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男と女
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翌日の昼過ぎ、海から上がってきたかずとが、砂浜に座り、ボーッと海を見ている父親に話しかけた。
「お父さん? 何見てるの?」
タオルで髪を拭きながら、父親が投げている視線を追う。
浅瀬で女の子を泳がせている背の高い人が父親だろうか。
その横で、まだ小さな男の子の手を引いているのがきっと母親だろう。
「きれいな人だね」
「ああ、きれいな人だよな」
「ずっと前にお父さんが言ってた一目ぼれした人って、あの人?」
「うん」
「人妻じゃん」
「そう、人妻」
「ダメじゃん。お父さんってホント女運が無いよね」
孝志がかずとに顔を向けた。
「いや、俺は女運は良いんだ。ただそれを繋ぎとめる実力が伴っていない」
「もっとダメじゃん」
笑いながら麦茶を飲む息子を見上げる孝志。
「お前もあんなに小さかった頃があったんだよなぁ……」
飲みかけのペットボトルをクーラーボックスに戻しながらかずとが言った。
「お父さん、再婚しないの? 僕は反対しないよ? まあ相手にもよるけど」
「考えたことも無いな……再婚かぁ。めんどくせぇな」
「お父さん43歳だっけ? まだ先は長いよ?」
無感情な顔で沖合に視線を投げた孝志がボソッと言った。
「いずのうみ しほひしほみちときはあれど いづれのときか あがこひざらむ」
「何それ? 何かの呪文?」
「そう、呪文。今にわかるよ、お前にも」
「ははは! 5・7・5で返事しても、季語が無いじゃん。それにさっきのだって、伊豆の海じゃなくて荒津海だよ?」
「なんだ、お前。知ってんの?」
「そりゃ知ってるよ。小学校で習うもん」
「そうか、ちゃんと成長してるんだな、お前も。そろそろ俺も成長しないとなぁ」
孝志はまた海に視線を投げた。
従妹に呼ばれ走り去るかずとの肩が、日に焼けて赤くなっている。
フッと笑った孝志が、ぬるくなった缶ビールを飲み干した。
入れ替わるように弟の雄二が横に座る。
「ホントに似てるよね。でも絶対に違うな」
「俺のささやかな夢を壊すな」
「ははは! 夢見る中年か? 気色悪い」
「うるせえよ。おい、ビール取ってくれ」
孝志に冷えた缶ビールを渡しながら雄二が独り言のように言った。
「俺はあの人が裕子さんじゃなくて良かったって思ってるよ」
「うん、俺もそう思ってる」
「そうか、それなら安心した」
本田家の姉弟が手を繋ぎ、木陰に座る祖母らしき女性の側に駆けていく。
夫婦はゆっくりと寄り添うように波打ち際を歩いていた。
「良いな……良い景色だ」
「うん、ホントに良い景色だね」
「なあ雄二、幸せって何だろうな」
「幸せか……自分より大切に思える人がいる事かな。俺は」
「そうか、じゃあ俺も幸せなんだな」
「かずとはいい子だよ。素直で優しくて」
「そうだな」
孝志の言葉には返事をせず、雄二は持っていた缶ビールを呷った。
独り言のように孝志が呟く。
「俺ってちゃんと消えることができたかな」
雄二は静かに頷いた。
「うん、大丈夫なんじゃない? もうとっくに兄さんのことなんて忘れてさ、新しい幸せを手に入れているよ」
「そうか、それなら良かった……本当に良かった」
徒然と美咲が残した足跡を、波が攫っていく。
太陽が西に傾き始めたのか、少し風が冷たくなっている。
孝志は手にした缶ビールを一気に飲み干し、驚くほど凪ている自分の気持ちを受け入れた。
*
誰もいなくなった浜辺をテラスから眺めている美咲に、徒然が声を掛ける。
「子供たちは寝たよ。寝かせてたはずのお母さんも一緒に寝ちゃってる」
「そう、お母さんが一緒なら安心だわ。たくさん遊んだからきっと疲れたのね」
「そうだね。でも楽しそうで良かったよ」
徒然が持ってきたワイングラスのひとつを美咲に渡す。
「そう言えば今日の夕方に連絡があったんだ。あの小説が受賞したらしい」
「まあ! 素晴らしいわ。おめでとう徒然さん」
「男の私ではわからない女性の感情の機微が表現できたのは美咲のお陰だ」
「お役にたてたのなら良かったけれど、私の過去は全部あなたのものだもの。それを作品として世に出した私の旦那様はやっぱり凄い人だわ」
「お褒め戴き光栄です。奥様」
徒然が美咲を抱き寄せる。
美咲が徒然の顔を見上げて微笑んだ。
「美咲、愛してるよ。あの日からずっと変わらず愛してる。美咲はちゃんと幸せかな?」
「ええ、もちろんよ」
「良かった。君の幸せは私の喜びだ」
「あなたの喜びは私の幸せよ」
重なった2人の影に照れたのか、海を照らしていた月が雲間に隠れた。
おしまい
本編はこれで終わりです。
最後までお付き合いいただき心から感謝いたします。
