リライトトライ

アンチリア・充

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リライトトライ3

第四話

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 雨の中を走る。走る。

 振り返れない。

 そんなことに回す余力がない。

 少しでも弛めたら、背後に迫った腕が、俺の肩を掴みそうな気がしてならなかった。

 走れ。一キロでも速く。

 進め。一センチでも多く。

 逃げるんだ。一秒でも長く。

 でなければ、死ぬ……。俺はそんな考えに取り憑かれていた。

 少しでも諦めたら、背中に冷たい感触が届くのではないか? あのバッグの中にあった、冷たく、鈍く光っていたアレが追い縋ってくるのではないか?

 ……そんなワケないだろう? 運動音痴でしかもアルコールが入ってるとはいえ、一応男の俺が全力で走っているんだ。

 同じようにアルコールが入っていて、女性の……しかもヒールを履いていた彼女が追いついているワケが。

 確かにもっともらしく聞こえる。でも、もし万が一そうじゃなかったらどうするんだ?

 俺が『そうだよな』って足を止めて振り返った瞬間、彼女がそこにいたらどうするんだ? その責任は一体誰が取ってくれるってんだ。

 だから、俺はその甘い希望に縋るワケにはいかない。どんなに有り得なくても、少しでも可能性がある限り、苦渋の決断を続けるしかないんだ。

 俺は湯気を噴きそうな熱さと、思わず身体を丸めたくなってしまいそうな寒さを懸命に無視して、走りまくった。

 頭が痛いし、気持ち悪い。今すぐ足を止め、膝をついて地面にモドしてしまいたい。

 ダメだ! 何も考えるな。考えれば脳ミソが酸素を喰う。酸素が足りなくなれば、足が止まる。足が止まれば……!

「あ、と……少し……っ!」

 見慣れた景色が近づいてきた。俺の視線は前を睨んだまま、手探りでポケットから鍵を取り出す。

 ミスは許されないぞ。一発で鍵を鍵穴に差込み、開錠しなければならない。

 遅すぎてもならない。慎重、大胆かつ迅速に、必ず成功させなければならない。

 ……頼む、人生で一番の集中力を、今から一秒だけ発揮させてくれ!

「……っ!」

 およそ自分の思い描く最高の正確さと速度で開錠に成功! 俺はすぐさまドアノブを掴んで思い切り引っ張る!

「……っ!」

 そして室内に飛び込むと、すぐさま振り返りドアを思い切り閉める。

 バターン!! と、バカでかい音がした。

「うっきゃぁぁぁあああっ!!」

 背後から女性らしき慎みといったモノが皆無、と言えてしまえるような絶叫が聞こえた、が、俺は完全に無視して、右手はドアノブを渾身の力を込めて掴んだまま、左手でサムターン錠を回し、チェーンロックを掛ける。

「…………」

「な、な、な、何ですかっ!? びっくりさせるんぢゃねーですよっ!」

「……はぁっ……はぁっ……」

 施錠するや否や俺はドアについた覗き穴に目を近づける。

 ……いない。

「は……はは……」

 なーんだ。何やってんだ俺は。全力で走ったりして。アホじゃないのか、はは。

 ようやく人心地ついた俺は靴を脱いで室内に上がりこむ。

「ちょっとアキーロ! きーてるですか!」

「……っ!」

 抗議の声を上げてくる少女の後ろで、横殴りの雨に打たれて音を立てる窓が目に入る。

 ……アホか俺は!? 何を弛めてやがる!

 胸中で自分を罵った俺は抗議の主を押し退けてすぐさま窓際に駆け寄る。

「ニ゛ャっ!?」

 ボスン、と音を立ててベッドに倒れる少女に目もくれず、俺はすぐに鍵が掛かっているか確認する。

 よし、掛かっている! 念の為に鍵自体を動かないようにロックして、カーテンを閉めて、俺は深呼吸をした。

「な、何ですよぉ……」

「しっ!」

「ひゃっ!」

 めげずに俺に話し掛けてくる銀髪少女の眼前に一本指を突き出し、黙らせる。

 ……一秒、二秒……

「…………」

「……?」

 俺は俺達以外の何者かが立てる音がないか、一切の音を立てずにじっと待った。

 隣の少女もワケが分からないながらも自分の手で口許を覆い、落ち着きなく俺に視線を送っているモノの、俺の放つ緊迫した空気を読み取ってくれたのだろう。騒ぎ立てるようなことはしなかった。

 ……一分程経っただろうか?

