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一章【魔女と眷属】

四十話「包丁と照れ隠し」

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 【平田正樹】  

「――ブライダルフェア……って、なんだ?」

「あらあら、知らないフリだなんて……もしかしてダーリン照れてるんですか?」

「いや、普通に知らん……とにかく任務とは一切関係無いってことは分かるが」

「……いえいえ関係ありありです!! この任務が終わったら、わたくしたち結婚しようって言ってたじゃありませんか! ブライダルフェアはその下見ですよ!?」

 キッチンで包丁を研いでいたこころが、包丁をぶら下げたまま詰め寄ってきた。包丁でどうこうする気がないのは知っているが、怖いからやめてほしい。

「……勝手に死亡フラグ立ちまくりの記憶をねつ造するのはやめろ」

 俺はソファに寝転んだまま、覆い被さるようにして俺の顔を覗き込んでくる女に淡々と抗議する。

 そう言えば東区には立派なチャペルがあるとかどうとか言っていたな。まさか本気で挙式する気なのかこいつは。

「ダーリンはおかしいです……たとえ記憶になくとも、こんな絶世の美少女が結婚しようと言っているんですから、これはもう結婚してしまおう、うひょひょい! とは思わないんですか?」

「おかしいのはお前だよバカ」

「……もしやダーリン……気持ちが浮ついているんですか……」

「……普通に浮気って言えよ」

「やっぱりしてるんですかっ!? この浮気者!!」

「……してねぇよ!! だいたい四六時中一緒に居るんだから知ってるだろ!!」

 馬乗りになってきたこころが包丁を俺の顔面に振り下ろしてきたので、あわてて回避しながら釈明する。

 まさか包丁でどうこうしてきやがるとは……。

「……まあ、それもそうですね……そもそもこんなにも超絶美人の彼女がいて、気持ちが浮つくなんてもはや怪奇現象のたぐいですし」

「分かったらさっさと退け……重たいんだよ」

「……あらあら? 今幻聴が聴こえた気がしましたけど……何か言いました? ねえ言いました?」

「……さ、最近、ますます胸がデカくなってきたなって言ったんだよ」

「やだぁ、ダーリンのえっち!」

 俺の喉元に肉薄していた包丁が、無造作に放り投げられてリビングの床に突き刺さった。怖えよ。

「……とにかく、捜索も行き詰まってるし今はまだ遊んでる暇はない。また今度付き合ってやるから……」

「……ねぇダーリン。またって、いつですか? わたくし達には……ちゃんと『また』がくるんですか?」

「……」

――孕島から逃げ出した実験体の捜索が始まってから六日、担当地区をしらみ潰しに捜索しているが手掛かりは未だにゼロ。

 明後日になれば他の地区を捜索しているメンバーと定期報告があるが、正直期待はできない。

 なんとかして成果を挙げ、警備任務の失敗を挽回しなければ、俺とこころの立場が危うくなる。このまま捜索を続けても、目標を捕獲出来ない可能性だって充分にある。

 そうなったらブライダルフェアがどうこう言ってられなくなるだろう。俺達が自由に過ごせる時間は、もしかしたらもう僅かしかないのかもしれない。

 こころもきっと、そんな不安を抱いているからこそ唐突にこんな事を言い出したのだろうか……。

「――ブライダルフェアって、前に言ってた例のチャペルがある所だろ……確かそこら辺はまだ捜索してなかったな」

 こういう時素直になれないのは、我ながら悪い癖だと思う。しかし、癖というものはなかなか消し難いから癖なのだ。

「……! ダーリン、行ってくれるんですか?」

「遊びに行くわけじゃないぞ、あくまでも任務だからな」

「……ダーリン、大好きです!」

 馬乗りになっていたこころが、やおら俺に抱きつき、キスをした。俺は強引に重ねられた唇に応えるように、片手でこころの頭をそっと撫でた。

 窓から射し込んだ茜色の夕陽が、床に突き刺さった包丁に反射して、俺の手を真っ赤に染め上げていた。まるで、犯した罪もまた消し難いものだと言っているかのように――



* * *


――『伊里江温泉街』

 新都の山手に位置する、東区きっての観光名所だ。

 何故俺がこんなところにいるかというと、別に現実逃避で温泉に浸かりに来たわけではない。

 伊里江温泉と、立派なチャペルが売りのブライダル会社が提携しているらしく、二つの施設は同じ敷地内にあるのだ。

 まあ、捜索を口実にブライダルフェアに来ているんだから、やはり現実逃避である事に変わりはないか――

「――見てくださいダーリン! あんな所にお店がありますよ?」

 山に線を引くように敷かれた石畳みを歩いていると、不意にこころが足を止めた。

「……ほんとだな、地図には載っていないが……喫茶店か?」

 下り坂を降りて行くにつれ、店の外観が上から順に見えてくる。屋根の上には妙に傾いた風見鶏、レンガ作りのレトロな壁、店の周りには、無造作にも見える大小様々な観葉植物――

