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リライトトライ3.5
肉食ウサギと草食ライオン③
しおりを挟む分からない。アレから三日経ったが、分からない。
何が分からないって、何もかもがだ。
まず、彼女――僕の隣に座っている兎川咲さんが何を考えてあんなことをしたのか分からない。
僕の知っていた彼女は優等生と言って差し支えない大人しい女子の模範とも言える存在だった。
……もしかしたらそんな優等生としての生活に何かしらのストレスを溜め込み、ああいった行動に出てしまったのかもしれない。
あまり気分のいい言葉ではないが、僕は彼女のストレスの捌け口にされてしまったということか。
ソレとも、アレが彼女の生来の気質なのだろうか?
……思い出すと身震いがする。そして自分の取った行動に対する激しい後悔の念が押し寄せてくる。
……何泣いてるんだお前は。何を唯唯諾諾と従っているんだ、と。
でもあの時の彼女は、とても、とても生き生きとしていた。見たこともないくらいに嬉しそうな表情をしていた。
不安が取り除かれたことに安心するような、相手がこちらの意図を察してくれた時のような……例えるなら、とても臆病な動物が自分の手からエサを食べてくれた時のような……って僕はペットか! 情けない。益々暗澹たる気持ちになる。
……一応彼女からは、拒否されたらどうしようという不安が垣間見えた。だからあの時僕は突っぱねることができなかった……違うな。拒否して嫌われるのが怖かった。失望されるのが、興醒めされるのが怖かったんだ。
そして次に分からないのは僕の気持ちだ。僕はあの時てっきり彼女に告白されるモノだと思っていた。されたらどうしよう、なんて偉そうなことを考えておきながら、本当は期待しまくっていたのだ。
しかし実際はアレだ。現実は非情だったのだ。というか、アレは予想できないだろう!
問題は、そのアレとやらによって、僕の彼女に対する気持ちはどう変化したのだろうか? ソレが分からない。
正直、僕は彼女に好意を持っていた。多分アレ以前の僕に直接聞いたらウニャウニャと否定とも肯定とも取れない言い訳を延々とするのだろうけど、少なくとも『あなたの大切な人が~』なんて言葉を聞いたら、真っ先に頭に思い浮かべるのは彼女の姿だったはずだ。そこは間違いない。……なかったと思う。
今の僕は、彼女をどう思っているんだ?
正直な話、ショックはあった。ソレは未だに僕の胸に突き刺さったまま抜けきってない。
でも不思議と嫌悪感はない。何故だろう?
もしあの時のアレを彼女以外の女子にされたらと考える。
……僕は確実に嫌悪と、畏怖の念を覚えていただろう。
多分彼女が、良くも悪くも静かだったからだ。あの時見せた喜びも、妖しい微笑みも、慎ましくほんの少し溢れさせる程度のモノだったからだ。言い換えてみれば、優しかったのだ。言葉の内容はともかく、慈しみを持って愛でるかのように接してきたからだ……と、思う。
もし彼女があの時の……うぅ、思い出すのも恥ずかしいのだけれど、あの時のあの言葉を――
『あたしのパンツ見たい!? 見せてあげよっか!? ねえ? ねえ!?』
――なんて下卑た笑みを満面に張り付けた表情で脅迫するように言われてたら、僕的には一発アウトだ。精神を破壊されて登校拒否になってもおかしくなかったのだ。
しかしソレでも、彼女の取った行動は決して優等生で大人しい女子の模範たる人物の取る行動ではない。何かしらの複雑な事情があったにしても、クラスメイトの男子にいきなりしていいことではない、はずだ。
決して擁護できることではない……はずなのだ。
だというのに、不思議と彼女を責める気にならない。なれない。
いや、責めにいったら嬉々として反撃してきそうでおっかないってのもあるんだけどさ。
かといって彼女の行動を全肯定することもできない。いや、どんな事情であんなことをしたんだか知らないのだから当たり前だ。肯定も何もない。
じゃあその辺聞いてみれば? って? 無理に決まってるだろ。何を言ってるんだ。
そんなワケで、僕の彼女に対する気持ちは宙ぶらりん。前にも後ろにも進めない。
アレから三日経った今も、彼女に話しかけることができないでいる。せいぜい横目でバレないように様子を窺うくらいだ。
しかしソレでも彼女には僕の視線に対するセンサーでも搭載されているのか、反応してこちらを見てくる。
そして何か言いたそうな顔で、何か聞きたそうな視線を向けてくる。
分からない。一体何が言いたいのか。一体何が聞きたいのか。
分からない分からないと言っておきながらも、こうやって整理してみると、結構分かる情報もあるじゃないか。その情報も、では何故なのか、と次のステップに進もうとすると結局分からないのだけど。
分かっているのは、この間のアレが間違いなく現実であるということくらいだ。
何故なら、今も僕の鞄の中には、例の……あの、アレが入っているからだ。
仕方ないだろう? 我が家には僕の部屋に勝手に入って勝手にそこら中を漁りまくる悪魔がいるんだ! そんな人にあんなモノが見つかったら僕は終わりだ。
考えてみれば……今、荷物の抜き打ちチェックとかされたら僕、終わるな……変な汗かいてきた。
『ハンカチと間違えて持ってきちゃいました~』とか『おやおや……さては姉さんだな』とか言って誤魔化すテクニックは僕には絶対ない。
一応鞄を開けた時に視界に入らないように、巾着の中には入れてある。い、入れる時もできるだけ見ないように、できるだけ触れないように気を付けたからね?
