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一章【魔女と眷属】

五十話「杭とサッカーボール」

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 【辰守晴人】



 物心ついた頃から、俺はあらゆる武術を叩き込まれていた。親父は、ゆくゆくは辰守家を継ぐことになる息子に護身術を身に付けさせたかったのだろう。

 先生との稽古中、神経を研ぎ澄ませるように集中すると、稀にスイッチが入ったように力が湧いてくることがあった。

 真っ暗な部屋に灯りが灯ったように、自分の身体の隅々まで力が行き渡る、そんな感覚だ。

 そうなると俺は先生にだって負けなかった。飛んでくる拳や蹴りはゆっくりに見えて、通常以上の力を発揮出来た。

 一人暮らしを始めてからも、立地のせいか何度かチンピラに絡まれるようなことはあったけど、先生達に比べると相手にもならなかった。

 まあ、龍奈にはいつもボコボコにされてるけど。

――そして現在、俺は未だかつて経験したことのないような充足感に包まれていた。

 今まで集中して引き出せていた力をスイッチのオンオフで例えるなら、今の俺の状態はエンジンが掛かったという感じだ。

 身体の内側から、とてつもないパワーを感じる。今なら誰にも負ける気がしない、もちろん目の前のこいつにだって――

「……魔力始動しやがった。まさか既に眷属だったとはな」

「はあ? アンタ何をわけの分からないこと言ってんだ」

「とぼけるな、魔女と契約して人間辞めたんだろ。まあ眷属相手ならかえってやりやすいがな」

 魔女と契約、人間を辞めた? 何言ってんだこいつとも思ったが、ふと脳裏にあの時の記憶が過よぎった。

 新都で魔獣に大怪我を負わされた時――

 あの時確かフーが俺に血を飲ませたと言っていた。もしかしてそれが俺の身体に起きている異変の原因なのではないだろうか。

「……ッ!!」

 ほんの一瞬気を取られた隙に、パーマ男の蹴りがとんできた。咄嗟に腕を上げて何とかガードに成功する。

 驚いたことに腕は何ともない、最初に蹴られたときの威力を考えると腕がへし折れてもおかしくないはずだが、多少痺れる程度だ。

「……今度はこっちの番だ、天パ!」

 俺はさっきまでのがむしゃらな攻撃ではなく、天パの動きをしっかり見ながら攻める。

 依然躱されてはいるが、天パの表情から余裕は完全に消えている。

「クソ、素人のガキじゃなかったのか……くっ!?」

 フェイントを織り混ぜながら繰り出した拳が、ようやく天パの身体に当たった。ガードこそされたものの、衝撃で大きく体勢が崩れた。

 天パは苛立ったのか、崩れた体勢から無理やり上段の拳を放った。

 俺は拳を潜り抜け、鳩尾みぞおちに一撃――完全に入った。そのまま続け様に左脚を軸に半回転、地面が螺旋状にえぐれる。

「……さっきの礼だッ!!」

 腹を押さえて上体が下がった天パの顔面に、後ろ蹴りをぶち込んだ。手応えありだ。

「……ッがぁ!?」

 天パはサッカーボールのように地面を跳ねながら吹っ飛んだ。途中木にぶち当たったりしたが、木をへし折って尚転がり飛んだ。

「――ダーリンッ!!」

 離れた所から女の叫び声が聞こえた。振り向くと、目の前に黒い球が浮かんでいる――

「……ッぶねぇ!」

 反射的に避けた、球が浮かんでいたのではなく顔面目掛けて何かが飛んできていた。背後の地面に深々と突き刺さっているのは、黒い杭のような物だった。

「……クソガキが、死ねええぇぇ!!」

 安心する間もなく、両手に杭を持った女が鬼の形相で俺に迫っていた。鬼気迫るとはまさにこの事か、あまりの迫力に一瞬身体が固まる。

「――ハレに触らないで!!」

「……ぅぐぁっ!!」

 目の前まで迫っていた女が、横から割って入ったフーに殴り飛ばされた。女は地面に一度バウンドしてすぐに起き上がったが、フーがすかさず追撃、今度はもう起き上がらなかった。

