そして愛は突然に

志波 連

文字の大きさ
上 下
85 / 97

85

しおりを挟む
 宰相執務室を出たシェリーは、小走りでアルバートの眠る医務室に向かった。
 後ろからついてくるメイドの息が上がっている。
 いつもなら使用人たちに心配りを忘れないシェリーがここまで急いでいるのだ。
 レモン卿であれば楽に追いつくのだろうと思いつつ、メイドは歯を食いしばってついて行った。

「ああ、ごめんなさいね。なんだか気が急いてしまって。お医者様を呼んでくれる?」

「はい妃殿下」

 メイドが何度も大きく息を吸いながら医務室のドアをノックした。
 ドアが内側から開かれ、顔を覗かせた看護メイドに皇太子妃の来訪を伝えるように言っている。
 その姿を見ながら、シェリーは何気なく窓の外を見た。

『ねえ、シェリー。あの大きな木が見えるかい? あれはね、兄上と僕が子供の頃に遊んだ木なんだ。冬になるとね、爪くらいの大きさの実をつけるんだよ。風が吹くとその実がかさかさと音を立ててね、まるで話しかけられているような気分になるんだ』

 アルバートがそう言ったのはいつだったろうか。
 シェリーは何度か子供の頃の話を聞かされたが、そのどのシーンにも兄であるシュラインの姿があった。
 異母兄弟とはいえ、とても信頼し合っているのが分かる。

「表裏一体」

 先ほどシュラインの口から出た単語を、シェリーは無意識で呟いていた。

「お待たせしました」

 医務室から出てきた医者がシェリーに声を掛ける。

「どうですか? 意識は戻りましたか?」

「どうぞお入りください。テントの中には入れませんが、お顔は見ることができますので」

 そういえば二次感染のことを聞いたなぁとシェリーはぼんやりと考えた。
 メイドには戻ってよいと伝え、用があればここにいると言うように指示を出す。
 何度も手を洗わされ、少し薬品臭い液体でうがいもさせられた。
 ドレスを脱ぎ、看護メイドが渡す白いバスローブのようなものを着る。
 そこまでしてやっと内側の扉が開かれた。

「妃殿下、こちらの椅子にどうぞ」

 部屋の中には大きなテントが設置され、アルバートが横たわるベッドがすっぽりと包み込まれていた。
 薄い布なのか、中が透けて見える。
 シェリーは思わずその布を捲ろうとして、看護メイドに止められた。

「あ、ごめんなさい。つい……」

「大丈夫です。お気持ちはわかります」

 医者がシェリーを慰めるように言う。

「あと……そうですね。十日くらいはこの中で過ごしていただきます。傷口に膜が張ればもう大丈夫なのですが」

「そうですか。先生、本当にありがとうございました」

「いえ、できるだけのことはしましたが、ここが限界でした。後遺症などが残ってしまいますし、尊きお体に傷を残してしまったことをお詫び申し上げます」

「先生……命を拾ってくださっただけでも十分です。本当にありがとう。そしてご苦労様です。これからもよろしくお願いしますね」

 医者がゆっくりと礼をして、看護メイドと共に部屋の隅に移動した。
 シェリーは指示された椅子に座り、じっとアルバートの顔を見詰める。
 時々だが、眉を顰めたり小さな呻き声を漏らすアルバート。
 苦しそうだが、シェリーにとっては彼が生きていると示しているような気がした。
 医者が後ろから声を出す。

「一度は意識を取り戻されたのですが、あまりの激痛に気を失われました。今はオピュウムによって痛みを和らげている状態です」

 シェリーが小さく頷く。
 オピュウム……その名はシェリーが小さい頃から何度も耳にしていた単語だ。
 ブラッド家ではオピュウムの重要性や希少性と共に、扱い方を間違えると如何に恐ろしいものかを繰り返し聞かされる。
 女児であるシェリーはそれだけだが、跡取りとなる男児には厳しい教育が施される。
 書き物には残さず、一子相伝でありその内容は口伝のみとされる秘法だ。
 それを知ることはブラッド家の相続を約束される事ではあるが、何者かに命を狙われる危険度合も上がる。
 そのためブラッド家の男児は厳しい訓練も受けなくてはならない。
 それに耐えられない場合は廃嫡とされ、すでに口伝を受けていた場合は毒杯を渡される。

「ブルーノ、頼むわよ」

 アルバートへのオピュウム供給を任されている弟の名前を呟き、シェリーは両手を強く握りしめて、一秒でも早いアルバートの回復を祈った。
 その体制のまま何時間が経過したのだろうか。
 ふと見ると窓の外には夜の帳が降り始めていた。
 医者の姿はすでになく、看護メイドが部屋の隅でうとうとしている。
 内側のドアがノックされ、居眠りをしていた看護メイドが弾かれた様に立ち上がった。
 素早く部屋を出た看護メイドが戻るまでの数分、シェリーは夫と二人きりとなった。

「アルバート、痛い? 辛いわよね……代わってあげられたら良いのに……」

 きつく目を閉じているアルバートにシェリーの声は届かない。

「ねえ、アルバート。さっきねあなたがよく遊んだっていう木を見ていたのよ。もうすぐ風に揺れたらかさかさと音を立てる実が成る季節になるわ。一緒にその音を聞きにい行きたいの。だから……頑張って」

