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リライトトライ2
第八話
しおりを挟む「痛い……痛すぎる」
真っ暗な部屋に、ベッドの中ですすり泣く様な俺の声が響く。風呂から上がった後、リライはあんなに見せたがっていたパジャマ姿も見せずに、前まで荷物置き場にしていて、今はリライの寝床であるロフトへと上がってしまった。
電気を消す前に髪を乾かさないで寝ると風邪引くぞ、と声を掛けたが、もう寝ているのか拗ねているのか、返事はなかった。
ソレにしても股間が痛くて眠れない……何故俺がこんな目に遭わなきゃならんのですか。まだ使ってないのに不能になったらどうしてくれるんですか。
しかし、さっきは言い過ぎたかな? こっちに来てまだロクに日も経ってないのにいきなり他所に預けられて、ソレで常識がないって怒られて。常識なんてなくて当たり前だ。どうもあいつがある程度育った外見をしているせいでその辺を勘違いしてしまう。
謝るべきだろうか? でも今はもう寝てるみたいだし、まだ怒りが抜けきってないだろうから、明日にするか。
そう決意し目を閉じた俺だったが、痛みのせいで眠れやしない。既に消灯して一時間は経過している。以前だったら電気を点けて、眠くなるまでゲームや本やDVDや、やり様はいくらでもあったのだが、今は同居人の規則正しい寝息が聞こえてくる為、ソレも気が引ける。
どうしたモノかと考えていると、ロフトへと続く梯子の軋む音がして、着ぐるみの足が覗く。咄嗟に俺は背を向けて寝ているフリをした。理由は俺にも分からない。
「んん……」
眠たげな声がして、ズルズルと布を引きずる様な足音が廊下へと消えて行く。どうやらトイレに行ったらしい。あの着ぐるみをイチイチ脱がなきゃならんのだろう。面倒なこった。
ジャジャー、と水を流す音がしてからしばらくして、ドアを開ける音がする。多分またあの着ぐるみを着ていたが為に間が生じたのだろう。しかし何故俺は寝たフリをしているんだ?
「うーん……」
廊下側に着ぐるみの足が見えた瞬間、俺はわざとらしい声を上げ、寝返りを打った。さすがに目が合うのは気まずい。
「…………」
再びズルズルと足音がする。何かホラーっぽい感じだな。という感想を抱く俺。……ん? ベッドの横を通り過ぎて、再び梯子まで行くのだろうと思っていた足音が俺の背後で止まった。
「…………」
おいおいおい怖えーって。何で無言なんだよ。俺が振り向いて様子を確認しようかと思ったその時だった。
「……ぐえっ!」
ばさっと音がして、リライがベッドに倒れ込んで来た。何だ? 寝ぼけてるのか? ソレともわざとか? ロフトまで戻るのが面倒だったとか。
「んん……」
そんな声を上げてモソモソとリライが布団の中に入って来る。
何なんだコレは? 今日はとことんコレ何てエロゲーモードか? 勘弁してくれないか。股間負傷中なんだぞ。
『コレ、自分のせいなんですよね? どーやったら治るですか?』なんて童貞特有の、現実にはそんなこと言う女いねーよ! って感じの起こり得ないアホ妄想を苦労して振り払う。
そもそも俺はリライをそういう対象としては見ていない。あくまで俺のトラウマ解消の礼として、あくまで相棒として同居しているだけだ――
――と、上の脳はそう言っているのだが、下半身様はそんなモンお構いなしだ。いくらキレイ事を言ったって、女性の柔肌の感触、同じシャンプーを使っているのに異なる香り、脳髄をくすぐる様なその声、そして見目麗しいその姿。
五感の内四つが、コレは女なのだと本能に訴えてくるのだ。だからと言って俺が何らかの行動を起こすのか……起こせるのかはまた別問題だけどね。
まあとにかく。そんなワケだからこういうのは困るんだ。俺だって健康な男子なワケで、無邪気にくっついてこられるのは精神衛生上大変よろしくない。
「……リライ」
背中に当たる柔らかな感触を振り払う様に、俺はリライの方を向いた。すると――
