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橘 海月①

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 橘海月たちばなみつきのことを……自分のことを話すのは苦手だ。というか嫌いだ。

 どうしても陰鬱な気分になるし、若干の吐き気を催す。



 小さな頃は……まぁ、普通の男の子だった。

 口数はそんなに多くなかったけど、勉強も運動も楽しめた。

 たまに辛いと思うときもあったけど、頑張れた。

 何故かと言うと、だ。

 ……やはり僕も子供の時分は親に褒められるのが嬉しかったのである。

 特に、父親には。

 父親はバリバリのエリートサラリーマンだったようだ。

 完全な仕事人間。出張などで数日間家を空けることもままあった。

 だが、帰ってきたときに好成績の答案用紙や成績表を持って駆け寄ると、普段は厳しい顔つきの父が、破顔一笑はがんいっしょうして僕を褒めてくれるのが嬉しかった。

 だから、小さい頃の僕の楽しみは、出張から帰って来た父に見せる為の成績を作ることだった。

 父親に褒められる自分を作り上げること、ソレが僕の日課であり、宿題だ。

 学校で出される宿題などより、こっちの宿題の方がずっと緊張したし、身が入った。

 だがいつからか、父親がほとんど家に帰ってこなくなった。

 景気が悪くなったとか、大きな仕事がきて頑張っている、などと母親からは聞かされていた。

 まだ子供の僕はソレを信じて疑うこともしなかった。

 自分が頑張ることで父親を元気づけられるとすら思っていた。

 だが、そんな能天気だった僕も、父親が久しぶりに帰って来たそのとき、異変に気がついた。

 いつものように褒めてもらおうと駆け寄る僕を見るその目が、今までと決定的に違っていたからだ。

 何といえばいいのか……そう、デパートなど外にいるときに、余所よその家の子供が話し掛けてきて、とりあえず相手にはするけど、本質的には興味がないといった、今までとは性質が違う、冷たい目。

 アレは父親に良く似た他人なのではないかと錯覚する程だった。

 ソレ以来、父は僕と目を合わさないようになった。

 出迎えてもこちらを見ようとしない。まるで僕が見えてないかのように、存在を無視するのだ。

 僕が何か悪いことをしたから、父は怒っているのかとも思った。だが心当たりなどない。

 コレまでその瞬間を楽しみに生きていた僕はただただ混乱し、やがて絶望した。

 このことがあってから目標を見失った僕は、どうにも身の入らない宙ぶらりんな日々を送っていた。



 気がつけばいつの間にか僕は中学生になっていた。

 特に誰からも卒業や入学についておめでとうを言われなかったので自分でも意識していなかったのだ。

 いや、先生達から形式上言われてはいたのだろうが、そんなモノ右から左だった。

 その言葉を言って欲しい人達からは何の言葉も貰えなかったから。

 褒められる為に頑張るのではなく、日に日に神経をすり減らしている母親に余計な心労を与えない為にとりあえず問題を起こさないことに重きを置くような毎日。

 やりがいなんてどこにもなかった。

 父は週に一度帰ってくればマシな方。そして母と言い争う。

 母は毎日泣いている。

 ここまでくれば僕にだって分かっていた。

 父は余所よそに女を作っているのだと。

 この頃になると稀に家に帰ってくる父はいつも酔っていた。酔っているのにさらに酒を飲んでいた。

 そして母に浮気を追及されると父はあっさりとソレを認めた。

 ソレどころか、開き直って若い女と母を比べて罵倒し出したのだ。

 極め付けに、大声で泣く母に手を上げた。

 まるで悪夢だ。

 その時、僕の中であの厳しくも優しい笑顔で僕を認めてくれていた父親は死んだ。

 もしかしたら最初からロクでもない男だったのかもしれない。

 ソレとも僕が気づいてあげられなかった父なりの重圧があったのだろうか?

