リライトトライ

アンチリア・充

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リライトトライ2

第十一話

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「ふう……」

 今日一日猛暑に晒されて汗まみれになった身体を清めようと、俺が風呂にてクセっ毛を包んでいたシャンプーの泡を洗い流し、一息吐いたその時、いきなり背後でドアの開く音がして、裸の親父が入って来た。

「うおっ! 何だよいきなり」

「そんな驚く様なことか? ここは俺の家の俺の風呂場だぞ。ホレ、そっち行け」

 親父はさも当然であるかの様に浴槽の方へ顎をしゃくり、俺に場所を譲る様に促した。

「高校生にもなってナチュラルに親と風呂に入れるかっての」

 俺はそう呆れた様な声を出しつつも、促されるまま浴槽へと身を移し、湯船に浸かった。

「いいだろ。退院して久し振りの我が家なんだ。息子と裸の付き合いくらいさせろい」

 その言葉を聞いて、俺は胸を締め付けられる様な気がした。そうだ。親父はこの時には既に患って入退院を繰り返していた。そしてこの時より数年後に、帰らぬ身となったんだ。

 ……親父は怖くなかったんだろうか? 着実に自分の身体が蝕まれていくのが分かっていただろうに、結局最後まで一度も俺は親父の口からソレについての弱音を聞かされなかったんだ。

「どうだ? 高校生活は? 彼女できたか?」

「へ? あ、いや……」

 予想外の言葉に、思考の旅に出ていた俺は現実回帰する。

「何だお前まだ童貞か!? 全く情けない。俺の遺伝子を受け継いでおきながら高校生になって童貞とは、恥じ入るべき事実だぞ、ソレは」

 ……残念ながら親父よ。この時から約八年後の俺も変わらず童貞だ。ソレにあんたの遺伝子にモテ因子が含まれているのかは甚だ疑問だぞ。

 しかし、久し振りの親子での裸の付き合いの第一声がソレか。全く、この親父を見ていると俺が咄嗟に口にしたリライ隠し子説もさもありなんって感じだ。信憑性が湧くってモンだぞ。

「別に俺だって何もしてないワケじゃないよ。彼女……みたいな人は……いる? かな」

 俺が優乃先輩の顔を思い浮かべながらそう歯切れの悪い反論をすると、親父は目を輝かせてこちらを見た。

「ほう! そうなのか! まあ俺の血を引いてるんだからな! 女の方が放っておかないか」

 あんたどんだけ自信家なんだ! 俺がナル男ならこいつは何なんだっ!

「……で、何悩んでんだ?」

「……え?」

「顔を見れば分かる。珍しいくらい真剣な顔をしてるからな」

 俺はしばらく呆気に取られていた。ソレに気づいていたからこその裸の付き合いだったのか。何となく、この親父のモテる説が、真実味を増した……よーな気がしないでもない。

「…………」

「ん?」

 親父は沈黙する俺に言ってみろとばかりに笑みを向けた。その顔は、自信満々で、とても頼りがいのあるモノに見えた。

「……久し振りに会ったまひ――年下の女の娘が、どうしたら心を開いてくれるかなって」

「何だお前、彼女がいるのに年下の娘もオトそうってのか!? さすが俺の息子だな! 代わってくれ! 今から俺が秋色だ!」

「ちっが~~う!」

 俺はカラカラ笑う親父を真っ赤な顔で一喝した。

「本人は俺が知ってるとは思ってないだろうけど、何か悩み……ってゆーか、問題があるみたいなんだ。でもソレが何かは分からない。遠回しに聞いても――」

「――話してくれない、と」

「……うん。あんま問い詰めても……何で知ってる? 誰から聞いた? ってなっちゃうし」

「……ふうん」

「……親父ってさ」

「まだお前が親父と呼ぶには四年早い。『親父は二十歳になってから』だ」

 その言葉を聞いた瞬間、俺は多分この上なく情けない、人前には晒せない間抜け面をしていたことだろう。

 視界が滲んで、ごまかす様に湯船に顔まで潜り、無理矢理に心を落ち着かせた。

 ……親父は、俺が十九歳の時に死んだ。結局俺は最後までこの人を面と向かって親父と呼ぶことは叶わなかったんだ。

「……父さんって、昔から初対面の他所の子供とかにも好かれてたけど何で? 何かコツが?」

 そう。まひると初めて会った時も、あいつは親父の後ろからこっちの様子を窺っていたし、その後も会う度にキャッキャと懐かれていた。

 まひるは母さんの妹の娘だ。ある意味親父は初対面で一番馴染まない位置にいるはずなのに。何かしらのコツがあるとしか思えない。

「そんなの全ての女性――いや、全ての人間に言えることだよ。『その人を愛すること』」

 ……人の話を聞いてたのかこのオヤジは?