「……んん?」
――リライは口の端から涎を垂らして爆睡していた。条件反射的な鼻声での返事が返ってくる。
頭は着ぐるみのフードに覆われていて、その姿は女性的魅力とはかけ離れていた。
「……はぁ」
当たり前か。リライにそういう知識があったら、苦労はしていない。少し安心してしまった。
「……おい、リライ。自分の布団で寝ろ」
「……ん~ぅ」
そう言って俺がリライの肩を掴んで身体を離すと、今度はそこはかとなくイヤイヤする様な色を含んだ声を上げ、俺の手首を掴み返してきた。
その手がとても冷たくて、俺は驚いてしまう。女は冷え性が多いと聞いていたが、こいつもそうなのか。もう少し温かい布団を買って来てやった方がいいかもしれないな。つい自分と同じ感覚で考えていた。
「……へくちっ!」
顔面にくしゃみを食らって、唾液まみれになる。
……このガキャ~。手首を掴まれていたから避け様がなかった。
「……んふ」
そのままリライはゴソゴソと身体の位置をずらし、俺の腕の中にすっぽり納まってしまった。完全に俺で暖を取るつもりだな。
「……はぁ」
……何か、下心とかがどっかに吹っ飛んで行ってしまったぞ。ホントに猫みたいなヤツだ。言うことを聞かないくせに、気がつくと自分の傍で丸くなっている。
俺はリライを引き剥がすのを諦め、彼女を覆った腕で、頭を撫でてやった。
「……ぬふふ」
今度は嬉しそうな声が返ってくる。そう言えば、小さい時はまひるともよく寝たな。
……まひる。初めて会った時は男だとばかり思っていた従妹。今朝会った時はその変わり様に驚いた。一体いつから、そして何故あいつはあんな風になってしまったんだろう?
……俺がもう少しうまく会話できていれば、あいつも墓参りに来ていたんだろうか?
「んんん、ぷはっ……」
リライが苦しげな声を出して顔を上に向ける。俺の胸に埋まっていたので息苦しかったのだろう。しかしこの体制だと首筋に寝息が当たってくすぐったくて仕方ない! おまけに俺の寝巻きが涎まみれになりそうだ。
「…………」
俺は指でリライの頬を伝う涎を拭ってやった。するとリライは訝しげに眉を寄せる。
「……んん?」
やべ、起きるか? 俺がそう思ってこの状況をどう説明しようかと考えを巡らせていると――
「……んあぐっ!」
――いきなりリライが俺の肩に噛みついてきた。尖った八重歯が突き刺さる。
「いいいいぃぃぃっっってええぇぇぇえええっ!!」
「んぐぅ……」
俺は真夜中だってのに大声を上げてしまった。ソレ程の痛みだった。
だってのにリライは引き剥がした後も気持ちよさそうに眠りこけていた。マジでいい迷惑だ。俺はいつまた噛みつかれるんじゃないかとビクビクしつつも、何となくベッドから抜け出すのはかわいそうな気がして、リライの湯たんぽ代わりになっていた。おかげで寝不足だ。
そして翌日。つまり今日だ。起きたばかりのリライにさっそく説教をかまそうとしたら、彼女がこんなことを言い出した。
「……アキーロ。ググリ先生から指令が来てるですよ」
「……はい?」
「罪人の発生を感知したですよ。アキーロが今日まで関わった誰かが、命を殺めるみてーです」
「……何だって?」
「何かよく分からねーですが、昨夜自分が摂取したアキーロのDNAから得た情報だそーです。自分、アキーロのDNAなんて摂取してねーですよ?」
「……あ」
俺がもしやと思って襟をちょい、とずらしてみると、そこにはくっきりと夕べのリライの歯形が残っている。おそらく八重歯が刺さったであろう位置には、うっすらと血が滲んでいた。
「うわ、何ですよソレ?」
「お前が噛みついたんだろうが!」
「ええ? 自分がですかぁ? 記憶にねーですよ」
「ていうか、DNAから情報? どういうこった?」
「はいですよ。つまり……わー! すいませんですよ! まだ話してなかったですよ!」
俺の問いにも答えず、リライは突然頭を抱えて平謝りを始めた。
「もしかして……ググリ先生?」
