉を眺めていた。

 こんなところに、狐?

 頭の中を「李夏さまに報告」とか、「まさかこの執務室を全面消毒?」とか、「後宮のこんな奥に化け狐とか、いいのか?」とかいろんな考えがぐるぐる回って目まで回りそうになったとき、李夏さまが慌てた様子で飛び込んできたのだった。

 いや李夏さまは慌てない。表面的には。
 いつも優雅な仕草と天女の微笑み、それは絶対に崩さない人である。
 でも毎日近くで一緒にいるようになった私は、その微妙な変化を見分けられるようになってきていた。

 これは慌てている。
 なにしろ開けた扉の勢いがいつもより粗野だ。
 そして笑顔が凍っている。

「春麗、大丈夫ですか?」

「はい、すみません、書類を落としてしまって……」

 私がとりあえず仕事の失態を謝っているその短い時間に、李夏さまはあっという間に私のところまで来て言った。

「書類はいい。それで、このことは誰にも言っていませんね?」

 なんだか鬼のような微笑みをしながら半ば脅すように言う李夏さま。
 なんて怖い。

「え? はい、誰にも。というより私ここから動いていませんし……」

「そうですか。ではこのままこのことは一生口を閉じていなさい。もしも漏れたらどうなるかわかりますね? 本当はあなたにも教えないつもりだったのですが、バレてしまったのなら仕方がありません。どのみちあなたも共犯です」

 鬼気迫る様子でそう脅す李夏さまは本当に怖かった。
 こんなに怖い真剣な李夏さまを今まで私は見たことがなかった。

 それほどまでにここに狐がいたことが問題なのか、そう漠然と思いながらも共犯とは? と疑問に思いつつ李夏さまの視線を追ったらば。

 なんとそこには、まさに狐が壁になっていたそこには、私が呉徳妃にと仕入れて検閲で弾かれたはずの「各種恋愛小説」がびっしりと並んでいたのだった。


 ……はて?
しおりを挟む
感想 47

あなたにおすすめの小説

【完結済】私、地味モブなので。~転生したらなぜか最推し攻略対象の婚約者になってしまいました~

降魔 鬼灯
恋愛
マーガレット・モルガンは、ただの地味なモブだ。前世の最推しであるシルビア様の婚約者を選ぶパーティーに参加してシルビア様に会った事で前世の記憶を思い出す。 前世、人生の全てを捧げた最推し様は尊いけれど、現実に存在する最推しは…。 ヒロインちゃん登場まで三年。早く私を救ってください。

できれば穏便に修道院生活へ移行したいのです

新条 カイ
恋愛
 ここは魔法…魔術がある世界。魔力持ちが優位な世界。そんな世界に日本から転生した私だったけれど…魔力持ちではなかった。  それでも、貴族の次女として生まれたから、なんとかなると思っていたのに…逆に、悲惨な将来になる可能性があるですって!?貴族の妾!?嫌よそんなもの。それなら、女の幸せより、悠々自適…かはわからないけれど、修道院での生活がいいに決まってる、はず?  将来の夢は修道院での生活!と、息巻いていたのに、あれ。なんで婚約を申し込まれてるの!?え、第二王子様の護衛騎士様!?接点どこ!? 婚約から逃れたい元日本人、現貴族のお嬢様の、逃れられない恋模様をお送りします。  ■■両翼の守り人のヒロイン側の話です。乳母兄弟のあいつが暴走してとんでもない方向にいくので、ストッパーとしてヒロイン側をちょいちょい設定やら会話文書いてたら、なんかこれもUPできそう。と…いう事で、UPしました。よろしくお願いします。(ストッパーになれればいいなぁ…) ■■

【完結】冷酷眼鏡とウワサされる副騎士団長様が、一直線に溺愛してきますっ!

