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リライトトライ3.5
肉食ウサギと草食ライオン⑪
しおりを挟む「さて……と」
僕達を除く全ての生徒が教室を出ていくのを見届けた僕はそう言って立ち上がった。
立ち上がり、目の前にいる人物に視線を向ける。あの時の彼女のように。
「…………」
彼女も僕に習って立ち上がり、こちらを向く。あの時の僕のように。
場所も時間もあの時と同じだ。
誰もいない教室。放課後。
あの時と違うのは、教室に残るようにと書かれたメモを渡したのが僕だということだ。
全ての準備が整い、明日には文化祭が始まる。そんな中、僕は今まで逃げ続けていた問題と向き合おうと彼女に時間を作ってもらったというワケだ。
「ごめん。突然ワガママを言ってしまって」
僕はあの時の彼女の台詞を口に出す。
「ううん」
彼女があの時の僕のように首を振る。
「文化祭が始まっちゃう前に、兎川さんと話がしたくて」
「……うん。分かってる」
そう答えた彼女は伏し目がちに、まだ僕をハッキリと見ないまま手を差し出してきた。
「師子堂くん……アレ……今も持ってる?」
「……うん」
「……返してくれる?」
「…………」
僕は無言で鞄の中から取り出した巾着を彼女に差し出した。
「全然……惜しがらないんだね」
「え?」
巾着を受け取った兎川さんが自嘲的な笑みを浮かべる。
何だろう。何ていうか……諦観の念というか、ヤケになったような色がその瞳から窺える。
「ごめんなさい。あなたが女の娘みたいって言われるの嫌いなの知ってたのに」
「え?」
「もう……あんなこと、しないから……ごめんなさい」
彼女が深々と頭を下げる。
「…………」
「じゃあ、わたしコレで――」
「待って」
僕は彼女の言葉を遮った。
ここで彼女を見送るワケにはいかない。僕の用件はまだ終わっていないのだから。
「…………」
「兎川さん、顔上げて」
頭を下げたままの彼女に僕はそう言った。
「……イヤ」
もし少しでも音がしていたら聞き逃していただろう。ソレくらい小さな声で彼女は答えた。
「どうして?」
「…………」
「お願い……顔見せて」
黙っている彼女に僕はそう続けた。
「……イヤ」
「……ごめんっ」
「あっ……!」
僕は俯いたままの彼女の顔を覗きこもうとした。
ソレに気づいた彼女は両手で顔を隠そうとしたけど、僕はいつか僕が彼女にされたように、彼女の手首を掴んでソレを取り払った。
……あの時僕の手を掴んだ手首はこんなに細かったんだ。女の娘の手首だ。当たり前か。
「イヤだって……言ってるのに……!」
予想通りだけど予想外に、彼女は泣いていた。今も瞳からポロポロと涙がこぼれ落ちて頬を濡らしている。
「……!」
ソレを見た時、僕の心にあったのは優越感でも嗜虐心でもなく、単純な驚きだった。
僕の思う普通の女の娘なら、泣くのかな、と思ってはいた。でも兎川さんが泣くとはどうもピンとこなかった。
早速僕は彼女のことを知らなかったのだと痛感した。
ここにきてようやく分かった。彼女は普通の女の娘なんだ。
……いや、まぁ、ちょっと変わってるとこもあるかもしれないけど、至ってとは言えないけど、普通だ。
「……ごめん」
……女子に泣かされたことは数あれど、生まれて初めて女子を泣かせてしまった。
「あ……たし……あたし、自分は、自分をコントロールできる人間だと思ってた」
「え?」
「今までそうだった。でもあなたを見てると……たまにソレが……できなくなる」
そう言った彼女の目尻から、また雫が溢れる。
不謹慎かもしれないけど、綺麗だな、と思った。
「兎川さん……僕のこと……好きなの?」
言ってから結構とんでもないことを聞いてしまったと鼓動が速くなる。思わず口を衝いて出てしまった。
「…………」
「…………」
「……分かんない」