「はいですよ……めっちゃ怒られたです。てゆーか今も怒られてるですよ」
「……どういうこと?」
俺は涙目のリライにやんわりと聞く。歯形の説教は後回しだな。
「えー……と、まず、罪人の浄化わ通常死後の世界に来てもらって行う。てゆーのわ前に話しましたですね?」
「うん」
「でもアキーロわこっちに留まりながらの浄化なんで非常に効率がわりーです。何故かとゆーと、アキーロが人生で関わった対象にしか浄化が行えねーですよ。特例を除けばですけど」
「え、そうなの?」
初耳だぞ。まぁむしろ好都合だけど。年中無休で駆り出されてたらとても生活できん。
しかし、コレがリライの本職、死後の世界の執行者の顔だ。
コレ関連になるとやたら饒舌につらつらと小難しい言葉を使うから、こっちの常識知らずとのギャップが際立つんだ。何でもリライは知識の刷り込みが不完全で、記憶していることとしてないことが混在しているらしい。
「はいですよ。おまけに、アキーロわこっちにいるから、ググリ先生も誰が浄化対象なのか分からねーですよ。だから、定期的に自分がアキーロの細胞から得た情報を向こうにデータ化して送らねーといけねーですよ」
「細胞から情報?」
「はいですよ。細胞わ情報を持っているですよ。アキーロが誰かを見たり、聞いたり、触れ合ったりしたら、そいつの情報が記憶されるです。ソレらを伝えてなかったせいで今大目玉です」
……マジか。ちょっと二次元的な話だな。オラ、ワクワクしてきちまったぞ。
「しかし、色々メンドーなんだな」
「だから、こっちに留まりながらの手伝いに、向こうわ猛反対だったですよ。でも一度に二件浄化したのと、自分が絶対こっちぢゃなきゃ駄目って言い張ったせいで、特例になったですよ」
「猛反対……そうだったのか」
「だって、嫌ですよね? もしかして問題なかったですか?」
リライが心配そうな目をする。こいつ、俺の為に言い争ってくれていたのか?
「いや、もちろん嫌に決まっている。でかしたぞリライ」
「ぬふふ……で、ですよ。今回自分が噛みついた……らしーので、そこから得た情報で新たな罪人候補が浮かび上がった、と」
リライ本人は噛みついた自覚がないらしく首を傾げているが、今は他のことが気になった。
「そうだよ。俺の関わったヤツなんだろ? そいつが、何らかの命を絶つってのかよ?」
誰だ? と思った瞬間。頭に一人の人物が浮かんだ。姿を見て、声を聞いて、極めつけにはたばこ越しで唾液まで取り入れた人物が。
「はいですよ。ググリ先生……データを。えー……と」
だからってそうとは限らないだろう……。
まさかな。嘘だろ……? いくら何でも、な。
「……来ましたですよ。対象の名前わ……『半田まひる』ですね」
「そんな……バカな」
俺は二次元特有だと思っていたこのセリフを、自分がこんな真剣に使うことになるとは思ってもいなかった。
「待ってくれまひるっ! 話を聞いて――」
「帰れぇっ! 二度と来んなって言っただろぉっ!」
ドガ! ガン! などと思い切り何かをドアに投げ付ける音がする。
リライの話を聞くや否や、俺は単身まひるの元へと舞い戻って来た。とても信じられなかったのだ。まひるが罪人になるなんて、命を殺めてしまうなんて。
だがご覧の通りの有様というか、ドア越しに聞こえるのは、大小様々なモノを派手にドアにブチ当てる音と、目一杯俺を拒絶するまひるの罵詈雑言だ。
「まひる! 少しでいいんだ! 話を聞かせてくれ!」
「うるさい! 何しに来た! わたしに関わんなって言っただろ!」
「何しにって――」
何て言やーいいんだ? 『このままじゃお前は命を殺める罪人になっちまうから、ソレを止めに来たんだ』なんて、頭がおかしくなったと思われかねない。
リライの話が真実であるのか、何故まひるがこんなことになってしまったのか、せめてソレだけでも聞きたいのだが、取り付く島がない。俺が来たと分かるなりまひるは喚き出したのだ。