 アルバートの指先がほんの少し動いたような気がした。

「アルバート、聞こえているのね? 目が開けられないほど痛むの? ああ、どうしましょう。私はあなたに触れることもできないの。その髪を撫でながら励ましてあげたいのに」

 アルバートの指は動かない。
 シェリーは自分の希望が見せた幻だったのだと思った。
 看護メイドが戻って来てシェリーに言った。

「妃殿下、ご夕食の準備が整ったそうです。宰相閣下とヌベール辺境伯閣下がお待ちしているとのことです」

「わかったわ……行きたくないのだけれど……ダメかしら」

「夜間は面会禁止となりますので、どちらにせよこの部屋からは出ていただく決まりです」

「そう……それなら仕方がないわ。朝は何時から来ても良いの?」

「後ほど先生からお伝えがあると思います」

 シェリーは悲しそうな顔をして立ち上がる。

「アルバート、また明日ね」

 シェリーの声に、アルバートの指先が動いた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

国王陛下、私のことは忘れて幸せになって下さい。

ひかり芽衣
恋愛
同じ年で幼馴染のシュイルツとアンウェイは、小さい頃から将来は国王・王妃となり国を治め、国民の幸せを守り続ける誓いを立て教育を受けて来た。 即位後、穏やかな生活を送っていた2人だったが、婚姻5年が経っても子宝に恵まれなかった。 そこで、跡継ぎを作る為に側室を迎え入れることとなるが、この側室ができた人間だったのだ。 国の未来と皆の幸せを願い、王妃は身を引くことを決意する。 ⭐︎2人の恋の行く末をどうぞ一緒に見守って下さいませ⭐︎ ※初執筆&投稿で拙い点があるとは思いますが頑張ります!

私は心を捨てました 〜「お前なんかどうでもいい」と言ったあなた、どうして今更なのですか?〜

月橋りら
恋愛
私に婚約の打診をしてきたのは、ルイス・フォン・ラグリー侯爵子息。 だが、彼には幼い頃から大切に想う少女がいたーー。 「お前なんかどうでもいい」 そうあなたが言ったから。 私は心を捨てたのに。 あなたはいきなり許しを乞うてきた。 そして優しくしてくるようになった。 ーー私が想いを捨てた後で。 どうして今更なのですかーー。 *この小説はカクヨム様、エブリスタ様でも連載しております。

【完結】転生少女は異世界でお店を始めたい

梅丸
ファンタジー
せっかく40代目前にして夢だった喫茶店オープンに漕ぎ着けたと言うのに事故に遭い呆気なく命を落としてしまった私。女神様が管理する異世界に転生させてもらい夢を実現するために奮闘するのだが、この世界には無いものが多すぎる! 創造魔法と言う女神様から授かった恩寵と前世の料理レシピを駆使して色々作りながら頑張る私だった。

騎士の浮気は当たり前〜10年間浮気してた相手と別れた翌日妻に捨てられた俺の話〜

おてんば松尾
恋愛
騎士であるグレンは妻を愛している。子供達も立派に育ち家族円満だと思っていた。 俺の浮気を妻は10年前から知っていた。 バレても本気じゃない遊びだ。 謝れば許してもらえると単純に思っていた。 まさか、全てを失うことになるとは……

思い出を売った女

志波 連
ライト文芸
結婚して三年、あれほど愛していると言っていた夫の浮気を知った裕子。 それでもいつかは戻って来ることを信じて耐えることを決意するも、浮気相手からの執拗な嫌がらせに心が折れてしまい、離婚届を置いて姿を消した。 浮気を後悔した孝志は裕子を探すが、痕跡さえ見つけられない。 浮気相手が妊娠し、子供のために再婚したが上手くいくはずもなかった。 全てに疲弊した孝志は故郷に戻る。 ある日、子供を連れて出掛けた海辺の公園でかつての妻に再会する。 あの頃のように明るい笑顔を浮かべる裕子に、孝志は二度目の一目惚れをした。 R15は保険です 他サイトでも公開しています 表紙は写真ACより引用しました

虐げられた令嬢、ペネロペの場合

キムラましゅろう
ファンタジー
ペネロペは世に言う虐げられた令嬢だ。 幼い頃に母を亡くし、突然やってきた継母とその後生まれた異母妹にこき使われる毎日。 父は無関心。洋服は使用人と同じくお仕着せしか持っていない。 まぁ元々婚約者はいないから異母妹に横取りされる事はないけれど。 可哀想なペネロペ。でもきっといつか、彼女にもここから救い出してくれる運命の王子様が……なんて現れるわけないし、現れなくてもいいとペネロペは思っていた。何故なら彼女はちっとも困っていなかったから。 1話完結のショートショートです。 虐げられた令嬢達も裏でちゃっかり仕返しをしていて欲しい…… という願望から生まれたお話です。 ゆるゆる設定なのでゆるゆるとお読みいただければ幸いです。 R15は念のため。

最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません

abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。 後宮はいつでも女の戦いが絶えない。 安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。 「どうして、この人を愛していたのかしら?」 ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。 それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!? 「あの人に興味はありません。勝手になさい!」

五歳の時から、側にいた

田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。 それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。 グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。 前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。

処理中です...