……わ、分かんないのか。ちょっとショックだ。自分だってよく分かってない癖に棚に上げてるのは分かっているが。
「……でも」
「……?」
「……誰かに取られるのは……イヤ」
「と……取られないと思うよ?」
僕がそう言うと彼女はそこで初めて僕をキッと睨んで言った。
「そんなの分からないじゃない。そんなに可愛いんだもの。絶対、いつか、誰かが……!」
「そんなに評価してもらって恐縮だけど、可愛いってあんまり男としての魅力には繋がらないような……」
「……違う」
「……はい?」
僕がマヌケな声を上げると、彼女はずずっと鼻を啜ってから、恥ずかしい秘密を公表する決心をしたように深呼吸して言った。
「あたしの言う可愛いは、他の人達の言ってるのとは違う。見た目の話じゃなくて、男らしく扱って欲しいのに空回りしちゃって悔しがってるところとかが可愛いって言ってるの」
「……!」
ドクンと心臓が跳ね上がった気がした。
「いつか、誰かが絶対そこに気づいて、あなたを連れていってしまう。そう思うと……胸が苦しくなる」
「…………」
「手紙がきた時……もう終わりなんだ、て思った……もう話せなくなるし、もう目も合わせてくれなくなるんだって、思った……」
「兎川さん……」
そうか。僕があの時……兎川さんに残るようにメモを渡されたあの日から……今日までのことをなかったことにしようと、そう言ってくると思ってたのか。
「違う。違うよ」
「……?」
「あんな手紙出して兎川さんを呼び出したのは……相談があって」
そうだよな、自分でもまとまってない、答えの出てないことを話すのならこう呼ぶはずだ。だから相談。
「あんなことがあって……色々と……分からないことがあって……」
僕はぽつぽつと胸の内を語る。
兎川さんは今は僕から視線を逸らさずに聞いてくれている。
「兎川さんがどうしてあんなことをしてきたのか……兎川さんが僕をどう思ってるのか、とか……」
「…………」
「僕は……兎川さんのこと、どう思ってるのか」
「…………」
「……色んな人に、相談したんだ……勿論、兎川さんの名前は出してないけど、色んな人に……聞いてもらった。僕はどうすればいいのか、男として……どうするのがいいのか」
「……うん」
「でもね、結局ハッキリした答えは出なかったんだ」
「……そう」
「ソレでね、言われたんだ。『分からないなら、分からないままでいいからそのままぶつかってこい』って、ぶつかって初めて分かることもあるから、話をしなきゃ始まらないって」
「…………」
「…………」
僕は大きく息を吸い込んだ。息を吸い込んで、その重みで逃げられないように。逃げ出せないように脚へと力が送られていく……ようなイメージを思い描く。
「あの時……恐かったけど、兎川さんと疎遠になるくらいなら、いじめられてた方がマシだな……って今、思った」
「……え?」
「……アレ? は、はは……どうか……してるよね」
「…………」
「ソレに、もし兎川さんが僕に興味を無くして、他の人に同じ事をするのかなって考えたら……うん、すごく……嫌だな。あの時の表情を他の人に向けて欲しくない」
……何だか視界が滲んできた。
感情に任せて言葉が吐き出されていく。コレ以上はまずいだろうか?
……いいや。吐き出してしまえ……!
「あの時の兎川さん……おっかなかったけど、すごく……僕の知る兎川さんの中で一番、キレイな顔をしてるから……!」
……完全に視界が涙で覆われた。声も上擦っているのが分かる。
「アレを……他の人に、他の男に……取られるのは……嫌だよ……!」
僕は完全に泣いてしまっている。
何を泣いているんだ僕は。何を言っているんだ僕は?
こんなこといきなり言われたら、気持ち悪いって思わないか? 兎川さん、引いてるんじゃないか?
でも視界は役に立たない。彼女がどんな顔をしているのか窺えない。
……何やってるんだ僕は……! 全然男らしくなんてなれてないじゃないか……!