「フー、大丈夫か!?」

「うん、私は平気だよ。ハレこそどこも怪我してない?」

「俺も平気だ」

 何とか魔女狩りを名乗る謎の二人組を倒した。こいつら本当に何だったんだ。これって警察に通報すればいいのか、救急車も呼んだ方がいいのか? さっぱり頭が回らない。

「……この人たち何だったのかな、何で急に襲いかかってきたんだろう」

「全然分かんねえな。分かんないことだらけで頭パンクしそうだよ」

「大丈夫、頭パンクしたら私が魔法で治してあげるよ」

「なかなか言うようになったな」

「まあえっ……?」

『まあね』って、きっとそう言おうとしたのだろう。フーが急に地面にへたり込んだ。

 見ると、フーの腹に黒い杭がめり込んでいた。

「……フー?」

 振り返ると、フーに殴り倒された女が息も絶え絶えに腕を伸ばしていた。それを見て、あいつが杭を投げたのだとようやく理解した。

「……はぁ、はぁ、外装骨格……展開」

 唖然として見つめていると、四つん這いになった女の背中あたりから、服を突き破って巨大な尻尾が生えた。

 あれが何なのか考えるよりも先に、俺は杭が刺さったままのフーを抱き起こして走り出した。

 逃げないと、とにかく逃げないとまずい。フーの腹に杭が刺さってるんだ、フーはこんな状態で回復魔法を使えるのか? もし使えないなら急いで病院に連れて行かないと――

「……ッ!?」

 背後から聞こえた風を切るような音に、俺は反射的に飛び退いた。

 直後、さっきまで俺がいた場所の地面が吹き飛ぶ。女が鞭のような尻尾で攻撃したのだ。

「……う、あうぅ」

「ご、ごめんフー! 痛かったよな、大丈夫か!?」

 腕の中で悶絶するフーに声をかけるが、大丈夫なわけがない。フーは顔色が土気色になっている。

 しかも、腹に刺さった杭が段々と赤色に変色してきている。まるでフーの血を吸っているかのようだ。

「……ううぅ、コレ、抜いて……力が、抜けていくの」

「な、でも抜いたら血が……ックソ!!」

 杭を抜くかどうか迷う暇もなく女の尻尾が襲いかかってくる。俺は半ばヤケクソになって、飛び退きざまに杭を引き抜いた。

「……っぅああぁぁ!!」

「大丈夫かフー!?」

 フーの腹にぽっかり空いた穴から、湧水のように血がトクトク溢れてくる。

「……大、丈夫、魔法使えそう、だから」

 フーが自分の腹に手を当てるのを確認して、俺は尻尾女に注意を戻した。

 いくら傷が癒えてもあの尻尾を一発食らえば二人ともお陀仏だ。逃げることも出来ないなら、フーがまともに動けるようになるまで回避に徹しなければ。

「……はあ、はあ、よくもダーリンを……殺す。殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺すぅうああ!」

 女は徐々に回復していっているように見えるが、まだ全快には至っていない。もしかしてフーを下ろして俺が詰めた方がいいのか……いや、ダメだ。常にフーを守れるようにしておかないと――

 逡巡している間に、再び尻尾が飛ぶ。  

――が、尻尾は俺がいる所とは違う、デタラメな場所に着弾した。もしかして、疲労で狙いがあやふやになってきているのか?

「……ふふ、思ったより早く抜かれちゃいましたけど……充分ですね」

 女の尻尾の先が、何かを絡め取っていた。

 杭だ。さっきまでフーの腹に刺さっていた、半分ほど赤く変色した杭。どうやらさっきの尻尾は、デタラメどころかかなり精密に狙いを定めていたらしい。

「……待っててくださいね、ダーリンダーリンダーリンダーリンダーリンダーリンダー、リンンッ!!」

 女は手に取った杭を、自分の腹に突き刺した。

「……な、何してんだあいつ」

「ハレ、私もう大丈夫だから下ろして、一緒に逃げよう」

 フーはどうやら完治したらしく、傷はすっかり塞がっているようだ。しかし、まだ顔色がかなり悪い。

「でも、あのメンヘラ自傷し始めたぞ。今なら倒せるんじゃないか?」

「違う、あの杭私の力を吸い取ってた……多分、吸い取った力を吸収してるんだよあれ」

「な、そんな事出来るのかよ……だったら確かに逃げるが勝ちだな」

 おそらくフーの顔色が悪いのもそのせいだろう。きっと傷は治せても吸われた力までは戻らないのだ。

「ふぅ、ご馳走様です。残りはダーリンにあげるとして……貴方達は逃がしませんよ?」

 女が腹から引き抜いた杭を投げ飛ばした。飛んでいった先は、俺が倒した天パがいるあたりだ。これはまずい。

「どうする、あのメンヘラ元気になっちまったぞ」

「……ハレだけでも逃げて。ここは私が、食い、止め……」

 突然フーが倒れた。慌てて駆け寄るも身体は小刻みに震えて、顔面蒼白だ。やはり傷が治ってもとても戦ったり逃げたり出来る状態じゃない。

「おい、フーしっかりしろ!」

 フーは目を閉じたまま呼び掛けに応じない、完全に意識を失ったようだ。

「――あぁ、クソ。地面が揺れてやがる……気持ち悪ぃ」

「あらダーリン! 大丈夫ですか、気分はどうですか?」

「……最高だよバカ、う、おええぇっぷ」

「やだぁ、血ゲロ吐いてるダーリンも尊いです! 写真撮ってもいいですか?」

「……うぷ、ぶっ飛ばすぞお前」

――最悪だ。天パまで復活しやがった。これでニ対一、逃げる事も戦うこともさらに難しくなった。

 俺は天にも縋すがる思いで、空を仰いだ。

『絶対に家から出ちゃダメだからね!』

 一週間前の、龍奈のあの言葉が、頭の中でぐるぐる反響していた――。
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