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高校デビュー④

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「ぐっ!!」

 ろくに受け身も取れず、柔道着を纏った風間小太郎の身体が畳に叩きつけられる。

 受け身が取れないのは当然だ。何せやり方を習ってない。

 風間の風体を見るや否や、瀬形教員はろくに話も聞かず柔道着を着ることを強要し、曲がっているかも分からない性根を勝手に叩き直しにかかったのだ。

「……げほっ」

「何だ何だ最近の若いヤツは根性ないな。そんなナリをしていればこんな目に遭うのは当然だ! その覚悟もないクセに髪だけチャラチャラ染めたって何も強くなれないぞ! 本当の強さとは努力を怠らない者にだけ宿るんだ!」

 いよいよ昭和からのタイムスリッパー説が僕の中で浮上してきた熱血アナクロ教師、瀬形氏は鬼の首でも獲ったかのように、絶好調なご様子で自身の人生論を展開する。

 ……風間には悪いが、完全に矛先は彼に向いたな。

 好都合。そう、コレは僕にとって好都合な事態……のはずだ。

 だというのに、僕はワナワナと力が込められていく拳を御するのに苦労していた。

 不愉快だ。ハッキリ言って不愉快だ。

 だが、だからと言ってどうする?

 激情に身を任せて、後先を考えず、気に入らないと躍り出て、ここであの角刈りゴリラをぶん投げるのか?

 ソレではまた中学生時代を繰り返すだけではないか。

 ここでの僕の目標は、騒ぎを起こさず、巻き込まれず、注目されず、基本不干渉であり、りとて孤独でもない、少量の友人と、気心の知れた幼馴染と共に送る静かな学校生活だ。

 そんな、手に入れることがそう難しいとは思えない、普通の、ありふれた静かな日々こそが僕の願いだ。

 今ここで、一時の激情に身を任せることは、そんなありふれた生活に自ら別れを告げることに他ならない。

 思い出せ。

 あの孤独にまみれた中学時代を。

 落ち着け。

 落ち着くんだ。

 この現代社会でこんな横暴が問題にならないワケがない。僕が何もしなくてもクラスの誰かが今夜にでも親に泣きついて、PTAから苦情が入るだろう。

 放っておいてもこいつは消えるはずだ。落ち着け。

「授業が終わったら指導室に来い。相応しい髪にしてやる」

「いっつ……!」

 瀬形が風間の髪を掴んで無理矢理立たせようとする。

 苦労して保とうとしている自制心をつついてくれるじゃないか……!

「その手をお離しなさい!!」

 僕を除いた全員がざわっと声の主に視線を送る。

 僕より先に忍耐の限界を迎えたヤツがいたようだ。

 見ずとも口調で分かる。

 叫び、前に歩み出たのは、神原天乃だ。

「何だキサマは。何だその髪は!」

「風間くんはお婆様がオランダの方です。その髪は地毛です!」

 恫喝する瀬形に全く怯まず、神原は叫び返した。

「何?」

「言い分もろくに聞かず、身勝手な正義を振りかざして、自分の領分に無理矢理引きずり込んで一方的に嬲るなんて……! 恥を知りなさい! 卑怯者!!」

 ……普段のアホさ加減は鳴りを潜め、その毅然とした態度は、紛れもない正義と信念を感じさせた。

 ……そうだな、神原。お前は正しいよ。

 でもな、自分が正しいと思っているヤツに間違っていると突きつけるのは、危険なんだ。

「キサマ、何だその口の利き方は! 教師に向かって!」

 激昂した瀬形が神原の髪を掴む。

「いた……っ! 離しなさい!」

「郷に入っては郷に従えだ! ここは日本だ!」

「かつて彼はそう言われて、髪を黒くしていましたわ! そんな自分を偽った彼の姿を目の当たりしたお婆様は涙したそうですわ! アレは反骨の精神なんかじゃない! お婆様の涙に誓った信念の表れなのです! あなたは言えるの!? そのお婆様の涙に向かって『私が気に入らないから黒くさせました。コレが正しいのです』と! 胸を張って言えるの!? いつか自分の家族が同じ目に遭っても、『ソレは仕方のないことだから諦めろ』と、言えるの!? 答えなさい!」

「だから自分の金髪も事情があるから見逃せとでも言いたいのか!?」

「いいえ、残念ながら私には彼のような他人の為に誓った約束はありません。でも! 自分に誓った信念はあります! たとえ髪を真っ黒にされようと、丸刈りにされようと、この信念は折れません!」

 ……神原、お前……!

「面白いな! ならお前も指導室行きだ! カラスより黒くしてやる!」

「好きになさい! 私は弱い自分を捨てて、変わると誓ったのです。神乃ヶ原月子のように、自分を貫く女であることを!」

 …………。

「何をワケの分からんことを! この学校では俺がルールだ!」

「っっ……痛い……! 離して……!」

 瞳に涙を浮かべた神原と目が合う。

「手を離せ」

 再び、全員が声の主を見る。

 先程までと違うのは、誰も、一言も声を発しなかったことだ。

 ……ごめんな。ハナ。

 でも……もう、いいよな。

 声の主、即ち僕、神乃ヶ原天はゆっくりと立ち上がり、再び口を開いた。

「聞こえなかったのか? 神原に触れてる、その手を離せと言ったんだ」

「き、キサ……マぁ――」

「黙れ。そして手を離せ。あなたはもう、喋るな」

 僕はヘラヘラと笑みの貼り付いた仮面を外し、目一杯の蔑んだ視線を送り、そう言い放った。

「神乃ヶ原く――」

「神原、お前、かっこいいよ。そして、正しい」

「――え」

「お望み通り勝負してやる。ぶん投げるなり、絞め落とすなり、やってみろよ……! 風間くん、胴着貸して」

「あ、うん……」

「キサマが望んだことだ。手加減は期待するなよ……!」

 怒りを通り越して殺気立っている瀬形サルが僕の正面に立つ。

 僕の高校デビューが今、終わりを告げた。

 いや、自分で終わらせたんだ。

 後悔はない。ないけどさ……!

 何で放っておいてくれないんだ。お前らは。

 ドス黒い感情が涌き出て、僕の全身にまとわりつくような感覚を覚える。

 あぁ、あの時と同じだ。

 この感覚がきた時の僕は、相手がどうなるのか考えることなく暴力を加えることが出来てしまう。

 ……最悪の気分だ。

 僕の心境を一言で表すなら……かつて数多の物語の主人公が口にしてきたありふれた言葉。コレに尽きる。

「まったく……やれやれだ……!」

 僕は吐き捨てるように、そう言った。
 

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