楠結衣
恋愛
触ると人の心の声が聞こえてしまう聖女リリアンは、冷酷と噂の副騎士団長のアルバート様に触ってしまう。 (リリアン嬢、かわいい……。耳も小さくて、かわいい。リリアン嬢の耳、舐めたら甘そうだな……いや寧ろ齧りたい……) 遠くで見かけるだけだったアルバート様の思わぬ声にリリアンは激しく動揺してしまう。きっと聞き間違えだったと結論付けた筈が、聖女の試験で必須な魔物についてアルバート様から勉強を教わることに──! (かわいい、好きです、愛してます) (誰にも見せたくない。執務室から出さなくてもいいですよね?) 二人きりの勉強会。アルバート様に触らないように気をつけているのに、リリアンのうっかりで毎回触れられてしまう。甘すぎる声にリリアンのドキドキが止まらない! ところが、ある日、リリアンはアルバート様の声にうっかり反応してしまう。 (まさか。もしかして、心の声が聞こえている?) リリアンの秘密を知ったアルバート様はどうなる? 二人の恋の結末はどうなっちゃうの?! 心の声が聞こえる聖女リリアンと変態あまあまな声がダダ漏れなアルバート様の、甘すぎるハッピーエンドラブストーリー。 ✳︎表紙イラストは、さらさらしるな。様の作品です。 ✳︎小説家になろうにも投稿しています♪

まだ20歳の未亡人なので、この後は好きに生きてもいいですか?

せいめ
恋愛
 政略結婚で愛することもなかった旦那様が魔物討伐中の事故で亡くなったのが1年前。  喪が明け、子供がいない私はこの家を出て行くことに決めました。  そんな時でした。高額報酬の良い仕事があると声を掛けて頂いたのです。  その仕事内容とは高貴な身分の方の閨指導のようでした。非常に悩みましたが、家を出るのにお金が必要な私は、その仕事を受けることに決めたのです。  閨指導って、そんなに何度も会う必要ないですよね?しかも、指導が必要には見えませんでしたが…。  でも、高額な報酬なので文句は言いませんわ。  家を出る資金を得た私は、今度こそ自由に好きなことをして生きていきたいと考えて旅立つことに決めました。  その後、新しい生活を楽しんでいる私の所に現れたのは……。    まずは亡くなったはずの旦那様との話から。      ご都合主義です。  設定は緩いです。  誤字脱字申し訳ありません。  主人公の名前を途中から間違えていました。  アメリアです。すみません。    

王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!

gacchi
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ? 王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。 国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから! 12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。

果たされなかった約束

家紋武範
恋愛
 子爵家の次男と伯爵の妾の娘の恋。貴族の血筋と言えども不遇な二人は将来を誓い合う。  しかし、ヒロインの妹は伯爵の正妻の子であり、伯爵のご令嗣さま。その妹は優しき主人公に密かに心奪われており、結婚したいと思っていた。  このままでは結婚させられてしまうと主人公はヒロインに他領に逃げようと言うのだが、ヒロインは妹を裏切れないから妹と結婚して欲しいと身を引く。  怒った主人公は、この姉妹に復讐を誓うのであった。 ※サディスティックな内容が含まれます。苦手なかたはご注意ください。

疲れきった退職前女教師がある日突然、異世界のどうしようもない貴族令嬢に転生。こっちの世界でも子供たちの幸せは第一優先です!

ミミリン
恋愛
小学校教師として長年勤めた独身の皐月(さつき)。 退職間近で突然異世界に転生してしまった。転生先では醜いどうしようもない貴族令嬢リリア・アルバになっていた! 私を陥れようとする兄から逃れ、 不器用な大人たちに助けられ、少しずつ現世とのギャップを埋め合わせる。 逃れた先で出会った訳ありの美青年は何かとからかってくるけど、気がついたら成長して私を支えてくれる大切な男性になっていた。こ、これは恋? 異世界で繰り広げられるそれぞれの奮闘ストーリー。 この世界で新たに自分の人生を切り開けるか!?

雪解けの白い結婚 〜触れることもないし触れないでほしい……からの純愛!?〜

川奈あさ
恋愛
セレンは前世で夫と友人から酷い裏切りを受けたレスられ・不倫サレ妻だった。 前世の深い傷は、転生先の心にも残ったまま。 恋人も友人も一人もいないけれど、大好きな魔法具の開発をしながらそれなりに楽しい仕事人生を送っていたセレンは、祖父のために結婚相手を探すことになる。 だけど凍り付いた表情は、舞踏会で恐れられるだけで……。 そんな時に出会った壁の花仲間かつ高嶺の花でもあるレインに契約結婚を持ちかけられる。 「私は貴女に触れることもないし、私にも触れないでほしい」 レインの条件はひとつ、触らないこと、触ることを求めないこと。 実はレインは女性に触れられると、身体にひどいアレルギー症状が出てしまうのだった。 女性アレルギーのスノープリンス侯爵 × 誰かを愛することが怖いブリザード令嬢。 過去に深い傷を抱えて、人を愛することが怖い。 二人がゆっくり夫婦になっていくお話です。

処理中です...