 ソレはもう分からない。

 だが……僕が認められることに喜びを感じていた父親はもういない。ソレだけは確かだった。

 手を上げられたことでさらに泣き喚く母にいらついたのか、そいつはさらに追い打ちをかけようと腕を振り被った。

 その手首を掴んだとき、ようやくその男は僕を見た。

 僕が逆らうなんて予想もしていなかったのか、ソレとも存在すら感知してなかったのか、とても驚いた顔をしていた。

 ――さようなら。

 僕は握り締めた拳を思い切りそいつの顔に叩き込んだ。

 長年募っていた激情があったことは否定しない。だが決して怒りに身を任せたワケではない。

 僕に残された最後の家族……母親を守る為という明確な目的があったからだ。

 その時の記憶は曖昧なのだが……きっと僕は泣いていたのだと思う。

 そして口の中は鉄の味でいっぱい。

 母はずっと何かを泣き叫んでいた。

 ――何て皮肉な話だろうと思った。

 いつも出張で家を空ける度に『母さんを守るんだぞ』と僕に言い付けていたその人から母さんを守ることになるなんて。

 確か……うずくまるそいつに何か言ったような気がする。

『今度、母に手を上げたら――』

 ――そのようなことを。

 思い出したくもないし、思い出す必要もないことだ。



 当然のことながら、そいつは今まで以上に家に寄り付かなくなった。当たり前だ。

 送られてきた離婚届に名前を書いて判を押して、提出するだけ。

 なのに、ソレなのに――母親は離婚を受け入れなかった。

 父親の浮気が原因での離婚なのだから、生活費は心配いらない、確実に今よりは状況がよくなると何度僕が言っても母は首を縦に振らなかった。

 僕には理解できなかった。

 そして、決して見返りが欲しかったワケではないが、母親を守る為にあの男と対立し、怪我を負い、実の父親との関係が修復不可能になる覚悟を決めて殴った僕は何だったんだ、と酷く虚しい気分になった。



 僕が高校生になってしばらくしての話だ。父親が身体を壊し入院することになったそうだ。

 決して僕が殴った際にどこか悪くなったとかそういう話ではない。

 癌だったそうだ。

 だから何だよ、と……そう思った。

 さすがに声に出しては言わないし、そんな非科学的なことを信じているワケでもなかったが、好き勝手やってきたバチが当たったんだとか、そんな風なことを考えていた。

 むしろいい気味だとすら思った。

 コレはあいつが報いを受け始めた証拠なのだと思った。

 もう、僕は歪んでしまっているのを自覚していた。

 育ち方を間違えたのか、育てられ方を間違えたのか。

 どのタイミングで、誰が、何を間違えなければこうはならなかったのか、などと頭の中でいくら問い掛けてみても答えは出なかった。

 だけど僕は歪んでしまった。

 もう取り戻せないのだろうと思った。

 ソレだけは確かだった。



 僕が高二になってすぐのことだ。

 死ぬ前に、僕と話したいと入院中の父親が言っていると母から伝えられた。どうか見舞いに来て欲しい、と母はそう言った。

 ああ、今でも覚えてる。

 見舞いに『来て』欲しい、だ。

 彼女は確かにそう言った。

 あのとき、癌になったと知らされたときに気づくべきだったのだ。

 母は僕に隠れてあいつと連絡を取っていたし、見舞いにも行っていたのだ。

 浮気相手とも既に別れていたことも聞かされた。

『だから――』と言われた。

 何が『だから』なのかワケが分からなかった。

 おかしいだろう。

 自分勝手な性欲に任せて、家庭を滅茶苦茶にした男だぞ?

 最後には誰にも相手にされず、後悔しながら孤独に死んでいくのがあいつに与えられた罰なんじゃないのか。

 ソレなのにどうして余計な真似をするんだよ……!

 今度は僕が首を縦に振らない番だった。

『死んだら見舞いに行く。その時がきたらそのまま後のこともちゃんと考える』と、そう答えた僕を、母は酷くなじった。

 人でなしと。

 母を守る為に戦い、父親と決別した僕を。

 僕は――爆発した。

 見返りを求めているワケじゃないと思っていたのに、

 母の味方になれるのは僕しかいないと思っていたのに、

 母は、あいつの味方だったのだ。

 母を守る為に自分の父親を殴らなくてはならなかった僕の敵だったのだ。

 母にとって僕は『好きな男との間にできた子』だったのだ。

 何故だ?

 どうしてそんなことが言える?

 誰のせいでこうなったと思っている。

 惨めだと思わないのか。

 プライドはないのか。

 そんなに女としての自分を、あいつに押しつけたいのか。

 母親としての自分はどうでもいいのか。

 裏切られた。

 裏切られた。

 裏切られたんだ……!

 多分もう、一生忘れることはできないだろう。

 何年経っても、

 ドレだけ時間が流れても、

 いくつ年を重ねても……!

 僕は実の父親を拒絶してでも守ろうとした人に、拒絶された。



 散々暴れたあとに、ようやく少し冷えた頭で先程までの自分の姿を顧みる。

 今の僕は……あいつと、同じじゃないか。

 死にたくなった。もう全部どうでもよくなった。

 早く、家を出たい。

 一人になりたい。

 全て心の中から追い出したい。

 何も受け入れたくない。

 勉強しよう。

 いい大学にいって、

 いい会社に就職して、

 誰にも頼らないで一人で生きていこう。

 ソレまでは脇目も振らない。

 その為だけに生きよう。

 その時がきたら、考えよう。



 そして僕は……彼女・・に出会った。

 地獄は……まだ続く。


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