一言主神の愛し子

志波 連

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32 歪な時間軸

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「ただいま帰りました」

 ハナがヤスに手を借りながら社に入ると、そこは戦場さながらの賑わいだった。

「おお! 戻ったか。ハナはすぐに飯を食え。ヤスは仮社を作ってくれ。交代で使ってもらうにしても20はいるぞ」

「畏まりましてございます」

 ヤスさんがハナを板の間まで運ぶと、すぐに出て行った。
 少しは休憩をと声を掛けようとしたときには、ヤスの姿は消えていた。
 さすが猪の精、猪突猛進とはこのことかなどとハナは心の中で軽口を叩く。

「さあ、ハナさん。たくさん召し上がってください。疲れたでしょう?」

 シマさんが小さなお盆に握り飯と味噌汁をのせて差し出した。

「ありがとうシマさん。でも葛城の家は大丈夫なの? シマさんがいないと誰がご飯作るのよ」

「ああ、あの方たちは旅行に行ってもらいました。今頃は客船の上で潮風に晒されているでしょう。ご心配なく」

「あら、そうなの? だってお父様とお義母様は良いにしても、聡子さんは? 学校でしょうに」

「あら、御上は何も伝えておられませんでしたか。この社の一日は下界の十日です。ハナさんがここに籠られてから5か月ですので、下界では4年が過ぎておりますよ? 聡子さんは昨年嫁がれました」

「え? え! えぇぇぇぇぇ! じゃあ私って21歳なの? げっ!」

 ハナは手にしていたおむすびをポロっと落としてしまった。
 それをシュッと空中でキャッチし、さっさと口に放り込んだのは緑色の体をした小さな式神だ。
 呆然とするハナの肩をポンポンと叩きながらシマが言う。

「なるべく下界に出るようにしないと老けるばかりですよ? ほほほ」

 おじいちゃんが笑いながら声を掛ける。

「こらこら、シマ。ハナを揶揄うな。安心せよ、この社にいる限りはこの社の時間軸でしか歳はとらん。下界に出ても容姿は変わらん。お前は今でも17歳じゃし、時間軸が違っても時間や季節に齟齬は生まれん。心配いたすな」

 おじいちゃんの言葉など耳に届かず、ハナは『イキオクレ……イキオクレ……』と呟いていた。

「まあよい、シマ。此度はなかなか厄介な者も出ているようなのでなぁ。安倍を呼んできてくれんか? 当主に『一番力の強き者』を俺が呼んでいると伝えてまいれ」

 シマは頷き、サッと姿を消した。
 一瞬だけシマの姿が狐に見えたハナは、式神たちを背中にのせて運んでいるウメに聞く。

「ねえ、ウメさんってシマさんの親戚なの?」

「シマさんは私のずっと上の姉ですよ。まあ狐は子沢山ですからねぇ、何番目の姉とか覚えてもいませんが、母は同じです」

「ハクさんは妹だよね?」

「そうですよ。ハクは父親の血が濃くて白蛇になりましたが、母は同じです」

「式神の世界もなかなか複雑なのね」

 ウメは何を言っているのかわからないという感じで首を傾げながら裏庭に行く。
 その間もどんどん神々が入れ替わり立ち替わり出入りをしていた。
 つい今朝見かけた神が、傷だらけになって座敷に寝ている。
 ハナはのんびりとしている自分を少し恥じた。

「ねえ、おじいちゃん」

 食事を終えたハナが大きな地図を睨んでいる神々の輪の近くで声を掛ける。

「どうした?」

「私があの子たちの看病をしても良い?」

「あれは神力を使い果たしただけじゃが、ハナが煎じた薬湯は効果テキメンじゃしな。蓬の精にショウレンギョウを持ってこさせて煎じて飲ませてやれ。煎じる時の祝詞はわかるか」

「ああ、祓のあれね?」

「うん、そうじゃよ」

「任せといて!」

 ハナは勢いよく立ち上がり、大きな焙烙を棚から出して炭にかけた。
 座敷中に香ばしい香りが漂う。

「この香りだけで傷が癒えていくようじゃ」

 晒で傷を覆っていた神たちが起き上がってきた。
 ハナは集中して祝詞を呟き、手を動かし続ける。
 ハクが気を利かせて煎じ鍋に湯を沸かしてくれていた。
 いかにも苦そうな香りに代わり、ドロドロとした煎じ薬が出来上がる。
 そのままではとても飲めるような代物ではないので、大ぶりの湯吞に少量だけ入れて、お湯で薄めて配り歩いた。

「どうぞ~ 苦いけど我慢してね」

 神たちはニコニコと頷いて湯吞を受け取る。
 
「さすが愛し子じゃな。すでに傷が癒えたわ」

 あまりの速さに冗談かと思ったが、晒しをはずして見せられた腕には傷痕さえ無かった。

「まじで?」

「もともと我らは傷と言うてもすぐに治るのじゃが、此度の悪しき神はなかなかに強力でなあ。数日かかるかと思ったがこの薬湯さえあれば明日にでも発てようぞ」

「もう少し休めないの?」

 相手の姿が幼子なため、ハナはどうしても心配になる。

「八咫烏が探し当てる前に塵は祓っておいた方が良い」

 真っ黒な髪を耳の横で結いあげる『美豆良(みづら)』という髪型の男の子は、白い衣に紅花で染めた帯を巻いている。
 背にしょった大剣は三日月のような形をしており、鞘には瑪瑙が埋め込まれていた。
 ハナはその健気さに感動しつつ、その男の子の頭を撫でてやった。
 少し驚いた顔をしながらも、嬉しそうに微笑む男の子。
 ふと見ると、その後ろには頭を撫でてもらおうとする子供たちが列を成していた。
 もしかして神様って愛され足りていないのだろうかと思ったハナは言った。

「ちゃんと薬湯が飲めた子は頭を撫でてあげるよ~」

 ハナさんは一瞬で保母さんとなった。
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