「愛するということは、その人が何に怒り、何に泣き、何に笑うかを、その人の目線の高さで知ることだ。ソレも自分から先にな。愛して欲しければその人を愛し、信じて欲しければその人を信じる」

「同じ目線の高さで……愛し、信じる」

「そうだ。自分の目線から知ろうとしても駄目だぞ。女……特に子供ってのは気を遣われていることに敏感なんだからな。余計に心を閉ざしかねん。自然にその人と同じ目線で、かつ自分もやりたい様にして一緒に楽しみ、一緒に泣き、一緒に笑う。コレが究極の方法だ」

「…………」

 確かに、親父は子供と一緒に遊ぶ時、めちゃくちゃ楽しそうな顔をしている。子供の相手をしているのではなく、自分がそうしたいからそうしているのだと言わんばかりに。でも――

「――俺には、無理……かも」

 想像できない。自分がそうしたいからと人を助ける姿が。俺はそんな立派な人間じゃない。

「秋。『やってみせる』と言ってみろ」

「……? やって、みせる。……何を?」

「戸山家家訓、第四条。『戸山家の男子は有言実行』……である」

「……はい?」

「お前は今『やってみせる』と言った。時として男というのはそうやって自分を追い込んで行動するモンだ。『俺は天才だ』とか『俺は世界最強の男だ』とかな」

「ソレって自己暗示じゃん! モハメド・アリかよ!」

「よく知ってたな。とにかく『やってみせる』と言ったな。後は実行するのみ。簡単な話だ」

「ソレは言ってみろって言ったから――」

 つい何も考えず言われたままに口にしてしまったけど、多分二度目は口にしても親父には聞こえないだろう。

 俺には『自分で思ってない言葉は届かない』という制約が掛かっているんだ。

「ホレ、アドバイス料として背中を流せ」

 そう言って親父は俺の眼前にアカスリタオルと石鹸を突き出してきた。

《ふへ……アキーロのパパって、どっかアキーロに似てますですね……あ、逆ですか》

 どこがだ。何となく納得いかないモノを感じたが気の利いた反論も思い付かず、俺は言われるままに湯から上がり、親父の背中を擦り始めた。ってか、覗くなリライ。不公平だ。代われ。

「口にしたことも実行できない息子などウチには必要ねーからな。厳罰に処す。俺の代わりに病院のベッドで朽ち果てるの刑に処してやる。俺は代わりに高校生活を満喫してやるからな!」

「ば、バカ野郎……!」

「だはははっ!!」

 馬鹿笑いする親父の前より小さくなった気のする背中を擦りながら、俺は思わず声を上げた。

 ……知らなかった。自分が死ぬのを確信していたワケではないだろうが、親父はこの時から既に自分の死を意識していたんだ。冗談混じりに軽く言ってたけど、俺は驚いていた。

「……やって、みせる。聞き出してみせる……守って、みせる」

 俺はぽつりと、正に自己暗示の様に独りごちた。

 親父の耳に届いたかは分からない。何せ俺は親父の顔を見れなかったのだから。





 翌日の夜。来ないんじゃないかと心配していたが、まひるは俺よりも先に公園に来て、昨日の様に夜景を見下ろしていた。

「遅いっ!」

 俺の姿を確認するや否や、まひるは振り向き様に文句を言ってきた。

「時間は決めてなかっただろが。でも、よく来たな」

 俺がそう言いながらグラブを放ると、まひるはソレを手に嵌めてバシバシ叩いた。

「特訓してくれって言ったのは秋にぃじゃん! さ、ビシビシいくよ!」

「お、お手柔らかに……」

 何だかやる気満々だ。キャッチボールが意外に楽しかったんだろうか?