 絶え間なく窓を打ち続ける雨音の他には、特に外からの物音は聞こえてこない。

 聞こえたとしても遠くから聞こえる車の音など、脅威からは除外して考えて差し支えないだろうモノばかりだ。

「…………」

 仕上げとばかりに、俺は注意深く、物音を立てないように指でカーテンに隙間を作る。ホラーモノとかだと覗いた視線のすぐ先に、窓に張りついた危険人物の顔があったりするんだよな。

 ……はは、まさか……ね。

 そんなワケないさ……て、フラグを立てるな俺!

「…………」

 覗いた先には、漆黒の闇と、窓を叩く雨粒以外見えるモノはなかった。

「は、はは……」

 今度こそ大丈夫だ。そもそも最初から追ってきていなかったのかもな。いずれにせよ、逃げ切ってやったぞ。今度から俺をフラグブレイカーと呼んでくれ!

「はっはっはっは! また呼び名が一つ増えちまったぜ!」

「はっはっはぢゃねーですよ! 何なんですか一体!?」

 もう喋って大丈夫だと判断したのだろう。少女が眉間に皺を寄せて抗議してきた。

 彼女は俺の相棒かつ、妹で同居人の上に死後の世界の執行者である戸山リライだ。

「いきなりデケー音立てるわ自分のこと突き飛ばすわ――ほへっ?」

 銀髪の頭頂部から生えたアホ毛をブンブン振り乱して文句を言うリライを俺は抱き締める。

「な、何ですよ……? どーしたですか? アキーロ」

「あ……いや、どうしたってこともないんだけど、ちょっと……な」

 ……大丈夫、もう大丈夫だ。もう怖くない。大丈夫だ。落ち着け。

 俺は自分に言い聞かせながら、急に震え出した腕に力を込めた。

「ぐえぇぇ〰〰……アギーロぉ……ぐるちーですよぉ……ビショビショぢゃねーですか。おまけに何か、クセーです」

「おう、ビショビショだぞ。酒くせーぞ。ウリャウリャ、苦しめ~」

 俺は日常に戻ってきたことを確かめるように、妹いじめに熱を注いだ。

 イヤイヤするようにリライが首をブンブン振る度、首輪についた鈴がちりんちりん、と音を立てる。

「ニャ~!! や~め~る~で~す~よ~! 何ですよこのニオイ? コースイ? 女モノ?」

 ……げ。ググリ先生め……余計なことを……!

『あぁぁぁぉぉおおっ!』

「ん?」

「あ」

 突然、兄妹のスキンシップに割り込んできた声の方を見ると、そこにはテレビがあった。そしてその画面にはCGで作られた主人公が、同じくCGで作られたゾンビ達に喰われている絵が映っている。

「リライ」

 俺は何と言って誤魔化そうか人知れず高速回転させていた頭を休ませ、口を開いた。

「はいですよ」

「アレは何だ?」

「バイトハザードですよ」

 そう、テレビ画面に映っているのはバイトハザードというゲームだ。ウィルス被害にあった米国のある街にて、ニートを脱出する為にバイトの面接に行った何も知らない主人公が惨事に巻き込まれてしまうというサバイバルコメディホラーだ。