とりあえず抜き打ちチェックが入っても、巾着の中までは見ないよね?
……一応、明日からはさらにタオルに包んでおこう。
何で僕がこんな犯罪者のような気分を味わなくてはならないんだ。いけないと知りつつも、使うつもりもないのにドラッグを隠し持っている非行少年みたいじゃないか。
全く、分からない。
「じゃあ決定! 今日から急ピッチでいくんで、みんなよろしくね! 獅子堂も頑張って!」
「……は?」
いきなり名前を呼ばれて僕は思考の旅から帰還した。
「頑張れって……え? 何が?」
「……聞いてなかったの?」
隣に座る兎川さんが静かな声で尋ねてきた。辺りを見渡せば、クラスメイト全員が彼女と同じことを言いたそうな視線を送ってきている。
「ご、ごめんなさい……聞いてませんでした」
マジかよ。
大丈夫なの?
と教室がざわめく。
……何だ? そんなに重要な何かに僕が関わっているのか?
「来週の、文化祭」
兎川さんが静かな声で告げる。彼女の声には邪魔してはいけないと思わせる何かがあるみたいで、さっきまでのざわめきやどよめきが波のように引いていく。
「あ、うん」
「ウチのクラスはメイドカフェをやることになりました」
「えぇ……?」
「担当の割り振りが決まったの」
「あ、うん」
そこから彼女は、調理担当がダレダレ、受付、入場整理担当がダレダレ……などと説明してくれた。
「給仕……つまりメイドが――さん。――さん。高橋愛理さん」
「はあ……」
「そして、獅子堂凛音くん。あなた」
「……はい?」
「メイドさんには衣装担当が付きます。あなたの担当はあ――」
「ちょ、ちょ、ちょ! ちょっと待って!!」
「……何?」
「どうして僕がメイドなの!?」
「……可愛いんだもの」
この距離でしか分からないと思うが、兎川さんがぽっと頬を微かに染めてぽつりと言った。
『可愛いんだもの』
「――っ!?」
異口同音。教室の四方八方から同じ言葉が反響した。
「そーゆーことっ!! ぼーっとして聞いてなかったあんたが悪い! 覚悟を決めてそのポテンシャルを遺憾なく発揮しなさい!」
文化祭実行委員の生徒がビシっ! と僕を指差して叫ぶ。
「い、嫌だぁぁあああ――っ!」
僕は叫んだ。僕は滅多に叫ばない。注目を浴びることが好きじゃないからね。
その注目を浴びるのが好きじゃない僕が滅多に出さない叫び声のレア度などクラスメイト達が知っているはずもなく、なす術もなく僕はオムライスがおいしくなる魔法が得意という設定のネコ耳メイド『リオンちゃん』になることを強制されてしまった。
そして放課後。場所は教室である。
放課後の教室……いや、考えるのはやめよう。今日は大丈夫だ。何故なら、僕だけじゃない。文化祭に向けて一丸となっている……はずのクラスメイト達がいるんだから。
給仕担当の生徒が何人かいる。僕と同じで体操服姿だ。決定的に違うのは性別くらいだ。あのあと僕は男だといくら主張しても決定が覆ることはなかった。
目の前にはパーテーションに掛けたカーテンが見える。簡易的な更衣スペース。ここで採寸をするのだろう。
僕はその中で待機中だ。両隣から女子の声が聞こえてくる。
「うっわ! 高橋さんスタイルやばっ! おっぱいチョーでかいじゃん!」
「あー、最近大好きな人がいるから女性ホルモンが留まることを知らなくて~」
「えぇ? その人に揉まれまくったの!? てか、あたしも触っていい?」
「ちょ、くすぐったいって~」
「…………」
や、やめろう! と叫びたいのだがソレもできない。僕がいるのを分かっているのか!?
このクラスの女子達は僕を本気で実は女なんじゃないかとか思ってるんじゃないだろうな?
ソレにしても、例え異性がいなかったとしても、あんなことを大きな声で言うのはどうかと思う。やっぱり女って生き物は苦手だ。
……しかし、女性ホルモン、か。
僕ももう少し男らしい行動や思考を心掛ければ、男性ホルモンが分泌されて今よりはマシな身体つきになれるんだろうか?
例えば……恋をしたり?
どういうワケだか頭に浮かんだ人物の姿を頭を振って掻き消すと、後ろから布の擦れる音がして、その人物が現れた。
「……お待たせしました」
「兎川……さん? ど、どうして?」
「どうしてって……聞いてなかったんだっけ? あなたの衣装担当、あたし」
「え、ええっ?」
男子じゃないの? いや無理あるかもしれないけどそこは男子でありながらも手芸部とか被服方向で並々ならぬ才能を発揮している誰かが来るんじゃないかと予想……いや、期待していたのに!
「もうあまり時間がないの……何やるか決めるのが遅かったせいで、急ピッチになってしまったから。急がないと」
そう言って彼女は後ろ手にカーテンをピチッと閉める。
「う、うん」
僕が沸き上がる嫌な予感と懸命に戦いながらそう返すと――
「採寸するから……脱いで?」
やはりというか何というか……彼女はメジャーとメモを取り出し、あの時の妖しい笑みを浮かべながら、静かな声でそう言ったのだった。
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