とうとう僕は視線を逸らした。俯いて、必死に涙を拭う作業に移ってしまった。
ソレでも止め処なく溢れてくる涙のせいで、コレ以上言葉を紡ぐことができない。
「……っ」
不意に身体が何かにぶつかった。いや、何かが身体にぶつかってきた。
「…………」
……コレは、兎川さんの匂いだ。
「…………」
……ずず、と鼻を啜る音がした。僕の耳元で。
「……兎川、さん?」
僕は彼女に抱き締められていた。彼女の胸元を涙で濡らしてしまっていた。
「……たいに」
「……え?」
「絶対に……興味なくしたりしないから……大丈夫」
「……うん」
「…………」
「うん……うん……ありがとう」
「んーん……ありがとう」
彼女がいつもよりくぐもった声で答えた。
僕は僕を抱き締める彼女に応えるように、恐る恐るだったけど彼女の背中に手を回した。
ソレからしばらく僕達はそのままでいた。
「…………」
「…………」
どちらからともなく身体を離したあと、お互いに視線を交わす。
……彼女の顔は涙でぐしゃぐしゃだった。目は真っ赤で、まつ毛もしとどに濡れていた。でも、とても可愛いと思った。この顔は僕以外のヤツは見たことがないんじゃないかと思ったら、少し誇らしい気分にもなった。
……まぁ、僕はもっとひどい顔をしているので、彼女がソレを見て引いていたらやだなぁ、とも思っていたが。
「……使って」
僕の前に白い布が差し出される。ハンカチだ。
……あ、ハンカチと言えば。
「……兎川さんも」
僕はアルテマ先輩に返すつもりでポケットに入れておいたハンカチを代わりにと彼女に差し出した。
「……ありがとう」
「うん、こちらこそ」
そう言って僕は兎川さんが眼鏡を外して涙を拭うのを見てから、彼女の渡してくれたハンカチを目に当てた。……先程と同じ、兎川さんの匂いがした。
ようやく涙が止まってくれて、ハンカチを今返すべきか、後日洗ってから返すべきか、とりあえず歪んでしまった形を整えなくては、と思い至ったところで気がついた。
「…………」
「…………」
……何かこのハンカチ、形がおかしいぞ、と。
ふと兎川さんの方に視線をやると、彼女はいつかのように瞳をキラキラさせながら興味深そうにこちらを見てニコニコしている。
……半ば確信めいたものがあるけれど、綺麗に畳むのなら、一度開ききってしまえばいいのだ、と僕はそのハンカチを広げる。
「…………」
「…………」
……兎川さんがくれたハンカチはパンツだった。
「な、何でっ!? さっき返してって?」
「違うよ? ソレは今脱いだヤツ」
僕の慌てふためく反応が心底嬉しいといった表情で彼女がしれっと言う。
「え、な、何で……」
……いつ脱いだ? いつの間に脱いだんだ……!?
最初からこうなるのを予想して? いや、さすがにないだろう。
やっぱりアレか? 僕が思いの丈をぶつけながら泣いてしまった隙に?
え、じゃあ何? 僕が自身の心の叫びに涙していたその時に、兎川さんは『ハンカチが必要だわ』とパンツを脱いでいたというのか?
「な、な、何で……」
僕が顔を真っ赤にして頭から煙を噴いていると彼女はぽっと頬を染め、愛おしげなモノを見るような目でぽつりと答えた。
「脱ぎたての方が……喜ぶかな……って」
「そ、そういう気遣いはいりません!」
僕は天井に向けて叫んだ。先程、彼女を自分ととても近い普通の女の娘のように感じたのだけれど、アレは勘違いだったのだろうか?
「……で、使うの?」
兎川さんが目の輝きが留まる事を知らずとばかりに期待するように僕を覗き込みながら聞いてくる。
「…………」
「…………」
……ええいっ!
「……つ、使います!」
僕は再び天井に向けて叫んだ。何の宣言だコレは。
「……変態」
彼女はとても、とても嬉しそうにそう言った。
つ、使うさ……! いつかきっと……! 多分……!
以上で僕の日常に突如割り込んできた非日常の話は終わりだ。
告白は? 付き合ったのか? ちゃんと恋人になれよ、と言われると苦笑いしか返せないのだが、ソレは……まぁ、今後の僕に任せるということでここは一度幕を降ろしたい。
今回僕は彼女のことを理解できたのと、彼女に自分を理解してもらえたので満足だからさ。
ちなみに、僕が文化祭で何十人もの男性客に連絡先を聞かれたのや、当日に風邪を引いて高熱を出した戸山先輩の代わりに高橋さんがメイド衣装でステージに立ったのは、別の話である。
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