「知ってるよ。何で俺のバイトハザードをお前がやってるんだ?」

「……ググリ先生のリクエストですよ。ヒマだから何かやれ~って」

「そうか。でもお前、今日はカタカナの勉強をするんじゃなかったのか?」

「……ぢ、自分もうカタカナマスターですよ。『バイトハザード』って読めたですよ」

「そうか。じゃあ自分の名前書いてみろ」

「の、望むところですよ!」

 そう言って俺の腕から脱出したリライが、テーブルの上に置かれたメモにシャカシャカとペンを走らせる。

「できたか?」

「で、できた……ですよ……多分」

「見せてみろ」

「ちょ、ちょっと待つですよ……ググリ先生、コレあってるです――」

「はい時間切れっ!」

「ニャ――っ!」

 コズルいことをしようとしてたリライの手から、俺はメモを没収した。

「……だ、れ、だ、よ! 『トヤアリウイ』って!」

「ウギュ~っ! にゃにひゅりゅれひゅか~っ!」

 俺は両手でリライの口に指を突っ込み白いほっぺたを引っ張ってやった。おぉよく伸びる。

「な~に勉強サボってゲームなんてやってやがる! しかもお前怖いの苦手だろうがっ!」

「りゃってアヒーホにょへーふはひへひゃったれふひゃら~!」

「……さすがに解読不能だ。何だって?」

 俺はリライのほっぺたから手を離し、ヨダレまみれの指を服で拭う。

「だって……アキーロのせーぶが消えちゃったですから」

「あぁ、そうなのか」

「そーなんですよ。ググリ先生がゆーにわ、上書きってのをしちまったらしーですよ」

「何してくれとんじゃお前はぁぁっ!」

「ニャ~っ!」

 再び俺はリライのほっぺたを引っ張ってやった。碧い瞳に涙を浮かべたリライが必死に俺の手を掴む。

「れ、れもれも、ひふんらっへがんはっらんれふよ!」

「何をどう頑張ったってんだ! 全難易度Sランククリアしてたんだぞ俺!」

「ぷはっ……めっちゃ怖かったですけど、アキーロが怒ると思ったから自分なりに必死に……頑張ったですよ……面接室で店長ゾンビに五回殺されても諦めなかったですよ!」

 ソレ……最初の敵ですよ。チュートリアルつきですよ。

「そしたらもーいーかげん怖さの限界がきて……泣きべそかいてブルブルしてたら……いきなりアキーロがデケー音立てて戻ってきて……すげーびっくりしたですよ! おしっこ漏らしたらどーするですか!」

 リライが俺の胸をぼすん、と叩く。

「どうするですか、って――」

「おまけに、『すげー怖かったですよ~!』ってアキーロに飛びつこーとしたら、リライのこと突き飛ばすし……」

 ……ぼすん。

「ひょっとしたら自分のこと見えてねーのかと思って必死に声かけよーとしたら『しっ!』てするし……もう怒っててずっと無視されるのかと思ったぢゃねーですかぁ……」

 ……ぼすん。

「…………」

「……ひっく……」

 ……あぁ……泣かせちまった。

「う……うぅ~……」

「分かった……悪かった。リライ……ごめんな」

 俺は俯いたまま、拭った端からこぼれる涙と両手で格闘中のリライの頭に手を置いた。

「…………」

「俺もちょっと色々怖いことがあってさ……ちょっと余裕、なくしてた」

 どうせビショ濡れなんだ。今更構うモンか。俺はリライをもう一度抱き締めた。

「う……うぅぁぁ~ん……アキーロのアホぉ……」

「よしよし」

 最近、前にも増して泣くことが多くなったリライの頭を撫でる。

「……ぶび〰〰!!」

「うぉぉっ!?」

 俺の服で遠慮なく鼻をかむリライ。

「……ずるっ」

「……落ち着いた?」
 
 俺の服から鼻水の橋が架かってるリライの鼻を俺は服で拭ってやる。

「ずびっ……はいですよ」

「そか。よかった」

「……はいですよ。ググリ先生も『アメふってぢ固まるやね~』とか言ってるですよ」

「いや、半分はオメーのせいだからな!」

 俺は天井を指差して抗議のツッコみを入れた。

「ソレとだ!」

「ふへ?」

「もし何かやらかしちまったら、ウダウダ言わねーで謝れ! 自分が悪かったことを認めるのも勇気だぞ!」

「ニャ~っ!」

 俺は眉根を寄せて厳しい顔をしながら、三度(みたび)リライのほっぺたを引っ張った。

 まぁ……本当はリライが自分の頭で『俺が怒るだろう』と考えて、自分なりに行動を起こしたことを考えると、まぁ何だ。頬の筋肉が緩みそうになるのを必死に堪える作業に移らざるを得なかったというか……うーん、何だか胸がくすぐったい気分だ。

「うぅ……ごめんらひゃいれふよ。おにーはま……」

「おーし」

 そう言って俺は今度こそリライから手を離し、シャワーでも浴びてこようとバスルームの方へと歩を進めた。

「あ、アキーロ、もう一つごめんなさいなんですけど……」

「ん?」

「ぢつわ……ニャーが外で、雨で、ビショビショで、その……震えてたですから、入れちゃったですよ」

「え? どこに……?」

「ここにですよ……さっきからアキーロのベッドに……あ! ニャー、そんなとこでうんちしちゃダメですよ!」

「なんとぉぉぉおおおっ!?」

 リライの言葉通り、俺のベッドの上には猫が居座っていた。しかも、その猫は寒さとは別に身体をプルプルと震わせながら、今まさに俺の寝床に物体でマーキングの真っ最中だった。

「もっと早く言えぇぇぇえええっ!」

「言おーとしたですよ! でもアキーロが言わせてくれなかったんぢゃねーですか!」

 俺は半泣きになりながら猫の生み出せし汚物に穢されたシーツに手を伸ばした。



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