「違う違う! またオカマみたいな投げ方になってるよ!」

「オカマゆーな! 自分ではフツーなつもりなんだが……」

「もう、しょーがないな」

 そう言ってまひるが俺に歩み寄って来て、腕を掴む。

「腕から前に出すから駄目なんだよ。後ろ重心で振りかぶって、前に移動させた体重を踏み込みで受け止めてから肩、肘、手首、指の順に前にやるんだよ」

 俺の身体に手を添えながらレクチャーしてくれるまひる。ナルホド、と俺は感心してしまう。

「で、ソレを早くやると、こーなるのっ」

 まひるがビュッと投球モーションを見せてくれる。

 ふわ、と流れる髪からシャンプーの匂いがした。

「……まひる。シャワー浴びて来たのか?」

「べ、別に浴びてないモン! な、ななな何で?」

 必要以上に慌てるまひる。どうしたってんだ?

「いや、シャンプーの香りがするし、髪も気持ち昨日より整ってるから」

「わ、悪いっ!?」

「いや全然悪くないけど。わざわざまた制服着たのか? どうせ汗かくし、私服でいいじゃん」

「い、いーじゃん別に! 悪いっ!?」

「だから全然悪くないって、何怒ってんだ?」

「……怒ってないモン。ほら、続き!」

 ワケが分からん。女の生態は男子にとって永遠の謎だ。

「あ、ちょっと待て。今日はいいモンを持って来てるんだ」

 俺はポケットから優乃先輩にもらったシュシュを取り出した。

 ここに来る前、女性の意見が欲しくて少し相談してみたらくれたのだ。

「……髪、邪魔だろ? プレゼントだ。先輩がくれた」

「先輩って……女?」

「うん」

 俺がそう返事して距離を取りかけてたまひるに歩み寄ると、彼女は何故だか唇を尖らせた。

「ソレくらい、まひるも持ってるモン」

 そう言ってまひるはポケットからシュシュを取り出し、髪を後ろで束ねようとする。

「あ、ちょっと待った!」

 ある名案が脳内を駆け抜けた俺は、まひるの動きを手で制した。

「……何?」

「……せっかく二つあるんだから両方使おう」

 そう言って俺はそこはかとなくゴネる様に身体を強張らせて抵抗するまひるを押し切り、両側で髪を束ねさせた。俗に言うツインテールというヤツだ。

「……何か、子供みたいで恥ずかしーんだけど」

「……やだ?」

「別に……やだじゃない」

 懐かしい口癖。やはりコレはまひるなんだな、と実感してしまう。

「……んー」

 とは言ったモノの、やはり落ち着かないらしい。俺の視線を避ける様に身体をモジモジさせているまひるに、全然変じゃない、と伝えてやりたくて俺はこう言った。

「大丈夫、完璧だ。可愛いぞ」

「……え?」

 実際数年後にはオタクの間で大ブレイクするんだから。一家に一台。一作品に一人! だ。

 俺はビシ! と親指を立てる。

 するとまひるは目をパチクリさせながら俺の顔を見た。自分がそう言われるなんて、考えたこともなかったといった表情だ。

「……ま、まひる……可愛い……かな?」

 ……アレ? 何か予想と違う反応だな。怒ると思ったんだが。こんな表情でそんなことを言うまひるを見たのは初めてだ。少なくとも俺のデータベース内には存在しない。

「…………」

 ふむ……で、俺は何て答えるんだ?

 正直言ってコレまでまひるを異性として意識したことはない。が、コレからはどうするんだ? ここは知らぬ内に芽生えていたのかもしれない、女としてのまひるの気持ちを促す方向でいくのか? ソレとも――

「――正直、制服姿にはグッときた」

 俺は正直に頭に浮かんだ言葉を言った。

 仕方ないだろ! 変に無理をして持ち上げようとすると、俺がそう思ってなかった時、相手に伝わらない可能性があるんだから。この言葉だけは伝わる確信があったんだモン!

「……バカじゃないの」

 そう言ってまひるはマウンド上のピッチャーの様にグラブで顔の下半分を隠してしまった。

「その髪型に制服姿なら完璧だ。スーパーサイ●人3並のレベルアップだ。制服が着れる年齢ってのは貴重なんだぞ。女学生ってのはブランドなんだぞ!」

 さらに熱を上げる俺。コレはマジで本心だ。

「でも、まひる女の娘らしくないモン。チビだし」

「確かに。やせっぽちだし、乳もひんそーだしな」

「ハッキリゆーな! あと乳ってゆーな!」

「うおっ!」

 至近距離から放られた白球をあわやのところでキャッチする。

「でもそんなん気にすんなって! いいじゃんつるぺたでも」

 俺は距離を取りながら山なりに白球を放り返す。

「つるぺたってゆーな! 別に可愛くなくていーモン! 女らしくなりたくないモン!」

 またも剛速球が返ってくる。この距離はハッキリ言って怖い。ちょっと腰が引ける。

「そういうのは……お姉ちゃんがいるモン。まひるは……いいよ」

 俯き気味にまひるが暗い声を出す。やっぱ兄弟の下っての詳細は違えど上にコンプレックスを抱くモンなんだろうか?