「――もう一度、お前と話がしたい!」
「――っ」
俺がそう語り掛けると、一瞬だけ騒音が止んだ。
「……けんな」
「……え?」
「ふざけんなっ! 思い出した様にやって来て! 兄貴ヅラすんなよっ! 何を今更! ずっと、ずっと! 何年も来なかったくせに!」
「まひ――」
「まひるのことなんてどうでもいいんでしょっ!? もう放っといてよ! もうまひるに関わらないで!」
「まひる、俺は――」
「秋にぃなんて、大っっ嫌い!!」
……俺はまひるを助けたかったのに、まひるを訪ねて来たことで、結局まひるを傷つけてしまった。
泣き叫ぶ悲鳴の様なまひるの声は、ハッキリと俺を拒絶していて、結局俺は、何もできずにその場をあとにするしかなかった。
……あいつを、傷つけてしまった。
そして時は今に至る。説明が長過ぎるって? ドレも端折るには惜しかったんだよ。仕方ないだろ。
「……なあ、リライ」
「はいですよ」
もう完全に仕事前の顔になったリライが俺の呼び掛けに応える。
「罪人と、浄化対象の分け方ってどうなってんの?」
「……ふへ?」
「だから、俺も前は自殺予定者だったから罪人候補だったんだろ? でも俺のところには償えってお前が来たじゃん。俺はどうして誰かに浄化される側にならなかったんだ?」
コレは前々から思っていた疑問だ。
「部署が違うから選定条件わ詳しく分からねーですが、一番の理由わ人手不足解消の為ですね。マヂでこっちわ罪人が多すぎて手が足りねーですよ。だからここ最近になってまだ死んでねーヤツを生前から引っ張り始めたですよ」
「はぁ」
「ソレか、とても根が深すぎて他人の手に依る浄化が困難と思われたかですね。多分アキーロの自殺の原因わ、他の人間ぢゃ取り除けねーと自分も思うですよ」
「……じゃあ、まひるの罪は……俺なら取り除けると判断したんだな?」
「アキーロ……ソレわ、アキーロと関わったからかもしれねーです」
「どういうことだよ?」
俺は鋭く聞き返す。少し声に怒気を含ませてしまった。
「罪人が執行者か代理人に関わると、自動的にその人の管轄になってしまうですよ」
「何だソリャ!? 押し付けかよ! 確実に救える手段を取れよ!」
「……現時点でわ、人手不足の解消にしか目がいってねーみてーです」
俺が自分を責めていると思ったのだろう。リライがしゅんとした弱々しい声を出す。
「……そもそも俺はまひるが自殺とか、誰かの命を奪うなんて信じてねーからな。あいつがそんなことするかよ」
「アキーロ……」
「だからコレはお前達の情報ミスだ。けど、どうせソレを確かめる人手も足りてないだろうし、テキトーにやられちゃたまらねーからな。俺が確かめてくる」
「アキーロ……やっぱり疑りぶけーですよ」
「うっせ。始めるぞ」
そう言って俺は床にどかっと胡坐をかいた。先程、歯を磨き、シャワーを浴びたといったが、ソレがどうしてなのかはコレから分かる。俺が時間を越えるには、ある手順が必要なのだ。
「はいですよ……ぢゃあ、準備わいーですか?」
「あぁ、頼むぜ、リライ。ググリ先生も」
「ぬふふ、『まかしとき!』って言ってるですよ」
そう言って微笑みながら、リライが俺に寄り添って来た。
しかし、何でググリ先生関西弁なんだ? 今度聞いてみよう。
「さ、呼吸を合わせるですよ……すぅ……はー、すぅ……はー」
「すぅ……はー」
いつかも聞いたリライの言葉通り、俺は呼吸をリライに合わせた。自然と気分が落ち着く。
「……ソレぢゃ、いきますですよ。自分とアキーロ、でわなく、一つになるって念ぢるですよ」
コレもいつだか聞いた台詞だな。最も、あの時は『アキーロ』じゃなく『あんた』だったが。
「アキーロ……いってらっしゃい」
そう言ったリライの顔が目の前に来た瞬間、俺は目を閉じた。
唇に柔らかくて冷たい感触。
そしてすぐにブラックアウトが襲って来た。
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