ご要望をいただきましたので、少しだけ番外編を書きました。
引き続きよろしくお願いします。
志波 連
「お父さん? 何見てるの?」
タオルで髪を拭きながら、父親が投げている視線を追う。
浅瀬で女の子を泳がせている背の高い人が父親だろうか。
その横で、まだ小さな男の子の手を引いているのがきっと母親だろう。
「きれいな人だね」
「ああ、きれいな人だよな」
「ずっと前にお父さんが言ってた一目ぼれした人って、あの人?」
「うん」
「人妻じゃん」
「そう、人妻」
「ダメじゃん。お父さんってホント女運が無いよね」
孝志がかずとに顔を向けた。
「いや、俺は女運は良いんだ。ただそれを繋ぎとめる実力が伴っていない」
「もっとダメじゃん」
笑いながら麦茶を飲む息子を見上げる孝志。
「お前もあんなに小さかった頃があったんだよなぁ……」
飲みかけのペットボトルをクーラーボックスに戻しながらかずとが言った。
「お父さん、再婚しないの? 僕は反対しないよ? まあ相手にもよるけど」
「考えたことも無いな……再婚かぁ。めんどくせぇな」
「お父さん43歳だっけ? まだ先は長いよ?」
無感情な顔で沖合に視線を投げた孝志がボソッと言った。
「いずのうみ しほひしほみちときはあれど いづれのときか あがこひざらむ」
「何それ? 何かの呪文?」
「そう、呪文。今にわかるよ、お前にも」
「ははは! 5・7・5で返事しても、季語が無いじゃん。それにさっきのだって、伊豆の海じゃなくて荒津海だよ?」
「なんだ、お前。知ってんの?」
「そりゃ知ってるよ。小学校で習うもん」
「そうか、ちゃんと成長してるんだな、お前も。そろそろ俺も成長しないとなぁ」
孝志はまた海に視線を投げた。
従妹に呼ばれ走り去るかずとの肩が、日に焼けて赤くなっている。
フッと笑った孝志が、ぬるくなった缶ビールを飲み干した。
入れ替わるように弟の雄二が横に座る。
「ホントに似てるよね。でも絶対に違うな」
「俺のささやかな夢を壊すな」
「ははは! 夢見る中年か? 気色悪い」
「うるせえよ。おい、ビール取ってくれ」
孝志に冷えた缶ビールを渡しながら雄二が独り言のように言った。
「俺はあの人が裕子さんじゃなくて良かったって思ってるよ」
「うん、俺もそう思ってる」
「そうか、それなら安心した」
本田家の姉弟が手を繋ぎ、木陰に座る祖母らしき女性の側に駆けていく。
夫婦はゆっくりと寄り添うように波打ち際を歩いていた。
「良いな……良い景色だ」
「うん、ホントに良い景色だね」
「なあ雄二、幸せって何だろうな」
「幸せか……自分より大切に思える人がいる事かな。俺は」
「そうか、じゃあ俺も幸せなんだな」
「かずとはいい子だよ。素直で優しくて」
「そうだな」
孝志の言葉には返事をせず、雄二は持っていた缶ビールを呷った。
独り言のように孝志が呟く。
「俺ってちゃんと消えることができたかな」
雄二は静かに頷いた。
「うん、大丈夫なんじゃない? もうとっくに兄さんのことなんて忘れてさ、新しい幸せを手に入れているよ」
「そうか、それなら良かった……本当に良かった」
徒然と美咲が残した足跡を、波が攫っていく。
太陽が西に傾き始めたのか、少し風が冷たくなっている。
孝志は手にした缶ビールを一気に飲み干し、驚くほど凪ている自分の気持ちを受け入れた。
*
誰もいなくなった浜辺をテラスから眺めている美咲に、徒然が声を掛ける。
「子供たちは寝たよ。寝かせてたはずのお母さんも一緒に寝ちゃってる」
「そう、お母さんが一緒なら安心だわ。たくさん遊んだからきっと疲れたのね」
「そうだね。でも楽しそうで良かったよ」
徒然が持ってきたワイングラスのひとつを美咲に渡す。
「そう言えば今日の夕方に連絡があったんだ。あの小説が受賞したらしい」
「まあ! 素晴らしいわ。おめでとう徒然さん」
「男の私ではわからない女性の感情の機微が表現できたのは美咲のお陰だ」
「お役にたてたのなら良かったけれど、私の過去は全部あなたのものだもの。それを作品として世に出した私の旦那様はやっぱり凄い人だわ」
「お褒め戴き光栄です。奥様」
徒然が美咲を抱き寄せる。
美咲が徒然の顔を見上げて微笑んだ。
「美咲、愛してるよ。あの日からずっと変わらず愛してる。美咲はちゃんと幸せかな?」
「ええ、もちろんよ」
「良かった。君の幸せは私の喜びだ」
「あなたの喜びは私の幸せよ」
重なった2人の影に照れたのか、海を照らしていた月が雲間に隠れた。
おしまい
本編はこれで終わりです。
最後までお付き合いいただき心から感謝いたします。
ご要望をいただきましたので、少しだけ番外編を書きました。
引き続きよろしくお願いします。
志波 連
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