思い出を売った女

志波 連

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微笑む女

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 孝志たちが乗ったワンボックスカーが走り去るのを、海に面したテラスから確認した本田は、ホッと大きな息を吐きだした。
 キッチンでは志乃と美咲が楽しそうに夕食の準備をしている。

 裕子を治療するにあたり、身辺を徹底的に調査した本田は孝志の顔を知っていた。
 この別荘は本田の父が残したもので、孝志の実家からは近いと言えば近いが、まさか遭遇する事は無いだろうと思っていたのだ。

 あれからもう6年という月日が流れ、裕子は完全に安倍美咲として生きている。
 美咲は自分の仕事仲間だと紹介した三谷澄子ともすぐに意気投合し、今では互いを親友と認識するほどの友情を育んでいた。

「こんな偶然もあるんだなぁ……小説より奇なりってことか」

「徒然さん? どうしたの?」

 夕食ができたと呼びに来た美咲が声をかける。

「いや、なんでもない。ほら美咲、見てごらん。夕日が海に沈んでいく」

「まあ……きれいね」

 海風が美咲の髪を弄び、夕日がその頬をオレンジ色に染める。

「君の方がずっときれいだ、美咲」

 その声には答えず、少しだけ首を傾けて本田の胸に寄り添ってきた。

「結婚しよう」

「え? でも私……」

「事故の後遺症はもう無いって言っただろう?」

「うん……そうよね。もう健康よね」

「それで? 返事は?」

 裕子が本田を見上げた。

「はい。私を徒然さんの奥さんにして下さい」

 本田はにっこりと微笑んで、美咲の唇に自分のそれを押し当てる。
 二人にとって初めてのキスを見届けた太陽が、照れたように最後の輝きを空に放った。

「そうなの? それはお目出度いわ」

 本田からプロポーズしたという報告を受けた志乃は、手を叩いて喜んだ。
 海風のテラスで夕食をとり、美咲はシャワールームに向かう。
 それを見届けた本田は、志乃に孝志との遭遇を話した。

「美咲が無反応だったのなら大丈夫ね」

「いや、そもそも彼の姿を見ていない可能性が高いよ。私が見えないように誘導したしね。美咲は私にとって初めて生涯を共にしたいと思えた大切な女性だ。いつの間にかこれほどまでに愛してしまっていたんだ。後顧の憂いは全て取り除いておきたい」

「試して確認するの?」

「ああ、100%大丈夫なんてことはあり得ないんだ。あなたもそうだったでしょう?」

「そうね、私は……戻ってしまったものね」

「その時は辛かった?」

「いきなり雪崩れ込んできた記憶には戸惑ったわ。でもあれほど悲しくて辛くて死にたかったあの感情は無くなっていたの」

「そうか……痛みは消えるってことか。だとすると、それは時間風化かもしれない。ということは、この治療法も成功しているとは言えないのかもしれないな」

「成功か失敗かは分からないけれど、私は確かに助けてもらいましたよ、あなたのお父様に」

「そう? 日陰の身として2人も子供を産んだのに?」

「ええ、幸せだったわ。奥様には申し訳無かったけれど、最初の子供は奥様の子として本田家に迎えて貰えたし、奥様が亡くなった後で入籍の話も出たけれど、断ったのは私だもの」

「うん、母はあなたにとても感謝していたよ。宝物を譲っていただいたってね。体が弱い自分を責めていたし、本田家の血を絶やすことを何よりも恐れていたから」

「そう言ってもらえると心が救われるわ」

「妹のことは残念だったけれどね」

「もう諦めたわ。あれほど手を尽くして探しても見つからなかったのだもの、きっともうこの世にはいないでしょう。あんな男に騙されて……バカな子」

「失踪届も出さず、健康保険も年金もあなたがずっと払い続けていたものね。でもそのお陰で『安倍美咲』は戸籍上生き続けていた。そして彼女によって甦ったんだ」

「そうね。あの子は……美咲は私の娘よ。とても素直で可愛いの」

「その美咲と私が結婚すれば、私は誰にはばかることなくあなたを母と呼べる」

 志乃が泣き笑いの顔で本田を見た。

「そのためにも、確認はするべきだと思うんだ」

「戻ってしまったら……離れて行くかもしれないわ」

「その時は、もちろん彼女の気持ちを優先するよ。もともと私は結婚する気も無かったんだ。手放すのは悲しいけれど、彼女の幸せが一番だから」

「お父様と同じことを言うのね。後はあちらがどう出るか……」

「うん、結局私も父と同じ道を歩んだってことだね。まあ彼には心からの後悔と、前に進んでいることを期待しよう」

 美咲がテラスに戻ってきた。
 入れ違うように志乃が風呂場へ向かう。

「美咲、こっちにおいで」

 本田は幸せそうに微笑む美咲の髪に顔を埋め、黙ったままその香りを堪能した。
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