「ふむ、お店の名前は……なるほど、読めませんね」

 何故かドヤ顔で胸を張るこころ。俺は大袈裟にため息を一つついて、看板の文字を見た。

「wetterhahn……確か『風見鶏』って意味だな」

「博識なダーリンに、全わたくしが惚れました!」

「全米が泣いた、みたく言ってんじゃねえよ。一応大学でドイツ語の講義取ってたからな……というかお前も取ってただろ」

 こころとは大学時代に知り合った。こいつとはなにかと受講内容が被っていて、今一緒に魔女狩りなんかやってんのも、元を辿ればそういう縁があったからだ。

「ダーリン……講義を受講するだけで頭が良くなるなら世話はありません」

「……説得力が半端じゃないな」

 思い返せば、こいつは当時からかなりのバカだった。見てくれがいいお陰だろうが、周りにちやほやされて本人はまったく気にしていなかったが、改めて考えるとよく大学に入れたもんだ。

「ダーリン、せっかくですからお茶でもしていきますか?」

 石畳みの坂を降りきり、とうとう店の正面まで回り込んだところでこころがそう言った。

「……いや、やめとこう」

「あらあら、何故でしょう?」

「……この店の風見鶏……鶏じゃなくて鴉なんだよ」

 坂の上から降りてきたため、店の屋根がよく見えたのだが、屋根に取り付けられた傾いた風見鶏……鶏の代わりに鴉のデザインになっているのだ。

「まあまあ、それは少し……縁起が悪いですね」

「……だろ」

――レイヴン俺たち魔女狩りの天敵。

 風見鶏が鴉だからといって、喫茶店が鴉と無関係なのは百も承知だが、現実逃避したくなるような今の状況で、縁起まで悪くするのはごめんだった――



* * *



――暁光ぎょうこうという言葉があるが、今の状況はまさにそれだった。

 こころに連れてこられた山奥の温泉街で、それもカップルしか訪れないようなこんな場所で、よもや……。


 奴を見つけたのは、俺が馬鹿みたいにタキシードなんて着て模擬挙式とやらをしている時だった。

 係員達が仮参列者として式に参加している中に、一際目を引く奴がいた。

 年が若く、服装も係員とは違う二人組。しかも女の方は金髪だった。一眼見た時は外国人がいるな、と思っただけだったが、よく見れば俺達が血眼になって探している実験体と瓜二つだった。

 髪を切ってめかし込んでいるから別人のようだが、体格や骨格、目の色までぴったり同じだった。

 俺が気づくのと同時にこころも気づいていたようで、ウェディングドレスを着たまま暴れ出すんじゃないかと内心ヒヤヒヤだったが、冷静になるだけの頭はあったのか、それとも模擬挙式を台無しにしたくないだけなのか、なんにせよこころが暴走することはなかった。  


「――お疲れ様でした。本日ご希望のプランは以上で終了となりましたが、ご満足いただけましか?」

 ウェディングドレスとタキシードから着替えた俺達を、係員が出迎えた。

「ええ、正直思った以上でした。今日は本当に来てよかったです」

 なにせ必死に探していた目標を見つけたわけだからな。こころのわがままに付き合っただけだったが、人生何が幸いするか分からないものだ。

「そう言っていただけるのが何よりの励みでございます。挙式は人生の晴れ舞台、私共、その舞台選びの一助になれれば幸いにございます」

「……ええ、それで少し相談なんですけど、模擬挙式が想像以上に感動したものですから、模擬披露宴の方も是非体験したくなりまして……可能でしょうか?」

「もちろんですとも。先程お客様の模擬挙式に参列されていた方が、ちょうどこの後模擬挙式なさるので、入れ替わりで参加いただけますよ」

 目標が何のつもりでこんな所にいるのか、一緒に居るガキは何者なのか、不確定事項は多いがひとまずは様子を見ながら応援を呼ぶとしよう。

 目立つ市街地よりも、この山奥の方が捕獲もしやすい。どうやらクソみたいな俺の人生に、やっと運が回ってきたようだ。

「――あと、先程撮影した写真ですが、現像したものが此方になります。お二人共とても素敵に写ってらっしゃいますよ」

 ガラにもなく浮かれていたのか、係員の声で我に帰った。

 俺は係員から手渡された写真を受け取り、こころと一枚づつ確認していく。写っているのはタキシードを着たろくでなしと、ウェディングドレスを着た最愛の女だ。

「……ダーリン、今日はわたくしのわがままに付き合ってくださってありがとうございます。わたくし、この写真を撮れただけで……もう胸がいっぱいです」

 愛おしそうに写真に指を添えたこころが、俺の胸に頭をこつんと当てた。

「……お前らしくないな。今日のはまだ模擬だろ。胸いっぱいにするのは……本番まで取っとけ」

 言ってから俺は小っ恥ずかしくなってこころの頭を乱暴にがしがしと撫でた。てっきりちゃかされるかと思ったが、こころは丁寧に結った髪を庇うように俺の手から逃のがれて、『……はい』とだけ小さく返事をした。
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