「バーカ。つるぺたでも可愛いヤツはたーくさんいるんだぜ?」

「だから可愛くなくて――」

「確かに女性の魅力を語るにおいてスタイルのよさは外すことのできない重要なファクターだ。実際俺の意中の女神は穏やかで優しい顔と性格をしているが、ソレと裏腹に身体の方は凶悪と言ってしまっていい程にスーパーダイナマッ! て感じだ」

「ソレって……さっきの先輩? ……スタイル、いいんだ?」

「通常の三倍って感じ。正直、あの乳を俺専用にできるのか? むしろ万が一、できたとしてもそーしてしまっていいのか? と頭を抱え腰が引ける毎日だ。その難易度は例えるなら――」

「だ、だから、ち、乳って……他に言い方ないのかよ……例えるなら?」

「例えるなら――」

 ――童貞がAV男優になって女優を失神させるくらいだ、と言おうかと思ったが……相手は中学生だぞ!? 昨日の失敗もあることだし、そこはぐっと堪えるんだ秋色。

「――レベル1の俺がはぐ●メタルを相手にして倒せるかってくらいだ。ミスる可能性大。会心の一撃はそうそう出ない。ソレどころか下手すりゃこちらが焼き殺される可能性もある」

「……どーゆー意味?」

 まひるがとても付いてこれていないことを如実に語る瞳でそう返してくる。

「つまり、『経験値が足りない』ってことだ」

「分かりづら……バカじゃないの」

「狙うべき相手が強大過ぎると、こちらも萎縮してしまっておいそれと手出しできなくなるという話だ。つまり、おっぱいがデカけりゃいいってモンでもないんだよ」

「お、おっぱ……ソレって、小っちゃければ緊張しなくて楽だ、って意味かよ。妥協じゃん。バカじゃないの!」

 まひるが今度はジト目で返してくる。ホントに口程にモノを言う目だな。

「違う! 小っちゃいのにも需要はあるんだよ!」

 俺はカッ! と目を見開いて一喝した。

「どんなメリットがあるんだよ! 『肩凝らない』とか言ったらブツかんね!」

「……コレだけは言いたくなかったが……ここだけの話、俺は確かに巨乳が大好きだ。愛してると言ってもいい……だが、自分の貧乳をコンプレックスに思っていて恥じらう乙女はもっと好きだ! 愛してるの言葉じゃ足りないくらいだ! ソレを守る為なら人を殺しかねない!! ソレくらい好きなんだ! だからまひるもそのちっぱいに自信を持ってひでぶっ!!」

 俺がシェイクスピア作品を演じる舞台役者の様に悦に入って長台詞を述べていると、顔面にグラブが叩き付けられた。

「何がちっぱいだ! きめぇーんだよ! バッカじゃねーの!」

 グラブを放った姿勢のままでまひるが顔を真っ赤にして怒鳴る。

《アキーロ……ちっぱいって何ですよ?》

 久し振りにリライが話し掛けてきたが、俺は無視して……何か今回無視してばっかだな。

「コラ! 女の娘がそういう言葉遣いをするんじゃねー!」

 グラブの直撃を受け、まひるとは違う意味で顔を真っ赤にして怒鳴り返す。

「バカじゃないの! もう帰る!」

 まひるが怒りを含んだ大股で出口へと歩いて行く。

「何だぁ!? 逃げんのかぁ? つまり俺の勝ちってことだな? 俺の意見に反論できずに尻尾を巻くってこったな!?」

 俺はその背中に挑発を浴びせる。

「相手にすんのがバカらしくなっただけだモン!」

「逃げたんじゃないってんなら明日も来いよ! その髪型でな!」

 俺がそう言うと、まひるがぴた、と歩みを止める。

「大丈夫。まひるは可愛いよ。髪もさらさらだったし、いい匂いがした」

 俺は立ち止まったその背中に向けてそう続けた。何でだろう? 相手がまひるだとこんな台詞も全然恥ずかしくない。優乃先輩にはとても言えないであろう台詞なんだが。

 振り返ったまひるの顔には、怒りだけではない、別の何かを含んだモノが浮かんでいた。

「……バカじゃないの、変態」



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