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46 メモ魔

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 カリカリとメモを取る藤田のボールペンの音だけがしている。
 重くなった空気を変えるように、伊藤がお道化たような声を出した。

「お前って、メモ魔だよなぁ。いったい一年で何冊くらい使うんだ?」

「メモ用だとひと月一冊ですかね。それを清書したものは年に六冊くらいになります」

「なんか……凄いな、お前」

「俺は伊藤さんと違って頭が悪いので、全部覚えることができないし、取捨選択の判断が遅いのです。慎重というよりこの方が効率的なんです」

「仮にそうだとしても、それを欠点と認めて補おうと努力するのは並大抵じゃない。尊敬するよ、本当に」

「どうしたんですか? 気持ち悪いな」

 藤田が手を止めて伊藤の顔を見る。

「いや、純粋に褒めている。珍しいことだから素直に受け取っておけ」

「はい……でもやっぱり気持ち悪い」

 タクシーが停まったのは、テレビコマーシャルでよく耳にする有名旅館の前だった。
 伊藤が乗車料金を支払い領収書を待っている間に、藤田が周りの景色を眺めている。
 どう見ても普通の観光客で、刑事には見えないのは藤田の持つ明るい雰囲気のせいだろう。
 伊藤はその点も高く評価していた。

「おい、こっちだ」

 歩き出した伊藤に慌てて藤田が追いつく。
 
「伊藤さん、さっきの話の続きですが、斉藤は誰に対して宝石を盗まれたアピールをしたかったのでしょう。確かに盗難という形で警察まで来たとなれば、不可抗力をアピールできるけれど、肝心の小夜子が疑われるのは簡単に予測できるはずですよね」

「うん、それは俺も考えた。だからその答えを探すためにここまで来たんだ」

「長谷部千代がその答えを持っている?」

「答えまではどうかわからんが、ヒントは持っているだろう」

 藤田は伊藤の言葉を受け、口を真一文字に結んだ。
 
「ここみたいだな。休憩時間か?」

 まだできて間もない食堂の前に立つ二人。
 小綺麗な外装には似合わない看板が目を引く。

「おかめ食堂? こりゃまた古風な名前ですねぇ」

「ああ、この町にはお似合いだな」

 藤田が入口のドアを押した。

「ごめんください、長谷部さん。いらっしゃいますか?」

 コロンコロンと明るい音が鳴り響き、奥でくぐもった声がした。

「はぁ~い、ちょっと待って下さい」

 間違いなく長谷部千代の声だ。
 パタパタとスリッパの音がして、厨房の奥のドアが開く。
 まだ新しい暖簾から、千代が顔を出した。
 
「はい、お待たせしまし……あれ? 刑事さん?」

「覚えていてくださいましたか。あの時の刑事の伊藤です」

「藤田です。ご無沙汰しています」

「まあまあ、こんな遠くまでご苦労様です。また事件ですか?」

 そう言いながら、千代が奥のテーブルに二人を誘った。

「いえ……ちょっとお邪魔します。休憩時間なのに申し訳ないですね」

 伊藤の声に千代が答えた。

「いえいえ、平日は予約が無い限り昼の営業しかしてないのです。温泉旅館に泊まるお客さんは宿で夕食が出ますしね」

「なるほど、そりゃそうですね」

 千代は厨房に下がってカチャカチャと音をさせている。
 藤田は物珍しそうに店内を見回して、何かに気付いたのか伊藤の上着の袖を引いた。
 伊藤が目を向けると、無言のまま視線だけで『あれを見ろ』と言っている。

「あれは……家紋か?」

「みたいですよね。どこのだろ」

 二人の視線が捕えていたのは、立派な額に入れられて飾られている染め抜きの家紋入り風呂敷だった。
 千代がコーヒーを運んできた。

「ああ、あれですか? あれは義母に貰ったものです。腹違いの兄には家紋入りの文鎮を、私には家紋入りの風呂敷でした。疎開するときに渡されたので、大きなものは無理だったんですよね。きっと兄さんは失くしちゃったか、売っちゃったんだと思うのですが、私は正当な血筋じゃなかったから、あれを手放すと何処の誰かを証明することができなくなるような気がして大切にしていたのですよ」

「どちらの家紋ですか? 不勉強で申し訳ありません」

「いえいえ、有名な武家ならまだしも、末端の華族の家紋なんて知っている方が珍しいです。あれは烏丸家傍流の家紋ですよ。私の父は烏丸具也、兄はお察しの通り信也です。兄は正妻の子ですが、私は側室の子ですね」

 二人は絶句した。
 千代がコーヒーを勧めながら困ったような顔で続ける。

「驚きました? そりゃ驚きますよね。でも私は証言した時も噓は言ってないのですよ? そこは信じてくださいね」

 藤田が鞄から大き目の手帳を取り出し、パラパラと捲り始める。

「確かご両親は東北地方のご出身だと仰っていましたよね?」

「ええ、母は山形の出身です。父も元をたどれば山形なのだそうですよ」

「そう……ですか」

 何度も同じページを指でたどっていたが、他に突っ込むところは無さそうだった。

「烏丸家の家紋って鶴なのですね」

「あれは鶴ではなく烏なのだそうですよ。本家の物とはまったく違います。並べてみると良く分かりますが、専門家じゃないと鶴か烏かなんて分からないですよねぇ」

 ほほほと明るく笑って、千代はコーヒーに口をつけた。

「お母様はご健在ですか?」

「わかりません。兄と従妹の小百合と一緒にこの地に疎開した後、義母と叔母は自害しました。その時の使用人に聞いたのですが、側妃だった母は逃げたそうで、そのまま行方はわかりません」

「そうですか……ご苦労なさったのですね」

 その言葉には返事をせず、千代はじっと額入りの家紋風呂敷を見ていた。
 コトンとカップを置き、座りなおす千代。

「ここまで来られたということは、相当深くまで調べて来られたのでしょうね。もう事件でも無いのにここまでなさるって、刑事の性っていうのかしら」

 伊藤が口角を上げた。

「仰る通りです。知りたいという欲求に勝てないのですよ」

「もう全部終わったことですから、私の知っている事なら何でもお話ししますよ」

 藤田がコーヒーカップを横によけて、手帳の新しいページを開いた。
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