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芽生え
しおりを挟む僕が音無さんの家から逃げるように飛び出してから三日後の朝。
「テンちゃん……無理しないで、調子悪いなら、休んだ方がいいんじゃないの……?」
登校中、横に並んで歩くハナがそんなことを言ってくる。
「大丈夫だよ……そんなに無理してるように見える?」
「見えるよ。誰が見てもそう言うよ。今からでも帰ったら? あたし、先生に伝えるよ?」
「やめろよ。クラスの違うハナがそんなこと言いに行ったら、変に思われるだろ」
僕は険のある声でハナを突き放すように言う。
正直、今学校の連中にそんなからかいを受けたら受け流せる自信がない。
ソレでも、僕は休むことはしなかった。
「……音無さん。もう学校に来てるんだよね? 話せた?」
ハナがなるべく僕を刺激しないように気を遣った口調で聞いてくる。
「……全然。一言も話せてない。彼女のクラスメイトから伝言でもう関わらないで欲しいって言われたよ。きっともう交流はないよ」
音無さんはあの翌日、学校を休んだ。
その翌日、僕が彼女のクラスに顔を出した時も、彼女は僕が来たことに気づくと顔を逸らし、友達に伝言を頼んで逃げてしまった。
ワケ知り顔で『今は彼女に近づかないで』なんて言ってくるその友人にも、彼女自身にもイラついた。
――神乃ヶ原くんのような才能のある人と一緒にいることで、自分も色々と頑張ってみようという気持ちになれますし、とっても刺激になるんです。
――そう思っている一方で、『この人の為に何かしてあげたい』なんて、矛盾する気持ちを抱いていたりもするんですよ。神乃ヶ原くん、何だか放っておけなくて。
……大ウソだったんだな。
結局彼女は口では立派なことを言っておきながらも、自分より格下と見なしている人間としか付き合えない人だったんだ。
裏切られた。
でもそう感じたからこそ僕は学校を休んだり、弱みを見せることを嫌った。
弱みを見せて同情を買うような真似をしたくなかった。
取るに足らないことなのだといつも通り過ごしている自分を貫かなければと思っていた。
あんな、あんなヤツらに屈服してたまるか。
でも、ソレでも。
僕には答えが出せないことがあった。
「テンちゃん……」
「ハナはさ、どうして学校に行くの?」
心配そうに僕を見るハナに僕は問い掛けた。
「え……ソレは……えと、義務教育だし。今まで知らなかったことがたくさん知れるし。最初はできないことが少しずつ出来るようになると嬉しいし。きっとその経験が今後役に立つだろうって思うから……?」
「…………」
……全くもって、一ミリも共感できない。
僕にはそんなモノ……ないぞ?
そう、僕が出せなかった答え。
ソレは『どうして学校に行くのか』ということだ。
できないことなんてないし、今後役に立つだろうと思えることも一つもない。
ロクなことも出来ない癖に自尊心と攻撃性だけは高いヤツらの敵意を受け流す技術と忍耐力くらいしか培えていない気がする。
しかも、その忍耐力を以てしても蓄積されていくヘイトと耐えたことにより得られるパフォーマンスが全く釣り合っていないのだ。
「…………」
……本当は気づいているんだろう?
「……っ」
僕は頭を振って結論を出すことを放棄した。
駄目だ。取り返しがつかなくなる。
「テンちゃん? 頭痛いの? 大丈夫?」
心配そうな顔で僕の目を覗きこんできたハナが頭を撫でてくる。
何でいつもはいたずら好きな子供みたいな表情している癖に、こういう時は妙に優しいんだよ。
「だ、だから……こういうのやめろって。子供扱いすんな」
「子供だよ。あたしも、テンちゃんも。天才で、何でも出来ちゃうの知ってるけど、本当にびっくりするくらい些細なことで傷ついたり、落ち込んだりするの知ってるんだから」
「…………」
「だから、あたしの前では背伸びしなくていいんだよ?」
「…………」
……アレ?
何だか涙が出そうになった。
「うん……ありがとう」
「にへへ、どーいたしまして!」
ハナがにひっ、とソレこそ花の咲くような笑顔でそう答える。
「で、でも……外ではやめて。恥ずかしい。ハナは恥ずかしくないの?」
「ぜーんぜん。むしろ面白い。外ではカッコつけて背伸びしてるテンちゃんがお漏らしして泣いてた時と同じ顔になるんだもん。あたしが唯一勝った気分になれるチャンスだし」
「……この先何年、何十年経っても言われるのかと思うと気が滅入るな」
僕がそう言って溜息を吐くと、僕の頭を撫でていたハナの手が一瞬止まる。
見るとハナは真顔のままボケっとこちらを見ていた。少し顔が赤くなっている気もする。
「……ハナ?」
「……そうだね。コレからもずっとからかってあげる!」
そう言ってハナがさっき以上に笑顔を咲かせたかと思うと早歩きで先に行ってしまう。
「待ってよ。あとあんまり人に言いふらすなよ?」
僕はハナを追いかける。
……僕はハナに勝った気分になったことなんて一度もない。
むしろこの先も別に勝てなくていいとすら思っている。
何故なのかは分からないが、『彼女には敵わない』と思う度に、心が洗われて、前を見ることができるからだ。
この日は僕にとって忘れられない一日となった。
だが、周囲は僕に一瞬の安息も許さない。
そういう意味でも、忘れられない一日となってしまった。
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